人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

今日も体休めの一日

2018-05-31 13:30:43 | 日記
左脚無力感 血圧131 73 脈動47 起床〇 着替え△
 屋内移動にも神経を使う。これでは運動どころじゃない。かといって何もしないのは・・・と思い直し、ブーメラン遊び、尻落としスクワット。スクワットでは両踵着床を強く意識。10回目で後ろに倒れた。まだまだなのですね。
 お昼は相変わらずうどん。ワカメたっぷり、タマネギたっぷり。昆布、鰹だし。つい、つゆの素を使ってしまった。嫌な甘み。もう使いません。食後に残るんですね、口の中に嫌な甘み感覚。

脚安めの一日

2018-05-30 12:48:08 | 日記
明け方左脚が攣る 血圧131 73 脈動52 起床△、着替え△
 ビニールゴミ出し ごみステーションまでの登坂時に数度左足が地面を擦り、転びそうになった。昨日の外出時、帰路もそうだった。疲れが強いんだなあ。
 今日のお昼はカレーうどん。ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、キャベツ芯、ソーセージ。まあなんでも入れちゃおう精神。まずくはなかったです、はい。

〇1871年5月末のパリでは「血の一週間」と呼ばれる凄惨な戦いと政府軍による大量虐殺(無裁判の即刻公開処刑)がなされた。いわゆる「パリ・コミューン」の終焉の日である。
 パリ・コミューンについて最初にまとまった記録・論説を著したのはカール・マルクス『フランスにおける内乱』(1871年、邦訳あり)。「パリ・コミューン」という表現は英語表現であり、フランス社会では通じない。歴史をあまりご存じない通訳さんが訳語に困るフランスの歴史事象であるのは、いとおかし。にもかかわらず、私は著書「19世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(幻戯書房)において「パリ・コミューン」と表記している。
 添付写真は、1.パリ、ペール・ラシェーズ墓地内の「連盟兵追悼碑」

2.墓地外壁の「パリ・コミューンモニュメント」

 いずれも、この墓地内で戦闘の末捕らえられたパリ・コミューン側の人々に対して裁判抜きで即刻処刑がなされたことを記念するもの。


あとは、戦闘の末屍累々‥のパステル画(川口所有)

〇昨日の谷津バラ園写真番外編

 リンゴ・・ニュートンゆかりの子孫 名称札には「フラワー・オブ・ケント」とありました。
 リンゴ以外にも地上に落っこちる空中物体はたくさんあったろうにね。なんて、いかれた風の俗物の大声の語り声が聞こえた。そうだよなー。
 ま、何はともあれ、珍しくもなく珍しくもあるリンゴの木の写真を…。
 そしておまけ… けっこう自信作




わが青春も、ちゃんと老齢化している。今夜も現在進行形でしのびます、素晴らしき歌声。
ボニージャックス ダークダックス デユークエイセス

フォークソングメドレー 受験生ブルース他
フォークソングメドレー 若者たち イムジン河 他、とてもおすすめ

谷津バラ園にてバラの鑑賞

2018-05-29 17:16:53 | 日記
起床前、左ふくらはぎの猛烈な攣り 血圧136 73 脈動50 起床△、着替え△
 出先にオープンな児童遊園(児童公園)を見つけると、誰も使用者がいないことを見計らって、遊具を使って遊びだす。足腰の鍛錬・リハビリに適したものが今のぼくには最適だ。
で、添付写真のように、潜り抜け遊びをする。この遊びでは、頭を軽くゴツンゴツンと打った。もっと腰をかがめなければいけないと分かるけれど、分かるのは頭の中でだけ。肉体そのものがじつに頑固でございます。
 潜り始め

