【教育が危ない2009】
夢も希望も奪われて 命を落とす悲劇も(続)
★ 新任教師 パワハラ、退職強要、長時間労働…
■ 免職事由をでっちあげ
京都地裁は昨年二月、京都市教育委員会が行なった新採教員への分限免職処分に対し、「裁量権の行使を誤った違法」として処分の取り消しを命じる判決(中村隆次裁判長)を下した(注)。これは不当な退職強要や分限免職に歯止めをかける画期的な判決といえる。
提訴していたのは高橋智和さん(三五歳)だ。高橋さんは〇四年四月、京都市の小学校教員として採用された。五年生の担任となったが、このクラスは低学年のときに学級崩壊を起こしていた。授業妨害やいじめがあり、難しい学級運営が求められた。高橋さんは管理職の指導助言を受け、それに対する報告・連絡・相談を欠かさずに行なった。
だが、高橋さんに対する指導助言は、校長や教頭、学年主任、教務主任によって内容がバラバラで、学校全体で取り組む体制にはなっていなかった。やがて、クラスの混乱が収まらなくなると、校長は高橋さんを児童の前で叱り飛ばすようになった。叱責が繰り返されるたびに、児童の信頼も失った。それでも、高橋さんは児童のことを最優先に考え、指導の改善とスキルアップに努力して誠実に職務を遂行した。
〇五年二月、高橋さんは市教委から突然呼び出しを受けた。そこで、「四月からの正式採用はしない。経歴に傷をつけたくないので、自主退職してほしい」と告げられた。同席した校長からも退職勧奨された。高橋さんは教員を続けたい意志を伝えたが、聞き入れられなかった。さらに、市教委は「『分限免職処分にも不服ありません』との念書を書け」と迫った。納得のいかない高橋さんが拒否すると、「裁判を起こしてかき回すつもりか。こっちが(裁判に)勝つ」と言い放った。そして〇五年三月、高橋さんを分限免職にした。高橋さんが提訴したのは、そのニカ月後だ。
この裁判の過程で明らかになったのは、市教委が提示した免職事由のでたらめさだった。市教委は、免職事由として三五項目にわたる具体的な内容を述べた。そして、高橋さんがいかに不適格教員であったかをあげつらった。
ところが、判決では三五項目中一〇項目について「その事実を認めるに足りない」とした。でっちあげた内容には「運動会後の飲酒による欠勤及び欠勤中の連絡不足があった」「学級状態が悪く授業公開ができなかった」「打ち合わせに反した授業参観をした」などがあった。また、そのほか一二項目については「事実は認められるとしても教員としての評価に影響しない」とした。
そして、「(高橋さんが)教員として、その職務内容を遂行できなかったとまでいうことができず、(管理職の評価は)具体的事実が明らかでなく、あるいは、客観的資料による裏付けを欠く管理職らの評価は採用できない」と免職処分の不当性を認めた。
恣意的な判断や評価は、新採教員の人生そのものを破壊する。高橋さんは、「勝訴してうれしいというより、第三者の視点から正しい判断をしてもらいホッとした」と話す。現在、学童保育で働いている高橋さんの希望は、もちろん教員としての職場復帰である。
■ 不当な「公務外」認定
〇六年、東京都新宿区と西東京市で新採教員が相次いで自殺した。その前年には埼玉県越谷市で、〇四年には東京都江戸川区で同様の悲劇が起きていた(本誌〇五年四月二九日号参照)。この悲劇の連鎖を断ち切る手だてはあるのだろうか。
東京都新宿区の小学校教員、竹内麻子さん(仮名、当時、二三歳)が、自ら命を絶ったのは〇六年六月である。わずかニカ月の教員生活だった。
麻子さんの両親は〇六年一〇月、地方公務員災害補償基金東京都支部(基金支部・支部長石原慎太郎)に対し、公務災害認定の申請を行なった。娘の死が公務上との確信があったからだ。ところが、基金支部は昨年九月、麻子さんの自殺を「公務外」と認定した。
麻子さんが赴任した小学校は、各学年に一クラスしかない単級学校だった。麻子さんは一年生を担任するかたわら、学習指導部や生活指導部、給食事務部、クラブ活動などの校内の職務に就いた。そのほかにも初任者研修などもあり、赴任当初から長時問労働が常態化した。連日の超過勤務に加え、帰宅後も文書の作成などをこなした。一ヵ月間の時間外労働は一〇〇時間を超えた。
一方で、新採教員に対する支援体制は脆弱だった。麻子さんの学校では一〇人の常勤教員のうち、半数が異動となっていた。したがって、ほとんどの教員が地域や家庭状況を把握できないまま職務に忙殺された。麻子さんも引き継ぎはなく、「相談する人がいない」と友人に話した。
麻子さんの精神的負担をさらに重くしたのは、教育指導に対する保護者からの批判だった。四月当初から連絡帳に繰り返し記された批判は、五月下旬には「保護者を見下しているのではないか」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」とエスカレートした。
