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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

教育史への無知・無教養を露呈した都教委と都議会

2018年11月14日 | 暴走する都教委
 ◆ 「戦前の学校が民主的」と記述した都教委報告書
   訂正求める陳情、都議会本会議で不採択
(紙の爆弾)
取材・文 . 永野厚男


9月18日、都庁記者クラブで会見する高嶋氏(右)と増田氏。撮影は筆者

 東京都教育委員会作成・発行の『東京都におけるチームとしての学校の在り方検討委員会報告書』(以下、『報告書』)五頁は、「我が国の学校は、明治期の学制発布以来の民主的かつ平等の名の下に、同じ学校の教職員は、管理職も一般教員も、・・・対等な立場で学校運営に携わるべきだという・・・いわゆる『学校文化』が根付いていた」と明記している。
 高嶋伸欣(のぶよし)琉球大学名誉教授ら市民四三人は、この傍線部の事実誤認の記述を、「我が国の学校は、1947(昭和22)年教育基本法制定以来の民主的かつ平等の名の下に」と、都教委に訂正させるよう求める陳情を六月、都議会に提出した。
 だが都議会本会議は十月五日、一切の審議なく、都民ファーストの会、公明党、自民党、都議会立憲民主党・民主クラブ(立憲民主・国民民主両党で構成)、かがやけTokyo、日本維新の会の反対多数(共産党と生活者ネットワークの賛成少数)により、不採択にした。
 都教委ホームページに未だに載っている『報告書』の史実に反する記述を、真っ当な記述に是正させるという目標は達成できなかったが、都教委の恥部を公に晒す成果を挙げた市民四三人の取組みを取材した。
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2017/02/23/documents/11_02_01.pdf
 ◆ 〝チーム学校〟は上意下達の学校組織作り

 〝チーム学校〟とは、自民党の憲法改〝正〟推進本部長である下村博文氏が文部科学大臣だった時、中央教育審議会に諮問し、中教審が作業部会(主査=小川正人東大名誉教授)で審議し、二〇一五年十二月二十一日に答申したもの。
 ①スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーといった外部の専門人材を学校に入れると称しつつ、
 ②主幹教諭(管理職ではないとはいえ、給料表は教諭より高額であり、職務命令も出せる〝監督層〟と位置付ける)を増員・拡充し、
 都教委のような「校長→副校長→主幹教諭→主任教諭→教諭」という上意下達の学校組織作りを一層、全国に徹底させる内容だ。
 都教委も〝チーム学校〟検討委員会(委員長=小川氏)を設け、概ね事務局(総務部教育政策課)原案通り『報告書』を作成し、一七年二月二十三日の教委定例会に提出、教育委員らの了承を得た。その『報告書』も文科省同様、トップダウンでのマネジメント強化を謀む内容である事実は、本誌一七年六月号で詳述したとおりだ。
 一八七二(明治五)年に出された学制(学事奨励に関する被仰出書(おおせいだされしょ))のどこにも、『報告書』の言う「民主的かつ平等」なるものは見出せない。
 一八七九年九月から一八八五年までの三次にわたる、いわゆる教育令も、明治天皇の「教学聖旨」による〝仁義忠孝〟を強調。「民主的かつ平等」な〝学校文化〟となるようなことは、およそあり得ず、一八九〇年の教育勅語制定によって、日本の学校では同文言のような〝文化〟が生じることは、絶対にあり得なかった
 市民四三人は、こう歴史の事実を明記したうえ、冒頭の訂正を求めるほぼ同趣旨の請願を一七年十二月二十八日、都教委宛に提出していた。
 日本国憲法第十六条は「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と規定し、請願法第五条は請願を「受理し誠実に処理しなければならない」と官公署に義務付けている。
 都教委事務局は請願を教委定例会に提出し、教育委員に審議させる義務があるといえる。
 だが都教委は三月三十日、市民四三人の代表である高嶋氏と大口昭彦弁護士らに対し、教育政策課の光永功嗣(こうじ)企画担当課長名で、前記②に触れず①のみ強調したうえ、「明治期以来、学校現場には、教員がお互いを専門職として尊重し合う組織風土が根付いていたことを表したものと認識しております」という、わずか五行の回答を郵送し〝却下〟した。このため、冒頭の都議会宛陳情に至った。
 ◆  文教委員会で都教委は修正を拒否

