半袖が心地よい陽気になった。
5月も今日で終わる・・・
退職金が振り込まれていた。
7年働いて、100万にも満たない。
新卒で入社して定年まで働いたのであれば、1000万単位で考えられるのだろう。
サラリーマンて大変だけど、それなりの企業で安定的に働けるなら、ちゃんとそれなりの保証はされるみたい。
厚生年金も、今のところはまだ手厚い。
やっと社会の仕組みがわかってきたところで、今更なんだよね。
自分のことより、子供たち3人の将来が順風であるように、安全安心な道筋を作っていくべき。
超高齢社会として未来を担う子供たちに、せめて苦労は減らしていきたい。
そう、母のことも・・・
ほんとうなら、今頃 手術も終わり、次にするべきことが現実になっているはずだった。
ほんとうなら・・・
なんで 母はここにいる?
検査入院を終え、その後の本入院も無事に果たし、一夜明けた手術直前。
麻酔をかける土壇場になんて、母は手術を拒否したらしい。
執刀医から電話がかかってきて、初めて事の顛末を聞かされた。
慌てて退院手続きとなり、なんで手術が中止になったのかわからないでいる母を連れて、帰宅した。
手術前、思ったままを口にしただけの母は、コトの重大さをわからずにいた。
帰宅して、母が言った言葉の意味をわからせて初めて、母は取り返しのつかない事態になったのだということに気が付いた。
アトノマツリである。
そう、母はあろうことか、これから2つの難手術に挑もうとする執刀医に
「このまま死んじゃっていいですから・・」
みたいな意味の言葉を言ったとか。
私の怒りとは裏腹に、入院先の看護師も執刀医も母に優しかった。
ケアマネも付き添ってくれた叔母も、みんな母の気持ちを慮ってくれようとした。
Jすらも。
泣きたいのは私だよ。
ここまでどれだけの神経を遣って、本入院までこぎついたか。
母に万が一を考えて、手術までの間 母の好きなものを食べさせ、上げ膳据え膳した結果がこれだなんて。
術後の苦しみから逃れたいがために<死>を望んだ究極の自己中としか思えない。
もう次のステージにコマを進めるだけだった私の人生は、また道を見失った。
一生 母を許さない!
・・・と思っても。
母の食事を用意して、なんでもやりっぱなしの母の後片付けをして・・
どうしたってやらないわけにいかない。
ほんと親孝行という呪縛。
TOP画像は、山下公園の白い紫陽花。
あの通りの花は、何故か白い花が多い。
山下公園は、今年もガーデンネックレス。
バラ園は、あいにくもう季節が終わりかけていたが、それでも花が絶えることは無い。
母への怒りが、少しは収まっただろうか?
そのままコメダでたまとまサンドとまっしろノワールを注文。
ソロ活もすっかり慣れ、好きなものを好きな時に食べられるようになった。
これでだいぶ心穏やかになったかも。
元々はJに教えてもらったコメダだけど、今やすっかりお気に入り。
前はクルマで行くような場所ばかりだったので、Jに連れて行ってもらうの待ってたら一生行けない!・・と思ったら、私の生活圏内にもコメダ進出中。
今度は何を食べようかな~~ (*^^*)
ハローワークも、とりあえず介護関係の職場を探してもらってる。
パート希望なので、焦らずに探そうと思う。
母が予定通りに手術していれば、今頃 次の就職先に向けてコマを進めているところだったのに。
そういうタイミングだった。
もちろん部屋の片付けも。
・・今更 言っても仕方のないことだ。
田舎生活時代のケアマネさんも、90才代のお母さまが脳梗塞で寝たきり状態。
リハ病院を経て来月 在宅に切り替える。
右マヒ胃瘻など、在宅で看るには大変だと思うけど、ケアマネさんはありったけの情報を駆使して、仕事と両立させる段取りを組んでいる。
偉いなぁ~~~~
「だって療養型に入れるのヤだもん。」
私は、母がもし寝たきりになったらどうしよう。
手術後に自発呼吸ができず、いろんな管につながれたまま寝たきり状態になってしまったら・・・
「チューブとか苦しいから外してくれって言って、外して、そのままゆるゆる穏やかに亡くなった方もいたよ。」
ケアマネさんはそんな情報も教えてくれた。
死にたいと言ってた母には、そういうことも考えてたほうが良いのだろうか。
母の気持ちに寄り添いたいと思っても、何が母の本心なんだろう。
自分がラクになることしか考えていない母だ。
私がどう気遣おうと、気にも止めないだろうと思ってしまう。
哀れだね。
とにかく仕切り直し。
ドン臭い母に振り回されるつもりはない。
実は 先週から降圧剤を飲み始めている。
もっと下がるかと思ったら、母のことがあって全く変化なし☆
だけど自分の健康管理だって、怠らないよ。
私の足を引っ張るのは、揃いも揃って<木星人>。
元夫も母親もJも。
絶対に負けない!
