◆ フクシマ事故とオリンピック
~収束不可能でも原発再稼働するのか (週刊新社会)
福島第一原発事故から7年余、事故の収束はおろか、緊急事態宣言も解除されない。そのような中、有無を言わさず国威発揚の東京オリンピックが推進される。オリンピックはこの国の犯罪に加担するのだろうか。小出裕章さんの告発を要約し、報告する。(文責は編集部)
◆ これ以上の放射能飛散を防ぐために
2011年3月11日、巨大な地震と津波に襲われ、東京電力・福島第一原子力発電所が全所停電となった。全所停電は、原発が破局的事故を引き起こす一番可能性のある原因だと専門家は一致して考えていた。その予測通り、福島第一原子力発電所の原子炉は熔け落ちて、大量の放射性物質を周辺環境にばらまいた。
日本国政府が国際原子力機関に提出した報告書によると、その事故では、1.5×10の16乗ベクレル、広島原爆168発分のセシウム137を大気中に放出した。
広島原爆1発分の放射能だって猛烈に恐ろしいものだが、なんとその168倍もの放射能を大気中にばらまいたと日本政府が言っている。
その事故で炉心が熔け落ちた原子炉は1号機、2号機、3号機で、合計で7×10の17乗ベクレル、広島原爆に換算すれば約8千発分のセシウム137が炉心に存在していた。
そのうち大気中に放出されたものが168発分であり、海に放出されたものも合わせても、現在までに環境に放出されたものは広島原爆約1千発分程度であろう。
◆ 汚染水の海洋投棄は許さない
つまり、炉心にあった放射性物質の多くの部分が、いまだに福島第一原子力発電所の壊れた原子炉建屋などに存在している。これ以上、炉心を熔かせぱ、再度放射性物質が環境に放出されてしまうことになる。
それを防ごうとして、事故から7年以上経つた今も、どこかにあるであろう熔け落ちた炉心に向けてひたすら水を注入してきた。そのため、毎日数百トンの放射能汚染水が貯まり続けてきた。
東京電力は敷地内に一千基を超えるタンクを作って汚染水を貯めてきたが、その総量はすでに百万トンを超えた。敷地には限りがあり、タンクの増設には限度がある。近い将来、東京電力は放射能汚染水を海に流さざるを得なくなる。
もちろん一番大切なのは、熔け落ちてしまった炉心を少しでも安全な状態に持って行くことだが、7年以上の歳月が流れた今でも、熔け落ちた炉心がどこに、どんな状態であるかすら分からない。
なぜなら現場に行かれないからである。
◆ 高放射能が立ちはだかる
事故を起こした発電所が火力発電所であれば簡単である。
当初何日間か火災が続くかもしれないが、それが収まれば現場に行くことができる。事故の様子を調べ、復旧し、再稼働することだってできる。
しかし、原子力発電所の場合、事故現場に人間が行けば死んでしまう。国と東京電力は代わりにロボットを行かせようとしてきたが、ロボットは被曝に弱い。ICチップに放射線が当たれば、書き込まれている命令が書き変わってしまうからである。そのため、これまでに送り込まれたロボットはぼぼすべてが帰還できなかった。
2017年1月末に、東京電力は原子炉圧力容器が乗つているコンクリー卜製の台座(ペデスタル)内部に、いわゆる胃カメラのような遠隔操作カメラを挿入した。
圧力容器直下にある鋼鉄製の作業用足場には大きな穴が開き、圧力容器の底を抜いて熔け落ちて来た炉心がさらに下に落ちていることが分かった。
しかし、その調査ではもっと重要なことが判明した。
人間は8シーベルト(sv)被曝すれば、確実に死ぬ。圧力容器直下での放射線量は1時間当たり20svであったが、そこに辿り着く前に530あるいは650svという放射線が計測された。この高線量が測定された場所は、円筒形のペデスタルの内部ではなく、ペデスタルの壁と格納容器の壁の間だったのである。
東京電力や国は、熔け落ちた炉心はペデスタルの内部に饅頭のように堆積しているというシナリオを書き、30年から40年後には、熔け落ちた炉心を回収し容器に封入する、それを事故の収束と呼ぷとしてきた。
◆ 誰も見届けられない事故収束
しかし実際にはそうではなかったため、やむなく国と東京電力は「ロードマップ」を書き換え、格納容器の横腹に穴を開けて掴み出すと言い始めた。しかし、そんな作業をすれば、労働者の被曝量が膨大になってしまい、できるはずがない。
私は当初から旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故時同様、石棺で封じるしかないと言ってきた。
