詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

ピッキ蛙外伝 (1)(2)(3)

2009年05月31日 | Weblog
僕がトヨタグループに入ったのは、まだバブル真っ最中の頃だった。それまで務めていた鉄工所の営業事務の現場で、毎日毎日職人たちと喧嘩するのに嫌気がさしてとうとうそこを止めてしまった。ぼやぼやしてるとハンマーやらモンキー等が飛んでくるので命の危険を感じたせいもある。

その時ふっと、そこで一緒に働いてたおばさんが「あんたは腰が低いから商売向きかも」「もしもあんたがトヨタグループの勤め人なら娘をくれてやるんだけどね・・」とを思い出して、トヨタグループの試験を受けることにしたのだった。

僕同様に多くの途中入社の同僚がいっぱいいて、毎年人事担当者が日本全国から期間社員を集めるのに四苦八苦という時代だったのか・・即採用となった。

交通事故で大学中退の自分が最初に配属された職場は、直径約10センチ、長さ約1メートル、一本二十キロもある丸い鋼材からクランクシャフトを最初に削る工程だった。
毎日毎日、数百本のその鋼材を機械に入れては、開始ボタンを押し、それを出すということの繰り返しだった。

唯一の採用条件が残業をやるということだった。残業は毎日4時間。夜勤の時にはよくその鋼材を足に落としたものだった。幸いに、作業靴の先に入っている鉄板のおかげで、足は無事だったけど・・

まだ二十歳代だった僕は、夜勤が終わるとそのままパチンコ屋へということが多かった。夏には知多半島へと泳ぎに、冬は長野県へと山へということも時々だった。
休みというと、競馬開催時期には公営競馬か名古屋競馬場、時には笠松競馬場へと行くこともあった。

僕の運命が大きく変わったのは、その会社の研究開発部門へと引き抜かれてからだった。後で聞くと、僕の前に打診された一流国立大学大学院を卒業して入社した同じ途中入社の同僚がそれを断ったのであったそうだ。

この間の事情はちと複雑だ。その頃のこの会社には二つの派閥があって、一つはリストラの業績で部長(後には重役)派と、実力重視の社長が後ろ盾になっていた・・多くの特許を持つ研究開発部門の長の派閥とがあって、この同僚の定年退職した父親がリストラ派の部長派だったせいだった。

当然ながら、研究開発部門での人材が現在での会社トップとなっている。それと会社での一番の出世コースの組合上がり派と。
この研究開発部門のボスには、何故だかとても可愛がられた。大卒ばかりの中で高卒のボスは淋しかったのかもしれない。
「妻が医者の娘なので、医者の娘との縁談を紹介してやるか?」と聞かれたこともある。でも肩が張りそうなので断ってしまったけど・・

そのボスが会社設立のために退社してしばらくして、その研究開発部門はいつの間にか消滅してしまい・・僕の受難の時代がはじまった。完全なリストラ部長の時代へと突入だった。

同僚のほとんどは一流大学出の技術者だった。「○○さんがいればこんなことにはならなかったのにな・・」とぼやいていた同僚は、その約十年後に、僕が追いだされるように退社する時には、すでにエリートコースをまっしぐらの課長になっていた。


(2)子供時代
子供の頃の記憶のほとんどは、三歳違いの従兄弟に連れられて遊んだ記憶がほとんど。夏にはトンボ採りや、山葡萄、コクワ、ハタンキョ、姫リンゴ、桑の実、グスベリ・・採り。海にもぐって、シュリ貝という子供の頭くらいあるムール貝やウニを採ったり、湖でボートに乗ったり、温泉プールで泳いだりだった。

