私 だまされたのかなぁ・・・
っていうか、Jのことは話だけで知らないことが多すぎる。
私のプライベートはJにオープンになっている。
子供たちに会い、実家の父は入院中だったので母に会ってもらい。
中学以来の親友にも会わせたし、講師仲間の友人にも。
亡き祖母の13回忌では親戚や弟にも紹介したのに。
やっぱり不公平な立場っていうのは不満を生むのかも。
この年代だから理解はあるつもりである。
今はJの長女の大学受験があるからいろいろと動ける時では無いし、実家の事業を引き継ぐのも簡単なことではないこともわかる。
だます・・って、私をだましても何のメリットもないし。
まさか元夫が別れようとしてJと策略でもしてるのかな、同じ不動産つながりだし・・みたいに考えたりもした。
けど、それにしても何も一緒に住めない理由をわざわざ家の事業やおばぁちゃんの認知症にして話デカくする必要ないよね。
だって、去年Jに結婚を口説かれてた時は、ふたりの貯金や収入を計算してこうやっていこうとか、思い切って家を買ってしまおうかとか、けっこう質素で堅実な話をしていた。
ところが今年Jの実家の事業を明かされてからは、住むところも生活内容もセレブみたいな話になってきている。
Jのご実家の暮らしも雲を掴むみたいなセレブ話で、今の庶民的なJとは想像もできないくらいかけ離れている。
私は何でもこの目で見ないと信じないタチだし。
そんなような話をJにすると、全部ちゃんと自分なりに段取っていくから信じて協力してきて欲しいと言われた。
「うるさい親戚もいるし、この年齢だけにきちっと美月を迎えたいんだ。」
そして披露宴は親戚一同招かなくちゃいけないけど、結婚式はふたりだけでハワイでクルーザー借り切って船上サンライズサンセットだと語る。
Jは船舶免許も持ってるから確かにありだけど、新婚旅行やらその後の生活やら、まるで夢物語。
ほんとに実現するの?
引っ越して同居する話すらドタキャンになっちゃったのに★
引っ越したものの長男は転居先に居つかなかった。
長男はせっかく推薦で入った大学を1年でやめてフリーターになっていた。
仕事先が前のマンションの傍ということもあって、前の住まいに戻ってしまった。
まだ売却のメドがたってないようで、マンションがそのままだったこともあった。
しかし電気もガスも水道も止まっている状態、結局同じマンションにある私の実家に住むことになった。
父の今の状態では退院の見込みはたたず、骨折のリハビリ中の母ひとり住まいにあって長男の同居は心安まる想いだった。
私も正直体力的にそれほど実家に顔も出せないし。
けど、長男の人生を考えるとそのままで良いわけはない。
ほんとに私は非力だと思う。
子供たちにも親にも何も満足にしてやれない。。。
落ち込む私。
Jはいろいろ相談にのってくれた。
部屋に来る日も週末だけでなくもう1日増やしてくれた。
一緒にボーリングも始めて、お揃いのマイボール・マイシューズ・マイバッグで毎週 夫婦のようにボーリング場に通ったりもした。
時には私の次男長女も一緒にビリヤードやボーリングで楽しませてくれた。
Jなりに気を遣ってくれてるのはわかる。
私ももう少し辛抱しなくちゃいけないのかも。
でも辛抱できないこともあった。
それはJの過去女話。
何でも話してくれて終わったことだし裏が無いってことらしいけど、別に大失恋した彼女とどんなHしてたかとか、親友と何人ナンパしたか競い合ったとか、小料理屋のママがどうだとか、私には関係ないし。
私は過去男話はJと知り合った当初話しただけで、あとは封印してあるんだぞ。
それも気遣いってもんだろう。
めったにケンカしないんだけど、それはケンカした。
ほんと不愉快。
辛抱することないもんね。
引っ越して2ヶ月・・長女の部活も決まり、少し落ち着きかけた6月。
長く糖尿病を患っていた父の容態が日に日に衰えていく。
血管も心臓も良くなく、腎臓もついに透析する状態に陥っていた。
少し前までは声も出していたのに、目で意思の疎通を図るだけだし。
主治医に危ないと言われてから父は少し持ち直した。
私は引っ越し先からあわてて飛んできていたのだが、持ち直した父を見てほっとした。
父は若いころからスポーツマンだったし、心臓は丈夫だと勝手にタカをくくっていた。
父の日には枕元に大きな花かごを飾った。
「お父さん、早く元気になっておうちに帰ろうね。」
目はしっかり開けていたけど、父には見えてなかったかもしれない。
また数日後、血圧低下と病院から呼び出され、母とふたり深夜の病室で父と過ごす。
眠ったきりだった父が、その時何故か大きく目を開けた。
キョロキョロとあたりを見回し、母と私と見交わした。
父はしばらく目を開けていて、母と私は無口な父を交え話し込んだ。
私たちのおしゃべりが父には聞こえてくれたかな。
いつもの如くうるさいなって思ってたかな。
その晩は急変することなく過ぎた。
翌夕方まで実家に待機していたが、緊張と徹夜で偏頭痛になってしまった私は、とりあえず自宅へ帰ることにした。
また持ち直すだろうと思っていた。
1時間半かけて自宅に帰り着いた時、携帯が鳴った。
「娘さんですか?
ご自宅にお戻りですか?
