人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

少し勉強、少しリハビリ

2017-12-07 19:02:12 | 日記
目覚めたら、我が室温9℃!寝床の足許は暖房具入れずとも寝ているうちに暖かくなるので問題は無いが,上掛け部に、時として、寒さを覚える。血圧137 71 脈動61
 9時~10時半 リハビリに関わること
 ケアマネさんの来訪。定期的な「機嫌伺い」と来年度に向けての書類日程の告知。
 自宅前の道路に散った我が家の銀杏の葉(きれいな黄色なんだけど)の掃除作業。お隣さんの車庫前は入念に、我が家の前は塀際に寄せる程度。近隣関係には当然神経と体を使いましょう。細君、このあたり、ずぼらなんだなぁ。さっき、それとなく注意したが、どうかなぁ。気がついたらあなたがすればいいでしょう?ということかな。確かにそれはそうだけど。まぁ、ぼくにとっては軽いリハビリになるから負担感を持つことはありません。
 ついでのことと、児童公園へ。野球ボール左手ノック、球拾いに気持ち駆け足、左手で球拾い。今日の球拾いは玉の正面にしゃがみ込むのでは無くて、左方向あるいは右方向に体を傾けて行った。左方向で少しぐらつき。倒れませんでしたが、左足の麻痺がまだ強いことを知った。幼児公園の遊具でお遊び。屈伸、開脚や懸垂など,ジャングルジム使用、。砂場でピョンピョン。昨日のようには行きません。まだからだが固いのですね。柔軟体操(もっとも嫌いな身体訓練)。〆に駆け足もどき。駆け足もどきを止めずに、10メートルをどれだけ往復できるかにチャレンジ。5往復でした。これは、今日の快挙だな。
 夕刻まで、セガン研究書のリライト作業の続き。先行研究批判と詳細な注記をつけたこの新版セガン研究は、果てしなく続く作業。旧版の第1章にあたる部分を終えた。頭がクラクラする。
 今夜の食事は孤食。マグロオリーブオイル漬け・焼き。うんと身も心も遣ったので贅沢な盛り付け。柿を1個添えました。


【セガンとリハビリ】
 脳梗塞に倒れ左半身不全になり、入院中、治療の一環として、手・手指と脚と音声(発話)の訓練(リハビリ)を受けていた。訓練を受けている間考えていたことは、「これはあのセガンが取り組んだ教育と同じでは無いのか?」ということだった。1841年10月から1842年3月までの6ヶ月間の実践記録に綴られている訓練内容を、ぼく自身が、病院のリハビリテーションセンターで受けているのだ!
 その「発見」(気づき)の具体のたびに,理学療法士や行動療法士にその話をした。お二人ともたいそう興味を示し、「川口さんのセガンに関する著作を読んでみたい」とおっしゃるので、当時出版したばかりの『一九世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(幻戯書房、2014年)や私家版の『セガン教具写真』などを差し上げた。
 退院するまではわずか1ヶ月しか無かったから、その後の詳しい語り合いは無い。しかし、お二人が受け止めて下さったことで、ぼくは、リハビリとセガン研究とを自分の中で統一して受け止めることが出来た。退院後今日までの日々は、通所施設と自宅及び近辺での運動リハビリで、この思いを継続させている。
 セガンの教育実践に、「梯子上り(梯子下り)」がある。階段の上り下りリハビリの原型はセガンのそれだが、さらに遡ってルーツを求めると、梯子の上り下り、そしてそれのさらなる原型は(現在、幼児公園などに設置されている)ジャングルジムなどの近代体育の派生にある。19世紀初めのことだ。
 今日の児童公園での運動リハビリは、このことを検証するようなものだった。垂直上下運動ーじつに困難、怖さを誘う。今日はやっと2段(60センチ)、両腕の力を大いに借りて、上り下りをすることが出来た。
 セガンの記録では5メートルの梯子の上り下り、だという。その実践力量にただうなり、自身の能力の無さにただため息をつくばかり。