詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

最奥に潜むテロリスト

2011年04月02日 | 
じりじりと空が下りてきて
また夕焼けが錨のように放たれる
殺すためにだけ降ってくる放射能物質のせいか
どこもかしこも人類文明の黄昏の最終章

たまには後ろ向きに歩いてみようか
この最後の散花を
いつまでも忘れないため

街路樹のアーチを見上げれば 
立ち昇るのは
路上生活者のダンボールからの煙
彼らと同じくらい見捨てられてしまった
被災者と原発労働者たちの姿がダブって見える
ダンボールで囲まれた体育館で震える姿
防護服を着たまま眠る彼らの姿が
いつまでも瞼から去らない

ひと擦りのマッチを暗闇で点せば
きらりきらきらきらと
哀しみで燃えているのは
野良猫の両眼の中の宇宙

これだけ憎しみだらけ
これだけ人身事故自殺者だらけでは
いずれ暴動は近いことだろう
そしてそれを
完全武装した占領軍隊と傭兵軍隊とが待ちかまえている

火酒を喉に流し込んでうめくたびに
最深の熾火が燃えあがる
敗残は まだまだ
この熾火は到底
燃やし尽くすことなど不可能だと
俺の最奥に潜む老テロリストがつぶやく

詩 「初めての発射」

2011年04月02日 | その他

夢のなかでとはいえ
初めて銃を発射したら
どうも味方を撃ってしまったらしい

日本軍でも米軍でも
いやいや世界中の軍隊で
敵よりも味方の方が怖い
という笑うに笑えない笑い話がある

夢のなかでは
「もっと悪役じゃない顔をしてないと・・」と呟くおいら
興奮のあまり股の間がびしょびしょ 
ぎこちない歩き方で
「負けるな追撃だ!」

どいつもこいつも
胡瓜やナスビのできそこない
ハロウィーンのカボチャの化け物の親戚だと思うんだ

復興予算や義捐金に鵜の目鷹の目の菅官政府やとそのおこぼれを狙う自民党

2011年04月02日 | 政治
私利私欲で信用度ゼロ、油断もスキもない政府や官僚組織や大企業やマスコミばかりなので、国民は疲労困憊だ。
菅政府や官僚だけばかりでなく、野党自民党まで、義捐金や復興予算を鵜の目鷹の目で狙っているのだから困ったもんだ。

関東大震災後のように、政府は橋・道路・港湾・学校等の公共財のインフラ復旧だけをやって、後は地方に任せるべきと思う。
各県各地方で、原発事故被害だったり津波被害だったり・・まるで違っている上に、被災者の想いも違うことだろう。
『復興会議』は政治家と地元代表だけで十分。知事や自治体首長等はそんな会議で遊んでる暇はないからだ。
御用学者や有識者やマスコミや官僚(国家・企業)が利権欲しさに会議をしたいなら別の組織にすべきだ。会議や提言だけなら好きなだけやればいいと思うが、何の権利もない彼らに決定権を与えるようでは、到底民主国家とはいえない独裁国家である。
(政治家や知事・自治体首長は選挙で選ばれた主権を持つ国民の代表)

国がやるべきことは、公平な被害状況を調査して情報公開し、その被災状況にに基づいて、復興資金の半分を各市区町村へ分配すべきと思う。県に関しては、各地方の総額の数割を分配すべきだろう。

それと、菅首相の提唱した「特別復興税創設」は、おそらくまた官僚の浅知恵で、消費税や酒税・煙草税のように、取りやすい弱者から税金になるだろうから、大反対だ。ギャンブルや贅沢品や冠婚葬祭やペットへの税金は、菅官政権では逆立ちしても無理だろうから・・


イラク侵略戦争に反対して外務省を首になった元外交官天木氏のブログ記事を一部アップしたい。[注:]内ははぼくの感想。
『東北復興を政府に独占させてはいけないーもう一つの日本づくり構想について』(「天木直人のブログ」http://www.amakiblog.com/archives/2011/04/02/#001873より)
   
《菅首相が4月1日の記者会見で東日本大震災復興構想を表明した。
まず財源確保のため震災国債発行や特別復興税創設を行い、復興庁や復興担当大臣、その他の閣僚ポストを増やし、有識者や地元関係者
で構成する「復興構想会議」を作って意見を募る。与野党大連立でこれを行なう。震災被害の土地を一部国有化する。[注:もうじき一ヶ。もう構想の時期じゃなくとっくに動き出しているべき時期。知事や首長等はそんな会議で遊んでる暇はない!土地の公有化の前に何をやるかわからない東電の公有化だろ!]