そのチェルノブイリ原発の石棺は30年たってボロボロになり、2016年11月にさらに巨大な第2石棺で覆われた。
その第2石棺の寿命は百年という。その後、どのような手段が可能かは分からない。
ましてやフクシマ事故の収束など、今生きている人間のすべてが死んでも終わりはしない。
その上、仮に熔け落ちた炉心を容器に封入することができたとしても、それによって放射能が消える訳ではなく、その後数十万年から百万年、その容器を安全に保管し続けなければならないのである。
◆ 続く「原子力緊急事態宣言」下での無法
発電所周辺の環境でも、極度の悲劇がいまだに進行中である。
事故当日、原子力緊急事態宣言が発令され、初め3㎞、次に10㎞、そして20㎞と強制避難の指示が拡大し、人々は手荷物だけを持って家を離れた。家畜やペットは棄てられた。
それだけではない。福島第一原子力発電所から40~50㎞も離れ、事故直後は何の警告も指示も受けなかった飯舘村は、事故後ーカ月以上たってから極度に汚染されているとして、避難の指示が出、全村離村となった。
人々の幸せとはいったいどのようなことを言うのだろう。
多くの人にとって、家族、仲間、隣人、恋人たちとの穏やかな日が、明日も、明後日も、その次の日も何気なく続いていくことこそ、幸せというものであろう。
それがある日突然に断ち切られた。それまで一緒に暮らしていた家族はバラバラになつた。生活を丸ごと破壊され、絶望の底で自ら命を絶つ人も未だに後を絶たない。
それだけではない。極度の汚染のために強制避難させられた地域の外側にも、本来であれば「放射線管理区域」にしなければいけない汚染地帯が広大に生じた。
「放射線管理区域」とは、放射線を取り扱って給料を得る大人、放射線業務従事者だけが立ち入りを許される場である。
そこでは水を飲むことも食べ物を食べることも禁じられる。もちろん寝ることも禁じられるし、放射線管理区域にはトイレすらなく、排せつもできない。
しかし、国は、今は緊急事態だとして、従来の法令を反故にし、その汚染地帯に数百万人の人を棄てた。
◆ 果てしのない悲劇続く
棄てられた人々は、赤ん坊も含めそこで水を飲み、食べ物を食べ、寝ている。当然、被曝による危険を背負わさせられる。棄てられた人は皆不安であろう。
被曝を避けようとして、仕事を捨て、家族全員で避難した人もいる。子どもだけは被曝から守りたいと、男親は汚染地に残って仕事をし、子どもと母親だけ避難した人もいる。
でも、そうしようとすれば、生活が崩壊したり、家庭が崩壊する。
汚染地に残れば身体が傷つき、避難すれば心が潰れる。
棄てられた人々は、事故から7年以上、毎日毎日苦悩を抱えて生きてきた。
その上、2017年3月になって、国は一度は避難させた、あるいは自主的に避難していた人たちに対して、年間20ミリシーベルトを超えないような汚染地であれば帰還するように指示し、それまでは曲がりなりにも支援してきた住宅補償を打ち切った。帰還の強制である。
今、福島では復興が何より大切だとされている。そこで生きるしかない状態にされれば、もちろん皆、復興を願う。そして人は毎日、恐怖を抱えながらは生きられない。
汚染があることを忘れてしまいたいし、幸か不幸か放射能は目に見えない。国や自治体は、積極的に忘れてしまえと仕向けてくる。逆に、汚染や不安を口にすれば、復興の邪魔だと非難されてしまう。
◆ 忘却につれ広がる被ばく
年間20ミリシーベルトという被曝量は、かつての私がそうであった「放射線業務従事者」に対して初めて許した被曝の限度である。それを被曝からは何の利益も受けない人々に押しつけること自体許しがたい。
その上、赤ん坊や子どもは被曝に敏感であり、彼らには日本の原子力の暴走、フクシマ事故になんの責任もない。
しかし、日本の国はいま、「原子力緊急事態宣言」下にあるから、仕方がないと言う。
緊急事態が丸1日、丸1週間、1月、いや場合によっては1年続いてしまったということであれば、まだ理解できないわけではない。
しかし実際には、事故後7年半たっても「原子力緊急事態宣言」は解除されていない。
国は積極的にフクシマ事故を忘れさせてしまおうとし、マスコミも口をつぐんでいて、「原子力緊急事態宣言」が今なお解除できず、本来の法令が反故にされたままであることを多くの国民は忘れさせられてしまっている。