・・ほんと未完で終わりたくない。。。
5月も今日で終わる・・・
退職金が振り込まれていた。
7年働いて、100万にも満たない。
新卒で入社して定年まで働いたのであれば、1000万単位で考えられるのだろう。
サラリーマンて大変だけど、それなりの企業で安定的に働けるなら、ちゃんとそれなりの保証はされるみたい。
厚生年金も、今のところはまだ手厚い。
やっと社会の仕組みがわかってきたところで、今更なんだよね。
自分のことより、子供たち3人の将来が順風であるように、安全安心な道筋を作っていくべき。
超高齢社会として未来を担う子供たちに、せめて苦労は減らしていきたい。
そう、母のことも・・・
ほんとうなら、今頃 手術も終わり、次にするべきことが現実になっているはずだった。
ほんとうなら・・・
なんで 母はここにいる?
検査入院を終え、その後の本入院も無事に果たし、一夜明けた手術直前。
麻酔をかける土壇場になんて、母は手術を拒否したらしい。
執刀医から電話がかかってきて、初めて事の顛末を聞かされた。
慌てて退院手続きとなり、なんで手術が中止になったのかわからないでいる母を連れて、帰宅した。
手術前、思ったままを口にしただけの母は、コトの重大さをわからずにいた。
帰宅して、母が言った言葉の意味をわからせて初めて、母は取り返しのつかない事態になったのだということに気が付いた。
アトノマツリである。
そう、母はあろうことか、これから2つの難手術に挑もうとする執刀医に
「このまま死んじゃっていいですから・・」
みたいな意味の言葉を言ったとか。
私の怒りとは裏腹に、入院先の看護師も執刀医も母に優しかった。
ケアマネも付き添ってくれた叔母も、みんな母の気持ちを慮ってくれようとした。
Jすらも。
泣きたいのは私だよ。
ここまでどれだけの神経を遣って、本入院までこぎついたか。
母に万が一を考えて、手術までの間 母の好きなものを食べさせ、上げ膳据え膳した結果がこれだなんて。
術後の苦しみから逃れたいがために<死>を望んだ究極の自己中としか思えない。
もう次のステージにコマを進めるだけだった私の人生は、また道を見失った。
一生 母を許さない!
・・・と思っても。
母の食事を用意して、なんでもやりっぱなしの母の後片付けをして・・
どうしたってやらないわけにいかない。
ほんと親孝行という呪縛。
TOP画像は、山下公園の白い紫陽花。
あの通りの花は、何故か白い花が多い。
山下公園は、今年もガーデンネックレス。
バラ園は、あいにくもう季節が終わりかけていたが、それでも花が絶えることは無い。
母への怒りが、少しは収まっただろうか?
そのままコメダでたまとまサンドとまっしろノワールを注文。
ソロ活もすっかり慣れ、好きなものを好きな時に食べられるようになった。
これでだいぶ心穏やかになったかも。
元々はJに教えてもらったコメダだけど、今やすっかりお気に入り。
前はクルマで行くような場所ばかりだったので、Jに連れて行ってもらうの待ってたら一生行けない!・・と思ったら、私の生活圏内にもコメダ進出中。
今度は何を食べようかな~~ (*^^*)
ハローワークも、とりあえず介護関係の職場を探してもらってる。
パート希望なので、焦らずに探そうと思う。
母が予定通りに手術していれば、今頃 次の就職先に向けてコマを進めているところだったのに。
そういうタイミングだった。
もちろん部屋の片付けも。
・・今更 言っても仕方のないことだ。
田舎生活時代のケアマネさんも、90才代のお母さまが脳梗塞で寝たきり状態。
リハ病院を経て来月 在宅に切り替える。
右マヒ胃瘻など、在宅で看るには大変だと思うけど、ケアマネさんはありったけの情報を駆使して、仕事と両立させる段取りを組んでいる。
偉いなぁ~~~~
「だって療養型に入れるのヤだもん。」
私は、母がもし寝たきりになったらどうしよう。
手術後に自発呼吸ができず、いろんな管につながれたまま寝たきり状態になってしまったら・・・
「チューブとか苦しいから外してくれって言って、外して、そのままゆるゆる穏やかに亡くなった方もいたよ。」
ケアマネさんはそんな情報も教えてくれた。
死にたいと言ってた母には、そういうことも考えてたほうが良いのだろうか。
母の気持ちに寄り添いたいと思っても、何が母の本心なんだろう。
自分がラクになることしか考えていない母だ。
私がどう気遣おうと、気にも止めないだろうと思ってしまう。
哀れだね。
とにかく仕切り直し。
ドン臭い母に振り回されるつもりはない。
実は 先週から降圧剤を飲み始めている。
もっと下がるかと思ったら、母のことがあって全く変化なし☆
だけど自分の健康管理だって、怠らないよ。
私の足を引っ張るのは、揃いも揃って<木星人>。
元夫も母親もJも。
絶対に負けない!
・・ほんと未完で終わりたくない。。。