あの日から73年経ちました。
広島もですが、今の長崎を見ても原爆が落とされたとは思えない景色が広がる観光都市。
ロシアが日本のンドに攻め込む前に日本に降伏させたかったのか、
日本本土決戦で日本の徹底抗戦が予想されたのか…
結局は、広島とは違うプルトニウム型の原爆が落とされ、
終戦後ABCCが設置され、
長崎と広島のそのデータは全てアメリカに…
それは戦争を利用した人体実験そのものだったとしか言いようがない。
おそらく米国からするとプルトニウム型のファットマンも、
広島と比較できるような平野に落としたかったことでしょう。
世界に先んじて原爆を使用され、
その威力の凄まじさゆえ、
人の上で最後の原爆が落とされた地となった長崎。
アメリカも戦争に使用できるのは、
広島・長崎が最初で最後と思っていたのかもしれません。
核兵器…
今では持つことに意味がある兵器になってしまいました。
軍事バランスを変えようとする国が欲しがる。
まるでチェスの駒のように…
世界でで最初にプルトニウムを製造した地ハンフォード。
そこに隣接するリッチランドの住人は、
核爆弾が世界で最初に製造された地を誇りに思われてる方が多いとか。
そこの飲食店では予想通りのアトミックなメニューがずらり。
さらに、そこの高校のマークにはキノコ雲がデザインされているという現実。
ただ嬉しいことに米国での核兵器に対する考えは、
全体ではまだまだ核肯定者が多いものの、
若い人ほど否定的な人が多いそうです。
中国がさらに台頭し、
アメリカがさらに影響力をなくし、
在日・在韓米軍が撤退し、
自分の国は完全に自分で守らなければならないという空気になったら、
当然核保有論が熱を帯びてきそうですが、
米国の核の傘から外れたとしても、
日本だけは核保有をしないでほしい、
と切に被爆二世の私は願います。
長崎出身で一番有名な人物と言ったら、福山雅治さんでしょうか。
昔はさだまさしさんだったんですけどね。
個人的にはあまり好きではない福山雅治さんですが、
被爆二世という共通項が〜
数年前、年末の紅白で坂本小学校の子供達とクスノキを歌っていましたが、
坂本小学校は私の母校。
以前よりちょっぴりですが、そこまで毛嫌うことはなくなりました(笑)
いつもは正午のブログ更新にしていますが、
今日は長崎に原爆が落とされた11時02分の更新に…。
職場の地域でも尾の時間にサイレンが鳴るみたいです。
前日呼びかけの町内放送が流れてましたから。
いつもより早い更新に「おや?」と…
でも一枚目のお写真を見て「!」と…
長崎と広島の原爆…
戦争終結のための必要悪ではなく
単に、アメリカの威力を世界に見せつけ
「イエロージャップが二度とホワイトに歯向かわないように」し、
それまでの戦争でも同じように行われた
「新兵器の実験」のために
「それだけの」ために
尊い生命を根こそぎ奪い、
残された人々の人生を狂わせた、まさに悪魔の兵器。
悪魔だってそんなことしないかも。
この世で一番残忍なのは、人間、なんですね…
自国尊重の正義と平和を振りかざし
いとも簡単に平和を壊しておいて
「世界に秩序と平和をもたらすために戦った」とシレッと言ってのける…
日本での「核兵器」使用後の惨状が広く知られてから
世界は「核」の怖さを認識した。
そしたら「核」を、お手軽な「脅し兵器」として使う国が現れた。なんたる悪知恵!
しかも他の国々が「核」を我も我もと持ち出した……
被曝者の苦しみが、そんなことに利用されるなんて許せないことです。
『賢者は歴史から学ぶ』
どうやら地球上の指導者に賢者はいないようです(苦笑
「核」は使わなくても戦争して奪う、壊すの繰り返し。
被曝された方の体験から学ぼうとは思わないのでしょうか?
それとも「自分には関係ない」と思っているのでしょうか?
