快晴
156 93 73 高いですねー
資源ゴミ出し。指定されているところまではつらい道条件。町内のボス的な人から、その身体では大変だからうちのアパート用のゴミ置き場を使いなさい、とご厚意をいただいている。今日もご厚意に甘えてゴミ出し。ところが、いぜんにも「厳しい監視の目」を送ってきているご婦人から、今日もやられた。夢見の悪かった朝なので機嫌が悪いこちら。つい声を荒げて抗議してしまった。ええ加減に顔を覚えなさいな、認知症ばあさん!↞これはぼくの内なる声。多分だろう、この後に計った血圧の高いこと。上に記録したのはその中で最低数値・・・・。
ふな橋に出て、東武の北海道物産展へ。あまり人でもなく、ぼくにとっては快適な環境の元での買い物でした。お昼は屋上に出て物産展で購入したお弁当。
贅沢な昼食でした。風は少し冷たいけれど、太陽光線を浴び、晴れ渡った空を見やりながら、Bさんと談笑。腰痛に苦しんでおられるので、今度は、アシストをお願いすることは止めにした方がいいだろうなあ。
購入物は、利尻昆布、富良野のパン色々、小樽のイカめしなどなど。家への土産も買いました。
とても脚が痛い半日でしたが、倒れることも、座り込むこともなかった。明日はデイがないから、脚をゆったりと休めることが出来る。
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日本語を外国語に、外国語を日本語に転換する(翻訳する)。文章全体もさることながら、名詞一つとっても、難しい。そんな思いをさせられる。現在のぼくは日本語=フランス語の世界(しかも、19世紀限定)だから、なおのことやっかいさを覚える。その例を一つ。
bien-être(ビヤーン・エートル)か。(l')assistance(アシスタンス)か。
清水寛氏が編著で出された『セガン 知的障害教育・福祉の源流ー研究と大学教育の実践』(2004年、日本図書センター)には、フランス語タイトルが添えられている。それには「福祉」を(le) bien-être(ビヤーン・エートル)とあてている。ところが現在のフランス社会では、いわゆる社会福祉関係用語としては使用せず、美容等で使われているのを見かける。だから、清水氏の編著書タイトルに使用することは望ましくないわけである。
では、フランス社会の当該分野ではどう言うのか? (l')assistance(アシスタンス)。ただし、フランスの歴史書を紐解くと、19世紀中頃までは(le) bien-êtreとし、それ以降は(l')assistanceとなっている。法制度上もそうなっている。セガンがフランス社会で活躍したのは19世紀前半だから、ビヤーン・エートルと記述するのが正しいのだろうとぼくは判断してきたのだけれど、現在の視点でセガンを再評価しようとする人々にとっては、アシスタンスでなければならないようだ。