夢の途中

シングルになって夢を実現させるために日々奮闘中。。。かな♪

離婚成立!

2008年12月15日 20時33分21秒 | Weblog
2月に入って・・・

27年間の音楽教室講師生活の最後の発表会だった。
新居は横浜を離れると決めた時、引っ越し先の慣れない土地で音楽教室を立ち上げる気持ちは無かったから。
生徒さん達にはまだそのことは伝えてない。
発表会への士気が失せるといけないし。
慕ってくれる生徒さんたちと別れるのは悲しかった。
デイ・サービスの仕事も好きだったが、音楽教室の講師の仕事はもっと好きだった。
弾けない曲が弾けるようになった時の生徒さんたちの笑顔が励みなの。
けど少子化の波を受けて、収入には結びつかない仕事だ。
独身時代は40人の生徒さんがいたが、それは出張レッスンや他のお教室のお手伝いをしていたからで、結婚して子供ができてからは、やはりそこまで動けない。
それでも、家で続けられる仕事として、途切れることなく続けてきたのだけど。
これからはデイの仕事を増やしたほうが収入としては手堅い。
どうせ、Jの家業を継ぐまでの腰掛だし。

Jから聞かされた実家の事業の話。。。
半信半疑ではあったが、どこか寄りかかりたい気持ちもあった。
独身の頃、知り合いの会社で経理は手伝ったことあるし、簿記も知らなくはない。
どんな仕事でも学習能力には自信があった。
元夫でお金の苦労をしてきて、やりたい事もできず我慢の連続。
こんな生活から早く抜け出したかった。
子供たちにも楽な生活をさせてあげたい。
入籍できるまで、元夫の養育費と私の収入で切り盛りしていけばいいんだ。
どうせ後1年でもないだろう。

まもなく私とJの次男・次女は第一志望校に合格も決まり、もう離婚を待つことは無かった。
私は元夫に離婚届と離婚協議書を郵送してもらい、署名押印して役所に届け出た。
役所の人は親切で、その後の流れや申請などを教えてくれた。
もっとも、私は用意周到なので、あらかじめ役所の相談窓口に行って粗方のことは聞いていた。
入籍するまではひとり親家庭の申請もするつもりだった。
離婚届の受理に1週間ほどかかるとかで、私のひとり親家庭の申請は2月末ギリギリだった。
ほんとうるう年でなかったら、1ヶ月分の手当てが出なかったところ。
ラッキーな出だしだったと思う。

ついに離婚した。
不仲になって丸7年。
一時は別居のままダラダラと書類だけの夫婦でいくのかと心配したが、私も離婚してしまったんだ。
これからはJと幸せになる♪

そんな矢先・・
実家の母が転倒骨折で入院となってしまった。
その前に父も心筋梗塞で入院していた。
仕事の合間に長女の転校手続きやら引っ越しの手配やらで大忙しの私に、両親の見舞いという役割が増えた。
この時のパワーと言ったら・・・
Jと一緒になれる喜びだけで、突き動かされていたのかもしれない。
もう新居は契約済みで、先に進むしか考えてなかったし。

Jのほうでも問題がおきていた。
同居している元妻の母親がどうもボケなんじゃないか・・と言い出した。
話を聞くと、明らかに認知症の状態を示している。
お年寄りの症状に素人のJは、そこまで深刻に考えてなかったらしい。
私は、地区の包括に相談してケアマネさんを紹介してもらい、介護認定を受けるように話してみた。
そんな状態で、子供たちとおばぁちゃんだけにするわけにはいかない。
ところが、Jの元妻は自分の親にも無関心で、そんな状態であろうと介護にかかわろうとしないどころか、Jとの離婚が成立しても相変わらず戻ってこないと言う。
当然、負担は子供たちに圧し掛かり、Jはそんな有様をほっておけなくなってしまった。
もうひとつ・・
Jは子供たちは女の子だから、母親と住むのがベストだと思って親権を渡し自分ひとりで出るつもりでいた。
次女の高校受験のために、それまで離婚の話は子供たちにしていなかったのだが、合格が決まっていざ話してみると、子供たちはふたりともJに付いてくると言い出した。
よくよく話を聞くと、元妻が出て行って13年間、おばぁちゃんと自分とで子育てをしていたらしい。
食事の世話から洗濯掃除、学校の個人面談まで、ひととおりをこなしていたと言うから恐れ入る。
「それじゃぁ離れるわけないじゃん。」
ちゃんと話せよ~~~★
コミュニケーションが大事だと言いながら、Jは肝心なことの何一つ話してこなかったんじゃん。
私には、見切り発車するなと言っておきながら何だよ~★
新しく借りたハイツは3DKで、5人で住むにもやっとのところだった。
仮住まいと思うから決めたのに、あとふたりも増えるなんて無理だし。
「そんなボケのおばぁちゃん置いていけないから、もしかしたらおばぁちゃんも。」
なんて、ふざけんな。
何で、私がそんなバカな元妻の親まで面倒みなきゃいけないのよ。
そんなだったら自分の親と同居したいわ。

結局、Jは家を出てこられなくなった。
同居している元妻の母親の認知症のこともあるが、Jの長女は今年 大学受験で神経質になっていると言う。
だから私のことを話せないし、環境も変えられないし・・・
その話を聞いた時、私はめちゃめちゃテンション下がった。
一緒に暮らせると思うから、馴染んだ横浜を離れても良いと思ったし、バス便しかないこんなド田舎でも住めると思ったのだ。
Jは今までどおり週末は会えるから、と言うけどそういう話ではない。
ふたりの生活をどれだけ夢見てきたか。
あともう少しで実現するはずだったのに。
しかも私のいちばん嫌いなパターン。
彼女の家に彼氏が通う・・みたいなの大嫌い。
帰った後がどんなに淋しい想いになるか。。。 









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新居を決める

2008年12月13日 21時47分06秒 | Weblog
2007年は私の人生の大転換の年だった。

元夫は、子供たちは引き取れない、親権は欲しい、養育費は払えない・・と身勝手な主張をしていたが、ついに親権をあきらめた。
なぜ親権に執着していたかと言うと、それは元夫が長男だからに他ならない。
元夫には妹がいるのだが・・後から聞かされたのだが、その妹もその年に離婚していたのだった。
妹の子供たちは相手方が引き取っていたので、これで元夫の実家は孫がひとりもいない状況になるのだ。
まったく兄妹揃って・・
義父が亡くなってから婚家はボロボロ。
お姑さんの育て方が悪いんでないの?・・なぁんて。
でも、そんな話を聞いたところで、元夫に義理立てするほど情は無い。
父親の義務も果たさないのに、権利だけ主張するなんて無理でしょ。
第一、子供たちは父親のところには行きたくないと言っている。
やっぱり子供たちの気持ちが優先でしょ。

