チェルノブイリ事故後から活動継続
▼ 脱原発ぶれず訴え30年 たんぽぽ舎
(8月29日東京新聞朝刊24面「こちら特報部」「ニュースの追跡」より)
脱原発を訴えてきた市民団体「たんぽぽ舎」(東京都千代田区)が設立30年を迎えた。チェルノブイリ原発事故をきっかけに産声を上げ、東京電力福島第一原発事故後は放射能に関する知識を求める人たちの受け皿に。活動を振り返ると、原発に対する世論の変化も浮かび上がってくる。(榊原崇仁)
▼ 阪神大震災「地震国に原発の適地はない」掲げ
たんぽぽ舎の母体は都職員有志らの公害研究会。設立のきっかけは、1986年4月に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だ。
研究会で食品の放射能汚染を調べる測定器を買いたいという話が出たが、1台(600万円)と高額で手が届かなかった。
全面的に負担したのが東京・有楽町などに店舗を持っていた服飾デザイナーの鈴木千津子さん(72)。
都の仕事を通じて研究会の柳田真さん(79)と知り合い、公害問題にも関心を持っていた。「行政が買うのを待っていると何年もかかる。それなら買っちゃえって」
測定器を置く事務所として都内のビルの一室を借り、1989年2月にスタート。共同代表は柳田さんと鈴木さんで、団体名は「夕ンポポの綿毛が飛び広がるように活動が広まってほしい」と願って付けた。
しかし、学習会や抗議活動を企画しても人が集まらない時期が続く。チェルノブイリの記憶が薄れだすと、拍車が掛かった。
「90年代の初めは、都内でデモをやっても、来るのは20から30人ぐらい。当時は政府もマスコミもこぞって原発推進の旗を振り、電力会社は広告に莫大な額を投じていた。私たちが手書きのチラシを数100枚配っても、なかなか浸透しなかった」(柳田さん)
一つの転機は1995年の阪神大震災。「地震国日本に原発の適地はない」とスローガンを掲げた。地質の専門家らを交えた地震研究会や断層見学ツアーを始め、ようやく世間の注目を集めだした。
1999年から数年間は臨界事故があった茨城県東海村に通い詰め、2000年代には原発周辺の生態系の変化も調べた。
▼ 3・11経て 学習会600回超 広がる人の輪
社会の空気を一変させたのが福島第一原発事故。「国土が駄目になる」と心配していた事態だった。
「食品の測定を求める人が殺到した。行政は情報を隠そうとしていたし、民間で測るところは珍しかったから」(鈴木さん)。
月1回の学習会を毎週に変え、開催用スペースを新たに借りた。
「学習会は毎回いっぱいになった。今までの脱原発の活動と違い、女性の姿が多くなった。命への思いを強め、行動に移してくれた」(柳田さん)
今年2月で30周年を迎え、事故後に開いた学習会は実に600回超。会員は350人に増えた。
日曜と祝日以外は事務所に鈴木さんやボランティアの四人が詰め、福島原発事故を扱うメールマガジンを6000人近くに送信している。
当初からアドバイザーを務める国学院大の菅井益郎名誉教授(日本公害史)は「人と人とのつながりをつくってきたのも、たんぽぽ舎の功績。学習会だけでなく、都内で事務所を持てない市民団体に会議の場所などを提供してきた」と語る。
脱原発を求める世論は強くなった一方、電力会社は再稼働を諦めておらず、まだまだ求められる役割は大きい。
会費やカンパでは事務所の賃料をまかなえず、柳田さんと鈴木さんらが負担する分もあるが、活動を途絶えさせるつもりはない。
2人は「スタッフの年齢が上がってきたけど、楽しくやっている姿を見せれば共感が得られるはず。若い方にも入ってもらい、脱原発をなしとげたい」と話している。
たんぽぽ舎です。【TMM:No3732】
▼ たんぽぽ舎からのご案内
★ 9/22(日)たんぽぽ舎『30周年記念の集い』のご案内 ★
-命と大地を放射能から守れ 原発やめよう みんなの想い-
・記念講演『原発にしがみつく日本 なぜ? どうする?』
講師:小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)
・リレートーク…多彩な7名のゲスト
日 時:2019年9月22日(日)13時30分より16時45分
会 場:「ベルサール神保町」 たんぽぽ舎から徒歩5分
第1部:記念講演とリレートーク
第1部の参加費:当日1200円、前売り1000円
第2部:懇親会(定員・予約制、懇親会費別途)17時30分より
会場:「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)
お問い合わせ:たんぽぽ舎 TEL 03-3238-9035
▼ 脱原発ぶれず訴え30年 たんぽぽ舎