環境を汚染している放射性物質の主犯人はセシウム137であり、その半減期は30年。百年たってもようやく10分の1にしか減らない。
実は、この日本という国は、これから百年たっても、「原子力緊急事態宣言」下にあるのである。
◆ 集中すべきは奪われた幸せの回復
オリンピックはいつの時代も国威発揚に利用されてきた。近年は、箱モノを造っては壊す膨大な浪費社会と、それにより莫大な利益を受ける土建屋を中心とした企業群の食い物にされてきた。
今大切なのは、「原子力緊急事態宣言」を一刻も早く解除できるよう、国の総力を挙げて働くことである。
フクシマ事故の下で苦しみ続けている人たちの救済こそ、最優先の課題であり、少なくとも罪のない子どもたちを被曝から守らなければならない。
◆ オリンピックという大本営
それにもかかわらずこの国はオリンピックが大切だという。
内部に危機を抱えれば抱えるだけ、権力者は危機から目を逸らせようとする。
フクシマを忘れさせるため、マスコミは今後ますますオリンピック熱をあおり、オリンピックに反対する輩は非国民だと言われる時が来るだろう。先の戦争の時もそうであった。
マスコミは大本営発表のみを流し、ほとんどすべての国民が戦争に協力した。
自分が優秀な日本人だと思っていればいるだけ、戦争に反対する隣人を非国民と断罪して抹殺していった。
しかし、罪のない人を棄民したままオリンピックが大切だという国なら、私は喜んで非国民になろうと思う。
◆ 犯罪に加担するオリンピック
フクシマ事故は巨大な悲劇を抱えたまま今後百年の単位で続く。
膨大な被害者を横目で見ながらこの事故の加害者である東京電力、政府関係者、学者、マスコミ関係者など、誰一人として責任を取っていないし、処罰もされていない。
それをよいことに、彼らは今は止まっている原子力発電所を再稼働させ、海外にも輸出すると言っている。
原子力緊急事態宣言下の国で開かれる東京オリンピック。それに参加する国や人々は、もちろん一方では被曝の危険を負うが、一方では、この国の犯罪に加担する役割を果たすことになる。
(文責は編集部)
『週刊新社会』(2018年11月6日・13日)
~収束不可能でも原発再稼働するのか (週刊新社会)
元京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
福島第一原発事故から7年余、事故の収束はおろか、緊急事態宣言も解除されない。そのような中、有無を言わさず国威発揚の東京オリンピックが推進される。オリンピックはこの国の犯罪に加担するのだろうか。小出裕章さんの告発を要約し、報告する。(文責は編集部)
◆ これ以上の放射能飛散を防ぐために
2011年3月11日、巨大な地震と津波に襲われ、東京電力・福島第一原子力発電所が全所停電となった。全所停電は、原発が破局的事故を引き起こす一番可能性のある原因だと専門家は一致して考えていた。その予測通り、福島第一原子力発電所の原子炉は熔け落ちて、大量の放射性物質を周辺環境にばらまいた。
日本国政府が国際原子力機関に提出した報告書によると、その事故では、1.5×10の16乗ベクレル、広島原爆168発分のセシウム137を大気中に放出した。
広島原爆1発分の放射能だって猛烈に恐ろしいものだが、なんとその168倍もの放射能を大気中にばらまいたと日本政府が言っている。
その事故で炉心が熔け落ちた原子炉は1号機、2号機、3号機で、合計で7×10の17乗ベクレル、広島原爆に換算すれば約8千発分のセシウム137が炉心に存在していた。
そのうち大気中に放出されたものが168発分であり、海に放出されたものも合わせても、現在までに環境に放出されたものは広島原爆約1千発分程度であろう。
◆ 汚染水の海洋投棄は許さない
つまり、炉心にあった放射性物質の多くの部分が、いまだに福島第一原子力発電所の壊れた原子炉建屋などに存在している。これ以上、炉心を熔かせぱ、再度放射性物質が環境に放出されてしまうことになる。
それを防ごうとして、事故から7年以上経つた今も、どこかにあるであろう熔け落ちた炉心に向けてひたすら水を注入してきた。そのため、毎日数百トンの放射能汚染水が貯まり続けてきた。
東京電力は敷地内に一千基を超えるタンクを作って汚染水を貯めてきたが、その総量はすでに百万トンを超えた。敷地には限りがあり、タンクの増設には限度がある。近い将来、東京電力は放射能汚染水を海に流さざるを得なくなる。