日本の防衛力は、脆弱な部分があるのは否めない今
「核」を持てば、アメリカからの独立は果たせ
かつ、周辺諸国に脅かされずに済む……理屈の上では
「核」は魅力的に思えてしまいます。正直に言いますと。
ですが、あの被曝の惨状を思うだに
やはり、この日本だからこそ、「核」は持たないでほしい…と思います。
原爆で亡くなられた全ての尊き御霊に心より哀悼を捧げます。
今なお、後遺症に苦しまれるみなさまに、衷心よりお見舞い申し上げます。
原爆は必要だったのか…
当時の軍部は本土決戦やる気満々だったみたいですが、
米国も計画こそすれ、日本上陸作戦は避けたかったのだろうと思います。
こんだけ兵力と国力に差があって、
コテンパンにやられ続けてるのに…
戦争言い出した軍部が後に引かれず国民まで巻き込んで…
首都東京は徹底的に焼き尽くされ、結局原爆投下。
ただの爆発だけでない原爆の恐ろしさは、
1発目の原爆実験で解っていたこと。
いつも戦争の中で新型兵器が使われますが、
原爆はその凄惨さが分かっていながらの使用…
しかも番う種類の原爆を落として、
後でデータを拾いに来るという、
ほぼ実験状態の原爆投下。
米国が時刻の利益のため、
世界中に敵をつくってしまっているのもうなづけます。
でも被爆者の多くは米国憎しではないと思うんです。
二度と怒らないように核廃絶。
HIBAKUSHYAは私達で最後に、という願いだと思います。
ごろんたさんがおっしゃるように、
この世で一番残忍なのは、人間なのだと思います。
一番知恵があるからこそ一番残忍なのかも。
賢者は歴史から学んでほしいのですが、
その当時の賢者が作り上げた原爆。
日本も作れるだけのプルトニウムと技術は持っていると思いますが、
自衛隊が日本軍に変る時がいつの日か来るのかもしれません。
でも、核武装の放棄だけは遵守してほしいと願います。
そしていつか核廃絶を…
実は長崎の原爆資料館、
かなり前にリニューアルしてるのに行ったことがないんです。
リニューアル前なら学校行事等でよく行っていたんですが。
いや、それどころか周辺で遊んでたりしてました(笑)
灯台下暗しでしょうね。
時間が空開けば行ってみようかと思います。
核兵器の恐ろしさ、
実際に自国に落とされ、被曝してみなければ
わからないのかもしれません。本当の痛みは。
(こう書いている自分でさえ、被曝していない。
被曝者の方々の痛みを共有したつもりになっても
本当のところは…万分の一の苦しみさえ、
わかって差し上げられない…のが情けなくて悲しい)
でなければ、「アメリカは良いことをした。核爆弾を作って戦争を止めた」
なんて…言えないです…
どんな爆弾でも、人を傷つけ、自然を傷つけ、尊厳を失わせ
痛みを与えているのですから、賞賛するなんておかしなことですよね。
日本の軍部も、もっと国民の痛みに目を向けて欲しかった…です
当時の日本政府もメンツは失ってもいいから、
本当に国民が大事なら
国民を一刻も早く戦争から解放する術を考えるべきでした。
あれ?…今の北朝鮮と昔の日本、似てますね(^^;)
大きな大戦を経験しても、精神が発達しないまま、
文明だけが発達してしまい、その結果の悲劇が原爆だと思います。
賢人は、すごいものを作るばかりでなく、使用した場合の結果を算出し、
悪用されないための方策を練るべきでした。
Ifの世界として、自分や自分の家族が
同じ被害を被った場合を想像して欲しかった…!
時には、偉大な発明なんてない方が良い結果を生む気がします。
発明より、精神発達した方が戦争も起きないと思う今日この頃です。
原爆資料館、まだ行ったことがないのですが、
師匠にとって、その周辺はいわゆる「お庭」だったんですね。
涙もろいのが進まないうちに、一度は訪ねなくては…と思ってます。
師匠…福山氏お好きでなかったのでしたか〜〜〜
実はごろんたも…どうにも…何をされたわけでもないのですが
ファンにはなれません…無理なタイプ(笑むこうからも言われそう)です〜
姉はなぜかファンだったみたいですが、氏が結婚した時
怒り爆発してグッズを処分しちゃったみたいです〜(^^;)
習った「黒焦げの少年」を思い出します。
もし、わが子だったら・・・・
あおりどめは子を持つ父となったので
とても悲しくなります。
アメリカで研修したとき、上司からのパワーハラスメントで
悩んできた時期に「Nagasaki」という言葉を上司から
放たれた経験があります。
意味は「酷い目にあわせてやる」という意味なのですが
(Hiroshimaは世界でもよく知られていて、侮蔑に使うには
あまりにもひどいので、Nagasakiという単語に置き換えて使う)、
当時、英語が苦手なあおりどめはすぐに理解ができませんでした。
また、日本人というだけで握手を拒否されることもありました。
(特に東日本大震災のあと)全てのアメリカ人がそんな人ばかり
ではありませんが、一部そういう恐ろしい思想をお持ちの方が
現在もいらっしゃるので気持ち悪いです・・・・
旧ドイツやアメリカの実験のおかげで医学が進歩したと
肯定的な意見も聞くので気持ち悪いです・・・・
もっと気持ち悪いといえば、無関心なことです。
原爆投下日?そんなの知らないよ~テストに出ないでしょ。
あーあ。また平和学習?自分には関係ないしー
日本の防衛なんかもピンとこないし~ みたいな無関心。
