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沖縄にとっての「維新百五十年」は、犠牲の強要による受難の時間でしかなかった

2018年03月05日 | 平和憲法
  沖縄から 《視点(東京新聞)》
 ◆ 明治維新受難の始まり
比屋根照夫氏(ひやね・てるお=琉球大名誉教授)

 国家の行事は、およそ時の政府の権力基盤の安定を目指して行われる。
 日本政府は今年の「明治維新から百五十年」を、日本の近代化を進化させた時代として高々とうたい上げ、地方と運携してさまざまな礼賛の行事を行っている。
 しかし、琉球・沖縄にとっての「維新百五十年」は、全く異なる深刻な意味を持つ。それは、犠牲の強要による受難の時間でしかなかった、ということだ。
 一九七二年の復帰から四十六年。今も在日米軍専用施設の七割が集中している沖縄は、陸も空も海も日米両政府によって暴力的状況にさらされている
 陸では、米軍関係者による女性暴行・殺害事件や飲酒運転死亡事故が起き、空からは人の命をも奪いかねない米軍機の部品が落ちてくる。米軍機自体の墜落や不時着も相次ぐ。
 名護市辺野古の海では、新たな米軍基地建設のための埋め立てが強権的に推し進められている。辺野古の海には古来、住民たちの命の糧を育んできた豊かな自然がある。それを守るため工事に反対する人々を、警察は物理的な暴力で平然と排除している。
 日本政府による沖縄の生命、自然、文化をないがしろにする行為は、歴史をさかのぼれば、沖縄が長年にわたる独自の歩みで築いた琉球王国を、強力な国権拡張主義の下で解体、併合した「琉球処分」を出発点とする。
 那覇出身の民俗学者、言語学者で「沖縄学の父」とされる伊披普猷(いはふゆう)は明治末期、琉球処分は「土着の沖縄人を軽侮すること其の極に達し」、沖縄人の本土に対する「新たな敵愾心(てきがいしん)」を起こさせたと弾劾。
 今こそ、日本への同化の強制という「旧物破壊、模倣の単純な社会」を脱して沖縄人としての自覚を目覚めさせ「旧物保存、模倣排斥」、すなわち自らの歴史と文化を重んじて日本同化から解放されるべきだと説いた。
 普猷と、普猷の実弟で文筆家の伊波月城(げつじょう本名普成ふせい)らを筆頭とする明治の沖縄知識人は、自立・自存を追求し、明治政府に切実な抵抗を試みたのだ。
 彼らの国家主義、帝国主義に対する痛烈な批判と抗議は、西欧列強のアジア侵略に対しても繰り広げられた。
 フィリピンの独立運動、インドの反英闘争、中国の辛亥革命などに共鳴してのものだ。沖縄の明治維新は、こうしてアジアとの運帯を強めたことも大きな特徴だった。
 沖縄戦後の米軍統治下、抑圧の行政に抗する住民運動が高まったのは、このような歴史的背景があったからこそである。
 日本本土が謳歌(オウカ)した維新による「文明開化」は、沖縄にとってはまさに「苦い果実」以外の何物でもなかった。いま、問われているのはそのことだ。
『東京新聞』(2018年3月2日)

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