もちろん一番大切なのは、熔け落ちてしまった炉心を少しでも安全な状態に持って行くことだが、7年以上の歳月が流れた今でも、熔け落ちた炉心がどこに、どんな状態であるかすら分からない。
なぜなら現場に行かれないからである。
◆ 高放射能が立ちはだかる
事故を起こした発電所が火力発電所であれば簡単である。
当初何日間か火災が続くかもしれないが、それが収まれば現場に行くことができる。事故の様子を調べ、復旧し、再稼働することだってできる。
しかし、原子力発電所の場合、事故現場に人間が行けば死んでしまう。国と東京電力は代わりにロボットを行かせようとしてきたが、ロボットは被曝に弱い。ICチップに放射線が当たれば、書き込まれている命令が書き変わってしまうからである。そのため、これまでに送り込まれたロボットはぼぼすべてが帰還できなかった。
2017年1月末に、東京電力は原子炉圧力容器が乗つているコンクリー卜製の台座(ペデスタル)内部に、いわゆる胃カメラのような遠隔操作カメラを挿入した。
圧力容器直下にある鋼鉄製の作業用足場には大きな穴が開き、圧力容器の底を抜いて熔け落ちて来た炉心がさらに下に落ちていることが分かった。
しかし、その調査ではもっと重要なことが判明した。
人間は8シーベルト(sv)被曝すれば、確実に死ぬ。圧力容器直下での放射線量は1時間当たり20svであったが、そこに辿り着く前に530あるいは650svという放射線が計測された。この高線量が測定された場所は、円筒形のペデスタルの内部ではなく、ペデスタルの壁と格納容器の壁の間だったのである。
東京電力や国は、熔け落ちた炉心はペデスタルの内部に饅頭のように堆積しているというシナリオを書き、30年から40年後には、熔け落ちた炉心を回収し容器に封入する、それを事故の収束と呼ぷとしてきた。
◆ 誰も見届けられない事故収束
しかし実際にはそうではなかったため、やむなく国と東京電力は「ロードマップ」を書き換え、格納容器の横腹に穴を開けて掴み出すと言い始めた。しかし、そんな作業をすれば、労働者の被曝量が膨大になってしまい、できるはずがない。
私は当初から旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故時同様、石棺で封じるしかないと言ってきた。
そのチェルノブイリ原発の石棺は30年たってボロボロになり、2016年11月にさらに巨大な第2石棺で覆われた。
その第2石棺の寿命は百年という。その後、どのような手段が可能かは分からない。
ましてやフクシマ事故の収束など、今生きている人間のすべてが死んでも終わりはしない。
その上、仮に熔け落ちた炉心を容器に封入することができたとしても、それによって放射能が消える訳ではなく、その後数十万年から百万年、その容器を安全に保管し続けなければならないのである。
◆ 続く「原子力緊急事態宣言」下での無法
発電所周辺の環境でも、極度の悲劇がいまだに進行中である。
事故当日、原子力緊急事態宣言が発令され、初め3㎞、次に10㎞、そして20㎞と強制避難の指示が拡大し、人々は手荷物だけを持って家を離れた。家畜やペットは棄てられた。
それだけではない。福島第一原子力発電所から40~50㎞も離れ、事故直後は何の警告も指示も受けなかった飯舘村は、事故後ーカ月以上たってから極度に汚染されているとして、避難の指示が出、全村離村となった。
人々の幸せとはいったいどのようなことを言うのだろう。
多くの人にとって、家族、仲間、隣人、恋人たちとの穏やかな日が、明日も、明後日も、その次の日も何気なく続いていくことこそ、幸せというものであろう。
それがある日突然に断ち切られた。それまで一緒に暮らしていた家族はバラバラになつた。生活を丸ごと破壊され、絶望の底で自ら命を絶つ人も未だに後を絶たない。
それだけではない。極度の汚染のために強制避難させられた地域の外側にも、本来であれば「放射線管理区域」にしなければいけない汚染地帯が広大に生じた。
「放射線管理区域」とは、放射線を取り扱って給料を得る大人、放射線業務従事者だけが立ち入りを許される場である。
そこでは水を飲むことも食べ物を食べることも禁じられる。もちろん寝ることも禁じられるし、放射線管理区域にはトイレすらなく、排せつもできない。
しかし、国は、今は緊急事態だとして、従来の法令を反故にし、その汚染地帯に数百万人の人を棄てた。
◆ 果てしのない悲劇続く
