できれば、練習なんてほとんどしないのに上手くしてあげたい。
できれば、週に1回のレッスンだけで、何とかしてあげたい。
切にそう思う。
それでもやっぱり、
毎日、超短時間だとしても毎日弾いている人と、
週に一回だけガツンと弾いている人では、
ピアノとの馴染み具合に違いが出る。
人は忘れる生き物だ。
分かりやすく言ってしまえば、
たとえば100まで練習しなくてはいけないとして、
今日30まで練習できたとする。
翌日また弾くと30から始まるのではなく、10とか良くて20とかから始まる。
それで練習して35まで辿り着いたとしても、
翌日弾くと、また20とか25くらいからになる。
こんなことを繰り返しやっていくと、
いずれ100に辿り着く。
昔、家庭科でやった半返し縫いな雰囲気。
3歩進んで2歩下がる。
それでも少しずつ少しずつ前進していくのだ。
もちろん、ピアノの演奏にゴールなんてないのだけれど。
週に一回。ガツンと練習して一度に85まで上がっても、
また一週間後に弾き始める時にはきっと20か25くらいまでは戻っているのではないかしら?
練習しなさい!!
は、言葉としてはとっても簡単だけれど、
言う方も言われる方も「あ~もう!!」という気分は同じ。
このセリフ、私も昔は言われたような気がするけれど、
言われれば言われるほど練習なんてするもんか!!という気分になってしまう。
とってもよくないセリフ。
練習しない→叱る→渋々練習する
この構図が私は嫌いだ。
どんどん「やらされる」感が強くなって、逆効果だと思うのだ。
ならばどうすれば練習するようになるのか。
難しい問題だ。
「私を弾けるようにして~~~」
と個人努力一切なしに来られると、
これはもう大変。
ピアノは自分自身で上手くなりたいと思ってもらわないと
進歩は中々見られない。
そのやる気を導き出せるレッスンがしたいのだが、
これが果てしなく難しい。
褒める
のは好きだけれど、
おだてる
のは、性に合わない。
本人の気持ちが本当のところで前に向くように促したい。
そのためには。
きっと私自身がもっともっともっと、
その人自身に歩み寄らなければいけないのだろう。
「練習してきなさい!」
と突きつけるのではなく、どうするか。
そこをきちんと考えていきたいと思う。
できれば、週に1回のレッスンだけで、何とかしてあげたい。
切にそう思う。
それでもやっぱり、
毎日、超短時間だとしても毎日弾いている人と、
週に一回だけガツンと弾いている人では、
ピアノとの馴染み具合に違いが出る。
人は忘れる生き物だ。
分かりやすく言ってしまえば、
たとえば100まで練習しなくてはいけないとして、
今日30まで練習できたとする。
翌日また弾くと30から始まるのではなく、10とか良くて20とかから始まる。
それで練習して35まで辿り着いたとしても、
翌日弾くと、また20とか25くらいからになる。
こんなことを繰り返しやっていくと、
いずれ100に辿り着く。
昔、家庭科でやった半返し縫いな雰囲気。
3歩進んで2歩下がる。
それでも少しずつ少しずつ前進していくのだ。
もちろん、ピアノの演奏にゴールなんてないのだけれど。
週に一回。ガツンと練習して一度に85まで上がっても、
また一週間後に弾き始める時にはきっと20か25くらいまでは戻っているのではないかしら?
練習しなさい!!
は、言葉としてはとっても簡単だけれど、
言う方も言われる方も「あ~もう!!」という気分は同じ。
このセリフ、私も昔は言われたような気がするけれど、
言われれば言われるほど練習なんてするもんか!!という気分になってしまう。
とってもよくないセリフ。
練習しない→叱る→渋々練習する
この構図が私は嫌いだ。
どんどん「やらされる」感が強くなって、逆効果だと思うのだ。
ならばどうすれば練習するようになるのか。
難しい問題だ。
「私を弾けるようにして~~~」
と個人努力一切なしに来られると、
これはもう大変。
ピアノは自分自身で上手くなりたいと思ってもらわないと
進歩は中々見られない。
そのやる気を導き出せるレッスンがしたいのだが、
これが果てしなく難しい。
褒める
のは好きだけれど、
おだてる
のは、性に合わない。
本人の気持ちが本当のところで前に向くように促したい。
そのためには。
きっと私自身がもっともっともっと、
その人自身に歩み寄らなければいけないのだろう。
「練習してきなさい!」
と突きつけるのではなく、どうするか。
そこをきちんと考えていきたいと思う。