それ以外は、本や漫画本を読んでいるか、ラジオを聞いてるか、テレビを観てるか、庭で花を育てているような・・他の子供ともあまり遊ばない引きこもりみたいな子供だった。

たぶんこの原因は、小学校に入学して間もなく、教室でおしっこをもらしてしまって、「やーい、しょんべんたれ」とからかわれたことが原因なのかもしれない。

(3)転機
えらいあちこち飛んでしまって申し訳ないですが、詩ならいざ知らす、自伝的散文は初めてのことなのでどうか大目に。そのうち調子も出てくるのかも・・

もう一つのトヨタグループでの転機が、定年退職間もない父の死と、そのすぐ後の母の脳梗塞後の入退院と、心臓動脈瘤の破裂手術後の認知症と寝たきり状態だった。

それまでは、会社で一番の出世コースの組合役員への道を順調に登っていたのだったが・・組合の役員を務めてくると、最低でも課長級へと昇格(特に人事・総務の)し、その先は地方議員や国会議員へと。

母の入退院や介護をしなければならないので、組合の仕事をことわってしまってから環境が一変してしまった。

けれどもこれは仕方なかったと思う。まだ結婚していなかったし、親不孝ばかりして心配ばかりかけていた母の介護が最優先だったのだから・・
けれどもこれから、僕の地獄の日々が始まることになってしまった。



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最新刑務所事情&いよいよすさまじい苛政

2009年05月31日 | 政治
耐用年数を越えたのが自公危険建築なら、仮設住宅すら作ろうとしない民主党と言うべきなのかもしれない。なんとかこの国を破滅から救うための統一戦線のようなものは不可能なのかと哀しい。この国で真っ先に必要なのは、小泉・竹中以後にこの国を破壊した悪法のすべてを、小泉以前に戻すことではないのか?

つい最近刑務所から出てきた知人の話では、どの刑務所も満杯状態なので、酔っ払い運転者もできるだけ検問や逮捕しないようにせざるを得ないのだという。

来月からは、酔払い運転は免許取り上げとなり、車もロックされて運転できなくなるとか。税金の滞納にも即差し押さえ等になってしまうとか・・

これでは、いよいよ自殺や犯罪が激増することだろう。色々な病気で仕事を休みがちな自分の近い将来でもあるなと最近つくづくそう感じる。

補正予算の大部分の10兆円前後が、天下り官僚組織や、政府の金融関連組織や、大企業のために使われてしまうのを・・是非政権交代して取り戻して欲しいなと思う。

それらは本来は、まっとうに税金を納めながらも・・小泉・竹中以後の切捨て苛政で苦しんでいる失業者・高齢者・障害者・地方等の雇用や福祉介護医療やセイフティネットの再生や失業対策のために使われるべきものだと思う。
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あの世の夢をみた

2009年05月31日 | 日記
最近いよいよ
学会系企業の解雇理由だった・・
糖尿病と鬱病が悪化している

労災隠しで監督署も取り上げてくれなかった職場での
十数針を二度も縫った怪我のせいなのか
それとも
「殺し屋に注意しろ」とか
「絶対にクビにしてやる」とか言われて
毎日尾行つきで(最近でもずっと・・)
フロントガラスに散弾銃を打ち込まれたり
下請業者に殴られて鼻の骨を折られたり
上司の車にわざとぶつけられた後遺症なのかもしれない・・
(何故そうなのかは「国民総葬式国家」等の詩に少しだけ書いた)

この国がこれほどひどくなった原因を
腐敗した政治屋のせいにしてきた
税金にたかる特権官僚や大企業だったけれども
正確にいうなら それは
与党議員と野党の半分の政治屋のせいだ
「地球に優しく」というエコロジーを 正確には
「地上の命に優しく」というの正しいように・・

労災隠しやパワハラやセクハラを鼻で笑ってた
尊大な監督署課長さんもそろそろ
税金から膨大な退職金をもらって悠悠自適の老後生活かもしれない

頭痛と右手指の痛みと麻痺がひどい
水道の蛇口どころか
ペットボトルのキャップを空けるのも四苦八苦の日がつづく
かってあんなに楽しかったネットのキーボード打ちも
いまではいよいよ難行苦行となりつつある


