【教育が危ない2009】
夢も希望も奪われて 命を落とす悲劇も
★ 新任教師 パワハラ、退職強要、長時間労働…
今春もまた、新任教師たちはそれぞれの学校に配属される。
しかし彼らを待ち受けるのは、パワハラや退職強要、長時間労働といった強権的な管理支配だ。精神疾患で命を落とす悲劇も繰り返されている。
松本貴史さん(仮名、三三歳)が、東京都の小学校教員になったのは二〇〇七年四月である。
松本さんは中学校と高校の教員免許を取得していたが、臨時教員時代に「九九」ができない中学生と出会い、衝撃を受けた。基礎学力の大切さを痛感し、小学校教員を目指して大学に再入学した。
教育者として、どんな教育現場にも役立つ技能を身につけたいとの強い思いもあった。
念願の教員採用試験に合格し、希望に満ちての就職だった。
だが、松本さんの教員生活はまさに地獄の日々だった。
★ 「お前なんか辞めちまえ」
松本さんは二年生の担任だった。経験のない新規採用(新採)教員にとって、管理職や先輩教員のサポートは必要不可欠だ。
ところが、赴任先の学校では管理職によるパワーハラスメント(パワハラ)やいじめが横行していた。教員たちは萎縮し、学校全体で児童の指導にあたる体制はまったく整っていなかった。
そうした環境のなかで、松本さんは長時間労働を強いられた。午前六時に出勤して、翌一時までの勤務が着任初日から連日続いたのだ。年間指導計画や学習指導週計画(週案)、学級通信をはじめ、提出書類は何度も書き直しを命じられた。そして、四月半ばには急性喘息を発症し、入院を余儀なくされた。発作による内臓圧迫で肋骨も骨折していた。
職場復帰したのは五月の連休明けだった。しかし、このころから松本さんに対するパワハラは激しくなった。「指導」という名の暴力や暴言、監禁、心身の拘束が日常化したのだ。副校長は松本さんの腰や背中を叩くなどの暴力を働いた。
指導教官は松本さんを用務倉庫に監禁し、二一時から翌七時まで「指導」した。その間、食事や水分補給はもちろん、トイレに行くことも許されなかった。そして、長時間にわたる指導教官の喫煙によって松本さんの喘息は悪化した。
校長は校長室に松本さんを呼びつけ、隣接する一年生の教室にも聞こえるような大声で「バカヤロー」と怒鳴った。その後も、ほかの教員や児童の前での叱責、詰問は頻繁に繰り返され、授業の妨害も続いた。
その一方で、初任者の校内研修は計画に沿って実施されることはなかった。宿泊研修も管理職の誤った指示が原因で、松本さんは研修会の討論にも参加できなかった。
二学期には退職強要がはじまった。校長は「教員に向いていない。適格性がない」となじり、副校長は「クビ(免職)になる前に自主退職しろ」と迫った。さらに「校内一のデブ。太りすぎだ」などの暴言を浴びせ、「お前なんか辞めちまえ」と罵倒した。そして児童や保護者から不満が出ていないにもかかわらず、業績評価は最低の「D」とされた。
ほかの教員とのコミュニケーションを禁じられた松本さんは精神的に不安定になり、うつ病を発症した。
現在、別の小学校に勤務している松本さんは「教員採用試験に合格するまで四回受験した。やっとの思いで教員になれたのに(パワハラで)死ぬ思いをするとは予想もしなかった。教員の自殺もこの数年続いている。『今度は自分の番か』と考えた。新採教員はもっとも弱い立場だ。逃げ場はなかった」と振り返る。
松本さんが体験したハラスメント被害は決して珍しいことではない。全日本教職員組合の青年部が昨年行なった「青年教職員に対するハラスメントについての調査」によると、「ハラスメントを受けたことがある」と回答したのは三七・四%に上った(表参照)。
ハラスメントを受けた相手は校長と教頭(副校長)で六四・九%に達し、都道府県別では東京都や大阪府などの大都市部での被害が顕著になっている。ハラスメントの内容では生徒や保護者の前での叱責や退職強要、差別発言のほかに、「キスを強要された」「体を触られた」などの女性教員に対するセクシュアル・バラスメントも多く報告された。
こうしたハラスメントの広がりと連動して、新採教員に対する管理支配も強まっている。
★ 新採教員を縛る支配構造
学校現場は現在、団塊の世代の大量退職期をむかえ、全国的に教員の採用は増えている。だが一方で、新採教員の退職者数は増加傾向にある。九七年度には四一人だった退職者は、一〇年後の〇七年度には三〇一人となった(次ページグラフ参照)。三〇一人のうち二九三人は依願退職だ。しかし、その実態は自主退職の「強要」。その背景のひとつに「初任者研修制度」の存在がある。