・・となれば、あとは養育費。
「離婚しても、お父さんはおまえたちのことをちゃんと気にかけているんだよ。」
そんな言葉が聞けたら少しは元夫を見直したかもしれない。
養育費ってそういう意味合いだと、私は思っている。
ところが元夫は自分の事業を廻すことが最優先で、子供たちへは私が何とかしろと言い出していた。
相変わらず、元夫からの毎月の入金は無い。
Jは、親としての責任をしっかり取ってもらった方が良いと言った。
私だけが泣き寝入りにならないように、養育費のことはきっちり決めて協議書を作るべきだと。
そう、こんな元夫に信頼はおけない。
・・信頼できるようなら、離婚なんてしないやね★

ふたりで初めてのクリスマスは、まだそれぞれの子供たちがいたから別々に過ごした。
来年のクリスマスはみんなでファミリークリスマスだと、夢見ていた。

何とか協議書の原案を作るところまでいって、年が明けた。
少しメドがたってきたようで、気持ちも明るかった。
私とJは、元旦の夜から沼津に出かけた。
年末にJのハイエースは軽トラに追突され、直すよりはと新しいクルマに変えていた。
ブルーのパッソ。
会社のみんなが「彼女のクルマか?」と聞くほど可愛くなっちゃって。
沼津では海の幸、富士山麓の牧場では搾りたての乳製品。
天候にも恵まれ、とても幸せなドライブだったなぁ。

2008年1月・・仕事始め。
相変わらずデイと音楽教室との掛け持ち。
毎年恒例の音楽教室の発表会は2月始めの予定だった。
生徒さんたちの曲目の指導が追い込みの中でも、私は新居を決めたかった。
横浜は住居費が高いので、市外に決めることをJと話し合っていた。
横浜は大好きな生まれ育った街。
だけど離婚してJと心機一転するなら、離れても良いと思えた。
次男の志望高校も、そのつもりで決めていた。
もうすぐ受験日も近づけば、早く落ち着き先を決めてしまいたかった。
住んでるマンションもいつ立ち退きを迫られるかわからない。
Jは不動産関係の友達に、出回る前の物件をこちらに回してくれるよう頼んでくれた。
その友達からくる情報の良さげな物件を私の携帯に回してくれるのだが、この時はほんとに楽しかったな。
ふたりであれやこれや話し合って、週末その物件を見に行って。
新婚さんアゲインだよね。
一時は戸建てを買ってしまおうかとまで話したが、結局まだ仮住まいとして、小綺麗な3DKのハイツに決めた。
離婚しても半年は入籍できないことから、私の名義で借りることにした。
家具だの家電だの、ふたりで揃える相談も楽しかった。
振り返れば、この時がいちばん楽しかったのかもしれない。

この頃に、Jの実家の様子が分かり始めてきた。
今まではふたりの離婚を中心に考えていたので、Jの実家がどうなんて気にもしていなかった。
ご両親は健在で、いくつかアパートやマンションの大家さんくらいにしか聞いてなかったのだが。
Jが実家の母親に言われたと言って話してきたことは・・
「再婚相手はうちの仕事を一緒にやってくれる人なのか聞いてあるの?」と聞かれ、「まだ聞いてない」と言ったら「早く聞いてきて。」と言われたんだと。
「だって大家さんなんでしょ?」
「それが・・県内都内に手広くやってる不動産会社なんだよ。
 親父とお袋ふたりでやってるんだけど、けっこうな事業なんだ。
 子供のころから継ぐように言われてたのが嫌で、今まで継ぐ気無かったんだけど、もう両親も年だから引退したいらしいんだよね。」
「それで私は何をやるの?」
「お袋がやってる経理をして欲しいんだけど。」
Jの実家の全貌が明らかになるにつれ、私は驚きを隠せなかった。
「なによ、それ。
 何でJの元妻さんは、その話に乗らないで自分の仕事に固執したわけ?」
「話したんだけど、自分に経理はできないって言ってたんだ。
 それに、過去に親父を怒らせる事をしてしまったんで、うちの実家に顔向けできないんだよ。」
はぁ~~~
信じられない。
Jの実家はけっこうな資産家。
お父さんが外車何台所有してるとか、お母さんが週3回 銀座にエステに行ってるとか、なんだそれ!?
「最初から話したら、財産目当てになるかもしれないじゃん。」
ふざけんな。私を誰だと思ってる。
「俺の子供は女の子ばかりだから、美月のところにふたりも男の子がいてくれてうちの両親は喜んでるんだ。
 ゆくゆくはうちの事業を継いでもらいたいと思ってる。」
これってシンデレラストーリー・・?

ううん、世の中 そんなに甘くないから。
そんな順風満帆だったら、Stormy Waterのわけないじゃん。
この後、私の夢は暗転するの~~~~ 







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We are Sailing.

2008年12月12日 22時28分25秒 | Weblog
30年前・・・
中学・高校と6年間過ごした山手の女子校。
高校の卒業式が終わった後、プレイルームに集まりお別れ会をした。
そして最後の最後で流した曲は。。。
ロッド・スチュァートの「Sailing」
今でも覚えている。
♪We are sailing stormy water to be near You,
 To be Free.
箱入りお嬢様だった私たちの卒業にぴったりの歌だった。
その時は気にもしなかった歌詞だけど。

今・・・私は改めて「Sailing」を歌おう。

元夫は、なかなか離婚の話に乗ってこなかった。
何故なら子供たちを引き取れない=養育費を払わなくてはいけないからだ。
父親なら払うのが当たり前だと誰でも思う。
子供たちを引き取るのが私なら、親権も当然 私・・
ところがそれも元夫は認めたくないらしかった。
子供たちは引き取らない、養育費も出さない、でも親権は欲しい。
そんな身勝手な要求を通すわけにはいかない。
私が正論を言うと、元夫はなんだかんだと私の行いをなじり始めた。
あげくにはFさんとの話まで持ち出す始末。
「その男に慰謝料をもらってもいいんだぞ。」
などどインネンつける元夫。 
バカバカしくて溜息が出た。
ほんとに大学法学部卒?
始めに離婚ありきのくせに、自分の恥を曝すだけじゃないか。
だからって元夫が養育費を払わないってことにはならないんだから。
9月から入金の途絶えた元夫は、事業が上手くいってないらしかった。
不動産というのはそんなもの。
入れば大きいが、そんな大きな物件が毎月毎月簡単に決まるわけじゃない。
わかってはいたが、私はあえて正論で推し進めた。
別居してから、子供たちに何も関わろうとしない元夫に、せめて親としての責任を示してほしかった。
金額じゃない。
せめて少しでも子供たちへ愛情を見せてくれたら・・

