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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

参院憲法調査会公聴会(1)

2005年02月22日 | 人権
9条改正に賛否両論

 参院憲法調査会は21日、中央公聴会を開き、公募した学者や県議らが憲法をテーマに意見陳述し、9条改正について賛否が割れた。
 永久寿夫PHP総合研究所本部長は「国際協調が求められる中、憲法解釈で自衛隊がいろんなことをやるのは限界がある」と改正の必要性を強調。東大大学院生の高見康裕氏は「集団的自衛権の行使も明記した方がいい」と述べた。これに対し日本民主法律家協会の沢藤統一郎事務局長らが「歯止めの9条は守らなければならない」などと反対意見を表明した。
 国会や内閣の在り方については、法大の五十嵐敬喜教授が「直接民主主義を前提に、大統領制もあらためて考えるべきだ」と主張。これに対し、小田春人岡山県議は「直接民主主義は混乱に拍車を掛ける場合もある。住民投票は極力抑制的な運用が望ましい」と述べた。
(共同通信) - 2月21日21時22分更新

参議院憲法調査会での公述原稿  
  澤藤統一郎弁護士の日記です。
  http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
2005年02月20日(日)

※私は、弁護士として30年余の職業生活を送ってまいりました。その実務の経験を通して、現行日本国憲法は擁護すべきであり、改憲には強く反対という見解をもっています。本日は、その立場から、意見を申し上げます。
 私は、現行憲法を、人類の叡智の結実と高く評価しています。
 もっとも、日本国憲法をこのうえない理想の憲法と考えているわけではありません。個人的に希望を述べれば際限はなく、細部にいくつかの不満を持ってはいます。国民一人ひとりが異なる国家観・社会観・人生観を持っている以上、国民の数だけ理想の憲法があり得ます。万人が完全に満足とはなり得ません。もともと、憲法というものは、国の骨格を定めるもので、肉付けは日々不断の努力を積み重ねていくことになります。私が、現行憲法に不満に思う諸点は、肉付けの問題として十分にカバーできる範囲のものと考えています。
 むしろ、憲法の細部にこだわり、枝や葉に対する不満を是正しようとすることが、根や幹の部分の改正論議を後押しすることになりはしまいかと、危惧せざるを得ません。
 現実的に考えれば、一国の実定憲法として、これだけの内容を持った憲法があることはまことにすばらしいことだと思います。この優れた憲法を軽々に変えてはならない、そう考えています。

※現行憲法を優れていると考える根拠は、何よりも遅れた現実を批判する道具として極めて有効だからです。
 憲法は規範ですから、常に現実とは距離があります。現実の先にあって現実を批判し、現実が進むべき方向を指し示すことがその役割です。そのような規範として現行憲法はまことに優れものだと考えます。
 かつて私は、ある地方銀行の女性行員に対する賃金差別裁判を担当したことがあります。この裁判で、銀行側は、「男性が主たる家計の維持者であることは現実であり、社会通念でもある。だから、家族手当や世帯手当は男性には支給するが女性には必ずしも支給の必要はない」と言い切りました。確かに、このような現実や社会通念があるのかも知れません。しかし、その遅れた現実を批判する、あるべき基準として憲法14条があります。一審・二審とも、女性行員が勝訴を得ました。そして、銀行の賃金規定も変わりました。まさしく、憲法が現実批判の道具として働き、現実をリードした分かり易い事例です。このとき、私は憲法の役割を明瞭に認識しました。

※当然のことですが、人権も、平和も、民主主義も、憲法に書き込んであるからと言って、既に実現されているものではありません。理念と現実とは別物。実は、国民一人ひとりが憲法に明記された理念の実現に努力していくこと、言い換えれば現実を理念に近づけることが要請されています。そのような国民の行動や運動がともなって、初めて憲法は意味のある存在となります。
 理念と現実との齟齬は至るところにあります。
 政教分離という確固たる憲法上の原則がありながら、首相や都知事による靖国神社への公式参拝は毎年反省なく続けられています。
 憲法19条には思想・良心の自由が明記されているにもかかわらず、教育現場では「日の丸・君が代」の強制がまかりとおっています。
 憲法には両性の平等が謳われていますが、職場で家庭で教育の場で平等は実現されていません。むしろ、ジェンダーフリーという思想が攻撃されている実態があります。
 政治的表現の自由はもっとも尊重されるべきであるにもかかわらず、イラク派兵反対のビラ入れが住居侵入ということで逮捕され、勾留され、起訴にまで至っています。マンションで政党のビラを撒いたことがまた同様に弾圧されています。
 憲法では検閲が禁止されているのに、公共放送の幹部が与党の議員に事前に番組の内容を報告し、その議員の意向に添う形で番組の改変が行われたという醜悪な事実も明らかとなりました。
 これらの本来あってはならない、遅れた現実を、批判する鋭利な道具として、憲法はさらに研ぎ澄まされることが必要だと思います。今必要なのは、憲法を改正することではなく、憲法をより良く使いこなし、憲法の掲げる理念を実現することなのだと思います。
 今、声高に憲法改正の必要を唱えている人の多くは、憲法によって批判されるべき側の人々ように思えます
(続)


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