初任者研修制度は八九年に導入された。それによって、新採教員の「条件付採用期間」は従前の六カ月から一年に延びた。条件付採用は「正式採用」ではないため、業績評価が悪ければ自主退職を迫られ、応じなければ免職となる。評価を行なって具申するのは校長だ。つまり、新採教員はいつクビを切られるかわからない不安定な立場にあるのだ。
さらに、新採教員には校内研修六〇日間と校外研修三〇日間の実施が義務づけられている。担任を受け持つかたわら、研修レポートなどの提出に追われるため、多忙による心身の負担も重い。
おりしも、〇二年度から導入された「指導力不足教員認定制度」が、条件付採用期間制度の厳格な運用に拍車をかけた。校長の恣意的な評価によって退職に追い込まれるケースが広がったのだ。新採教員のなかから「指導力不足教員」を摘発することが、教育委員会や管理職のノルマになっているとの指摘もある。教育行政に忠実な教員づくりと、「目障りな新人」を排除するシステムとして機能しているのだ。
そんな支配構造のなかで、新採教員は職場の悩みを誰にも相談できずに、「孤独感」や「孤立感」に押しつぶされている。それが精神疾患を増加させる要因となっている。
小学校教員の岩本知美さん(仮名、二〇代)は新採だった一昨年、休職中の先輩教員の代わりに四年生の担任を命じられた。入学式の前日であったために引き継ぎもなかった。
このクラスは以前から学級崩壊状態であり、加えて発達障害の児童もいた。だが、管理職からの支援は何もなかった。そればかりか、校長は授業観察で「学級崩壊寸前だな」と突き放した。そして、保護者の前で「(岩本さんを担任にしたのは)誤った人事だった」と発言し、岩本さんの気持ちを逆なでした。
それでも二学期には、児童ともうまくかみ合うようになった。だが、校長は「お前は甘い。教員を続けるかどうか考えろ」「俺はすべて数字で判断する。お前のクラスは(保健室に行く回数が)ワーストだ」と面接のたびに退職を求めた。
また教職員組合の学習会に参加するために年休を取ろうとすると、「行く会が違うだろ。組合がどんな団体かわかっているのか」と責めた。岩本さんは次第に「正式採用されないのではないか」と不安になった。
岩本さんの体の異変は腹痛というかたちで表れた。やがて出勤できなくなり、「適応障害」と診断されて病休を余儀なくされた。
休職中の精神状態はさらに悪化した。「学校に行きたいのに行けない。教員を辞めたほうがいいのか。でも子どもは好き」と葛藤に苦しんだ。友人たちには「助けて」のメールを送り続けた。死に場所を探すように車で深夜の街をあてもなく走り回った。校長室での自殺も考えた。
三学期に入って、岩本さんは職場復帰の訓練を開始し、児童の登校前に出退勤する日々を過ごした。ある日、気分が悪くなって保健室で休んでいたときだ。突然、校長が入ってきた。その姿を見て、体の震えが止まらなくなり、思わず大声で泣き出してしまった。岩本さんは今でも心に深い傷を負ったままだ。
新採教員の孤立化と精神疾患は、教育現場に浸透した評価制度の弊害だ。たとえば、人事考課制度をはじめとして、学校選択制、学校評価制度、全国学力テストなど「競争」と「選別」の教育施策が次々に導入されている。学校のマイナス評価は校長の評価に直結するために、足を引っ張る新採教員は攻撃の対象になりやすい。つまり、新人といえどもベテランと同じレベルを、要求されるために、失敗を恐れて萎縮し精神的にも追い詰められているのだ。
新採教員を「育成」することなく、「足手まとい」と排除していくのは、教育現場における「反教育的行為」と言わざるを得ない。
(続)
『週刊金曜日』2009.4.10(746号)
※(後編-リンク)
http://wind.ap.teacup.com/people/3145.html
夢も希望も奪われて 命を落とす悲劇も
★ 新任教師 パワハラ、退職強要、長時間労働…
平舘英明(ジャーナリスト)
今春もまた、新任教師たちはそれぞれの学校に配属される。
しかし彼らを待ち受けるのは、パワハラや退職強要、長時間労働といった強権的な管理支配だ。精神疾患で命を落とす悲劇も繰り返されている。
松本貴史さん(仮名、三三歳)が、東京都の小学校教員になったのは二〇〇七年四月である。