 くぐり中

 くぐり終わり

〇9時出発、16時帰宅 習志野市谷津バラ園にて花の鑑賞
 船橋から京成で谷津下車。まるでお寺の参道のような道を抜けてバラ園へ。季節が過ぎゆく時のせいか、人の出も少なく、花弁を散り落としているバラも多かった。とりあえず行った証拠。バラの花には種類を示す名前は当然あるけれど、固有名詞を持つ花もある。習志野市制50周年を名に背負うバラもあった。
 以下、感性の赴くままに、パチリパチリ。






 最後に、ミツバチがはたいていた。

 お昼は、バラ園近くで、アジのたたき定食。

 疲れ切った体が欲しがるものは冷たく甘いもの。抹茶味のソフトクリーム。あまりおいしいとは思えなかった。




粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2018-05-28 13:30:48 | 日記
夜中に腰の痛み 血圧124 73 脈動52 起床△ 着替え〇 左脚が弱い
 燃えるゴミ出し 坂登をゆっくりと 起き抜けにテニスボールでボール遊ばれ遊び
 午前中通所リハビリ。迎えの車を待つ間車庫屋根庭や外階段で体をほぐした。ゴムボールの毬突きで驚愕の新記録。約300突き。物干し竿の周囲を突きながら回る。3週回ったところで300突き。脚運びが大分安定してきたということか。左手の下ろしもぐらつきが少なくなってきたということか。今朝はたまたまうまくいったにしかすぎないのだとしてもうれしい。
 デイではいつものごとくの訓練。ちょっと握力が落ちているようだ。ニギニギの訓練も意識しないとね。半面、しゃがみから立ち上がりに体のぐらつきは一切なくなっている。管理者さんから「ずいぶん足が強くなってきたね。」と褒められもした。この調子で進んでいきましょう。
 数人の利用者さんと会話交流。これもうれしい進歩かな?
 帰宅は弘美君のお出かけと入れ違い。すぐに昼食作成に取り掛かった。スープカレーに讃岐うどんを入れて食す。具は、昆布、タマネギ、ジャガイモ、ウインナーソーセージ、卵。久しぶりに満足。

 午後、ヒッチコック作品鑑賞。今日の作品は「救命艇」。海難事故での遭難者たちの救命艇上での人間模様。そして…エンドレス。
 夕刻、雨戸を立てる作業のついでに、毬突き遊び。160回、1週半。脚の疲れが毬の跳ね返り方向についていけず。それでも随分と突けるんだ、と自己満足。

午前の軽い運動のほかはゆっくり休み

2018-05-27 19:12:23 | 日記
よく眠りました 血圧131 76 脈動52 起床、着替えともにOK
 起き抜け時は「さむさ」を覚えるほどだったけれど、9時半ごろからきつい日差し。午前中はリハビリ運動で時を過ごす。
 屋内では歩幅を広く高く取る歩行訓練。あれこれ雑物を廊下に並べる。ドッジボールほどのゴムボールは高く足を挙げる訓練に有効。有効というより、左脚後ろ上げにとっては艱難物体。歩幅を広く取るのはだいぶんできるようになった。

 屋外では、「てんてん手毬てん手毬~♪」のリズムに合わせて毬つき遊び。麻痺した左腕の可動性を高める訓練。なかなかなんぶつであります。でも、今日は最高100回、つくことができました。

 毬突きの後は物干し潜り。頭も背中も竿にぶつけることなく一番低い竿をくぐります。かなり腰を低くして足を前に運ぶことがなかなか難しい。何度も、軽く、ゴツンゴツン。
 運動に疲れて頭上を見上げると、ハナモモの実が大分大きくなっていました。まだ,モモの香りは漂いません。

 午後は午睡ならびにヒッチコック監督作品の鑑賞。「M]は、幼児誘拐殺人事件をメインに据えて社会犯罪及び治安問題を扱う映画。銀行強盗などの社会犯罪集団が幼児誘拐殺人犯をとらえて裁く場面は圧巻。犯罪集団が、表の法論理を持ち出す弁護人を置いてきちんと法理に基づいて弁護することは、一見逆説的で滑稽な図柄なのだが、論理的であり順法的であることに、「理性」を見ることができた。対して、幼児殺人犯は、「どうしょうもない自己否定者が殺人を犯す行為の瞬間は、自己が満たされるという精神」の存在を叫ぶ。「狂気の為せること」であるならば、罪は問われない、ことを視聴者に悟らせる。近代社会と近代法の抱える「谷間」の問題の告発でもある。

粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2018-05-26 21:16:50 | 日記
血圧127 76 脈動58 起床、着替えともOK 昨日のような足の痛みはないが張が強い 。
 午前中、デイ。脚の調子が回復しておらず、デイに行く気力があまりなかったが、さりとてほかにやりたいこともなく、ネットとDVDで一日を過ごす気にはなれず、8時40分には庭に出て、軽い体操。デイの準備体操になる。
 デイでハードル歩行訓練をしているうちに訓練に向かう気持ちも高まってきた。左脚後ろ蹴り上げに難。所長さんから股関節が硬いのでその対応の足の訓練方法をご教示いただいた。苦手な脚の動かしだが、意識して取り組みましょう。
 今日は中央テーブルに座して、口腔訓練、棒体操をした。久しく避けていた中央テーブルでの訓練、心理的圧迫感を覚えなかったから、今後は大丈夫かな。月曜日にチャレンジ。 
 何人かの方と会話、ならびに共同訓練。
 所長さんの通信第2号が掲示されていたのでコピーをお願いした。第1号はぼくの「脚」写真だったが、混合は説明文。施設利用動機がぼくも同じなので、強く共感した次第。

 お昼はメバルの甘辛煮付け。食中、ハナの寄こせ攻撃にあったけれど、独占した。おいしい出来ではあるが、小骨の処理にちょっともたついた。もう一度挑戦する?どうかなあ。

買いものリハビリ その他

2018-05-25 16:36:46 | 日記
血圧131 76 脈動55 起床、着替えともにOK
 左脚の調子がとても悪く、気力の湧かない一日を過ごした。それでも、午前中はリハビリを意識して新柏東武ストアへ買い出し。キンメダイの頭があれば買おうと思っていたが、頭はなかった。全身そろい品の高いこと。あきらめ、メバルが安かったので購入。甘辛煮付けにしようと思案中、明日の作業だな。その他いろいろ。高齢者のご夫婦と思われるカップルが目立った。今の我が夫婦ではありえない姿だな。若いころは一緒によく買物したもんだけど。
 昼食後はまったくの無気力。ジョーン・フォンテイン(1917年10月22日 - 2013年12月15日)主演映画「ジェーン・エア」を見て過ごす。ヒッチコック作品にいくつか出ている女優さん。「レべッカ」とか「断崖」とか。
 添付写真は購入した「メバル」。魚類図鑑で調べてみた。「メバル」と称するもは、細かく名称分類されている。購入したものは「ウスメバル」に似ている。分類は「顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系スズキ目カサゴ亜目メバル科メバル属」だとか。さっぱりわかりませんが。
 メバルとの市場名。アカメバルとも呼ばれるそうだ。貧困生活時代によく口にしていたから安い魚だというイメージがぼくにはあるが「古くはまとまってとれていたので比較的庶民的な値段の魚だったが、今では高級魚」の代表格なので、本物の「メバル」かいな、と疑っている。

運動、学習、いろいろ。失せもの現る

2018-05-24 17:29:22 | 日記
左脚やや踏ん張りきかず 血圧137 77 脈動47 起床、着替えともOK
 午前中、ちょこちょこと雑事。結局実る内容何もなし。つまらない雑事だ。1844年に発行された新聞コピーをスキャナ取り込みをしてデータを保存していたはずだと思い、ディスク検索するも徒労。どこへやっちゃったのかなあ。今綴っている「白痴」論を補強する資料として最適なんだけど。その他いろいろ、19世紀論を多様な角度でとらえナイスことのできる諸資料が見つからない。どう、あきらめの気持ち、に自分を誘い込みましょうかねぇ。・・・
 今季を入れてみるもんだ。イリュストラシオン紙1844年号に掲載されたビセートル記事のうち、狂人にかかわるイラストを探し出した。男女混合でないはずなのに金剛になっているなど、このイラストに対する狂人の様態の描き方に疑問は大きく残るが、精神病者を見る時代の目はとらえることができる。あ~疲れたぜい。

