☆ 君が代第4次訴訟第14回口頭弁論は、中川律氏による学者証人尋問です。
12月9日(金)9時55分~12時00分 東京地裁103号法廷 先着順(傍聴抽選なし)
◎ 11月11日、「君が代」裁判第4次訴訟第3回口頭弁論
103号大法廷で行われた、今回の本人尋問は、9時55分から始まり、16時30分に終わるという長い一日でした。傍聴支援に来てくださった方々本当にありがとうございました。
6人の陳述ですが、各証人とも生徒とのふれあいと指導の内容を具体的、ていねいに説明しました。そして、さまざまに異なる学校の状況と指導の難しさを述べることにより、都教委の言うような画一的な指導はできないことを示しました。個々の教育現場での多様な対応の必要性が裁判官に理解してもらえたことと思います。
紙面の関係があり骨子だけしか紹介できないのが残念です。
● まず、卒業式ではビデオ撮影を指示され、起立斉唱の職務命令はなかったという事実関係について証言しました。続いて、「生徒が必要としていることには惜しみない努力をする」。職務命令について「命令内容の良し悪しに関係なく、命令そのものが私の教育条理にそぐわない」と説明。つづいて、定時制高校に通う生徒の実態を具体的に述べ、生徒に寄り添い、生徒の心を受け止め、どのように指導したかを裁判官に切々と語りました。最後に学級通信に触れるとともに、「考える人間」を育てるという教育理念を陳述し、それと真逆である都教委の姿勢の問題点を指摘しました。(井黒)
● キリスト者としての35年間の教員生活を振り返りながら、通達と信仰のはざまでの苦しみが語られました。守護聖人コルベ神父の説く気高さと強さ、また人間愛の精神は、天皇制を支えた国家神道のシンボルである「日の丸」「君が代」とは相いれないものであると主張しました。一方、公務員として職務に真摯であることと、信仰者であることは矛盾するものではないと述べ、キリスト者としてひとり一人の生徒に寄り添う気持ちは自然であると話しました。(永井)
● 初任校での教育活動から始まり、10.23通達により学校がいかに破壊されていったかが理路整然と見事に証言されました。10.23通達が「戦争ができる国づくり」につながっており、10.23通達に従うことは自分の生き方・考え方に反すると主張しました。後半で、職員会議での教職員の徹底的な議論と全教職員の合意による民主的な学校運営の重要性、10.23通達によってそれが出来なくなったことの問題点、生徒への影響を語りました。(川村)
● 「教育現場に絶対あってはならないことが起ころうとしている」という問題意識との葛藤から、不起立に至る決心が語られました。生徒や保護者の具体的な例を通して、「破壊されていく教育」が浮き彫りにされました。(加藤)
● アメリカ留学での体験をもとに自分の意見を持つことの重要性を話し、入学式直前のHRで「本当に立たなくても良いのですか」という勇気ある女子生徒の発言を紹介。不起立を理由に3年の担任をはずされたことなどを証言し、“Silence means consent”という言葉でしめくくりました。(井上)
● 「式典において人としての尊厳が踏みにじられることがあってはならない。」と述べ、生徒の立場での問題点を指摘。再発防止研修は同じ質問が繰り返され、苦痛そのものであった。廊下やトイレまで監視がつくなど犯罪者扱いする都教委の姿勢が如実に語られました。(大高)
今回は二人のキリスト者の証言があり、信教の自由と公務員としての職責は相矛盾しないこと。日の丸・君が代は神道儀式であり、宗教的儀式への参加の強制は憲法20条2項に反すると証言しました。
この証言は、信教の自由にとどまらず、芸術への確信(君が代伴奏)、教育への信念(教育の自由)などにも関わると言えないでしょうか。
次回の中川律氏の証人尋問につづきます。
被告代理人による反対尋問は、相変わらず学習指導要領を根拠にしたものでした。「不起立」が儀式や生徒に与える"悪"「影響」をしつこく繰り返すというものが大半でした。
報告集会で13人の原告の言葉が、オーケストラのようにひとり一人の個性が引き立ち、同時に調和した曲を奏でていたという感想をいただきました。
また、傍聴の方がアンケートに応えて、「現場で、苦しみながら、苦しみながら、今まで闘い続けてからこそ」今日の弁論があるという趣旨の言葉をいただき、ありがたく思いました。
『ぽこあぽこ』(2016年11月22日発行)
イタリア語で「ゆっくり・すこしずつ」という意味です。
