《月刊救援から》
☆ 爆竹 for the future
7.19不当判決と救援会の3年間
武蔵野五輪弾圧裁判・控訴審は、公安事件の控訴審では珍しく一発結審とならなかった。刑事二部・大善文男裁判長は、こちらが出した学者意見書を全部証拠採用し、黒岩さんへの被告人質問まで認めた。
とまれ、蓋を開けてみれば、七月一九日の高裁判決は想像を遥かに上回るひどいものだった。ただ「ひどい」だけではなく、話が異様に長いのだ。
一時間に及んだ判決読み上げでは、弁護団の主張を丁寧に整理し、それを一つ一つ「根拠がない」「独自の見解」と切り捨てていく。極端につまらない大学の講義を思い出すような、苦痛に満ちた時間だった。
自分は最後までメモを取るのが任務だった。だが、こんなことなら「主文」を聞いた瞬間に叫んですぐ退廷になった黒岩さんと一緒に声を上げて、とっとと退廷になっとけばよかった。そっちの方がずっと楽だ。時間の無駄をした。
☆ 大善裁判長の「悲しい」姿
しょうもない判決ではあったが、せっかくメモも取ったから少し紹介しよう。
まず、【威力業務妨害】では「昭和」二八年の古い古い「危険犯説」(被害が発生していなくても「おそれ」があれば有罪という説)を維持した。
学説ではすでに「侵害犯説」(有罪には実被害が必要という説)が主流であり、弁護団も主張を重ねたが退けられた。そもそも経済犯を前提にしている威力業務妨害罪を運動弾圧に使う流れは、本当に危険である。サンケン弾圧も同罪でやられている最低限の被害立証すら不要というなら、「表現の自由」のフィールドの一層の縮減は免れないだろう。
次に、一審判決より明確に後退した点について。一審では、黒岩さんの爆竹抗議を「五輪反対の政治的表現」と取りあえずは認めたうえで、「手段の正当性がない」と切り捨てた。だが、高裁・大善は「爆竹がそもそも五輪反対の表現たりえるか疑問ある」とまで言ってのけたのだ。
私はこれを聞いた時、「この裁判長は世の中を知らない人だ」と痛感した。人生が浅い。人を裁くという職責に耐えうる人間観が欠けている。
世の中には、爆竹で怒りを表現する人もいる。そのことを虚心に受け止められない人が裁判長などやるべきではない。裁判長の締めの言葉は、「爆竹で抗議するなど社会通念上、到底認められない」だった。人間の可能性に正面から向き合えない人ほど、「社会通念」などという曖昧な概念を振りかざす。悲しい人生である。
弁護側が骨格とした三学者の意見書も、ことごとく退けられた。高裁で初めて展開した憲法一六条「請願権」に関する主張は、「請願法にある手続きにのっとっていない」と切り捨て、その憲法論的価値を否定した。
☆ 裁判所内に警官隊まで導入
この日の抗議退廷も黒岩さん先頭に八名に及んだが、裁判長はこれを恐れてか事前に警官隊も導入していた。しかもフジテレビに連絡をいれ「東京高裁で傍聴人に退去命令」という夕方のニュースまで撮らせた。
どれだけ悪辣なのかと呆然自失になるが、暴力装置をバックにした上から目線の説教にしがみつく哀れな法官の姿というところか。
判決は途方もなく悪辣だったが、これ以上の裁判的な展開も見込めないため、上告は行わないことにした。報告集会で弁護士が、「判決は酷かったが、救援活動は素晴らしかった。運動レベルでの前向きの総括作業をぜひ救援会には期待したい」と話してくれたのが救いである。
四〇〇万円に迫るカンパが集まり、毎回傍聴席は埋まった。一審・二審とも学者さんたちにも素晴らしい意見書をいただいた。黒岩さんの「単パネ」で始まった闘いは、社会運動の海のなかで揉まれ、発酵した。東京のノンセクト久しぶりの起訴までいった本格的な救援活動という重責は、一応果たせたと思っている。
三年間ひとりで,「当該」の位置に立ち続けた黒岩さんも立派だった。色々内輪揉めもあったが、彼が絶対に転ばないという安心感こそが、この救援活動の基底であり続けたと思う。温かい支援へのお礼は、あらためて、いずれまた。
(井上森 武蔵野五輪弾圧救援会)
『月刊救援』(2024年8月10日)
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