国がどうなろうと、自分の未来はどーせ真っ暗。詰んでるし。
昔話よりも毎日を生き抜くのが精いっぱいなんだよ!と
逆ギレする方もいて、閉塞した社会情勢も恐ろしいです・・・・
また、様々な意見はありますが、昨日、沖縄県知事の
訃報では、ネット上で恐ろしいコメントを書く方がおられ、
日本はどうなっちゃうんだろう?とあおりどめは不安です。
過去の歴史は絶対に変わりませんが、
今を生き抜く私達が、長いものに巻かれすぎないで、
ほんの少しでもよりよい平和な未来を創りたいですね。
ブログの更新時間気が付きませんでした(^◇^;
お疲れさまです。
ここ2日間朝晩が30度を切ってくれて涼しいです〜
なぜだかいつもこの原爆の日は晴れが多いです。
私も被爆2世なので、小学校の平和教育等でしか話は聞いたことがありません。
親父からはあまり原爆の悲惨さは聞いてはいません。
原爆の凄惨さを話すということは、
自ら悪夢を思い出さなくてはいけないからなのかもしれません。
米国でも実験や製造段階で被爆された方はいらしゃいますが、
頭上に爆弾が落とされたのは後にも先にも日本だけ。
その凄まじい威力を賞賛する…
悲しいことですね。
自衛隊好きなら当然旧軍も好きだろうと周りの人から思われているみたいなのですが、
旧軍大っ嫌いなんです。
メンツばかりが先走って現場の戦場は無視…
嘘の大本営発表…
日報問題など自衛隊(防衛省)も同じなのでしょうが…。
戦前の日本って今の北朝鮮に似てますよね。
鬼畜米英〜なんて行って国内を鼓舞するところなんてそっくり…。
偉大な発明…原子力も最初は偉大な発明だったのかもしれませんね。
インターネットもそうですが、
結局争いのために使われてしまいますよね…。
なんだかな…やっぱり人類って、
争いを起こさないと行けないように出来てるんでしょうかね…
経験しなくても体感できるような仕組みができると、
戦争は無くなるかも。
旧原爆資料館の周辺は庭でした〜(笑)
といってもえっちらおっちら自転車で行ってました〜
はしゃぎすぎて溝に落ちて怪我したり〜
原爆資料館に行くのに長崎大学医学部を通り抜けてたんですが、
今は通り抜け禁止。
医学部のグラウンドでも遊んで、見つかったら速攻逃げてました(笑)
福山雅治はかっこつけとるから好きじゃなかとです〜
くそ〜〜被爆二世という共通項さえ無ければ〜(笑)
なんと御姉様は福山ロスに〜
昨年勤務先をやめた女性もかなりショックを受けてました。
世の中の女性を不幸にさせた福山雅治、いかんです。
さだまさしさんからお仕置きだべ〜
ショッキングな写真ですよね。
昔の原爆資料館には溶けたガラスに付いた人骨や、
ケロイドの模型なや写真などがあって、
子供心に怖いところでした。
実際に被爆者の方の話の中にも、
助けられずに目の前で絶命する子供や親兄弟の話が数え切れないほど…
自分の無力さに絶望のゾンどこに突き落とされる事だと思います。
強烈な熱戦で黒焦げになった少年は即死だったでしょうから、
唯一そこだけが救われるのかもしれません。
原子爆弾を落とした側の国でそんな感じだったんですね。
酷い目にあわせてやるという意味でHiroshimaやNagasakiが…
生意気なこと言うならまた落とすぞとでも言いたかったのでしょうか…。
傲りって怖いですね。
広島長崎に原爆が落とされた日や終戦がいつだったか、
私的には数字は忘れてもいいと思ってます。
できれば覚えててもらいたいですが…
でもこんな事が起こったんだという記憶は忘れないでいてもらいたいんです。
終戦間近な日本に落とされた2発の原子爆弾。
その下には民間人がほとんど。
そしてその原子爆弾はウラン型とプルトニウム型、
違う種類の爆弾が落とされ、
民間人た建物が威力を見る実験台にされたということを…。
翁氏の訃報、急でしたね…びっくりです。
あの方はあの方で自分の考えを貫かれたわけですから、
お疲れ様でした、とご冥福をお祈りしたいです。
ブログの更新を変えたのは、気づいてもらいたいなどではなく、
私的なことなので、気が付かれなくてもまったく無問題です。
今日は堀倫さんにとってどんな一日でしたか?
あおりどめはそろそろ時間ですので夜勤します~(^O^;
あおりどめも明日以降都内へ帰ります。
都内も昔、8月に何度か空襲があって、あおりどめ家の
親族も亡くなったので、そろそろお墓参りに行かないと~
と考えています。
明治時代からあった、あおりどめ家の3桁用電話器の
(昔、東京は電話番号3ケタで、電話加入申請者順の約250回線だったので)
受話機がドロドロに溶けている様子から、空襲はとても
恐ろしいものだということが、実家へ戻るたびに思うのです。
時間が参りましたので、それではまた~
と言いたかったところですが、
みなさんのおかげでさらに核なき世界を考えることが出来ました。
長崎に落とされた原爆が永遠に歴史上最後の投下された核爆弾であって欲しいです。
東京は一番空襲されたところではないでしょうか。
被災した品も大事に保存してあるんですね。
原爆以外の空襲は焼夷弾でしたから火災で溶けたんでしょうね。
火災といっても聞くところによると大きな炎が集まって炎の竜巻が起きたとか…
あおりどめさんもいつか子供さんに、
溶けた電話機を見ながら戦争に怖さを教えてあげてください。