「すばらしい東北、日本をつくるという夢を持った復活計画を進める」「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業、
漁港まで通勤する」「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市としての性格を持たせる」、「世界でひとつのモデルとなるような新しい街づくりをめざしたい」、と強調した(4月2日各紙)。[注:相変わらずの官僚たちのお作文]

それを政府主導でやらせてはいけない。いや独占させてはならない。競い合わせてほしいのだ。
なぜか。それは従来通り権力者側からおしつけられる計画になってしまうからだ。
これまでの権力構造は何も変わらずに温存されるからだ。官僚主導は変わらない。

そこに登場してくる有識者はいずれもおなじみの顔ぶれになる。
御用学者や専門家、さもなければ市民派の中から権力に近づきたいと思うような「御用学者、専門家予備軍」ばかりが集まる事になる。
彼らが国債や増税で国民から吸い上げた金を自由に使う事になる。
あらたな復興利権族ができる事になる。その決定プロセスは遅い。
住民の意向を第一に吸い上げる事には決してならない。

私が唱えるもうひとつの日本づくりとは、まさしくこのような菅首相主導による復興計画の対極にあるものである。
その構想は似ていても、その実体は正反対である。そこには「自分の手柄にする」、という発想が存在しない。
実施主体と資金の使い手を権力者と正反対の位置にある人々の手に委ねるという事である・・・》




さすがの推理! 「日本墓場化計画」

2011年04月02日 | その他
どうして地震津波大国の日本にこれほどの原発がという疑問や、過去の地震地図や、プルトニウムと核兵器とを関連させての推理がさすがな記事『原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか』はー「ここ」

◆とても重要な内容なので全文アップしたい!
《2011-04-01(Fri) ー反戦な家づくりブログよりー
『原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか』

この震災と福島事故より以前から、原発について非常に割り切れないものを感じていた。
世の中に悪いものはたくさんあるが、そのなかでも「なんでここまでやるんだ」という理解を超えた馬鹿者さ加減が原発推進にはある。

まったく勝ち目のない戦争を始めた末期の大日本帝国と同じようなレベルだ。
つまり、他人を犠牲にして自分がオイシイ目を見る というのが「悪」の基本なのに、その基本をすら踏み越えてしまっているということ。自ら抱え込むリスクが大きすぎるのである。

たしかに、原発は東京には作らない。
東京どころか、東京電力は自分の営業圏内には自社の原発を一つも作っていない。(日本原電の日本最古・東海原発が一基あるが)
たしかに、最後にババを引いた清水社長以外は、自分の懐は痛まない。
清水社長だって、ちゃっかり巨額の退職金をもらって辞めるのかもしれない。

それにしても、ババを引いたときの損害の大きさ、その大きさが大きすぎて見当も付かないほどの巨大さを、リスクとして抱え込む原発勢力に、どうしてもただならぬものを感じてしまう。
道路から教育に至るまで、公共の看板のもとに大金が動くことには全て利権が絡んでいるのは、誰でもわかっていることだ。
どうせ悪いことして金儲けするんなら、他のことだってあるじゃないか。

「悪」も、利益追求というある意味の合理性が働いているウチは、まだましだ。
この合理性を踏み越えてしまうと、もう見境がない。
一度見境が無くなると、完全にモラルが崩壊し、外部の目から見ると訳の分からないことになる。
原発というのは、そういうレベルで進められてきた。

たとえば、この緊急時に作業員に放射線量計を持たせていないことが判明した。
250mSy以下にすると言うが、線量計を持たせていないのだから、どうやって管理しているのか。
多くの人が、このニュースを聞いて怒った。

しかし、私は驚かなかった。
普段の原発労働者の実情を話に聞いていたからだ。
東電は、いつも通りの感覚で労働者を使っていただけだ。
それどころか、緊急時だからいい加減でも許される と思っていたはずだ。

福島第一原発の状態は、ここまで来て情報を隠してもしょうがないだろ、というところまで来ている。
隠したってバラしたって、問われる罪の深さは変わらないからだ。
隠して逃げられるのならば隠すのもわかるが、今さら隠しても、自分たちにとってももう利益がないはずだ。

ところが、そういう合理性で判断するという脳みそが東電や原発勢力にはない。
もう本能で、情報を隠す。「原発」と言われたら、条件反射で「安全」と答えるように洗脳されている。それ以外の情報は、いかなる状況でも口にしてはいけない、と脳髄に刷り込まれているのである。