(8月29日東京新聞朝刊24面「こちら特報部」「ニュースの追跡」より)
脱原発を訴えてきた市民団体「たんぽぽ舎」(東京都千代田区)が設立30年を迎えた。チェルノブイリ原発事故をきっかけに産声を上げ、東京電力福島第一原発事故後は放射能に関する知識を求める人たちの受け皿に。活動を振り返ると、原発に対する世論の変化も浮かび上がってくる。(榊原崇仁)
▼ 阪神大震災「地震国に原発の適地はない」掲げ
たんぽぽ舎の母体は都職員有志らの公害研究会。設立のきっかけは、1986年4月に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だ。
研究会で食品の放射能汚染を調べる測定器を買いたいという話が出たが、1台(600万円)と高額で手が届かなかった。
全面的に負担したのが東京・有楽町などに店舗を持っていた服飾デザイナーの鈴木千津子さん(72)。
都の仕事を通じて研究会の柳田真さん(79)と知り合い、公害問題にも関心を持っていた。「行政が買うのを待っていると何年もかかる。それなら買っちゃえって」
測定器を置く事務所として都内のビルの一室を借り、1989年2月にスタート。共同代表は柳田さんと鈴木さんで、団体名は「夕ンポポの綿毛が飛び広がるように活動が広まってほしい」と願って付けた。
しかし、学習会や抗議活動を企画しても人が集まらない時期が続く。チェルノブイリの記憶が薄れだすと、拍車が掛かった。
「90年代の初めは、都内でデモをやっても、来るのは20から30人ぐらい。当時は政府もマスコミもこぞって原発推進の旗を振り、電力会社は広告に莫大な額を投じていた。私たちが手書きのチラシを数100枚配っても、なかなか浸透しなかった」(柳田さん)
一つの転機は1995年の阪神大震災。「地震国日本に原発の適地はない」とスローガンを掲げた。地質の専門家らを交えた地震研究会や断層見学ツアーを始め、ようやく世間の注目を集めだした。
1999年から数年間は臨界事故があった茨城県東海村に通い詰め、2000年代には原発周辺の生態系の変化も調べた。
▼ 3・11経て 学習会600回超 広がる人の輪
社会の空気を一変させたのが福島第一原発事故。「国土が駄目になる」と心配していた事態だった。
「食品の測定を求める人が殺到した。行政は情報を隠そうとしていたし、民間で測るところは珍しかったから」(鈴木さん)。
月1回の学習会を毎週に変え、開催用スペースを新たに借りた。
「学習会は毎回いっぱいになった。今までの脱原発の活動と違い、女性の姿が多くなった。命への思いを強め、行動に移してくれた」(柳田さん)
今年2月で30周年を迎え、事故後に開いた学習会は実に600回超。会員は350人に増えた。
日曜と祝日以外は事務所に鈴木さんやボランティアの四人が詰め、福島原発事故を扱うメールマガジンを6000人近くに送信している。
当初からアドバイザーを務める国学院大の菅井益郎名誉教授(日本公害史)は「人と人とのつながりをつくってきたのも、たんぽぽ舎の功績。学習会だけでなく、都内で事務所を持てない市民団体に会議の場所などを提供してきた」と語る。
脱原発を求める世論は強くなった一方、電力会社は再稼働を諦めておらず、まだまだ求められる役割は大きい。
会費やカンパでは事務所の賃料をまかなえず、柳田さんと鈴木さんらが負担する分もあるが、活動を途絶えさせるつもりはない。
2人は「スタッフの年齢が上がってきたけど、楽しくやっている姿を見せれば共感が得られるはず。若い方にも入ってもらい、脱原発をなしとげたい」と話している。
たんぽぽ舎です。【TMM:No3732】
▼ たんぽぽ舎からのご案内
★ 9/22(日)たんぽぽ舎『30周年記念の集い』のご案内 ★
-命と大地を放射能から守れ 原発やめよう みんなの想い-
・記念講演『原発にしがみつく日本 なぜ? どうする?』
講師:小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)
・リレートーク…多彩な7名のゲスト
日 時:2019年9月22日(日)13時30分より16時45分
会 場:「ベルサール神保町」 たんぽぽ舎から徒歩5分
第1部:記念講演とリレートーク
第1部の参加費:当日1200円、前売り1000円
第2部:懇親会(定員・予約制、懇親会費別途)17時30分より
会場:「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)
お問い合わせ:たんぽぽ舎 TEL 03-3238-9035
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