元夫との不毛なやりとりに疲れた私を癒してくれたのはJだった。
Jはハイエースの後部座席をベッドにして、湘南海岸の脇に停めた。
夜の渚と満天の星。
まるでキャンピングカーのように、自然の中でくつろげる。
昼間は丹沢の沢だったり箱根の紅葉だったり、Jはいろんな場所に連れてってくれた。
私が元夫とのことでイラついてると、機嫌直しにグルメドライブを計画してくれたり、一度などはラブホにカセットコンロを持ち込んで、チキンのトマト煮とブルーチーズのパスタを作ってくれた。
ラブホにふたりで大荷物背負って行ってまず笑ったけど、中でバーナー使ってチキンを炙っちゃったJ。
これがまじ本格イタリアンで、たかが男の料理とタカをくくってた私は、Jの料理を見直すはめになったんだよね。
「こんなのは序の口だからね。
 美月はまだまだ俺の料理、全然食べてないんだから。
 早くいっぱい食べさせたいなぁ。」
・・・なんか逆だよな~って思いながらも、Jと一緒に作るお料理は楽しかった。
実は元夫も料理は趣味のくせに、作ってやってる的な態度で作るからちっとも楽しくなかったの。
Jとお料理すると漫才やってるみたい。
完璧かと思うとヤラかすし、そこがほっとけなかったりするのかも。

この頃になると、私たちは避妊しなくなった。
「どうせ結婚するんだから、できてもいいじゃん」というのがJの考え。
この年でできたら孫みたいだよね~★
もう私は40代後半・・同級生の友達はそろそろホルモン補充したりしてる年代。
私みたいに何もしないで毎月の周期できちんとくるのは珍しがられた。
けど。
さすがに、もう妊娠はしなかった。
Jとの子供も欲しかったかなぁ・・
「それならそれで、思い切りHが愉しめるじゃない。
 女性はこれからが本当の快感なんだよ。」
Jの用意したお道具は、月ごとに増えていった。
何でもお道具名人はもう高齢で、いつ亡くなるかわからないから、今のうちにZコースの道具まで作っておくんだそうな。
私も最初は敬遠していたが、お道具への興味には勝てず・・・☆

お道具・・いわゆる大人のオモチャだが。
Jの揃えてるのは、ものすごくシンプル。
ひとつは細めでアナルと二つ攻めの二股のもの。
電池は使わないで、Jの手のみで動かすの。
もうひとつはスケルトン・エクスタシー。
その道のプロの黒人男性のものをそっくりにコピーした名人の手作りの一品もの。
それを中・大・特大って揃えたJって・・・!?
Jは、自分が果ててからお道具を使い出す。
それまでだって長いのに、フルコースしたら一晩なんてあっという間。
今まで私が経験していたHなんて、子供のマネごとかも。
指や舌の使い方も違うんだそうだ・・
確かに何をしても痛いってことが無い。
使い終わったお道具も、Jはちゃんと熱湯消毒してから保管するんだよね。
プロっぽい・・と言えば、Jのお尻。
40半ばなのに、めちゃめちゃヒップアップして引き締まってるの。
このままJとHしてたら、私も若返るかなぁ・・なぁんて♪

元夫の入金は翌月もなく、とうとうAudiを手放すことになる。
翌年早々には次男の高校受験。
Jの次女も同様だった。
私たちは、お互いの次男次女の中学卒業をメドに離婚するつもりでコマを進めていた。
Jのほうは、Jが子供二人分の大学までの学費を養育費として、一括で払うことで解決がついていた。
私のほうの解決がつかないまま、年末を迎えようとしていた。
そう・・去年の今頃はStomy Waterの真っただ中。
Hで若返るなんて言ってる場合じゃない。
しかも年越して、もっと悲惨な運命が私を待っていた・・ 













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お金の苦労

2008年12月10日 13時32分45秒 | Weblog
ずいぶん前に亡くなった祖母が言ってた。
結婚して女の苦労をするより、お金の苦労のほうがまだましだと・・・

元夫で女の苦労は無かったけど、お金の苦労はずっと付きまとった。
正確にいえば、バブルがはじけた時期くらいからずっと。
不動産会社に転職してマンションを買ったあたりからヤバかった。
それでも義父が生きていた頃は実家が助けてくれていたらしい。
義父が亡くなって助けが無くなり、独立して自営になって更に状況が悪くなった。
それまでは何とか学費だけは入れていたが、ついに昨年9月には入金が無くなった。
私の収入では、子供たちを食べさせるのがやっと。
何度となく催促のTelをしたが、留守電だったり待ってくれと言われたり、何の解決にもならなかった。
そしてマンションのローンも滞り、ついに差し押さえ★
元夫は借りてる事務所で別居してるけど、ここに住んでる私と子供たちはどうする・・!?

・・どのみち、ここには居られない。
一度 破綻した夫婦って、余程のことがなければ離婚に至るのが自然なのかもしれない。
私は週末ごとにJと会い、どうしたらベストな離婚ができるかを話し合った。
子供たちが最優先なのは当たり前。
次男が高校受験を控えていた。
同じマンションの別階には一部介護の必要な父親もいる。
介護を仕事にしている私としては、母親だけに世話をさせるのは忍びない。
けど生活を考えればもっと収入も増やさないと・・・
不安でいっぱいの私だったが、Jは日々の時間を費やし、いつも解決方法を見つけてきてくれた。
この行き詰まった現状を打破したい一心で、私はひとつひとつを前向きに検討していった。

そんな中・・・
Jの親友が急死した。
幼稚園からの悪友で、暴走族や自衛隊でも苦楽を共にし、それぞれが結婚してからも近所に住み家族ぐるみで付き合い、唯一 腹を割って話せた親友だった。
その親友がサイトを教えてくれたおかげで私と出会えたと言っていた。
Jのショックは大きかった。
一人っ子のJの、まるで兄弟のような存在だったのに。
葬儀のあともJは私と会った。
私がいなかったら立ち直れなかったかもしれない、とJは言った。
慰める言葉もないが、少しでもJの悲しみにに寄り添いたいと思う。
「もうふたりでどこかに行ってしまおう。
 いろんなこと考えるから一緒になれないんだから。
 俺たちふたりなら今すぐにでも幸せになれるのに。」
突然Jはそんなことを言い出した。
いつもの冷静なJらしくない言動。
「ごめん、子供たち抜きに私は幸せになれない。」
「なんで?
 子供たちはもう大きいし、父親のほうが良いんじゃないかな。
 美月だって早く一緒になりたいでしょ?」
・・・私だってJと早く一緒になりたい。
けど、私には子供たちを育てる責任がある。
私の子育てはまだ完結してない。
子供たちに伝えたいことはまだ山ほどある。
子供たちと一緒にいれないなら、私は迷わずJを切る。
そんな私の決意を見てとれたのか・・
Jはふいに言葉を変えた。
「うん、わかったよ。
 そんなんじゃ俺が切られちゃいそうだもんな。
 最初に決めたとおり、みんなで幸せになろう♪」