それよりも最近心配なのは
ときどきひどくなる心臓の動悸やめまいと
時々は歩くなるのも困難な胸の痛みで
いよいよこれは
長いことないのだろうと思っている

それとも
仕事探し中の交差点で
車のエンジンが急に高速回転になって
走行している車に激突して
フロントガラスを突き破って
放り出された事故の後遺症なのかもしれない
(被害者側で新車輸送の仕事という人の話では、「アクセルとブレーキの踏み間違い」タイプの事故のほとんどはこれだとか)

あの世では
世界一美しいアイヌ民族の神話ユーカラみたいに
この世の人間は
死者たちには見えないらしい
貧乏人が金持ちになり
金持ちが貧乏人になったりと
この世とはすべてが逆転してるのと同時に

あの世でも
なにかを懸命に探している自分がいた
花々が咲き誇る野原を歩いてゆくと
艦砲射撃を受けた
ふるさとの海軍工場や
原爆ドームみたいな骨組みだけの廃墟があり
そのすぐ前にぽっかりと開いた階段の入り口
半開きのドアを覗くと
どこまでも暗闇へと降りてゆく階段

いつまでその前で
ぽんやりとしていたことだろう
気がつくと階段にぼんやりと照明が
そして
葬式の服装をした沈痛な顔をした人々が
続々と昇ってくるのが見えた

彼らが昇りきった後に
ぼくも意を決して
その階段を降りてゆく
その先が地獄なのか
それとも
またあの世界へ還る階段なんだべかと思いながら
祈り続けながら・・

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2009年05月31日 | 日記
小学生時代は
新聞記者になりたかった
家庭新聞を作って
こんな虫を見つけたとか
こんな植物だったとか
下手糞な図入りで書いてたっけ・・

中学生時代は
考古学者になりたかった
発掘現場からくすねてきた
黒曜石の矢じりや土器の破片で
いっぱいだったぼくの机の引き出し

高校時代は
詩人になりたかった
詩はやっぱり
涙を流しながら読む詩がいい
涙を流しながら
作る詩ならもっといい

どんどんどんどんと
現実から遠ざかってゆく
ぼくの将来の夢

嘘だらけの新聞は
もう手にとることがないし
宮内庁が勝手に天皇陵を指定して
発掘が許されない
歴史など改竄され放題のこの国では
詩でもつくるしかない
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宮澤賢治で思い出した「刑務所の話し」と漫画家

2009年05月30日 | Weblog
   刑務所の話し

刑務所の話しを聞いたのは
これで二度目のこと

一度目は
学生運動をやっていた友人からで
ヤクザ屋さんにスカウトされたとか
いつも歌合戦だったとか

  「君はどんな歌を歌ったんだい」
  「再会だよ」

今回聞いたのは
交通事故で入った知人からだった
「本がじっくり読めるので君に最適の場所だよ」
・・・・
その後すぐ
お互いに大笑い


◆賢治童話をいくつか作品化してた永島慎二氏が忘れがたい。
「フーテン」や「青春裁判」・・
どうしてだか空を飛ぶ鳩の群れのシーンが大好きで、じっと見つめることも。

そういえば、僕がネットを初めてからずっとやりとりしてる詩人秋魚さん(リンク集中ほどに)が、永島氏と友人だったとか・・あとでもっと詳しく聞いてみんと
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今日の二編