麻子さんは家族の前で涙するほど追い詰められていたが、管理職や指導教官はこうした事実を把握してこなかった。その後はほかの保護者からの意見も相次ぎ、友人に「自分がふがいない」ともらした。精神科を受診し、「抑うつ状態」と診断されて休暇を取った。だが麻子さんは二日後の五月三一日に自殺を図り、翌日病院で死亡。遺書には「無責任な私をお許しください。すべて私の無能さが原因です」と綴られていた。
公務災害の申請では、「過重労働、公務上のストレス、学校内のサポート不足等が原因でうつ病に罹患した」として公務起因性を主張した。だが、基金支部は「サポート体制が不十分であったとは認められない」「長時間の時間外労働を行なっていたとは認められない」「(保護者のクレームも)過重な精神的・肉体的負担を受けたとは認められない」とし、「公務外」認定をした。
納得のいかない遺族は認定資料の開示を求めた。すると、支部では公務の過重性を認める判断をしていたにもかかわらず、基金本部の調査で「(麻子さんの)個体的要因が(自殺の)有力な原因」として支部の判断を覆していたことがわかった。脳・心臓疾患や、精神疾患・自殺の公務災害の認定には、本部との協議が必要だ。したがって、本部の意向に沿う結果となったのだ。
一方、遺族は「支部の意見具申に反した結論を下した本部と、それを追認した支部に強い憤りを感じる」と失望感をあらわにした。また、開示された意見具申には、父親の博さん(仮名)が精神科医師にふともらした「(娘は)もともと弱い性格があり……」との文言が入り、麻子さん個人の脆弱性が指摘されていた。娘を失い自責の念から発した言葉を逆手に取り、個体的要因に綾小化する判断に、博さんは「悪意を感じた」と話す。遺族は現在、基金支部審査会に不服申し立てを行なっている。
麻子さんの「公務外」認定は、新採教員が置かれている過酷な勤務実態への認識を著しく欠いている。「公務上」と認定することで被災者の名誉を回復し、再発防止策と職場改善に取り組まなければ犠牲者はさらに増えるだろう。
強権的管理や過重労働によって、新採教員の可能性の芽を摘むような学校現場で、児童・生徒が健全に育成されるはずがない。
(注)市教委は控訴し、現在大阪高裁で争われている。
『週刊金曜日』2009.4.10(746号)
※(前編-リンク)
http://wind.ap.teacup.com/people/3143.html
夢も希望も奪われて 命を落とす悲劇も(続)
★ 新任教師 パワハラ、退職強要、長時間労働…
■ 免職事由をでっちあげ
京都地裁は昨年二月、京都市教育委員会が行なった新採教員への分限免職処分に対し、「裁量権の行使を誤った違法」として処分の取り消しを命じる判決(中村隆次裁判長)を下した(注)。これは不当な退職強要や分限免職に歯止めをかける画期的な判決といえる。
提訴していたのは高橋智和さん(三五歳)だ。高橋さんは〇四年四月、京都市の小学校教員として採用された。五年生の担任となったが、このクラスは低学年のときに学級崩壊を起こしていた。授業妨害やいじめがあり、難しい学級運営が求められた。高橋さんは管理職の指導助言を受け、それに対する報告・連絡・相談を欠かさずに行なった。
だが、高橋さんに対する指導助言は、校長や教頭、学年主任、教務主任によって内容がバラバラで、学校全体で取り組む体制にはなっていなかった。やがて、クラスの混乱が収まらなくなると、校長は高橋さんを児童の前で叱り飛ばすようになった。叱責が繰り返されるたびに、児童の信頼も失った。それでも、高橋さんは児童のことを最優先に考え、指導の改善とスキルアップに努力して誠実に職務を遂行した。
〇五年二月、高橋さんは市教委から突然呼び出しを受けた。そこで、「四月からの正式採用はしない。経歴に傷をつけたくないので、自主退職してほしい」と告げられた。同席した校長からも退職勧奨された。高橋さんは教員を続けたい意志を伝えたが、聞き入れられなかった。さらに、市教委は「『分限免職処分にも不服ありません』との念書を書け」と迫った。納得のいかない高橋さんが拒否すると、「裁判を起こしてかき回すつもりか。こっちが(裁判に)勝つ」と言い放った。そして〇五年三月、高橋さんを分限免職にした。高橋さんが提訴したのは、そのニカ月後だ。
この裁判の過程で明らかになったのは、市教委が提示した免職事由のでたらめさだった。市教委は、免職事由として三五項目にわたる具体的な内容を述べた。そして、高橋さんがいかに不適格教員であったかをあげつらった。
ところが、判決では三五項目中一〇項目について「その事実を認めるに足りない」とした。でっちあげた内容には「運動会後の飲酒による欠勤及び欠勤中の連絡不足があった」「学級状態が悪く授業公開ができなかった」「打ち合わせに反した授業参観をした」などがあった。また、そのほか一二項目については「事実は認められるとしても教員としての評価に影響しない」とした。
