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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

子どもたちの政府交渉 8・17

2011年09月15日 | フクシマ原発震災
 ▼ 子どもたちの政府交渉 8・17
   ~福島県民より、お金の方が大切なのですか?


 (政府/文科省・保安院に対して)
 「私たちは原発事故以来、外遊びをしていません。早く除染してください。」
 「プールにも入っていません。避難する友達は、友達や家を奪われました。責任を取ってください」(小5)
 と小学生が発言しました。

 「震災と原発事故から5ヶ月経ちました。福島県から離れて暮らしている人は何人になるでしょうか。福島県に残って窓を閉めて生活している人はどれほどいるでしょうか。全国に散らばって暮す福島の人はどんな思いで故郷を離れてきたのか、皆さんにわかってもらえるでしょうか?
 福島の子どもたちがプールにも入れず、マスクをして登下校しているこの状況を安全だと言い張る政府、わたしは、とても疑問を感じます。
 今まで法律で決まっていた基準を何十倍にも引き上げて、安心だと言われても、わたしには信じられません。そんなやりかたは私たち中学生にも通用しないでしょう。
 福島県民よりお金が大切なのですか?大人が勝手に作った原発で何故子どもが被曝しなければならないのか。何故こんな辛い目に合わなくてはいけないのか。
 これほどの事故が起きても、何故原発再開を目指すのか、私にはまったくわかりません。このような状況で総理大臣が変わっても・・。
 私は6月になって転校して、とても悲しい思いをしました。後先に何人の友達も転向し・・こんな風にだんだん、みんながばらばらになっていくのはわたしたちにとって、耐え難く悲しいことです。出た人も、残った人も、お互いのことが心配でたまりません。
 みんなで一緒に安全な場所に避難できることを真剣に考えてください。その間に、学校も田畑も山も川も福島県全域を徹底的にきれいにする計画を立てて復興してください。
 私の友達も仲間たちも絶対に誰一人として傷つけないでください。私たちが将来、安心して生活できるよう最大限の努力をしてください」
 と手紙を読み上げ、訴えました。

 ほぼ正確に引用したのは、ここに、多くの声、叫び、状況が示されているからです。
 5月以来ずーっと、このお母さんたちの政府交渉に参加した私でさえ、この思いにはいたらなかったのです。
 そして、「何故、早く除染しなかったのですか」と言う質問にすら、答えられない政府答弁者たち。
 300人にも上る参加した中で、初めてといっていいほどの数の報道陣。
 確かに山本太郎さんが各省庁の答弁者たちに言うように「私は本当に恥ずかしい。答えられない人が出てきている。あなたたちも闘うしかないでしょう。」
 中学生が要望したように、すべての生活(仕事・学校)を保障し、福島を徹底的にきれいにするためにも、今すぐ、原発止めるしかない!再稼動なんて話ならない!
 8/25 子どもたちを守れ!食の安全と「避難の権利」確立を-政府交渉が行われました。
 厚生労働省・食品安全委員会「生涯100mSv」の欺瞞がすぺての怒りの根源になりました。
 現実的にいえば、累積線量として、5年でも10年でも、100msvになるまでは容認するというものです。
 おかあさんたちのたたかいによって「年間1mSvを目指す」までに押し返したにもかかわらず、今問題にしている高放射能を容認し、すぐにでも、ゼロに近い値になることを前提に、大人50年・子ども70年と、嘘を言い続けるものです。
 「年100mSvになったら」というと、インドの山奥の500mSvでも影響なしと、ベラルーシのデータ信用できないと切り捨てる始末。
 また、「年間1msvを目指す」の基準が「食品安全委員会は食品のみしか考えていない」と内部被曝の吸引被曝ぬきの答弁なのです。
 第2部の*文科省・原子力安全委員会のなかで、給食問題では安全保障は厚生労働省に丸投げ、「学校外も含め1mSvに」には「学校内だけ」と政府の省庁なすりあいで、まったく無責任振りは明らかでした。
 (杉並親の会 TI)

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