2009年05月30日 | 日記
生きる
生きるだろう
たぶん明日も
死に絶えるその時まで

生きることができなくなれば
労災隠しや
パワハラやセクハラや
税金ネコババをやり放題だった
お前たちのもとを
訪れれることだろう

  
    夏

もう何度目の夏だろう
ケロイドの腕を隠しながら
母が涙ぐんでた夏

ありがとう母さん
母さんのあの笑顔

原爆でケロイドになった母と
この世の飢餓地獄の
ニューギニア島を逃げ延びた
父の子なのだから・・

花束だけが
この世には相応しいもの
花たちだけが
ぼくらの終末を歌うことだろう

ぼくの好きなのは
タンポポの花
君の作ってくれた
タンポポの首飾りだけでいいんだ
世界の終末には
タンポポこそが相応しいもの

そしてただ
犬のように自爆するだけだろうけど
死ぬばかりのいのちだろうけど

殺されてゆくのならば
せめて
刺し違えて
あの世で会おうと言いたい

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poem

2009年05月29日 | 日記
最新の詩たち
    日本人は大人になるべき時

大人になるというのは
一つの道を選ぶことだ

子供時代には
あらゆる方向への夢でいっぱいだけど
大人になる時
一つのだけの道を選んで
他のすべてを断念する
それは
どんな人間もやってきたこと

日本のような資源のない国が
世界で四番目の軍事力を持つのは
憲法違反でもあるし
相応しくないことだ

そんな不毛なことよりも
自分たちの歴史や
周辺の国の人々の歴史を
もっと謙虚に学ぶべきだ

最先端の軍事力など
いくら持っても
そんなものは何の役にも立たない
大事なのは
周辺国との信頼感しかないのだから

それは個々人で考えても
同じことだ
憎しみ合う隣人との間では
誰も生きてはいけない
いくらセコムで
膨大な財産を防御しようとしても
そんなことは続くはずがない

どれだけ
学歴があるとか
どれだけ
多くを知ってるとかではない

みんな誰もが
貴重な図書館みたいな存在
それ以外の基準は
この世界にはないのだ


    傷

今日も
ヨモギ入りの風呂に浸かって
あちこちの痛みで
傷の在り処がわかる

でもこころの傷は
あまりにも多すぎて
どれが傷なのか
カサブタなのか
それとも
誰かを傷つけてしまった
返り血なのだろうか・・

だからこそ
ぼくもまた
一匹の人間なのか
だからこそ
これほどまでに
誰かを傷つけ
嘲笑しながらも
生き延びたいと思うのだろうか・・


   盲目

冬の一本道を
ひとり歩いてゆくぼくに
「さよなら!」と微笑みながら
君の自転車が
追い越していったから
なんだか後ろ向きで
バラードを口ずみたくなる

とっくに
こころが盲いているからこそ
こんなにも世界は美しいのかもしれない
両耳を塞いで生てきたから
たったひとつのことばが
いつまでも
響き渡るのかもしれない

忘れていたことばを
思い出せそうでいて思い出せない
夕暮れには
より深い群青色へと
染まりゆきながら
風の後ろ姿を
いつまでも見上げている

かたわらを
流れすぎていったものたちよ
意味もなく
お前たちを呼び止めてしまったのは
ぼくのこころもまた
捨てることでしか生きられない
盲目を弄んでいたせいだろうか


 四月のふるさと

べちゃめく道が
みるみる乾いてくと
何処もかしこも
風が吹き渡る四月

溶け始めた雪の下から
きらきらの川面が
顔をのぞかせると父が
「福寿草を採りに行こう」とつぶやく

残雪でまだらになった丘を
幾つも幾つも 越えて
風の橋を
数え切れないほど渡り

ああ今年もやっぱりだ・・
同じせせらぎの残雪のなかから
ひっそりと
福寿草の蕾がのぞいてる

「みてみて!」と
従姉妹の君が指差す先の
がらんとした森では
まるで妖精の絨毯みたいな
片栗の群落が
風の中でそっと揺れてる


   海へ行こう

休日には
ふるさとに出会うために
海へ行こう

淋しすぎるぼくのふるさとは
広すぎる海と
青すぎる風の果て
砕けるばかりの波と
翳りゆく水平線からはるばる
貨物船が一隻

休みになると
いつも一家揃って
海へと出かけていたあの頃
岸壁から見下ろす海の果てには
何故だかいつも
むくむくと入道雲

海についたら
いつものように
焚き火を燃やそう
焚き火なしでは
海で泳ぐこともできなかった
ふるさとを思い出しながら

気まぐれな驟雨が
行きすぎるのを待ちながら
それでも
まだまだ人生は
捨てたもんじゃないべやとつぶやく

休日には海へ行こう
世界一貧しい日本人には
広い 広い海と
青すぎる風と
翳りゆく水平線しかないけど


    さよなら

きみのふるさとは
どんな故郷ですか

故郷というと
ぼくがいつも連想するのは
どうしてだか
どの別れもが忘れられない
スウェーデン映画「犬のごとき人生」
(子供たちに見てもらいたい映画ベスト1)