棄てられた人々は、赤ん坊も含めそこで水を飲み、食べ物を食べ、寝ている。当然、被曝による危険を背負わさせられる。棄てられた人は皆不安であろう。
被曝を避けようとして、仕事を捨て、家族全員で避難した人もいる。子どもだけは被曝から守りたいと、男親は汚染地に残って仕事をし、子どもと母親だけ避難した人もいる。
でも、そうしようとすれば、生活が崩壊したり、家庭が崩壊する。
汚染地に残れば身体が傷つき、避難すれば心が潰れる。
棄てられた人々は、事故から7年以上、毎日毎日苦悩を抱えて生きてきた。
その上、2017年3月になって、国は一度は避難させた、あるいは自主的に避難していた人たちに対して、年間20ミリシーベルトを超えないような汚染地であれば帰還するように指示し、それまでは曲がりなりにも支援してきた住宅補償を打ち切った。帰還の強制である。
今、福島では復興が何より大切だとされている。そこで生きるしかない状態にされれば、もちろん皆、復興を願う。そして人は毎日、恐怖を抱えながらは生きられない。
汚染があることを忘れてしまいたいし、幸か不幸か放射能は目に見えない。国や自治体は、積極的に忘れてしまえと仕向けてくる。逆に、汚染や不安を口にすれば、復興の邪魔だと非難されてしまう。
◆ 忘却につれ広がる被ばく
年間20ミリシーベルトという被曝量は、かつての私がそうであった「放射線業務従事者」に対して初めて許した被曝の限度である。それを被曝からは何の利益も受けない人々に押しつけること自体許しがたい。
その上、赤ん坊や子どもは被曝に敏感であり、彼らには日本の原子力の暴走、フクシマ事故になんの責任もない。
しかし、日本の国はいま、「原子力緊急事態宣言」下にあるから、仕方がないと言う。
緊急事態が丸1日、丸1週間、1月、いや場合によっては1年続いてしまったということであれば、まだ理解できないわけではない。
しかし実際には、事故後7年半たっても「原子力緊急事態宣言」は解除されていない。
国は積極的にフクシマ事故を忘れさせてしまおうとし、マスコミも口をつぐんでいて、「原子力緊急事態宣言」が今なお解除できず、本来の法令が反故にされたままであることを多くの国民は忘れさせられてしまっている。
環境を汚染している放射性物質の主犯人はセシウム137であり、その半減期は30年。百年たってもようやく10分の1にしか減らない。
実は、この日本という国は、これから百年たっても、「原子力緊急事態宣言」下にあるのである。
◆ 集中すべきは奪われた幸せの回復
オリンピックはいつの時代も国威発揚に利用されてきた。近年は、箱モノを造っては壊す膨大な浪費社会と、それにより莫大な利益を受ける土建屋を中心とした企業群の食い物にされてきた。
今大切なのは、「原子力緊急事態宣言」を一刻も早く解除できるよう、国の総力を挙げて働くことである。
フクシマ事故の下で苦しみ続けている人たちの救済こそ、最優先の課題であり、少なくとも罪のない子どもたちを被曝から守らなければならない。
◆ オリンピックという大本営
それにもかかわらずこの国はオリンピックが大切だという。
内部に危機を抱えれば抱えるだけ、権力者は危機から目を逸らせようとする。
フクシマを忘れさせるため、マスコミは今後ますますオリンピック熱をあおり、オリンピックに反対する輩は非国民だと言われる時が来るだろう。先の戦争の時もそうであった。
マスコミは大本営発表のみを流し、ほとんどすべての国民が戦争に協力した。
自分が優秀な日本人だと思っていればいるだけ、戦争に反対する隣人を非国民と断罪して抹殺していった。
しかし、罪のない人を棄民したままオリンピックが大切だという国なら、私は喜んで非国民になろうと思う。
◆ 犯罪に加担するオリンピック
フクシマ事故は巨大な悲劇を抱えたまま今後百年の単位で続く。
膨大な被害者を横目で見ながらこの事故の加害者である東京電力、政府関係者、学者、マスコミ関係者など、誰一人として責任を取っていないし、処罰もされていない。
それをよいことに、彼らは今は止まっている原子力発電所を再稼働させ、海外にも輸出すると言っている。
原子力緊急事態宣言下の国で開かれる東京オリンピック。それに参加する国や人々は、もちろん一方では被曝の危険を負うが、一方では、この国の犯罪に加担する役割を果たすことになる。
(文責は編集部)
『週刊新社会』(2018年11月6日・13日)
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