そんなJだから再婚したいと思った。
今までいろんな男性を見てきた中で、子供たちを預けても良いと思う人はひとりもいなかった。
あのFさんだって、一緒にいたいとは思っていても子供たちぐるみの再婚を考えてたわけじゃない。
Jの懐の広さは並じゃないと思う。
私がどんなに感情的な物言いしても受け止めてしまうんだから、ケンカにならない。
「おまえみたいな短気な女は俺じゃなきゃ務まらないよ。」
などと平気で言うしね。
年下の分際で~☆
けど確かにJが怒ったことは一度も無い。
昨今、新聞を賑わす再婚相手の子供に対する虐待。
あんな男に追従する母親もどうかと思うけど、私なら男をぶん殴ってる。
そんな世の中の情勢も知った上で、Jなら再婚しても良いと思った。
私のおメガネにかなったわけだ・・なぁんて上から目線かな。
でも少なくとも、実の父親より余程子供たちのことを考えてくれている。

Jは、今までふたつの仕事を掛け持っていたためフリーターだった。
それにお絵かきの仕事もしていたし。
それをちゃんと就職すると言い出した。
「長男はもうすぐ20歳になるしね。
 ちゃんと父親として示さないと納得しないだろ。」
そして早朝にやってた運送で、いちばん待遇が良く安定している会社を選んで就職した。
Jは大特・牽引はもちろんフォークリフトも戦車も運転できるし、その明るい人懐こさですぐ気に入られちゃうんだそうだ。
PCショップを辞める時も惜しまれたが、Jは「もうPC業界も頭打ちだから」と未練は無かったようだった。
ショップの女の子にも人気者だったみたいなのに、寿退社宣言しちゃってお局さまがしばらく機嫌悪かったとか。
ほんとオープンなヤツ。
私も、今までより勤務時間を増やし収入をあげた。
ふたりのお給料でやっていけないことは無い。

しかし・・・
元夫にも養育の責任がある。
「無いものは出せない」と平気で言う元夫。
離婚協議書の作成はなかなか進まない。
このまま裁判にもつれてしまうのだろうか・・・ 









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光と影

2008年12月09日 22時05分08秒 | Weblog
私たちは朝まで何度となく愛し合い・・・

帰宅してから、私がとった行動はFさんにメールをすることだった。
OKの返事をもらってから、ずっと放置してあったFさんのメール。
約束の日まで、あと3日だった。
「お時間作ってもらったのにすみません。
 やはり会わない方が良いかと思います。
 ごめんなさい。
 お幸せに。」
のような内容を送ったように思う。
翌日、すぐに返事が来ていた。
「会えなくなってしまったのは仕方ないね。
 もう少し涼しくなってからのほうが良いのかな?
 またメールします。」
そんな内容だった。
七夕にかけた願いはかなうはずだったのに・・・
私はそのまま返事をせず、やがてgooアドレスを削除した。
7年近くつながりのあったFさん。
今の私があるのはFさんのおかげ。
感謝してもしきれないけど、私は私の伴侶を見つけた。
いつまでもFさんの幸せを願ってる。 
そして、私も幸せになるから。。。

♪だから ぼくも
  精一杯生きて 花になろう~  byオレンジレンジ「花」 

Sさんには携帯メールをした。
折り返しすぐにSさんからTelが来た。
どんな相手かとかいつ結婚するのかとか、根掘り葉掘り聞いてきた。
「祝福してくれるんじゃなかったの?」
Sさんは少し間を置いて「祝福するよ」と言った。
「Sさんも家族を大切にね。」

私がJとカップルになるということは、みんなが丸く収まるということではないか。
FさんもSさんも家族に帰るし、Kさんは結婚相手を見つけてご両親を安心させてあげられるし。
私もJも今の連れ合いと離婚できて、新しい人生を共に歩いていける。
誰に恥じることなく正々堂々と生きていこう。
私は明るい一筋の光・・将来に続く光・・を見つけたように思った。
異性関係を清算した私は、別のHNで作ったプロフを削除し、休止させていた今までのプロフを再開させた。
Jとの関係が確定した今、誰に振り回されることはない。
そうして私たちは、それぞれのお気にさんたちの手前もあるので、波風をたてないようにコミュニティでもふたりの愛を育んでいった。

Jは自ら元ホストだと告白した。
しかし、Jの過去はそれだけではなかった。
驚くべき早熟な初体験。
中学・高校と彼女以外にも女性が途切れることもなく。
湘南・・という土地柄もあるのか、ナンパしまくり逆ナンパもされまくり。
幼稚園からの親友(悪友?)とやりたい放題していたと。
自衛隊時代には、女顔の上にピアスをしていたせいかホモに間違われてゴリラーマンみたいのに襲われそうになったけど「何とか処女は守ったよ」なんてリアルだし。
ホストの世界に足を踏み入れたのは、自衛隊を出てからのこと。
ずっと高校時代の彼女に大失恋したトラウマから逃れられずにいたことで女性心理を研究し始め、それが高じてしまったらしい。
ホストも2年近くで限界を感じ、その後は別の仕事をしながらも何かしらで女性がいたみたい。
Jは人懐こいし可愛いから、すぐに年上の女性に食べられちゃうのかもしれない。
素でJも年上の女性が好きだと言っていた。
「その時の経験があるから、今はもうただひとりの人を大事にしたいと思う。
 おじいちゃんおばぁちゃんになっても、いつまでも愛し合っていきたいんだ。
 美月が俺の最後の女性だよ。」
嬉しがらせるのが上手なのは天性のものか元ホストだからなのか・・なんて考えたりもするけど。
Jといたら、一生退屈とは無縁かな。
私だって退屈させないし。
二人三脚のパートナーシップを取るには、お互いに対等でなければならない。
どちらかが寄りかかる気持ちを持っていたら転んでしまう。
私もJも、今までの結婚生活では活かしきれないパワーを持て余していた。
やっと活かせる相手にめぐり逢えたのかも。

・・となれば、次の行動はただひとつ。
それぞれの離婚だ。
私が子供たちを引き取るとなれば、あとは養育費の問題だけ。
そして元夫との不毛なやりとりが始まることになる・・・ 

 









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あの夏の日 ~つづき~

2008年12月08日 23時10分08秒 | Weblog
カップルがいれば、そのカップルの数だけドラマはあると思う。
その中でのHの占める割合もカップルそれぞれだろう。
それが全てのカップルもいれば、オマケのようなカップルもいるかもしれない。
本来ならふたりだけの秘め事・・
ただ、現在のJの人格形成上において、Hの話は避けて通れないことなの。
私たちの関係にも大きな影響を与える。。。

・・・と、言い訳をしつつ・・・

8月19日の続き。
変電所前からみなとみらいへドライブした後、Jはついにラブホへと向かった。
途中、牛丼(Jはすき家派)とコンビニのスィーツ(Jはミニスト派)を仕入れて。
虹色のネオン管でできた看板が綺麗だった。
私は泊まれるように、あらかじめ子供たちには段取っておいていた。
ラブホにお泊りなんて、独身の時以来だし。
部屋に入る時に、Jは見慣れない小さなバッグを持参していた。
聞いても「後でわかるよ。」とだけ。
ま・いっかと思いながらお風呂のお湯も入れたりして、こそばゆい気分を感じながらも一緒に牛丼&スィーツを食べる。
そうして、そろそろかと思いきや、Jの話は延々止まらない。
いつものように過去から未来まで様々なおしゃべりである。