落ち着いて聞いてくださいね。
お父様がもう息をしていない状態です。
お母様はお出でになっていますが、娘さんも病院に来ていただけませんか。
・・急がなくて良いですから。」
看護師さんの優しい声に涙があふれた。
そうか、もう急がなくて良いんだ・・・
父に幸せな姿を見せたかったのに
っていうか、Jのことは話だけで知らないことが多すぎる。
私のプライベートはJにオープンになっている。
子供たちに会い、実家の父は入院中だったので母に会ってもらい。
中学以来の親友にも会わせたし、講師仲間の友人にも。
亡き祖母の13回忌では親戚や弟にも紹介したのに。
やっぱり不公平な立場っていうのは不満を生むのかも。
この年代だから理解はあるつもりである。
今はJの長女の大学受験があるからいろいろと動ける時では無いし、実家の事業を引き継ぐのも簡単なことではないこともわかる。
だます・・って、私をだましても何のメリットもないし。
まさか元夫が別れようとしてJと策略でもしてるのかな、同じ不動産つながりだし・・みたいに考えたりもした。
けど、それにしても何も一緒に住めない理由をわざわざ家の事業やおばぁちゃんの認知症にして話デカくする必要ないよね。
だって、去年Jに結婚を口説かれてた時は、ふたりの貯金や収入を計算してこうやっていこうとか、思い切って家を買ってしまおうかとか、けっこう質素で堅実な話をしていた。
ところが今年Jの実家の事業を明かされてからは、住むところも生活内容もセレブみたいな話になってきている。
Jのご実家の暮らしも雲を掴むみたいなセレブ話で、今の庶民的なJとは想像もできないくらいかけ離れている。
私は何でもこの目で見ないと信じないタチだし。
そんなような話をJにすると、全部ちゃんと自分なりに段取っていくから信じて協力してきて欲しいと言われた。
「うるさい親戚もいるし、この年齢だけにきちっと美月を迎えたいんだ。」
そして披露宴は親戚一同招かなくちゃいけないけど、結婚式はふたりだけでハワイでクルーザー借り切って船上サンライズサンセットだと語る。
Jは船舶免許も持ってるから確かにありだけど、新婚旅行やらその後の生活やら、まるで夢物語。
ほんとに実現するの?
引っ越して同居する話すらドタキャンになっちゃったのに★
引っ越したものの長男は転居先に居つかなかった。
長男はせっかく推薦で入った大学を1年でやめてフリーターになっていた。
仕事先が前のマンションの傍ということもあって、前の住まいに戻ってしまった。
まだ売却のメドがたってないようで、マンションがそのままだったこともあった。
しかし電気もガスも水道も止まっている状態、結局同じマンションにある私の実家に住むことになった。
父の今の状態では退院の見込みはたたず、骨折のリハビリ中の母ひとり住まいにあって長男の同居は心安まる想いだった。
私も正直体力的にそれほど実家に顔も出せないし。
けど、長男の人生を考えるとそのままで良いわけはない。
ほんとに私は非力だと思う。
子供たちにも親にも何も満足にしてやれない。。。
落ち込む私。
Jはいろいろ相談にのってくれた。
部屋に来る日も週末だけでなくもう1日増やしてくれた。
一緒にボーリングも始めて、お揃いのマイボール・マイシューズ・マイバッグで毎週 夫婦のようにボーリング場に通ったりもした。
時には私の次男長女も一緒にビリヤードやボーリングで楽しませてくれた。
Jなりに気を遣ってくれてるのはわかる。
私ももう少し辛抱しなくちゃいけないのかも。
でも辛抱できないこともあった。
それはJの過去女話。
何でも話してくれて終わったことだし裏が無いってことらしいけど、別に大失恋した彼女とどんなHしてたかとか、親友と何人ナンパしたか競い合ったとか、小料理屋のママがどうだとか、私には関係ないし。
私は過去男話はJと知り合った当初話しただけで、あとは封印してあるんだぞ。
それも気遣いってもんだろう。
めったにケンカしないんだけど、それはケンカした。
ほんと不愉快。
辛抱することないもんね。
引っ越して2ヶ月・・長女の部活も決まり、少し落ち着きかけた6月。
長く糖尿病を患っていた父の容態が日に日に衰えていく。
血管も心臓も良くなく、腎臓もついに透析する状態に陥っていた。
少し前までは声も出していたのに、目で意思の疎通を図るだけだし。
主治医に危ないと言われてから父は少し持ち直した。
私は引っ越し先からあわてて飛んできていたのだが、持ち直した父を見てほっとした。
父は若いころからスポーツマンだったし、心臓は丈夫だと勝手にタカをくくっていた。
父の日には枕元に大きな花かごを飾った。
「お父さん、早く元気になっておうちに帰ろうね。」
目はしっかり開けていたけど、父には見えてなかったかもしれない。
また数日後、血圧低下と病院から呼び出され、母とふたり深夜の病室で父と過ごす。
眠ったきりだった父が、その時何故か大きく目を開けた。
キョロキョロとあたりを見回し、母と私と見交わした。
父はしばらく目を開けていて、母と私は無口な父を交え話し込んだ。
私たちのおしゃべりが父には聞こえてくれたかな。
いつもの如くうるさいなって思ってたかな。
その晩は急変することなく過ぎた。
翌夕方まで実家に待機していたが、緊張と徹夜で偏頭痛になってしまった私は、とりあえず自宅へ帰ることにした。
また持ち直すだろうと思っていた。
1時間半かけて自宅に帰り着いた時、携帯が鳴った。
「娘さんですか?
ご自宅にお戻りですか?
落ち着いて聞いてくださいね。
お父様がもう息をしていない状態です。
お母様はお出でになっていますが、娘さんも病院に来ていただけませんか。
・・急がなくて良いですから。」
看護師さんの優しい声に涙があふれた。
そうか、もう急がなくて良いんだ・・・
父に幸せな姿を見せたかったのに