「問題のない母と娘などいない」
なんて言葉があるらしいですね。
私も母とは確執があるのですが、ちょっと前まではそれがエホバの証人であるがゆえだ~!と思っていたのです。
が、世間の本などを読むにつれ、母と娘というのは一般の世界でも問題が起こりがちであることを知りました。
エホバの証人である事はその問題をさらに複雑化させてる。と表現したほうがいいのかもしれませんね~。
こんな事を書くのも、親と向かい合って親を脱Jwさせた人たちのその後の幸せそうな姿を読んだり見るにつれ、「自分は一番大切な親とも向かいあえてない。一番大切な親を脱JWさせない限りは本当の親子になれる日はこない」と
いつも心のどこかで後悔したり後ろめたさや焦りを感じたりしていたのです。
そんな時、脱JWされたものの、組織に娘さんを残された元姉妹から経験をお聞きしました。
その元姉妹は娘さんに目覚めてもらおうと努力したそうですが、そうするごとに娘さんは心を固くされたようです。
しかしある時その元姉妹は「娘の信仰を尊重しよう」という気になられて、それからは娘さんの態度もやわらかく、そして家族の仲も戻ったという経験でした。
「他人を尊重する」というのは自分自身、おもに男女の関係で学ばせていただいたな~。とわかったつもりでいたのです。
カップルであるというだけで相手から個人としての境界線がなくなってそれに辟易したりですね、またある時は愛という名のおせっかいでこちらが誰かを追い詰めたりですね、
そういう経験です。
(その節は申し訳ありませんでした。)
しかし、それを母と娘の関係においてあてはめる事がすっかりきれ~いに、まるで計ったように忘れられていたのです。
母には母の信仰ってものがあり、私もそれを尊重するべきなのだろう。か。?
ということです。
自分が扱ってもらいたいように他人― ことに母を扱うべきならばそうするべきなのでしょう~。
心はまだもやもやしていますが、
これからはあまり組織の話が出てきたら組織を批判したりして相手を刺激しないようにすれば、、いいのかな?
脱JWしていたのに、JWのころやっていた事そのままリバースで繰り返していたなんて事のないようにしなければなりませんね。
(まあ。。。相手も悪いんですよ。)
なんて言葉があるらしいですね。
私も母とは確執があるのですが、ちょっと前まではそれがエホバの証人であるがゆえだ~!と思っていたのです。
が、世間の本などを読むにつれ、母と娘というのは一般の世界でも問題が起こりがちであることを知りました。
エホバの証人である事はその問題をさらに複雑化させてる。と表現したほうがいいのかもしれませんね~。
こんな事を書くのも、親と向かい合って親を脱Jwさせた人たちのその後の幸せそうな姿を読んだり見るにつれ、「自分は一番大切な親とも向かいあえてない。一番大切な親を脱JWさせない限りは本当の親子になれる日はこない」と
いつも心のどこかで後悔したり後ろめたさや焦りを感じたりしていたのです。
そんな時、脱JWされたものの、組織に娘さんを残された元姉妹から経験をお聞きしました。
その元姉妹は娘さんに目覚めてもらおうと努力したそうですが、そうするごとに娘さんは心を固くされたようです。
しかしある時その元姉妹は「娘の信仰を尊重しよう」という気になられて、それからは娘さんの態度もやわらかく、そして家族の仲も戻ったという経験でした。
「他人を尊重する」というのは自分自身、おもに男女の関係で学ばせていただいたな~。とわかったつもりでいたのです。
カップルであるというだけで相手から個人としての境界線がなくなってそれに辟易したりですね、またある時は愛という名のおせっかいでこちらが誰かを追い詰めたりですね、
そういう経験です。
(その節は申し訳ありませんでした。)
しかし、それを母と娘の関係においてあてはめる事がすっかりきれ~いに、まるで計ったように忘れられていたのです。
母には母の信仰ってものがあり、私もそれを尊重するべきなのだろう。か。?
ということです。
自分が扱ってもらいたいように他人― ことに母を扱うべきならばそうするべきなのでしょう~。
心はまだもやもやしていますが、
これからはあまり組織の話が出てきたら組織を批判したりして相手を刺激しないようにすれば、、いいのかな?
脱JWしていたのに、JWのころやっていた事そのままリバースで繰り返していたなんて事のないようにしなければなりませんね。
(まあ。。。相手も悪いんですよ。)
●恥ずかしながら、私は楽園では、涙も嘆きもないのなら子供が滅びても悲しむ理由にはならないのかな?
私も思いました!