今まで経験した男性って、こうゆぅところに来るとすぐにコトをいたそうとする人がほとんどだったけど。
Jは今までのどれにも当てはまらなかった。
先週のKissも最後の最後だったし、今回も話すだけ話して最後の最後にHになるのかなぁ・・・
それにしてももう深夜の2時である。
やっとJが「お風呂に入ろう」と言い出した。
ほの暗い照明に落とし私たちは一緒にお風呂に入った。
ちょっと恥ずかしい素振りなものの、Jは汗を流すと先に部屋へ戻っていく。
ん? 先に行っちゃうの?と思ったらタオルを持ってJが戻ってきた。
私の濡れた身体を拭いてくれたと思うとお姫様だっこ♪
そしてベッド・・・
しかし、その枕もとには。。。☆

なんと未開封のお道具が2種類、それとジェルが並んでいた。
「なにこれ~~!?」
「お道具だよ。
 美月が使いたかったら開けるよ。」
あの見慣れない小さなバッグがJのお道具入れだと知った。
☆★え★☆ お道具なんて使ったこと無いし。。。
何でプロフではあんな能天気なお子様キャラのJが、こんなお道具持ってるのよ☆
ドキドキしながらKiss・・・
先週のKissよりももっと濃厚で情熱的な。
このKissがしたかったの、Kissだけで充分感じちゃう。
Jの舌は私の身体を下へとたどり、やがて私の敏感な部分へ。
まったり絡みついてとろけるような感覚。
いつまでも続く感覚にその部分が熱くなる。
「あ。。。」
私はあっけなく果ててしまった。
・・・ところが、Jはそのまま止めることなく愛撫を続ける。
そこまで長くされたことの無い私は、Jが今までの男性と何かが違うことに気が付き始めていた。
3回目の絶頂でもやめないJに、私はついにギブアップを告げた。
Jは私の足の間から顔をあげると
「もういいの?3時間くらい平気だよ。」
「え、ダメ・・もうギブ★」
「そぅか、じゃ徐々に慣れていけばいいよ。」
ん?どういう意味?
頭がグルグルする中、Jは大切なものを扱うように神妙に私の中に入ってきた。
私たちは初めてひとつにつながる。
「美月 離さないよ。
 愛してる。」
想いをこめた愛の言葉。
ずっと私が欲しかったもの。
・・・暗闇の中、Jの頬が涙で濡れていた。
「美月と会えたことが嬉しいんだ。」
先こされちゃった・・私もJと会えたことが嬉しい。

ところが。
熱い波が去った後・・・Jはとんでもないことを言い始めた。
「美月と愛を確かめ合えたから言うんだけど・・・
 実は、俺 20代の頃2年くらい歌舞伎町でホストやってたんだ。
 そこで店外デートも仕込まれて、店と提携してる隣のソープのお姉さんにテクを教え込まれたの。
 No.3までなったんだけど、俺ってもともと相手を好きじゃなきゃ勃たないタチで、恋愛と仕事の区別がわかんなくなっちゃって辞めたんだ。
 妻はHが全然好きじゃなくて数えるくらいしかしてない。
 美月はHが好き?
 これからは美月をもっともっと気持ちよくさせてあげる。」 
天国モードってこのこと。。。
曖昧にうなづく私に、Jは更に続けた。
「AからZのコースがあってね。
 このお道具も美月のためのだよ。
 プロは電池を入れては使わないんだよ。
 こっちはお道具名人の手作りで、美月に合わせてサイズをオーダーしたの。
 子供産んでるってとこのだいたいのサイズだけど、気持ち良くてあっという間にイっちゃうよ。
 使いたくなかったら使わなくて良いし。
 クンニも5時間はできるから。
 自衛隊にいた時に、合同訓練の米兵からも舌の鍛え方を習ったんだ。
 もし自分のモノが役にたたなくなってもワイフを満足させられるようにってね。
 ねぇ、美月・・俺のこと嫌いになった?」
返事に窮している私にJは言う。
「美月、嫌いにならないで。
 いっぱい尽くすから。」

メールにあった「俺から離れられなくなるよ」って、このことだったんだ。
「元ホスト」なんて想像の範囲を越えている。
あぁ ヤバい。
お仕事でない愛情をこめたホストのテクなんて反則だ。。












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あの夏の日

2008年12月06日 18時55分26秒 | Weblog
その年の8月が、運命を決めたのかもしれない。

Kさんに別れのメールをしても、すぐには終われなかった。
何度となく未練のメールが届く。
付き合った実質は2ヶ月ほどなのに、Kさんにしたら中身が濃すぎたか。
私の意志が変わらないとわかると、Kさんは前にあげたCDを返せと言ってきた。
今まででこんなこと言ってきた男性は初めてかも。
私はKさんの了解を得て、最寄りの郵便局留めにして、今までのCDを全部送った。
もうこれでKさんは納得するしかない。

既婚のSさんには、渋谷の沖縄料理のお店で会った。
12歳年下でエリート商社マン、武道家で前途有望。
約半年くらいのお付き合いの中で、何度か都内の洒落たお店に連れてってくれたね。
Sさんなりに私に尽くしてくれてたけど、私と将来を過ごせる人じゃない。
紳士で頭も良く、話してても有意義だったので、その時はまだほのめかすだけにしておいた。
「Sさんは既婚だから、もし私に再婚するような人が現れたら祝福してくれるでしょ?」
「もちろんだ」とSさんは言った。
うん、予想どおりの返事。

そして Fさん・・・
七夕にかけた願いが通じたのか、ちょうどその頃、Fさんから会いたいとメールが来た。
前のようには会えないが、平日の昼間、仕事を抜けるので一緒にランチをしようという内容だった。
Fさんは仕事をさぼるような人では無いので、ほんとに仕事の合間を縫って私に会おうとしてるんだろう、と思った。
5年分のお付き合いでFさんの行動は読んでとれた。
あれほど想い焦がれて、生まれ変わってもまた会いたいと思ったFさん。
FさんとはいろんなRockコンサートやJazzライブに出かけた。
ワールドカップでひとりドイツに行くというサッカー好きなFさんに、本気で付いていこうと思ったりしたこともあった。
(現実には、子供たちや仕事の都合でダメだったけど)
オレンジレンジの「花」。
私の想いにぴったりの歌詞。
当時 流行ったあのCDアルバムをFさんにあげたなぁ。
そしてFさんは一度だけBOWYの「クラウディハート」を歌ってくれた。
想いが通い合った時もあったね。
わきまえた中での愛・・・
Jのことがあっても、会いたい気持ちはあった。
会ってもFさんと先は無いことはわかっていた。
妻の存在に気兼ねしながら会うのも不愉快・・という相反する気持ちもある。
それでも、私はとりあえず会う日時を決めた。
いつも遅レスのFさんなのに、Okの返事はすぐに来た。
もし・・・Jと恋人関係なったらキャンセルする・・・
そんなふうに思いながら、私はFさんのメールをそのまま放置した。