■■想定内だった原発事故
何より、この地震大国に原発を作ろうとしたこと。
これはすでにまともな神経では考えられない。(東大地震研究所の図→ブログ参照)

原発大国のフランスとは全然条件が違うことは、一目瞭然
日本の中で見ても、西暦416年~1994年までの被害地震の分布と、原発の立地を見比べてみると、(日本地震学会の図)

(日本原子力産業協会の図)クリックで拡大
地震学会の被害地震には、1995年以降のものは含まれていない。
1995年以降の主な地震と付近の原発を上げるとー
1995年 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災) M7.3
1997年 鹿児島県薩摩地方 M6.6とM6.4 川内原発
2000年 鳥取県西部地震 M7.3 島根原発
2001年 芸予地震 M6.7 伊方原発
2003年 十勝沖地震 M8.0
2004年 新潟県中越地震 M6.8 柏崎刈羽原発
2007年 能登半島地震 M6.9 志賀原発
2007年 新潟県中越沖地震 M6.8 柏崎刈羽原発
2008年 岩手・宮城内陸地震 M7.2
2011年 東北地方太平洋沖地震 M9.0 福島第1第2 他多数

と、まるで原発を狙って地震が起きているのではないかと思えるほどだ。
しかし、地震が原発を狙うわけはない。
答えは明白。地震が起きるところに原発を建てているのである。

いくら東工大の衣笠先生が「ここは地震は起きない」と言ったところで、実際には起きている。
こんな明白なことに目をつぶり続けているのは、まったく狂気の沙汰としか言いようがない。
洗脳されている御用学者や電力業界の人間には見えないのかもしれないが、客観的に見れば、日本の海岸線にびっしりと原発が建ち並ぶ光景は、ジェンガーの最後の一本を抜き取るくらいスリリングに見えるだろう。

日本に原発を導入したアメリカも、燃料を売りつけているフランスも、そのうちこうなる ということはわかっていたはずだ。むしろ、いままでギリギリでとどまってきたことに驚嘆していたかもしれない。

米仏からみれば、福島の事故は、来るべきものが来たという感覚だろう。
だから、事故後の対応も、東電や日本政府よりもはるかに迅速だった。
ただし、まさか日本政府に支援を断られるとは「想定外」だったろうが。

■■それでも日本に原発を
地震の巣である日本に、Tsunamiが国際語になるこの日本の海岸に、原発をつくるという狂気を繰り広げたのは、何故なのだろうか。
原発を導入したアメリカや、燃料を売るフランスはもちろん、少しは正常な感覚を残している者ならばだれでもが「そのうち事故る」とわかっていながら、なんでここまで来てしまったのだろうか。

原発利権の問題。日本の核武装に向けた準備。
主に、その二つがこれまで語られてきたことだ。
どちらも間違いではないと思う。
が、しかしどうしてもそんな合理的な意図だけで進んできたとは思えないのだ。

利権については、利益に対してリスクが大きすぎる と言う問題がある。
核武装の準備だけならば、こんなにたくさん建てる必要は無いし、わざわざ地震の多い場所を選んで建てることもないし、無理やり活断層を活断層じゃないと見なして建てる必要はサラサラ無い。

そこで、一つ手掛かりになるのが、福島第一原発の3号機で使われているMOX燃料だ。
要するに、プルトニウムとウランの混合燃料ということで、使用済み核燃料の再利用と言われている。

今のところ世界中のMOX燃料は、フランス、ベルギー、イギリスで作られているらしい。
そして、今、青森の六ヶ所村に作られようとしているのが、使用済み核燃料からMOX燃料をつくる工場だ。
もし完成したら、フランスに次ぐ大生産拠点になる。(わかるプルサーマルより図)

作られたMOX燃料は、現在はほとんどフランスとドイツで使用されている。フランスが22基、ドイツが15基の原子炉でプルトニウム入りのMOX燃料を燃やしている。日本はどうかというと、福島を含めて5基で使用中。2015年までに18基にするという。

なるほど、サルコジがアレバのセールスマンになって日本までやってくるわけだ。

ただでさえ危なっかしくて見てられない日本の原発に、わざわざプルトニウム入りの燃料を持ってくるとは。
では、なんで危ない猛毒のプルトニウムを入れて燃やすのかというと、他にプルトニウムの捨て場がないからだ。