「さよなら」
いままでの人生で
何度そう呟いただろうか
いつもの黄昏の街角で
去ってゆくきみの後姿に向かって

認知症で寝たきりの母にも
「おやすみ母さん」
「あんたもいい夢をね」

明日には たぶん
明日の風が吹いているのだろう
明日という日には
ぼくやきみが 誰もが
何もかも無くして
震えているかもしれないけれど

それでも「また明日ね」と
希望を込めて
つぶやこう

誰だって
どんな権力者だって
なんとか明日も
生きようという生命を
抹殺することなんかできないのだから
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今日の詩二編 

2009年05月28日 | 日記
    傷

今日も
ヨモギ入りの風呂に浸かって
あちこちの痛みで
傷の在り処がわかる

でもこころの傷は
あまりにも多すぎて
どれが傷なのか
カサブタなのか
それとも
誰かを傷つけてしまった
返り血なのだろうか・・

だからこそ
ぼくもまた
一匹の人間なのか
だからこそ
これほどまでに
誰かを傷つけ
嘲笑しながらも
生き延びたいと思うのだろうか・・


    平等

誰にとっても平等なのは
死が訪れることだ

どんな金持ちだろうと
どんな権力者だろうと
死から逃れることはできない

漢字や庶民や地方の苦しみがわからない麻生や
社会福祉やセイフティネットを破壊してゆけば
それのための消費税増税に賛成するだろうという
特権官僚の甘言に乗って
この世界一素晴らしかった国を
世界でも最悪の地獄に変えてしまった
小泉や竹中や安倍だろうと・・

この世界の地獄から
目を塞ぐ人間たちは
死んでゆく時に
なんと呟くのだろう

◆ベトナムからイラク・アフガンまでの侵略戦争やサブプライムローン等の国際金融資本に金を貢ぎ続けて、世界中を破壊し尽くしたアメリカの奴隷的金庫番ー日本と日本人こそが、この世界の地獄化の一番の元凶なのだと僕は思う。
詳しくはーhttp://www.news.janjan.jp/world/0905/0905274095/1.php


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盲目

2009年05月28日 | 日記
ずっと・・リンク集トップのHPを始めた頃の日記を読みふけっていた
現在の日記よりもはるかに面白いなとずいぶん哀しくなる。本も沢山読んでいたんだな・・詳しくはー
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki/diary/200712A


    盲目   pikki

冬の一本道を
ひとり歩いてゆくぼくに
「さよなら!」と微笑みながら
君の自転車が
追い越していったから
なんだか後ろ向きで
バラードを口ずみたくなる

とっくに
こころが盲いているからこそ
こんなにも世界は美しいのかもしれない
両耳を塞いで生てきたから
たったひとつのことばが
いつまでも
響き渡るのかもしれない

忘れていたことばを
思い出せそうでいて思い出せない
夕暮れには
より深い群青色へと
染まりゆきながら
風の後ろ姿を
いつまでも見上げている

かたわらを
流れすぎていったものたちよ
意味もなく
お前たちを呼び止めてしまったのは
ぼくの心もまた
捨てることでしか生きられない
盲目を弄んでいたせいだろうか


『葦の湿原(さろべつ)のかなた』 黒田喜夫(抜粋)

