《月刊救援から》
☆ 武蔵野五輪弾圧裁判控訴審、不当判決!しかし、私の闘いは終わらない
「本件控訴を棄却する」私は、即座に「本」のところで、聴覚障害者用の音響機器を証言台に叩きつけた。即座に「不当判決糾弾!パリ五輪粉砕」のシュプレヒコール。
しかし、判決理由を「とくとく」と聞いて欲しかったらしい高裁裁判長大善は、一瞬退廷命令を出すのをためらったように見えた。しかし、シュプレを張り上げ続けた私は、「当然」のごとく、暴力的に退廷させられた。
救援会のビラでも、袴田さん再審を最終的に決定したこの裁判長を「いい人疑惑」と揶揄したが、大善ならぬ大悪だと皆は口を揃えて言う。
しかし、良い人だろうが、悪い人だろうが、これがこの人にとって正義なのだ。国家に法にまつろわぬ者を常に裁いてきた司法は、オリ・パラ抗議の直接行動を二度にわたって断罪した。
判決理由は聞いていない(聞きたくもない)ので、救援会の仲間の文章に譲るが、ここでは二点だけ。
まずは、地裁判決に追随し、爆竹という抗議の対象をオリ・パラではなく、イベント会社社員に歪曲したことだ。
この判決でもオリ・パラについて触れることを何よりも恐れた。さらには爆竹による抗議の動機は、オリ・パラとは認め難いとまでの言ってのけた。まさに、この国家的メガイベントであるオリ・パラを何が何でも守護したい国策裁判の判決であり、それはあらかじめ用意していた。
もう一つは、私がこの裁判を通じて最も言いたかったこと、爆竹という直接行動即ち、権力の許容した手段ではなく権力そのものを変えていく手段の正当性について、バッサリと切って捨てたことだ。
現在、欧米では軍需産業や環境破壊などへの抗議の直接行動が限定的であるが無罪を勝ち取っている。最近でもガザ・ジェノサイドに加担する工場が占拠、破壊されたことに対して無罪の判決が出た。
それは、単に日本の裁判が遅れていると言うことではない。司法そのものが、いわゆる「市民的治安主義」を貫徹するため、人民の抵抗に無慈悲なのだ。
判決に先立つ七月七日、パリ五輪を控えたフランスの大使館へ抗議の肉迫デモが闘われた。現地では開催阻止に向けた様々な闘いが繰り広げられている。
特筆すべきは五月フランスに対し独立蜂起に起ちあがった「ニユーカレドニア」先住民カナク人との連帯とともに闘われていることだ。
私は、一審最終陳述で野宿者や生活困窮者の追い出し・立ち退きによってオリ・パラが成立していることを厳しく弾劾した。
パリ五輪においても多くの野宿者、移民が治安警察によって暴力的に排除されている。二五日付朝日新聞に「迫る開幕 進む『排除』」との見出しで、半ばオリ・パラ批判記事が掲載された。しかし、これらブルマスどもは、開催につれて翼賛記事をバラ撒き散らすだろう。
二年前の9・5地裁不当判決即日控訴から7・19判決で裁判は終わりを告げる。確かに残念な結果かも知れないが敗北感はない。
まず、裁判を通じて、私の「単独決起」が闘争の中で占める位置、直接行動の意味を改めて知ることができた。
そして、三年前の逮捕から今回の判決まで、救援会、弁護団、そして多くの皆さんにご支援をいただいたことだ。皆さんのカンパや激励文、呼びかけや傍聴などがなければ、弾圧、裁判に立ち向かうことができなかっただろう。爆竹がごとき、ささやかな直接行動に、こんなにも多くの方々に共感、支持していただいたことは感謝に絶えない。
これまで、本当にありがとうございました。しかし、私の闘いは終わらない。オリ・パラを粉砕し、植民地主義を打倒し、あらゆる抑圧や支配を廃絶し、そして我らが世界を打ち固めるまでは闘いは終わらない。私は、これからも闘いの最前線にいたい。
(黒岩大助)
『月刊救援』(2024年8月10日)
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