核廃棄物の処分は、核を使う国はどこも頭を悩ましている。とういか、本当の解決策はない。
世界中で、高レベル放射性廃棄物を処分する場所は、フィンランドのオンカロだけ。一か所しかない。

フランスは、原発大国であるから、当然出てくる廃棄物も大量だ。
捨てる場所がほとんど無いのだから、必然的にMOX生産も増える。

では、最近になって急激に日本でMOXが進められている理由は何なのだろうか。
そこで登場するのが、核軍縮である。

ソ連崩壊後から、急速に進んだ核軍縮で、現在兵器級のプルトニウムが250トンくらい在庫されているらしい。
兵器級のウランとプルトニウムをMOXに加工すると、100万kWの軽水炉50基を100年運転できると、(財)高度情報科学技術研究機構のサイトには書いてある。

そのくらい大量のプルトニウムを抱え込んだアメリカは、なんとか使いたいけれど、プルトニウムが危ないことは自分が一番よく知っている。で、上記のサイトによると2006年時点ではアメリカはプルトニウムの使用を禁止しているらしい。

時刻では危険で使えないものを押しつけるとなれば、そう、これは日本をおいて他にない。
ちなみに、電気をたくさん使う国じゃないと意味が無いし、政情不安でプルトニウムなんて渡せない国でもダメ。
そう考えると、日本は理想的な核兵器を解体した後の、プルトニウムの消費国というわけ。

しかも、自分たちは危なくて使わない猛毒のプルトニウムを、フランスを経由して「安全」とひとこと言ってやれば、何の疑いもなく嬉々として原子炉に突っ込むのだから。
さらに、どう考えても成功する見込みのないプルトニウム燃料の高速炉(もんじゅ)をなんとか動かそうとして巨額の税金を投じてくれるし、とどのつまり、危険極まるMOXの製造工場まで作ってしまおうというのだから、プルトニウムを持て余しているアメリカにとっては、良い子ちゃん過ぎて笑いが止まらない。

■■原発事故は、はじめから『想定』されていた
ここまでは、実は目新しい話ではない。多くの人がこれまで指摘してきたし、実際にその通りなのだ思う。

ここからは、私の想像である。内容に責任は持てない。が、この恐ろしい想像が現実になるというリアリティが日増しに高まっていることに、胸が締め付けられる。
私が想像する恐ろしいシナリオとは以下の通りだ。

日本に原発を導入したアメリカは、いずれ事故を起こすだろうと予見していた。地震で原子炉が損傷し、放射能の漏洩がある。
そうなったら50km圏内とか、状況に応じて放射線管理区域にして、住人を全て立ち退かせる。もちろん、一般人は立ち入り禁止。

大量の日本人労働者を投入して、とりあえず高濃度の放射線を封じ込めたら、その地域は核の墓場として、捨て放題の場所にする。
事故った原子炉の近くに深い穴を掘らせ、世界中で処理に困った核廃棄物を捨てる。

もちろん、その処理に当たった労働者には、それなりの待遇を与えるが、10年絶って癌になっても「因果関係が証明できない」として見殺しにする。ソ連の60万人のリクビダートルと同じように。

現在、自衛隊や消防隊に、やたらと賞賛の嵐が吹き荒れているのは、そのための前準備だ。
放射線量計も持たされずに突入させられる下請け労働者に比べれば、一応は線量管理している自衛隊や消防隊は「安全」なはずだ。電力会社や御用学者の基準では。
にもかかわらず、ヒーローとして報じられるのは、これから始まる日本のリクビダートル募集にむけての演出であろう。

ただし、アメリカにとってもチェルノブイリのような管理不能な大爆発は困る。あくまでも、汚染が一定範囲にとどまる必要がある。
ところが、「安全神話」に本気で洗脳されている日本のチームは、完全にパニクって対応能力がないから、最悪の場合は、炉心溶融から水蒸気爆発へという可能性もないではない。

そこで、アメリカやフランスは、熱心に援助の手をさしのべる。
彼らの落としどころは、50kmかそこらの汚染はOK。海への放射能垂れ流しも、ほぼOK。もちろん、作業する労働者の被曝もOK。ただし、東京まで大量に汚染されるような大爆発は防ぐ、ということだろう。

IAEAがこれから数日~数週間に出す助言や方針は、おそらくその方向に向いていくはずだ。
そして、1~2年を経過した頃、福島は核の墓場FUKUSHIMAにむけてIAEAの管理下でその姿を変えられていく。

