教室に通い始めの頃のAくんは、
とにかく弾いて来たものが合格することに命をかけていた(…って言い過ぎか?)
練習していない曲でも、
なんとなく音に出来ただけで「弾いたんだから○ちょうだい」って、
それをお断りすると、肩を落とされてしまう。
「この曲のことがよく分かって、流れもよく弾けて、
そしたら○だよ」と言っても、
当時のAくんには中々分かってもらえないようだった。
そうしたことに、やや膨れ気味で帰ることもあったし、
ガッカリな表情で帰ることもあったし、
でもだからって合格させてあげることはできないし、
難しいところだった。
でも、
「この場面では大きな人がのっしのっしと歩いているみたいじゃない?
そんな風に弾いてみようよ」とか
「小人がダンスしている感じだったら?」とか
そんなやりとりを繰り返すうちに、
そうしたイメージを音にすることが面白くなってきたようで、
最近、Aくんの表情は生き生きしてきている。
私が「ここは、こんな感じじゃない?」
と言うと、
「だったら、ここはどんな場面?」
と聞き返される。
「さて、どんな場面だろう。Aくんはどう思う?」
こんな会話ができるようになってきた。
イメージを表現している時のAくんは、
歌いたい場面では身体もそんな雰囲気に動きだすし、
行進の場面では身体もシャキシャキとリズムに乗る。
不必要に身体を動かして弾くことはないと思うけれど、
Aくんの場合、音楽をイメージすることと演奏することがリンク出来ているので、
そこに不自然さは全くない。
最近は練習している曲も難しく、そして長いものが多くなってきているので、
「練習に苦しんでいることとかないですか?」
とお母さまに聞いてみても、
「いえ、むしろ楽しいみたい。練習時間も以前よりも長くなっているくらい」って。
まだまだ始まったばかりのAくんのピアノ人生。
もっともっとたくさんの曲に触れて、
いろんな音楽の世界をイメージしながらピアノを弾いていってもらえたら、
…私は…この上なくうれしい。
とにかく弾いて来たものが合格することに命をかけていた(…って言い過ぎか?)
練習していない曲でも、
なんとなく音に出来ただけで「弾いたんだから○ちょうだい」って、
それをお断りすると、肩を落とされてしまう。
「この曲のことがよく分かって、流れもよく弾けて、
そしたら○だよ」と言っても、
当時のAくんには中々分かってもらえないようだった。
そうしたことに、やや膨れ気味で帰ることもあったし、
ガッカリな表情で帰ることもあったし、
でもだからって合格させてあげることはできないし、
難しいところだった。
でも、
「この場面では大きな人がのっしのっしと歩いているみたいじゃない?
そんな風に弾いてみようよ」とか
「小人がダンスしている感じだったら?」とか
そんなやりとりを繰り返すうちに、
そうしたイメージを音にすることが面白くなってきたようで、
最近、Aくんの表情は生き生きしてきている。
私が「ここは、こんな感じじゃない?」
と言うと、
「だったら、ここはどんな場面?」
と聞き返される。
「さて、どんな場面だろう。Aくんはどう思う?」
こんな会話ができるようになってきた。
イメージを表現している時のAくんは、
歌いたい場面では身体もそんな雰囲気に動きだすし、
行進の場面では身体もシャキシャキとリズムに乗る。
不必要に身体を動かして弾くことはないと思うけれど、
Aくんの場合、音楽をイメージすることと演奏することがリンク出来ているので、
そこに不自然さは全くない。
最近は練習している曲も難しく、そして長いものが多くなってきているので、
「練習に苦しんでいることとかないですか?」
とお母さまに聞いてみても、
「いえ、むしろ楽しいみたい。練習時間も以前よりも長くなっているくらい」って。
まだまだ始まったばかりのAくんのピアノ人生。
もっともっとたくさんの曲に触れて、
いろんな音楽の世界をイメージしながらピアノを弾いていってもらえたら、
…私は…この上なくうれしい。
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