そして、「(高橋さんが)教員として、その職務内容を遂行できなかったとまでいうことができず、(管理職の評価は)具体的事実が明らかでなく、あるいは、客観的資料による裏付けを欠く管理職らの評価は採用できない」と免職処分の不当性を認めた。
恣意的な判断や評価は、新採教員の人生そのものを破壊する。高橋さんは、「勝訴してうれしいというより、第三者の視点から正しい判断をしてもらいホッとした」と話す。現在、学童保育で働いている高橋さんの希望は、もちろん教員としての職場復帰である。
■ 不当な「公務外」認定
〇六年、東京都新宿区と西東京市で新採教員が相次いで自殺した。その前年には埼玉県越谷市で、〇四年には東京都江戸川区で同様の悲劇が起きていた(本誌〇五年四月二九日号参照)。この悲劇の連鎖を断ち切る手だてはあるのだろうか。
東京都新宿区の小学校教員、竹内麻子さん(仮名、当時、二三歳)が、自ら命を絶ったのは〇六年六月である。わずかニカ月の教員生活だった。
麻子さんの両親は〇六年一〇月、地方公務員災害補償基金東京都支部(基金支部・支部長石原慎太郎)に対し、公務災害認定の申請を行なった。娘の死が公務上との確信があったからだ。ところが、基金支部は昨年九月、麻子さんの自殺を「公務外」と認定した。
麻子さんが赴任した小学校は、各学年に一クラスしかない単級学校だった。麻子さんは一年生を担任するかたわら、学習指導部や生活指導部、給食事務部、クラブ活動などの校内の職務に就いた。そのほかにも初任者研修などもあり、赴任当初から長時問労働が常態化した。連日の超過勤務に加え、帰宅後も文書の作成などをこなした。一ヵ月間の時間外労働は一〇〇時間を超えた。
一方で、新採教員に対する支援体制は脆弱だった。麻子さんの学校では一〇人の常勤教員のうち、半数が異動となっていた。したがって、ほとんどの教員が地域や家庭状況を把握できないまま職務に忙殺された。麻子さんも引き継ぎはなく、「相談する人がいない」と友人に話した。
麻子さんの精神的負担をさらに重くしたのは、教育指導に対する保護者からの批判だった。四月当初から連絡帳に繰り返し記された批判は、五月下旬には「保護者を見下しているのではないか」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」とエスカレートした。
麻子さんは家族の前で涙するほど追い詰められていたが、管理職や指導教官はこうした事実を把握してこなかった。その後はほかの保護者からの意見も相次ぎ、友人に「自分がふがいない」ともらした。精神科を受診し、「抑うつ状態」と診断されて休暇を取った。だが麻子さんは二日後の五月三一日に自殺を図り、翌日病院で死亡。遺書には「無責任な私をお許しください。すべて私の無能さが原因です」と綴られていた。
公務災害の申請では、「過重労働、公務上のストレス、学校内のサポート不足等が原因でうつ病に罹患した」として公務起因性を主張した。だが、基金支部は「サポート体制が不十分であったとは認められない」「長時間の時間外労働を行なっていたとは認められない」「(保護者のクレームも)過重な精神的・肉体的負担を受けたとは認められない」とし、「公務外」認定をした。
納得のいかない遺族は認定資料の開示を求めた。すると、支部では公務の過重性を認める判断をしていたにもかかわらず、基金本部の調査で「(麻子さんの)個体的要因が(自殺の)有力な原因」として支部の判断を覆していたことがわかった。脳・心臓疾患や、精神疾患・自殺の公務災害の認定には、本部との協議が必要だ。したがって、本部の意向に沿う結果となったのだ。
一方、遺族は「支部の意見具申に反した結論を下した本部と、それを追認した支部に強い憤りを感じる」と失望感をあらわにした。また、開示された意見具申には、父親の博さん(仮名)が精神科医師にふともらした「(娘は)もともと弱い性格があり……」との文言が入り、麻子さん個人の脆弱性が指摘されていた。娘を失い自責の念から発した言葉を逆手に取り、個体的要因に綾小化する判断に、博さんは「悪意を感じた」と話す。遺族は現在、基金支部審査会に不服申し立てを行なっている。
麻子さんの「公務外」認定は、新採教員が置かれている過酷な勤務実態への認識を著しく欠いている。「公務上」と認定することで被災者の名誉を回復し、再発防止策と職場改善に取り組まなければ犠牲者はさらに増えるだろう。
強権的管理や過重労働によって、新採教員の可能性の芽を摘むような学校現場で、児童・生徒が健全に育成されるはずがない。
(注)市教委は控訴し、現在大阪高裁で争われている。
『週刊金曜日』2009.4.10(746号)
※(前編-リンク)
http://wind.ap.teacup.com/people/3143.html
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