 聴いてくれ
 だから聴け
 だから忘れないでくれ
 忘れないでくれ
 忘れてくれ そして忘れよ
 「(かつて)蓑を纏うことが人格を
 離れて神格に入る手段であった」と 暗く
 四肢がうごき
 濡れた着物の落ちる
 音が聴こえたとき
 だが過ぎ去ることさえない季の死
 わたしの草の着物は
 ひとりの肉と実在を包んでいたと
 黙しながら
 覚えある蓑のひとが暗がりから
 波うつ葉緑素の国家の真昼間へ
 深い現時いまとなって戻らず
 ここから歩きでていった
 ことを忘れてくれ
 だから忘れてくれ
 だから忘れるな
 河べりのひとつの夏を忘れないでくれ 

*後注に、「」は折口信夫より引用とー

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望郷詩篇集より 

2009年05月26日 | 日記
四月のふるさと

べちゃめく道が
みるみる乾くと
何処もかしこも
風が吹き渡る四月

溶け始めた雪の下から
きらきらの川面が また
顔をのぞかせると間もなく
「福寿草を採りに行こう」と
父がぽつりとつぶやく

残雪でまだらになった丘を
幾つも幾つも 越えて
風の橋を 
数え切れないほど渡り

ああ今年もやっぱりだ・・
同じせせらぎの残雪のなかから
ひっそりと
福寿草の蕾がのぞいてる

「みてみて!」と
従姉妹の君が指差す先の
がらんとした森では
まるで妖精の絨毯みたいな
片栗の群落が
風の中でそっと揺れてる

   
   海へ行こう

休日には
ふるさとに出会うために
海へ行こう

淋しすぎるぼくのふるさとは
広すぎる海と
青すぎる風の果て
砕けるばかりの波と 
翳りゆく水平線からはるばる
貨物船が一隻

休みになると
いつも一家揃って
海へと出かけていたあの頃
岸壁から見下ろす海の果てには
何故だかいつも
むくむくと入道雲

海についたら
いつものように
焚き火を燃やそう
焚き火なしでは
海で泳ぐこともできなかった
ふるさとを思い出しながら

気まぐれな驟雨が
行きすぎるのを待ちながら
それでも 
まだまだ人生は
捨てたもんじゃないべやとつぶやく

休日には海へ行こう
世界一貧しい日本人には
広い 広い海と
青すぎる風と 
翳りゆく水平線しかないけど


    さよなら

きみのふるさとは
どんな故郷ですか

故郷というと
ぼくがいつも連想するのは
どうしてだか
どの別れもが忘れられない
スウェーデン映画「犬のごとき人生」
(子供に見せたい映画ベスト1)

「さよなら」
いままでの人生で
何度そう呟いただろうか
いつもの黄昏の街角で
去ってゆくきみの後姿に向かって

認知症で寝たきりの母にも
「おやすみ母さん」
「あんたもいい夢をね」

明日には たぶん
明日の風が吹いているのだろう
明日という日には
ぼくやきみが 誰もが
何もかも無くして
震えているかもしれないけれど

それでも「また明日ね」と
希望を込めて
つぶやこう

誰だって
どんな権力者だって
なんとか明日も
生きようという生命を
抹殺することなんかできないのだから
コメント

詩と料理

2009年05月26日 | Weblog
詩と料理とは
とても似ている

どっちも
生きてくために必要なもの

そしてぼくらは
家畜とは違うので
選ぶことが可能だ

そして
なによりも
ぼくらを作り上げるものたち
始まって以来の
自然からの贈り物
コメント

もうこれ以上寄生虫的政治は止めるべきだ!