あの熱いKissの後・・・
Jは後髪ひかれながら、帰路についた。
それからのメールはさらに熱かった☆
「あんな素敵なKissは初めてだ。
 初恋のようにドキドキした。
 これから俺を知ったら美月はもっと俺から離れられなくなるよ。
 天国モードだよ。
 大丈夫かな。とろけちゃうかも。」
私はJのメールを真剣に受け止めてなかった。
何を根拠に、こんなオーバーな表現するかな~~~???
だいたい口で言ってるような人って、けっこう実際には大したこと無かったりするし。
私も最大級にHを愉しむから、今までの人って私から離れられなかったりするんだけど。
「Jが離れられなくなっても知らないよ♪」
なぁんて、お互いこの年だから会話で刺激しあうのもありだよね。
私はJの話をその程度にしか考えてなかったのだ。
あのKissの時、Jは「もう後戻りできないよ。」と言った。
もちろん私だってKissするからには覚悟を決めてたし。
次に会う時は、今度こそJは誘ってくるんだ。
あんな能天気なJがどんなリードしてくるんだろう。
再婚するからには、一生を楽しめるパートナーでいてほしい・・・

Jとの仲が進展しつつある私。
コミュニティサイトでも、ちょっと悪ふざけをして意味深なコメを残したくなる。
またJも意味深に返すから、Jのお気に入りさんたちは「あれは誰だ」と穏やかではなかった様子。
私の綴る日記とJの日記でみなとみらいの話がカブった時は大変だったみたい。
そぅか・・やっぱJってモテるんだ。
何で私なんだろうなぁ・・・ヨリドリミドリなんだろうに。

そうしていよいよ8月19日。
8月になってから毎週会っていた。
変電所前の防波堤にクルマを停め、また私たちはおしゃべりをした。
私は異性関係の不摂生を清算していると話した。
もうJと付き合う気持ちは固まっている。
Jは最初から再婚を考えていたので、女性から誘われても慎重に断っていたと言う。
唯一、私と知り合う前、右も左もわからないコミュニティで親切丁寧に教えてくれた女性に「俺と付き合ってみる?」と誘ったことがあったらしい。
けどそれは女性の方が「そんなつもりで教えたんじゃないのよ」と断ってきたとか。
今にして思えば断られて良かった、とJは言った。
私たちは今までの人生分、話すことはいくらでもあった。
それだけいろんな想いを自分ひとりで抱えて生きてきた。
同じ宿命をたどってきたふたりが、今から二人三脚していくことはそれほど難しいことでは無いように思える。
じゃ、Hのほうはどうなの・・?

というわけで、次回の話は18禁。。。 



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乗るか、そるか?

2008年12月05日 21時21分18秒 | Weblog
衝撃の一夜が明け・・・

次にJと会うのは、前に約束していた12日。
それまでによくよく頭を整理しないことには、返事もできない。

Jには13年間仕事場の方に別居している妻がいると言う。
時々は荷物を取りに戻ってくるが、ほとんど話もせず顔すら見ない時もあるとか。
いつもは高2・中3の娘がふたり、それと妻の母親の4人暮らし。
3年前、突然妻から離婚を切り出され、ずっと悩んだ末に昨年末覚悟を決めた。
決めたものの、どうにもひとりでは遣り切れなく、幼稚園からの親友(悪友?)にそのコミュニティサイトを教えられ、最初から再婚できる相手を探すべく登録したらしい。
しかし、コミュニティのやりとりが単なる出会い系のようにも思え、Jは心理学の本で勉強しながら、この半年の間私を分析していたのだと。
2度も結婚に失敗したくない、と言っていた。
自分の子供たちはふたりとも娘だし、おばぁちゃんとも離れないだろうから、離婚する時はJがひとり出てくれば良いのだそうだ。
夫婦はコミュニケーションを大事にしていきたい、これからは何でも一緒にやろう。
家事も子育ても一緒、毎日が虹色に染まるよ・・と、Jは将来を語った。

かつて・・・
Fさんとお付き合いしていた時、Fさんは私の真摯な態度を危ぶみ、何度か「ぼくは美月ちゃんの伴侶にはなれない。君を大事にしてくれる人を探すべきかもしれない。」と言っていた。
その割にはメールだけでもつながっていて、ほとぼりが冷めたら会いたいって話になっていたけど。
元夫との別居関係も2年近くなり、行き詰まりを感じていたことは事実だ。
何故かJと元夫とはカブるところが多かった。
同じ蠍座で、高校時代に暴走族をしていたこと。
お料理が趣味で、六星占で言うところの木星人。(Jは霊合星だけど)
だけど、Jはメチャメチャ明るく、いつも穏やか。
幅広く世間を渡ってきてるので、子供たちの後押しにも頼りになりそう。
経済観念も発達しているし、女性に尽くしてくれる。
Jは「何でも共有していこう」と言った。
楽しい老後を考えてパートナーを選んでいたところも、私の望むところだった。
今からふたりで作り上げていく老後は、どんなに楽しいだろうか。。。

気持ちが動いていた私は、まずJに本名を聞いた。
「あ、そう言えばまだだったね~」
ん~~能天気なJは素のままか☆
Jに賭けるか・・・
乗らなければ、私の人生はたぶんこのまま。
こんな破天荒で枠にはまらない人生を生きてきたJなら、私の人生を変えてくれるかもしれない。
Jは真面目に再婚相手を探していたし、私に結婚詐欺したって何の得にもならないよね。
少しずつ気持ちが固まってきた。

私はいちばん厄介なKさんにメールする。
何となく、Jの実年齢がわかったあたりから伏線は引いていたの。
「先日話していたとおり父の介護が忙しくなり、今までのように会えなくなりました。
 Kさんはまだ独身で、これから人生を充実させる時。
 やっぱり将来を考えられる女性に目を向けたほうが良いのではと考えます。
 今まで私のわがままに付き合ってくださって本当に感謝しています。」
みたいな内容だったかな。
Kさんは納得してくれなかった。
「他に好きな人ができたのか?」と訊かれた。
私はあくまでも父の介護を理由にした。
それとKさんの将来。
それでわかってもらうことで筋を通したかった。

もうすぐJとの4回目の約束の日・・
そろそろ美容院に行く予定だったので、何気にJにその話をメールすると
「髪の毛、切るの? 短くするのかな?」の返事。
「いつもどおり、伸びた分をカットするだけだよ。」と答えたら
「Jは短い髪が好きなの。
 もしJの好みになってくれるなら髪を短くしてきて。
 美月は細面で小顔だから絶対ショートのほうが似合うよ♪」
な・に~~~~☆★☆★
妊婦だった時以外はずっとロングで、今のシャギーのセミロングも気に入ってるのに。
どうする 私!?