■■ここまで大事故にならなかったのが『想定外』
以上のように考えると、活断層やプレート震源域の真上に原発を建てるという狂気の沙汰にも説明が付く。
最初から、事故させるつもりで作っていたのだ。

おそらく、もっと早い段階で「核の墓場」を確保する予定だっただろう。
まさか、40年も持ちこたえるとは「想定外」だったはずだ。

ある意味、日本の建築の技術は優れていたということかもしれない。
しかし、それもtsunamiの力には叶わなかった。
もちろん、ワザと流されるような場所に電源を設置しておいたのだけれど。

ドイツでは、この事故の影響で、原発は止まりそうな状況だ。
世界中で脱原発は進むだろう。
だからこそ、日本は「脱原発」には進まない。だまっていたら、絶対に進まない。

菅は「エネルギー計画を白紙」とかいっているが、絶対にすぐに撤回する。
自民党と大連立を組んで、すぐさま原発推進を再開する。
「福島は古かった」から事故になったと言いながら、新しい原発をジャンジャン作り始める。

そうしないと、アメリカ国内に大量に溜まってしまったプルトニウムを燃やす場所がないからだ。
ましてドイツが原発をやめてしまったら、日本の比重はますます大きくなる。

東京から250Km以上離れた日本の海岸線には原発が建ち並び、立ち入り禁止になったFUKUSHIMAは、フィンランドのオンカロに続く世界で2番目の核廃棄物処分場として、世界から核廃棄物を受け入れる。
そして、10数年後には再びどこかの原発が震災にあい、世界で3番目の核の墓場になる。

そんな未来が、無いと言い切れるだろうか。
むしろ、そのように考えると、全てのオカシナことに説明が付く。
原発を推進する立場の人でも、クビをかしげるような不可思議なことの数々が、そう考えると得心がいくのである。

そもそも地震のある場所に建てているというのは、先ほどから書いているとおり。
さらに、そこでの災害の想定を、なんでワザと低く見積もるのか。

原発に投じられてる資金の規模を考えたら、そんなところでケチる意味が無い。
合理的な利益がない。

にもかかわらず、地震の揺れに対しても、津波の高さに対しても、わざわざ低い見積で原発は建てられている。
今頃報道されているように、危ないという指摘があったにもかかわらず、それを敢えて無視して だ。
反原発の立場からの指摘ではなく、同じ建設推進の立場からの指摘でさえ、聞く耳をもたずにわざと弱い原発を作ったということは、「いずれ事故する」ということを狙っていたとしか考えられない。

もちろん、聞く耳持たずに強行した現場の設計者や学者は、洗脳されたり脅かされたりしてやったことで、そこまでの全体像は見ていなかったにちがいない。が、全体をその方向にもっていった一部の指導者は、あきらかに確信犯だ。

その意味では、今回の福島の事故は、「事故」ではない。40年前に仕込まれた時限爆弾が、今爆発したようなものだ。
意図的に引き起こされた「事象」であって、東電がさかんに「事象」という言葉を使う意味がここにあったのだと気がつく。

■■だから今こそ「反原発」
「こんなことがあったから黙っていても原発は止まるだろう」なんて考えているお人好しは、骨の髄までしゃぶり尽くされる。「安全神話」を受け入れてきた福島の人々はそういう運命を強制され、騙されたことに気がつき怒りに震えている。

日本中がこの覚醒と怒りを共有しなくてはならない。
何としても「反原発」「脱原発」を日本のコンセンサスにする必要がある。

また、福島の処遇について、細心の注意をして情報を見守る必要がある。
実際に必要な地域からの退避は不可欠だし、国が責任を持たなければならない。
農産物等も、洗えば大丈夫という安易な対応は、風評被害以上の実害をもたらすだろう。

その一方で、IAEA主導で原発周辺の退避対象地域を管理し出すような動きには、充分に警戒しなくてはならない。
それに続く、リクビダートルの募集と英雄化。核軍縮という美名とのリンク。
こうした事態が福島をめぐって起きてきたら、私の想像が、着々と現実化していると言うことだ。

「反原発」をあらゆる業界・業態で掲げること。これが、今回幸運にも被災しなかった私たちが、今やるべきこと。
「反原発」な家づくり、「反原発」なレストラン、「反原発」な運送業
などなど、個人零細中小の企業に出来ることから始めよう

「反」がいやなら「脱」でも「没」でもなんでもいい
原発なんていらねえ と看板に明記して暮らしていこう》