2009年05月26日 | Weblog
中曽根以来続いてきたこの国の・・国民共有財産強奪や税的負担増で寄生的な特権官僚・大企業・政治屋を養う政治はもう止めるべき時代だと思う。

小泉純一郎だか竹中だとかいう日本史上でも最もえげつない政治屋の言葉が何処かのブログに書かれていた。
「どんどん社会福祉やセイフティネットを破壊して増税へともっていかなければならない。」だとか・・腐りきった官僚どもが借金を増やしてる理由もそれに違いない。

けれども、以前の消費税増税でも、福祉のためにというのが大義名分だったけど・・消費税増税分で与党がやったことといえば、富裕層の所得税減税や相続税減税や大企業の法人税減税ばかりだった。
たぶん今回の、麻生の選挙対策のためのばら撒きのツケの数年後の消費税大増税でも同じことになることだろう。(政権交代がなくなってしまったら)

自民党や公明党はいつからこんな羊頭狗肉の集団になってしまったんだろうか?
中曽根を見習ったのかもしれないなと思う。日本人を不幸のどん底に陥れた「売国奴」にして”CIA御用達”とも言うべき勲一等の政治屋中曽根がやったのはー

①原発の議員立法(アメリカの圧力)
②国鉄という数十兆円の膨大な国民共有財産を、腐敗権力層や4大マスコミで分け取りして金儲け第一のJRを作り、政治屋たちの作った膨大な赤字は国民へと押し付け。
これ以降、権力中枢の官僚・政治家・大企業・マスコミのモラルハザードが急激に加速化。
つい最近では、高速道路や郵政といった数百兆円の国民共有財産が売国奴どもに強奪されて、最後の国民共有財産の国有林が残されてるのみ。

③トヨタ等の大企業で一番の出世コースにして、首を切る側へと回った翼賛的組合「連合」を作らせて、正社員から派遣・パート主体の世界一無権利の過酷な労働環境(いつでもクビにできるサービス残業と過労死の世界)と年金・保険システムの破壊

④世界でも類を見ない自然破壊のための「リゾート法」等で、国立公園だろうと何だろうと、日本中の自然をゼネコンどもに破壊させ・・世界一豊かで美しかった日本の自然破壊の総仕上げを独立採算制の林野庁に指示

⑤米農業を破壊し、狂牛病等で安全な食という伝統をアメリカ市場に明け渡した。
 馬鹿の一つ覚えの「民営化」や「構造改革」のスローガンで、最後の膨大な国民共有財産の郵政数百兆円をアメリカ国際金融資本に叩き売った売国奴小泉・安倍・麻生・石原は、中曽根という戦後日本最大の”恥”というべき売国奴の模倣犯だと思う。

 彼らのやり口はいつも同じだ。
「民営化」という名の国鉄・郵政・高速道路等の国民共有財産の強奪や、税金や国民資産を食い物にしては、そのツケを弱者や国民にいかにまわすかというゲスなやり口だ。

 なお、国民の貴重な血税数百億円を投入して、国民共有財産の豊かな海を破壊し、ムツゴロウなどの魚介類を虐殺してやっと作り上げた「諫早湾堰」では、農業をやろうという人間はわずか数人。日本人は、自然がすべて破壊されてしまうまで、こんな事を奴らに許しておくつもりなのか?

 中部地方を例にとるとー
環境を破壊(シジミ・鮎などの魚類激減)して、赤字を国民に押し付けただけの「長良川河口堰」という有名な悪例があるが・・さらに悪質なのが「徳山ダム」や「愛知万博」だ。
 何故悪質かといえば・・僕の知人も「何倍にも土地が値上りするから一口買占めにのらないかと?」と誘われたそうだ。ゼネコンの下請けの下請けに過ぎないレベルでもこんな具合だから・・もっと上の、政治屋・官僚・企業幹部レベルでは、想像もつかないほどの不正やさらに談合等での税金のネコババが行われているに違いない。

 発電システム・放水路もなく、住民との協定だったダムに水没する幹線道の代わりの新道建設を反故にしてダム奥の九十数パーセントの森林を荒廃させてゆく「徳山ダム」で説明するとー
計画段階では300億円であったものが、いつの間にか2540億円へと引き上げられていた上に、それが97%になった段階で、、水資源開発公団から突然に、愛知・岐阜・三重・名古屋の3県1市に1010億円の追加要請があったという。そしてその会見席上で記者の「検討したのか?」という問いに対しての中部支社長の答えは、「それは国が考えることでしょう。」だと・・
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台湾のドラマが大好き

