詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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「いじめ」から連想する「忍辱」という言葉

2007年03月05日 | Weblog
オウム真理教の広告塔的な存在だった上祐氏がとうとう袂を別ったらしい。
オウム真理教の闇の解明は、顧問弁護士を冤罪で刑務所に放り込んだり、麻原教祖の死刑を急いだりという国家権力のために・・永遠に閉ざされてしまったようだ。

オウム真理教という・・あちこちの宗教からいいとこ取りして、簡単にマスターできるようにした新興宗教のキーワードの一つに、この「忍辱」というー辱めを忍び、他人のさげすみの視線に耐えるーと言う言葉があったように記憶している。

仏教の場合この「忍辱」という概念は、非常に重要な修行の目的のひとつであり・・現代日本庶民の間では消滅してしまった言葉だが、江戸時代ならば普通の庶民にもなじみ深い言葉だったのではないかと思う。
この原因としてはー乞食の境涯に身を落としてまでも親や主君の敵を討つという事が奨励され、忠臣蔵や曾我物語等の敵討ち物語がもてはやされた封建時代の倫理観と関係があるのかもしれない。
「リア王」を読んでいても、このテーマはかなり重要な伏線をなしていたように思う。

それでは、なぜ僕が「いじめ」から「忍辱」を連想したかというとー
現代日本でのいじめのルーツだと僕が思う企業の「リストラ」等においても、その対象をいかに孤立させ、辱め、無力して・・自殺や退職に追い込むかという構造が教育現場での「いじめ」と全く同じ構造なのではないかと思ったのだった。

これはクーンツやケッチャムという米国ホラー作家や、ナチスの強制収容所での数百万人のユダヤ人虐殺においても同様に、主要なテーマだったのではないかと思う。

ひとつだけ言うならば、この問題は一般的な日本人には全く未知の分野であり、それに対する抵抗力というものをほとんど持ってはいないので・・素人があれこれ言うよりも、専門家の助言や知識が必要なのではないかと思う。
あらゆる分野で、実践的な専門家の育成や、社会貢献という志に燃えるNGO&NPOへの社会的なバックアップこそが、現在の日本で早急に求められているものなのではないだろうか。

現在はそうではなくても、誰もがいつなん時、天災・事故・病気・リストラ等で弱者となり差別を受ける可能性があるのだし・・いつかは誰もが淋しい老人の境遇となり、死んでゆかなけばならないのだし・・
日本で今後ますます、差別されつつある女性や障害者や低学歴者や高齢者や低収入者の問題は、誰もが自分や家族の問題として、いずれは向き合わなければならない問題なのではないかと思う。

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