松本さんは中学校と高校の教員免許を取得していたが、臨時教員時代に「九九」ができない中学生と出会い、衝撃を受けた。基礎学力の大切さを痛感し、小学校教員を目指して大学に再入学した。
教育者として、どんな教育現場にも役立つ技能を身につけたいとの強い思いもあった。
念願の教員採用試験に合格し、希望に満ちての就職だった。
だが、松本さんの教員生活はまさに地獄の日々だった。
★ 「お前なんか辞めちまえ」
松本さんは二年生の担任だった。経験のない新規採用(新採)教員にとって、管理職や先輩教員のサポートは必要不可欠だ。
ところが、赴任先の学校では管理職によるパワーハラスメント(パワハラ)やいじめが横行していた。教員たちは萎縮し、学校全体で児童の指導にあたる体制はまったく整っていなかった。
そうした環境のなかで、松本さんは長時間労働を強いられた。午前六時に出勤して、翌一時までの勤務が着任初日から連日続いたのだ。年間指導計画や学習指導週計画(週案)、学級通信をはじめ、提出書類は何度も書き直しを命じられた。そして、四月半ばには急性喘息を発症し、入院を余儀なくされた。発作による内臓圧迫で肋骨も骨折していた。
職場復帰したのは五月の連休明けだった。しかし、このころから松本さんに対するパワハラは激しくなった。「指導」という名の暴力や暴言、監禁、心身の拘束が日常化したのだ。副校長は松本さんの腰や背中を叩くなどの暴力を働いた。
指導教官は松本さんを用務倉庫に監禁し、二一時から翌七時まで「指導」した。その間、食事や水分補給はもちろん、トイレに行くことも許されなかった。そして、長時間にわたる指導教官の喫煙によって松本さんの喘息は悪化した。
校長は校長室に松本さんを呼びつけ、隣接する一年生の教室にも聞こえるような大声で「バカヤロー」と怒鳴った。その後も、ほかの教員や児童の前での叱責、詰問は頻繁に繰り返され、授業の妨害も続いた。
その一方で、初任者の校内研修は計画に沿って実施されることはなかった。宿泊研修も管理職の誤った指示が原因で、松本さんは研修会の討論にも参加できなかった。
二学期には退職強要がはじまった。校長は「教員に向いていない。適格性がない」となじり、副校長は「クビ(免職)になる前に自主退職しろ」と迫った。さらに「校内一のデブ。太りすぎだ」などの暴言を浴びせ、「お前なんか辞めちまえ」と罵倒した。そして児童や保護者から不満が出ていないにもかかわらず、業績評価は最低の「D」とされた。
ほかの教員とのコミュニケーションを禁じられた松本さんは精神的に不安定になり、うつ病を発症した。
現在、別の小学校に勤務している松本さんは「教員採用試験に合格するまで四回受験した。やっとの思いで教員になれたのに(パワハラで)死ぬ思いをするとは予想もしなかった。教員の自殺もこの数年続いている。『今度は自分の番か』と考えた。新採教員はもっとも弱い立場だ。逃げ場はなかった」と振り返る。
松本さんが体験したハラスメント被害は決して珍しいことではない。全日本教職員組合の青年部が昨年行なった「青年教職員に対するハラスメントについての調査」によると、「ハラスメントを受けたことがある」と回答したのは三七・四%に上った(表参照)。
ハラスメントを受けた相手は校長と教頭(副校長)で六四・九%に達し、都道府県別では東京都や大阪府などの大都市部での被害が顕著になっている。ハラスメントの内容では生徒や保護者の前での叱責や退職強要、差別発言のほかに、「キスを強要された」「体を触られた」などの女性教員に対するセクシュアル・バラスメントも多く報告された。
こうしたハラスメントの広がりと連動して、新採教員に対する管理支配も強まっている。
★ 新採教員を縛る支配構造
学校現場は現在、団塊の世代の大量退職期をむかえ、全国的に教員の採用は増えている。だが一方で、新採教員の退職者数は増加傾向にある。九七年度には四一人だった退職者は、一〇年後の〇七年度には三〇一人となった(次ページグラフ参照)。三〇一人のうち二九三人は依願退職だ。しかし、その実態は自主退職の「強要」。その背景のひとつに「初任者研修制度」の存在がある。
初任者研修制度は八九年に導入された。それによって、新採教員の「条件付採用期間」は従前の六カ月から一年に延びた。条件付採用は「正式採用」ではないため、業績評価が悪ければ自主退職を迫られ、応じなければ免職となる。評価を行なって具申するのは校長だ。つまり、新採教員はいつクビを切られるかわからない不安定な立場にあるのだ。