8月12日。
うちの近所のファミレスでJは待っていた。
これで髪を短くして行ったら、もうJと付き合うって答えたようなもんだよね。
付き合うっていうことは=再婚するってことなんだよ。
まだ手もつないでないのに、いきなり残りの人生を一緒に歩んじゃうの?
それでJがHが下手だったらどうする?
私はオールマイティに楽しみたいのに。
・・・そう、私の心配はそっち。
だって今まで見てきた部分のJだったら一緒にやっていけると思う。
けど見えない部分はどう判断するの?
こればっかりは仲が進展しなきゃわからない。

Jは私のヘアスタイルを見て、大喜びだった。
こっちは何とも気恥ずかしい。。。☆
この日は、みなとみらいでデートをした。
私とJはこの日初めて、手をつないだ。
ワールドポーターズのイタリアンでパスタを食べ、スィーツを選び楽しいひと時。
Jはお料理が趣味なだけあってグルメで美味しいものをよく知っていた。
やがて夕暮れのみなとみらい。
川面に映る観覧車の虹色。
見慣れた風景なのに、Jといるだけで違った景色に見えてくる。

下世話な私は、もしかしたら今日はJと恋人関係になっちゃうのかもしれない・・と思っていた。
髪を短くしてJの好みになってきた私に、Jはどう応えるつもりなの?
Jはいつにも増して饒舌だった。
私に話しておきたいことや聞いておきたいことが山ほどあるらしかった。
またうちの近所にクルマを停めて、私たちの話は明け方まで続いた。
さすがに午前4時。
もう帰る・・となった時、Jは言った。
「今日はありがとう。
 髪の毛を俺の好みに短くしてきてくれた美月にお礼をします。」
そうしてJの掌が伸びて私の頬を包む。
少しはにかみながら・・ふたり初めてのKiss。。。
柔らかなJの唇。あ~これは恋人のKissだ。
優しく愛をこめて・・堰を切ったようにあふれる愛情。
離れられずに私たちは何度もKissをして・・
そして囁くようにJは言った。
「もう後戻りできないからね。」

むむむ。。。
先に待ってるのは天国か地獄か・・・ 










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*花火大会*

2008年12月03日 23時39分48秒 | Weblog
横浜にはみなとみらいで開催する大きな花火大会が、1年に3回ある。
6月の開港記念日と7月 海の日。
それから8月1日 神奈川新聞社主催の花火大会。
しかし、その年の7月の花火大会は、台風接近に伴って前日から中止が告知されていた。
私は8月1日の花火を心待ちにしていた。

当日、山手の丘の絶好な花火ポイントにいたにもかかわらず、Kさんは30分もしないうちに帰ろうと言い出した。
Kさんとのデートでも私のAudiで出かけていたので、私は仕方なく運転席にもどりハンドルを切った。
独身のKさんとはどうにも情緒が違った。
それなりに私を大事にしてくれてたのかもしれないが、私の心をうつまでには至らない。

その週は体調が悪かった。
持病の偏頭痛が出そうなくらいどんよりしていた。
朝、何気に見た新聞に、茅ヶ崎の花火大会が翌日日曜日に延期になったと載っていた。
ん? 日曜日ならJを誘えるじゃん♪
実は鎌倉の帰りに、次に会う日の約束をしてしまっていた。
来週会う約束が1週早くなったくらいなら大丈夫だよね・・と勝手に理屈つけた私は、早速Jにメールすることにした。
都合が悪いと言うなら諦めれば良いだけだし。
そう言えば、先日のJのプロフの日記に江の島の花火が自宅から見えると綴っていたっけ。
「茅ケ崎の花火大会が延期で日曜日になったよ。
 Jのおうちから見えたりするの?」
Jの即レス。
「そうなんだ。茅ヶ崎のは見えないよ。
 日曜日じゃ混んで大変だろうね。」
・・・げ★ あまり乗り気じゃなさそう・・
「そだね、人ゴミは大変だよね。」
「うん、クルマも混むしね。
 わざわざは行かないかな。」
・・・げ★ やっぱりダメっぽいや・・
「花火は綺麗なんだけど混むと疲れちゃうもんね。
 いつか一緒に見れたら良いね♪」
あきらめメールを送ったらJの返事。
「混んでるとこわざわざは行かないけどね。
 美月が花火をどうしても見たいって言うならいつでも連れてってあげるよ。」
・・・げ☆ なんだそれ~~~♪
「いいの? どうしても見たい♪」

そして8月5日。
Jはまたまた私の自宅の最寄りの駅にシルバーのハイエースでお出迎え。
Fさん以来、ずっと私は運転席だった。
Audiを運転するのは嫌いじゃなかったが、やっぱり私も女の子(?)助手席に座るのは嬉しい。
プロのドライバーなだけあってJは運転が上手だった。
それに運転しながら、変わらずにおしゃべりできるのもびっくり。
もっぱら暴走族や自衛隊の時のヤラカシ話で、私はお腹を抱えて笑いまくった。
初めて会った時から気になってたJの左腕のキズ痕。
日に焼けた左ひじ近くの縫合手術の痕・・銃剣訓練でケガしたとか。
なんかSEXYなんだよね。

Jは、湘南の気の利いた素敵な場所を熟知していてエスコート上手だった。
食事を終えておしゃべりをしていた時、ふいに花火の音が聞こえ始めた。
「ねぇ、花火の音が聞こえるよ。
 ど~んってあれ、花火でしょ?
 ここってそんなに花火の場所に近かったの?」
「そうだよ、始まったみたいだね。行こうか。」
Jは人混みを避けて少し高台にクルマを停めた。
私は思う存分 夜空に大輪の花火を楽しんだ。
絵を描くだけあって、Jは花火の色使いや形に繊細だった。
同じ蠍座だからロマンチシズムがぴったり共感するのかな。。。
体調が悪いのに、何で私はJに会いたかったのかな。。。
Jといると安心する。。。