その時はたぶん悲しいという感情も消し去られてしまうんだろうな、と思ってました。
それこそ悲しいことですが。。
●私はそれらの絵に何か、ずんと来ない違和感があり、あまり好きにはなれませんでした
私もそうです。
たぶんサブリミナルでもしてあるんでしょう。絶対そうですよ~。
私の想像していた楽園は、、想像がつかないというかあまり実感がわかなかったですね、何しろ子供だから楽園を想像する前に現実の人生さえ始ったばかり、そんな感じだったのだと思います。
お元気でしたか??
わたくしも元気にしております。
脱JWしてから2年くらい経ってからやっと物事に手をつけられるようになり、今は失われたものを(すべて。笑)取り返すべく、活動してます。一日が24時間しかないのがもどかしいくらいです。
(とか言って、睡眠時間はしっかり確保していますが。。)
またぜひぜひ遊びに来てくださいね~!!!おまちしています!
●でも、どうしても譲れないところがあります!
未成年の妹の事です。輸血うんぬんの問題が出たら、命がけです。訴えられても、親に絶縁されても実行する、と弟と合意しています
そうですよね、命。。。私もこういう記事を書いてはみたものの、釈然としないことが多いばかりか、、(そこがまだ駄目なのかもしれませんが)こういった生死にかかわる問題については憤然やるかたない気持ちなのです。。
だから、これからもしつこくJW問題を追及していきたいです。
●・・・妹は、集会嫌い、奉仕嫌い、実演嫌いのようで、将来有望です(笑)
妹さんも早くこちらがわに来てくださるといいですね。。。
●個人の自由を認めないので
本当にそうですね。だから現役家族と話すにしても話さないにしても疲れるんですよ~!
●結局は中途半端な人間となる
とっても同感です。。
ムチを常備していた時代の親は、何が何でも我が子に楽園を、永遠の命に導かなければと言う使命に生きていたのだと思います。
盲目の愛というのでしょうか。
または、自分の家族を救えないで他人を救う事など出来ようか。の「愛」
自分だけが楽園に入っても子供のいない事など考えられない。
それは自分の求めている幸せではない。
恥ずかしながら、私は楽園では、涙も嘆きもないのなら子供が滅びても悲しむ理由にはならないのかな? (確実に肉の兄弟姉妹、甥も姪もいない)。でも楽園で両親や祖父母に会ったら、アホになる訳でもあるまいに子供がいないことを悲しまないのか? まっ、いいか、後のことはエホバが何とでもいいようにして下さるのだから・・・自分の胸のうち秘めていました。
楽園に関して注解を求められると、押しなべて、協会の出版物の挿絵から述べられます。
私はそれらの絵に何か、ずんと来ない違和感があり、あまり好きにはなれませんでした。
ちょうど集会の後先の交わりタイムのような感じ。 私は苦手なんです。
PWさんの夢見た楽園はどんなものでしたか。
蛇足
楽園ではみな農業従事者になるのではありませんよね。
アメリカに行くのに徒歩ではありませんよね。
大陸が全て地続きになるのではありませんよね。
千年生きるとしても歩いて行くのは嫌です~。
自然の循環作用に逆らわないエコな燃料が出来るのでしょうか。 などなど・・・
余りにも幼稚でお笑いください。
1年以上前に何度か投稿した元JWです。
久々にブログ読みました!
その後、平和な生活をしていますか!?
親子関係って難しいですね。
少し疎遠な位がちょうどいいと思います。
しかし、JWの子供って可哀想ですよね。
私が一番違和感を覚えたのはここです。
特に幼児なんかは明らかに嫌がっているのに
集会とか、奉仕とかに連れて行かれますし、
成長するにつれ、もっと苦しくなるんだろうな~
とか考えるといたたまれなくなったものです。
私にとってはすでに過去のことのようですが・・・
また、ちょくちょく見に来ますね♪
性的虐待が、ずっとあった事を取り上げていた。
でも、どうしても譲れないところがあります!
未成年の妹の事です。輸血うんぬんの問題が出たら、命がけです。訴えられても、親に絶縁されても実行する、と弟と合意しています。
親はしかたがないけれど、未来ある子供の先を閉ざすことは、最悪の事。
「逃げて来い、受け入れる心構えはできているから」
弟の言葉に救われました。
譲れることと、譲れないこと、しっかり線引きするのが大切かな、と思っています。
・・・妹は、集会嫌い、奉仕嫌い、実演嫌いのようで、将来有望です(笑)
分裂が、信者にしないと、利己的と言われるし。
個性や人格は組織に教育されついには、ロボット化。好みは許されないし、、なにより、
結局は中途半端な人間となる。恐ろしい。
強制からは、何一つ良いものは育たないのでは??