2009年05月25日 | 日記
日本のテレビドラマはもう十年以上全く観る気がしない。役者も監督も脚本家も・・観たいなと思う人がいない。

韓国のテレビドラマの面白さは、現在では世界一ではないかと思う。「チャングムの誓い」「朱蒙」は何度観てもハラハラドキドキ・・韓国映画の方はもっとすごい。世界一のレベルではないかと思う。

ただできたらもう一度・・「風の丘を越えて」みたいな映画を観てみたいなと思う。むしろ現在の韓国映画は危機的状況なのかもしれない。かっての日本映画みたいに・・とも思えてくる。

日本映画も韓国映画も袋小路に陥ってしまったのではと思う。現実に悩み苦しむ人間を描くことを忘れてしまった時に退廃が始まるのに違いない。

その点では、台湾のドラマは地に足がついてるなと思う。現実から遊離してるけども・・もっと素晴らしいドラマや映画が生まれてくるという予感がする。
観終わったあととても癒された台湾ドラマはーhttp://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0016418/
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父母

2009年05月24日 | 日記
父と母のことを思いだすと
雨のなかで
わんわんと泣きたくなる
親不幸の数々は
父も母ももう亡くなってしまったいま
もうどうしようもないのに

どっちとも再婚同士だった父母
異母兄弟の兄は
ずっといまも行方不明のままで
痴呆症になってからも
その兄のことを案じてた
母との約束はついに果たせないまま

城山三郎氏みたいに戦争末期に
まだ十代で志願兵となった父
いつも酒臭かった父
休みになるといつも
海の見える丘へと
売れもしない唐松を植え続けてた父

ときどきは遠い海を見つめながら
部隊が全滅したニューギニアでの
飢えとの戦いをポツリとポツリ
朝になると
寒さと栄養不足のために失明して
いつまでもいつまでも
「一緒に連れてってくれ!」と叫んでいたい同僚のことや
夜になると原住民の畑へと芋泥棒に行っては
毒矢を射掛けられたこと
津軽海峡でやっと
自決用に肌身離さず持ってきた
手榴弾を荒波に向かって放り投げたこと

幸せだったとか 
不幸だったとか
運が良かったとか 
悪かったとか
そんなこと
いまさら言っても仕方ないのに
そんなことばっかり
考えてる自分がいる

雨のなかで
濡れそぼりながら
空を見上げるたびに思いだす言葉がある

「お前ならもう大丈夫だ」と
最後に言っていた父のことばと
「幸せになっておくれ」という
母の最後のことば
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映画「ゆきゆきて、神軍」(1987年、原一男監督)についてー

2009年05月24日 | 日記
以前どこかに書いたけど・・日本映画のベスト10に是非とも入れたい映画が「ゆきゆきて、神軍」(1987年、原一男監督)だ。

《アジア・太平洋戦争中のニューギニア島といえば、いつも思い出すのは、奥崎謙三さんのことです。奥崎さんはその島から奇跡的に生還。2005年、85歳で亡くなるまで、大元帥として君臨した昭和天皇と、戦友をゆえなく殺した、かつての上官の責任を追及し続けた人です。昭和44年の一般参賀の日、天皇に向けて「ヤマザキ、天皇を撃て」と叫びながらパチンコ玉を放った事件は忘れられません。「ヤマザキ」とは、同じ戦線で飢餓に倒れた心優しい戦友の名前です。》(「『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』を読んで 岩田すみ子2009/05/23」)
詳しくはーhttp://www.book.janjan.jp/0905/0905193697/1.php

僕のこのブログにもこの映画に関してのリンクが。
歴史からなにひとつ学ぼうとしない日本人は、近い将来必ず同じ間違いを繰り返すことだろうと思う。
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