 陳情を実際に審議した九月十八日の都議会文教委員会では、共産党の米倉春奈議員
「複数の専門家に聞くと、学制発布から終戦までの間、学校運営に関わり教育行政の側から、民主的や平等という言葉が肯定的に使われたことはない、ということだ。
 『一旦緩急あれば義勇公に奉じ=戦争になったら、天皇のために命を捧げろ』と命令する教育勅語が子どもたちに押し付けられ、天皇制や戦争への絶対的な服従が求められた。算数をどう教えるかの議論はできても、国家の決めた内容は絶対的な正義で、疑ったり、専門性に基づいてどう考えるかは許されず、教育課程を編成する自由もなかった」と述べ、「明治期に『学校運営が民主的かつ平等であるべきだ」と記述した法律や公的文書はあるのか」
 と追及。
 古川浩二教育政策担当部長は「そういう法律や文書の存在は承知していない」と認めつつも、前記・光永氏の回答を繰り返したうえ、「都教委としては報告書の趣旨を踏まえ、チーム学校の実現に向けた体制整備や、学校の働き方改革を進めてきている」と答弁。
 これに対しては「古川氏の言う体制整備・改革は、教職員組織の一層の上意下達徹底だ」とつぶやく傍聴者もいた。
 この流れを受け米倉議員は、都教委に対し「報告書で年号等の誤りは修正すると聞いている。都民の指摘を受けているのに、不正確な記述を続ければ、都教委が明治期以来、学校現場は民主的で平等だったと認識していると都民は受け取ったり、誤解してしまう人もいらっしゃるかもしれない。修正は今からでもすべきだ」と警鐘を鳴らした。
 次に米倉議員が、「一七年十二月提出の請願を、都教委が教育委員の会議(定例会)に報告さえしなかった理由」を問うと、古川氏は「当該報告書は定例会で議決したのではない報告事項だったので、定例会の審議内容の充実と効率化、都民サービスの迅速化の観点から、(〇二年に)改定した都教委の請願取扱要綱と事案決定規程等により主管課で適正に処理した」と述べ、教育委員に一切見せず、役人の判断だけで”却下”した事実が明らかになった。
 このため米倉議員は「都教委宛の請願は一六年十一件、一七年九件だが、定例会に報告があったのは一件ずつしかない。都民の声はほとんど都教委に届いていない。請願取扱要綱は見直すべきだ」と指摘した。
 定例会はお盆等を除き原則月二回(年約二〇回)の開催なので、一六年・一七年とも請願全てを報告・審議しても、”効率化・迅速化”に全く反しないのは明白だ。
 米倉議員が続けて、「都教委は(前記小川氏ら)検討委員会・委員に請願提出を報告し、どう回答するか相談したか」と質すと、古川氏は「委員には請願が出たことを報告し、回答に当たっても相談した」と述べたが、その内容は明らかにしなかった。
 米倉議員は最後に、「委員がこのままでいいと判断したとしても、都民は都教委が明治期以来、戦前も含め学校が民主的で平等だったという認識なんだと受けとめる」と、重ねて修正を求めたが、古川氏は前掲答弁を繰り返すだけだった。
 そして採決では、都民ファースト・公明・自民の三党の反対で不採択となった(共産党のみ賛成。生活者ネットワークや立憲民主党・民主クラブ等は、文教委に委員を出していない)。
 ◆ 現在の教員締め付けと実は整合

 文教委終了後、高嶋氏都庁記者クラブの会見で、「請願権を保障した憲法に照らし、非常に問題だ」と述べた後、「『報告書』の問題箇所は、都教委が戦前・戦中の”教育勅語体制”下と同様の教員管理体制を構築しつつあることを踏まえ、自ら発行する公的文書に巧妙に織り込んだものでもある」として、以下のように語った。
 戦前・戦中の教育を受けた人たちの体験談などによると、戦前の学校では、近代兵器への順応力の必要性から、算数や理科はほぼ正確に真実を教えていたので、「雲は水蒸気」と学んだ児童が「天皇のご先祖が高天原(たかまがはら)から日向国(ひゅうがのくに)の高千穂の峰に、水蒸気でできた雲に乗って、降りて来られるのですか?」と、”天孫降臨”神話を疑問視し、質問することがあった。
 これに教員は答えられず、「そのような質問をするお前は不心得者だ」と叱り、他の児童の前で激しく殴打するなどし、かわしたという。
 日本の国体(天皇制)については、疑問を抱いてはならないし、抱いても口にしてはいけないと、体罰・恐怖で児童らに教え込んでいた。
 また、こういう質問が出る授業をしないよう、教員は普段から児童を抑え込んでおけと管理されていた。
 都教委が「戦前の教員は専門職」と言う内実はこうしたものなのだから、現在の都教委による現場教員に対する様々な締め付けと実は整合しているという大問題に、都教委の回答や答弁は気付かせてくれている、と言える。
 また、文教委と本会議の両方を傍聴した増田都子・元千代田区立中学校教諭は、「票にならない案件だと、本会議の賛否は委員会採決通りとする立憲民主党・民主クラブ」を含む”多数派”を厳しく批判した。
 そして公の記録(都議会会議録)に、「都教委の誤りを指摘する人たちがいた。都教委と”多数派”都議の愚か者らは誤りのままでいいと判断した」という事実を残すという目的は達成できた、と語った。
 なお増田氏は、立憲民主党・民主クラブの中村洋議員が都教委に今後、「戦前の学校が民主的」などという表現を用いないと口頭で約束させた、という話も明らかにした。
 ※永野厚男(ながのあつお)
 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2018年12月号)

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