さらに、新採教員には校内研修六〇日間と校外研修三〇日間の実施が義務づけられている。担任を受け持つかたわら、研修レポートなどの提出に追われるため、多忙による心身の負担も重い。
おりしも、〇二年度から導入された「指導力不足教員認定制度」が、条件付採用期間制度の厳格な運用に拍車をかけた。校長の恣意的な評価によって退職に追い込まれるケースが広がったのだ。新採教員のなかから「指導力不足教員」を摘発することが、教育委員会や管理職のノルマになっているとの指摘もある。教育行政に忠実な教員づくりと、「目障りな新人」を排除するシステムとして機能しているのだ。
そんな支配構造のなかで、新採教員は職場の悩みを誰にも相談できずに、「孤独感」や「孤立感」に押しつぶされている。それが精神疾患を増加させる要因となっている。
小学校教員の岩本知美さん(仮名、二〇代)は新採だった一昨年、休職中の先輩教員の代わりに四年生の担任を命じられた。入学式の前日であったために引き継ぎもなかった。
このクラスは以前から学級崩壊状態であり、加えて発達障害の児童もいた。だが、管理職からの支援は何もなかった。そればかりか、校長は授業観察で「学級崩壊寸前だな」と突き放した。そして、保護者の前で「(岩本さんを担任にしたのは)誤った人事だった」と発言し、岩本さんの気持ちを逆なでした。
それでも二学期には、児童ともうまくかみ合うようになった。だが、校長は「お前は甘い。教員を続けるかどうか考えろ」「俺はすべて数字で判断する。お前のクラスは(保健室に行く回数が)ワーストだ」と面接のたびに退職を求めた。
また教職員組合の学習会に参加するために年休を取ろうとすると、「行く会が違うだろ。組合がどんな団体かわかっているのか」と責めた。岩本さんは次第に「正式採用されないのではないか」と不安になった。
岩本さんの体の異変は腹痛というかたちで表れた。やがて出勤できなくなり、「適応障害」と診断されて病休を余儀なくされた。
休職中の精神状態はさらに悪化した。「学校に行きたいのに行けない。教員を辞めたほうがいいのか。でも子どもは好き」と葛藤に苦しんだ。友人たちには「助けて」のメールを送り続けた。死に場所を探すように車で深夜の街をあてもなく走り回った。校長室での自殺も考えた。
三学期に入って、岩本さんは職場復帰の訓練を開始し、児童の登校前に出退勤する日々を過ごした。ある日、気分が悪くなって保健室で休んでいたときだ。突然、校長が入ってきた。その姿を見て、体の震えが止まらなくなり、思わず大声で泣き出してしまった。岩本さんは今でも心に深い傷を負ったままだ。
新採教員の孤立化と精神疾患は、教育現場に浸透した評価制度の弊害だ。たとえば、人事考課制度をはじめとして、学校選択制、学校評価制度、全国学力テストなど「競争」と「選別」の教育施策が次々に導入されている。学校のマイナス評価は校長の評価に直結するために、足を引っ張る新採教員は攻撃の対象になりやすい。つまり、新人といえどもベテランと同じレベルを、要求されるために、失敗を恐れて萎縮し精神的にも追い詰められているのだ。
新採教員を「育成」することなく、「足手まとい」と排除していくのは、教育現場における「反教育的行為」と言わざるを得ない。
(続)
『週刊金曜日』2009.4.10(746号)
※(後編-リンク)
http://wind.ap.teacup.com/people/3145.html
管理職も言いなりになっています。
辛いです。
どうやって自分を立ち直らせていったらいいか分からなくて辛いです。
組合に相談してはいかがですか。
2006年に新任教員が自殺した新宿区では、新宿区教職員組合が、新人の負担軽減に取り組んでいて、1・2年目の初任研レポートを簡素化したり、単学級校に配置された時は加配をするなどの措置を獲得していると聞きます。
私の職場の新採2人は2年目になりますが、みんなに支えられて、忙しいながら何とか元気にやっています。
組合の連絡先は、職場の組合員に聞くか、職場に組合員がいないならHPなどでも知ることが出来ると思います。
そして,何の前触れもなく,いきなりガバッと襲いかかってやればいいんだよ。
その病気でこのまま続けられるのか
あなたが病気で学校の中で命を落とすことになったらみんなが迷惑し、地域からの学校の信頼も落ちる
休みの日の行事になぜ参加しないのか
パワハラですか?