 今日のお昼は生うどん。冷やしで。付け合わせに、茎わかめの煮つけと豚すね肉チャーシューもどき+トマト。茎わかめの煮つけは初めて作ったが、いけます!しょうゆ、カツオだし、少量の黒砂糖、日本酒、ごま油、鷹の爪。水気がほとんどなくなるまでにつける。

 外は暑くなってきた。リハビリ散歩をと考えていたが、室内なまけリハビリに切り替えた。「嫌々も、無理々々も、リハビリには意味がありません。」という入院時の療法士の先生のお言葉を、都合のいい時に、呼び起こす。
 で、涼しい室内リハビリ。今日のグッズは添付写真の、大きめのゴムボールと100均縄跳び用縄。

 縄は縄跳びに使います、当然!手は使わずの縄跳び。そう、床に縄をニョロっとおいて、その上を飛び越す。どうってことない遊びですが、ぼくの体(足)には重労働であることを知りました。飛び上がることはできても前に飛び進むことがなかなか難しい。
 ぴょん!どだッ!踏み!=失格  の繰り返し。たまに、やったねっ!と喜びます。
 続いてボール跨ぎ遊び。まずは左足から踏み出し、そして右足送り。左ひざを高く上げることが肝要。これは上出来。続いて右足踏み出し、左足送り。この左足送りがなかなか不出来。左足すね筋肉とアキレス腱が麻痺に負けてしまっています。
 まだまだだなあ。とほほ。息が切れ始めたら運動終わり。
「無理をしても何の得もありません。がんばってはいけませんよ。」療法士さんのお言葉に忠実な私であります。


ちょっとややこしい思考作業 リハビリ運動 他

2018-05-23 16:15:09 | 日記
体調はいい目覚めだったが… 血圧143 78 脈動50 起床、着替えともOK
 起き抜けにボール遊ばれ遊び少し やっぱり遊ばれてしまった。食後も引き続きボール遊ばれ遊び、車庫屋根庭にて。ボールを突きながら脚を送り出す行動は、さほど困難な肉体行動ではないが、ボールの突きどころが悪いのか、ボールの跳ね返りがまるで乱数表の如し。目が追いつかずついボールを見失ってしまう。体よりも精神の疲労が強く起こる。
 運動の後は、セガン研究の問い直し。出版に供した原稿ではなく、第一次草稿を利用して。こちらの方が面白いと思う。ただし、史実検証が不十分な箇所が多いが。原稿タイトル『朝もやの運河 知的障害教育の先駆者エドゥアール・セガン』。なにやら文学チックだな。セガンの故郷の運河、パリのサン=マルタン運河。両者をヨンヌ川、セーヌ川の水流がつなぎ、クラムシーで生産された薪材で作られた筏が運行される。薪材はパリの人々を寒気の季節から保護する。セガンの半生と社会的業績とを象徴したタイトル。「朝もや」というのは未解明事象つまり社会的歴史的評価が定まっていない、これからのこと、という意味を込めた。懐かしいな。セガンについて、初めてまとまった書き物。2005年のことだったか。清水寛氏には痛烈な皮肉をいただいたのだったな。「セガンの業績は運河にたとえられるものではありません。大河です。」
 再検討の部分はセガンが加盟していたと判断できる秘密結社「家族協会」の「綱領」にみられる「貧者と弱者」という表記の具体について。「貧者」も「弱者」も絶対価値で評価するのではなく、歴史的価値で評価すべきだが、さて・・・・。

