パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

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2004年12月31日 | 藤田掲示板のログ
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マスコミ 投稿者:K・F        投稿日:12月29日(水)21時32分36秒

  記者クラブ制度があって、検察や警察に記者が取り込まれている。 警察の幹部が漏らした言葉をそのまま紙面に書く。 マスコミのインチキ記事で辛い思いをした人は数知れないであろう。
 事件の報道は、常に距離をおいて読まねばならない。

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100パーセント無罪 投稿者:自由の敵は眠らない  投稿日:12月29日(水)01時34分7秒

参加者が,よい卒業式でしたよ,と認めていること ― これは無罪の直接の理由にはならないかも知れぬ
 しかし,そもそも先生は威力(人の意思を抑圧するに足りる勢力)を用いていないし,業務(式)の始まる前のことだから,刑法234条の射程には入らないよ
 反論板での攻撃も,この刑法解釈にはかすりもしない

わたくしは反論番で,「言論の自由」を振り回す不勉強な人をたしなめたつもりが,削除されてしまった
 ちょっとがっかりでしたネ

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葛飾マンションビラ配布事件 投稿者:K・F        投稿日:12月29日(水)01時08分23秒

 12月23日、現行犯逮捕
    24日、家宅捜索
    25日、亀有署、東京地検に送検。 東京地裁、10日間の勾留決定、(1月3日まで)
    26日、東京地裁、弁護士の準抗告申立てを棄却
    28日、東京地裁、勾留理由開示の法廷開く

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刑事事件 投稿者:K・F        投稿日:12月29日(水)00時16分20秒

 裁判官は、裁判が始まるまで、起訴状しか見ることが出来ない。
刑事事件では、一切の予断を入れずに裁判に臨む「建前」になっている。
裁判官に予断を抱かせないために、書証(取り調べ調書など)は、弁護人の同意がなければ、裁判官は一切見ることはできない。
そうなると検察官は、「証人」に直接証言させるしか方法がない。
任意にもかかわらず、警察・検察に証言し押印した人は、裁判所の決定により証人として法廷に召喚される可能性が大である。 病気等、合理的理由がなくば拒否はできない。

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99,8パーセント 投稿者:K・F        投稿日:12月28日(火)23時17分49秒

  この数字は、日本における刑事裁判の有罪率である。
無罪を勝ち取れるのは、500分の1である。
裁判官の一人はこう言ったという。
 「裁判官の職務は、検察の主張にお墨付きを与えることである」、と。

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ヴィルヘルム・テル~帽子と日の丸 投稿者:omoto  投稿日:12月28日(火)22時38分54秒

岩波文庫で、昨年6月再販されて(1929年から26版)入手しておいたのだが、
最近ようやっと通勤電車に持ち込んで読み出した。

冒頭の方に、次のような一節がでてくる。

口上者:ウーリー州の人民、この帽子を見よ。(略)
 これについて、代官の意思と賢慮は、次の如し。
 この帽子を敬うこと、さながら代官を仰ぎ見る如く、
 すべからく膝を曲げ、帽を脱して、敬礼を尽くすべし。
 これによりて、国王は、人民帰順の如何を知らんと欲す。
 いやしくも、この制令を軽んずる者は、生命を失い、財産を没収せらるるものなり。
職人甲:代官め、何と前代未聞のけしからんことを考えやがったのだろう。
 帽子に敬礼するんだとよ。
 おいおい、こんな馬鹿らしいことを聞いたことがあるかい。
石工親方:膝を曲げて、帽子を拝むんだとよ。
 まじめな立派な人間を、おもちゃにするんじゃねえか。

もうお分かりだろう。なぜ、引用したのか。
19世紀初頭のスイスを舞台にしたシラー原作の独文学の傑作である。
それが、19世紀末に開国して西洋の仲間入りを目指したどこかのアジアの国の
統治方針とそっくりではないか。
西洋の前近代と同じことを、わが国古来の伝統であるともっともらしく粉飾し、
人民を赤子扱いするとは、冷静に見ればカルト宗教と変わらない。
そして、それを強制する、下手な役者と阿諛追従する者たち。

まだ、有名なリンゴの場面は出てこない。
それを読んだ頃、再び投稿するつもり。

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続き!! 投稿者:板校保護者  投稿日:12月27日(月)21時47分22秒

『教育とは本質的に全人格的な接触において、子ども・生徒の可能性を引き出す営みであって、それを担うものは教師である』

「教育基本法」や「教育理念」を凝縮したようなこの文面を正しく理解するならば「日の丸・君が代強制」などは一目瞭然に不条理、不可解と気づくはずである。

職務命令自体に法的根拠が無いことは誰しもがわかるが、それはさて置いたとしてもまず強制によって、心情的に「歌いたくない」あるいは「歌えない」教師、生徒などに疎外感、罪悪感、屈辱感を与え、歌う歌わないにかかわらず人格が否定されることになる。その結果、全人格的な接触などには到底及ばなくなる。焦燥感や屈辱感を携えたまま生徒と接触をすることになり生徒もそれを感じ取ってしまうからだ。

しかもそれを受け入れた生徒にも迷いや葛藤が生じ、生徒自身の思考や行動にも自我による抑圧、抑制が働いてしまう。これにより自由発想や可能性などが著しく制約され、文面にあるような生徒の可能性を引き出す営みとは程遠くなってしまう。

さらにそれを担うものは教師であるはずなのに、職務命令を校長に出させることによりその部分に取って代わり介入している。しかも「教育行政は・・・・・整備確立を目標として行われなければならない」と言う条文を逸脱しており、当然のことながらこのことは教育基本法第十条に抵触している。

このように不条理で非合法な東京都教委による「日の丸・君が代強制」は法的根拠を示さずとも、冒頭の文面ひとつのみでも十分対抗しうるほど粗雑かつ軽薄であり、「人間の尊厳」を軽んじた、教育理念をもいとも簡単に踏みにじるに足りる行為といわざるを得ない。

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(無題) 投稿者:のんぽり  投稿日:12月27日(月)20時00分49秒

国家権力とは。庶民の生き血を吸う輩のことか。さまざまな技巧を弄して吸い尽くす。おお恐ろしや。少しでも反抗の姿勢を示せば、地獄にまで突き落とす。おお恐ろしい。戦前の特高が何故生き残り続けたか。権力の本質がそこにある。

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