12月9日(金)9時55分~12時00分 東京地裁103号法廷 先着順(傍聴抽選なし)
◎ 11月11日、「君が代」裁判第4次訴訟第3回口頭弁論
103号大法廷で行われた、今回の本人尋問は、9時55分から始まり、16時30分に終わるという長い一日でした。傍聴支援に来てくださった方々本当にありがとうございました。
6人の陳述ですが、各証人とも生徒とのふれあいと指導の内容を具体的、ていねいに説明しました。そして、さまざまに異なる学校の状況と指導の難しさを述べることにより、都教委の言うような画一的な指導はできないことを示しました。個々の教育現場での多様な対応の必要性が裁判官に理解してもらえたことと思います。
紙面の関係があり骨子だけしか紹介できないのが残念です。
● まず、卒業式ではビデオ撮影を指示され、起立斉唱の職務命令はなかったという事実関係について証言しました。続いて、「生徒が必要としていることには惜しみない努力をする」。職務命令について「命令内容の良し悪しに関係なく、命令そのものが私の教育条理にそぐわない」と説明。つづいて、定時制高校に通う生徒の実態を具体的に述べ、生徒に寄り添い、生徒の心を受け止め、どのように指導したかを裁判官に切々と語りました。最後に学級通信に触れるとともに、「考える人間」を育てるという教育理念を陳述し、それと真逆である都教委の姿勢の問題点を指摘しました。(井黒)
● キリスト者としての35年間の教員生活を振り返りながら、通達と信仰のはざまでの苦しみが語られました。守護聖人コルベ神父の説く気高さと強さ、また人間愛の精神は、天皇制を支えた国家神道のシンボルである「日の丸」「君が代」とは相いれないものであると主張しました。一方、公務員として職務に真摯であることと、信仰者であることは矛盾するものではないと述べ、キリスト者としてひとり一人の生徒に寄り添う気持ちは自然であると話しました。(永井)
● 初任校での教育活動から始まり、10.23通達により学校がいかに破壊されていったかが理路整然と見事に証言されました。10.23通達が「戦争ができる国づくり」につながっており、10.23通達に従うことは自分の生き方・考え方に反すると主張しました。後半で、職員会議での教職員の徹底的な議論と全教職員の合意による民主的な学校運営の重要性、10.23通達によってそれが出来なくなったことの問題点、生徒への影響を語りました。(川村)
● 「教育現場に絶対あってはならないことが起ころうとしている」という問題意識との葛藤から、不起立に至る決心が語られました。生徒や保護者の具体的な例を通して、「破壊されていく教育」が浮き彫りにされました。(加藤)
● アメリカ留学での体験をもとに自分の意見を持つことの重要性を話し、入学式直前のHRで「本当に立たなくても良いのですか」という勇気ある女子生徒の発言を紹介。不起立を理由に3年の担任をはずされたことなどを証言し、“Silence means consent”という言葉でしめくくりました。(井上)
● 「式典において人としての尊厳が踏みにじられることがあってはならない。」と述べ、生徒の立場での問題点を指摘。再発防止研修は同じ質問が繰り返され、苦痛そのものであった。廊下やトイレまで監視がつくなど犯罪者扱いする都教委の姿勢が如実に語られました。(大高)
今回は二人のキリスト者の証言があり、信教の自由と公務員としての職責は相矛盾しないこと。日の丸・君が代は神道儀式であり、宗教的儀式への参加の強制は憲法20条2項に反すると証言しました。
この証言は、信教の自由にとどまらず、芸術への確信(君が代伴奏)、教育への信念(教育の自由)などにも関わると言えないでしょうか。
次回の中川律氏の証人尋問につづきます。
被告代理人による反対尋問は、相変わらず学習指導要領を根拠にしたものでした。「不起立」が儀式や生徒に与える"悪"「影響」をしつこく繰り返すというものが大半でした。
報告集会で13人の原告の言葉が、オーケストラのようにひとり一人の個性が引き立ち、同時に調和した曲を奏でていたという感想をいただきました。
また、傍聴の方がアンケートに応えて、「現場で、苦しみながら、苦しみながら、今まで闘い続けてからこそ」今日の弁論があるという趣旨の言葉をいただき、ありがたく思いました。
『ぽこあぽこ』(2016年11月22日発行)
イタリア語で「ゆっくり・すこしずつ」という意味です。
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