リハビリ買い出し散歩、調理。午後フランス語学習 

2018-05-22 16:10:41 | 日記
左脚踏み込みに脱力感 血圧138 79 脈動48 起床、着替えともOK
 9時15分~10時30分 リハビリを兼ねて外出
 かなり歩幅を広く取って歩くことができるようになった。もちろん1人前どころか半人前の歩行能力。左足が攣り、痛い。
 つくしが丘郵便局へ幻戯書房へ書籍代振り込み。ここまでは歩行快調、スタイルとスピードも。後は新柏東武ストアへぎったんばったんイテテテテの歩行。おやつや乾麺やティッシュやいろいろ。若いご婦人がトマトを一つ一つ指で押して品質を確かめられているところへ、ぼくはさっと取って買い物かごへ。ちょっとびっくりしたようなお顔だった。へい、こちとら、スーパーの店先に積み置かれたトマトの品質の識別が確信してできることは、傷んでいるか、腐っているか程度、それでいただくのですが、何か?なんですよ、奥様・・・。もちろん口には出しませんけどね。
 買物を終えてお休みどころへ。斜め向かいに「盲導犬」が行儀良く座っていました。が、リードを握っているご婦人は盲人ではない。だとすると、うわさに聞く「聴導犬」?お犬様の御働き場面を拝見することができないまま、腰を上げて帰宅へ。暑い日差しに少し汗をたらしたお散歩。
 今日のお昼は、うどん。ニンジン、タマネギ、茎ワカメ投入。少し醤油を落とした塩主体の鰹だしで。添え物は、自家製の豚スネ肉を使ったチャーシュー(角煮の変容)。初製作。出かける直前の細君に試食の勧めをしたところ、おっかなそうに、しょーがないわねーという顔をしながら一口試食。「うん、おいしい」。顔はこわばったままだったけど、褒められたのかな?
 自分で食べてみたところ、また作りたい、という気になったから、上出来なのだろう。

 午後は、久しぶりにフランス史資料読み。2000年度パリ滞在中に足しげく通った古書店から、これはお別れのプレゼントです、と言っていただいた古書のうち、画家のピロテル(PILOTELL)の戯画ならびにデッサン集『パリコミューン 前・中・後』などの複製を収めた""PILOTELL Dessinateur et Communard"(『ピロテル 風刺作家でありパリ・コミューンの人』1969年)を紐解き始めた。ピロテルは、1874年1月9日、第3次軍事法廷の死刑宣告により、処刑されている。
 次は、ピロテルが発行した「風刺」の「パリの投票」。画面右に描かれているのが国民議会選挙で当選した「野党議員」とりわけ社会共和主義の立場にある人々。ぼくの研究になじみのある人といえば、フェリックス・ピア、ヴィクトル・ユゴー、ガンバッタ、ランク、ドゥリュスクリューズが描かれている(いずれの人名も、『一九世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』2014年、幻戯書房、第2部)
 フランス国民議会の選挙が男子(25歳以上)普通選挙となったのは18481年。人々の投票行動はどうだったのか、ということにたいそう興味を持っているが、今日のような立候補制度は導入されていないから、有権者は誰に入れるか?ということだけでなく、どのような主義主張を選択するかという選択行動が必要。それに対して何らかの誘導があったはずだが、どういうものだったのか、の実感的資料にお目にかかることは、ぼくのような非専門家には困難。この狩るかチャーは、くっきりと描いてくれている。
 「社会共和制」の旗を持つ人(マロン、トレラン)の後ろに人物似顔絵が描かれ、似顔絵の人々を国民議会へと誘導している。
 絵画の欄外に、「「誰にするか…」「社会主義者…」とある。

 久しぶりに、パリ・コミューン研究につながる謎解きのひと時を持った午後。

 夕刻、車庫屋根庭で、ボールに遊ばれ遊びを楽しむ。物干しの周りを5周。何でそんな跳ね返りをするの?や前に足を踏み出したいんだけど…とかびボールへの問い、懇願を何度もした。