花火が終わった後、Jは私を自宅まで送ってくれた。
もう11時近かったが「もう少し話していられる?」と訊いてきた。
「もう少しだけなら大丈夫。」
Jはクルマを少し離れた住宅街に停める。
話は、いつの間にか私たちが知り合った経緯をたどっていた。
「美月のプライベートはそんなに大変なのに、どうして付き合ってる男は助けてくれないの?」
私は、子供たちを育て上げるまでは軽はずみなことはできないこと。
それでも時にひとりが遣り切れなくて誰かに頼ってしまうけど、ほんとに心許して付き合ってるわけではないこと、などを話した。
Jは言った。
「気持ちわかるよ。
 そしたら俺に乗っかってみなよ。
 こんなに相性の良いカップルはいないよ。
 もう酸いも甘いも苦いも全て知り尽くして対処する方法もわかってる。
 俺たちならお互いを生かすことができるんだよ。
 美月は安定している男がいれば崩れる女じゃないんだ。
 俺は100年経っても変わらない。」
え~~~ちょっと何言い始めてるの!?
「私たち3回しか会ってないんだよ。
 それってちょっとプロポーズみたいじゃん☆」
「みたい・・じゃなくてそのまんまなの。
 どんなに長く付き合っていても分かり合えないカップルもいる。
 お互いを理解するのは時間じゃないんだよ。」
「だってJだって結婚してるじゃん。どうするのよ。」
「だから、ふたりで離婚するの。」
「待って。私は子供たちも一緒にだよ。」
「いいよ。俺は美月を幸せにしたいんだ。
 子供たちがいて美月が幸せになるなら、子供たちも一緒だよ。」
「あのね、付き合うつもりなかったからほんとのこと言ってなかったけど、私の子供は2人じゃなくて3人なの。」
「いいよ、何人だって☆
 だけどもし俺に乗っかる気があるなら、付き合ってる男みんな清算してよ。
 俺だって真面目に人生やり直したいんだから、そんな適当に付き合うみたいなのはごめんだからね。」

家に帰ったのは午前2時・・・
前回にも増して頭がぐるぐる。
なんでプロポーズ・・私たち互いの本名すら知らないのに。
それに恋人関係どころか手も握ってない。
こんな順序で良いわけ・・? 



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いざ 鎌倉!

2008年12月02日 23時38分59秒 | Weblog
休止したプロフ。

日記にお休みのお知らせを綴り、Kさんのプロフにお休みの挨拶をした。
ひとりで決めたことだから、念のためのカキコだった。
それからJのプロフ・・
せっかくまた普通にやりとりできるようになっての休止だから、心配かけないための挨拶のつもり。

翌朝、プロフチェックしたらJの返事があった。
そして携帯のメールにも・・・
「大丈夫。心配かけてごめんなさい。」みたいなことを書いてJに返す。
・・と、いきなり携帯の着信音が鳴った。
着信画面にはJのナンバーが☆
Jも私のTelナンバー、消してなかったんだ。。。
驚きながら・・でも、どこか嬉しさを隠せずにTelに出た。
心配そうなJの声がした。
休止の理由と、もうこれでコミュニティに帰ってこないのかを聞いてきた。
Kさんの猜疑心から逃れるために私が考えてたこと・・・
それは秘かに別のHNでプロフを作ることだった。
今までのプロフをそのままスケープゴートにしておけば、注意はそっちに引いておけると思った。
誰にも言うつもりはなかったのだが、Jだけには新しいプロフを立ち上げることを話すことにした。
「名前は内緒。探してみてね。」
なんちゃって・・けどJは安心したようにTelを切った。

新しいハンドルで立ち上げたプロフは、今までと違う新しい交流を生んだ。
その中で、唯一Jだけが私を知っている人物だった。
当然、今までより親しさが増したように感じてきた。
Jのプロフには何人もの女性の取り巻きがいたが、私はそれほど気にもせず、Jと意味深な会話を楽しんでいた。

そして2度目のデート(?)のきっかけは、Jの好んでいるお香だった。
教えてもらって探したんだけど、それほど熱心でもなかったので見つからなかった。
そんな話を何気にしたら、Jは箱買いしてるから1箱あげる、と言い出した。
ん~~~友達として付き合うと決めた手前 もう会うつもりは無かったんだけど。

ちょうどその頃に、お互いブッチャケ話のできる主婦友と飲み会をした。
正直、誰にしようか悩んでる・・Jが14歳年下じゃなきゃね~的な会話したっけ。

結局 またJの屈託ないキャラに負けて2回目の約束をしてしまった。
初めて会ってから約1ヶ月ほどたった7月22日。
今度は私の自宅の最寄りの駅まで迎えにきてくれた。
私はお香のお礼に、元町でJの大好物のチーズケーキを買っていった。
アメリカンタイプのレアチーズケーキ。
彼は広い後部座席にそれを置くと、大きなハンドルを廻して駅のロータリーを出た。
Jは早朝に10tやトレーラーを転がし、午後からPC組み立ての仕事をし、夜はお絵かきなんだそうだ。
それ以外にも、釣り船の船長をしたりするって。
資格のほとんどは自衛隊にいた時に取ったと言っていた。
高校の時は湘南暴走族でハジケてた話も。
見た目は軽くウェーブのかかったロン毛に女顔で、とても自衛隊で戦闘訓練してたとは思えない。
Jの趣味はお料理。
もともと好きだったが、自衛隊で先輩たちのおつまみを作っていて更に鍛えられたとか。

北鎌倉のパーキングにクルマを停め、鎌倉まで散策。
小町で釜めし。デザートにクレープ。
人ごみにまぎれそうになって、手をつないでしまおうかと何度思ったか。
八幡宮でお参り。
鎌倉なんて何年ぶりだろう・・・
何でJといるんだろう・・・
Jは何でこんなに私に優しいんだろう・・・
だってJはネットナンパなんてしなくても、絶対モテるはず。
私みたいな14歳も年上のおばさんなんて・・そりゃ実年齢に見られたことないけど、でも本当の年齢は前回の時に話してあるし、子供もいるって言ったし。

北鎌倉に戻ってきた時は、すっかり暗くなってきていた。
今回は子供たちの夕飯の準備はしてきたので時間は気にならなかった。
私たちはそのままクルマの中で話を始めた。
Jの話は相変わらず尽きること無く、面白可笑しく楽しかった。
しかし、さすがに10時過ぎては帰らなくてはいけない。
まだ2回目なのに、何時間いても飽きないってのも不思議だけど。
いつの間にかJは私に自分の想いを語り始めていた。
プロフにあれだけお気に入りの女性がいても、会ったのは私だけだということ。
ずっと私を見ていた、ということなどなど。
これはもしや口説いてるのかと怪しんだ私は、Jの話を遮って言った。
「けどね、私は14歳も年上なんだよ。」
するとJはとても言いにくそうにポツンと・・・
「ほんとにプロフ信じちゃってたの?
 聴いてる音楽の趣味でわかってたかと思ったけど」
「え?何を?」
「俺 3歳年下なだけだから。」
「☆★☆★何それ~~~☆★」
「だって単なるプロフだし、あの能天気キャラで実年齢だしたら似合わないじゃん。」
「え?んじゃ同じ40代なの?」
「そう。ごめんなさい。
 会ったら絶対バレるだろうと思ってた。」
「それ3コ下のルックスじゃないから。マジ信じてたし」
ほんと、マジ信じてたし。。。。
帰りのクルマで私の頭の中はグルグルだった。

Jが気になる存在になったのは、それからだった 








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