人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

敬愛という言葉がふさわしい

2022-07-26 16:20:01 | 日記

facebookで我妻の「人柄」などを訊ねる人がいた。ぼくの係累をぼくの職業人としての係累とみなすのがほどんと。尊敬するFBFにはちゃんと事実を語っておきたいと思い、次のように返信した。

「妻は東京下町、それも色街門前町育ち。母親は本当の下町の肝っ玉母さん。縫物などの請負で家計を支えておりました。父親は家財産一切ない、親も親族もいない孤児育ち。養い親が神官。ですが、自社を持たない請負神官で、各地を放浪してお宮の下仕事をしていた人。典型的な「被差別者」です。お二人ともご苦労の多い人生だったと聞きます。妻には弟がおりますので、一人っ子ではないのですが、それはそれは過保護に(笑)育てられていたようです。漬物の匂いが嫌いだから食べない。これは父親譲り。「名もなく清く美しく」といえば映画タイトルになりますね。関東の女性は、多くが、私学の女子校に学び、女としてのたしなみを身に着け、同時に自立できる婦人に育てられます。職業婦人であると同時に良妻賢母であるように、というわけです。進学した女子校にペンネーム山科三郎という哲学者がおられ、妻はその先生の影響を強く受け、プロテスタントであると同時にマルキストとしての目覚めが高校時代にはあったようです。「働きながら学ぶ」権利保有を強く自覚し、高校卒業後は昼間の労働、夜の大学通学という生活を送ります。その「働く場」でそこの学生であった私と知り合うことになります。・・・という次第であります。私は10年ほど妻の被扶養者でした。「ヒモ」ですな。」


午前中デイ

2022-07-25 18:43:34 | 日記

 午前中デイ。左脚のムクミがひどく、歩行がなだらかでない。しかし、独歩は困難ではない。
 新人スタッフさん、ぼくのアシストを丁寧にしてくださる。今日はちょっとの移動に際して、手を握ってくださった。
そんなに、ぼくの体、怪しい状態なのでしょうか?

 ちょっと考え込んだ今日。いまも考え込んでいる。ま、寝れば忘れます。


今日も暑い 

2022-07-24 10:48:21 | 日記

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 外に出たいけれど、脚の不安定が怖いので、結局自室籠りになる。

 

[パリふらつき歩きの思い出]石畳

 パリ市歴史図書館に籠って稀覯本を書き写していると、外は雨。一休みと、雨脚の様子を確かめにドアの外に出ると、庭に敷き詰められた不揃いの石畳に雨が落ち、不揃いに跳ね返している。手技で作られた舗石のそれぞれ不揃いな色合いがまた、雨に彩られ輝く。その落ち着いた美しさに、本来の作業目的を忘れて、古い時代の石畳に見入っていた。
 

腰痛は怖い。で、行動が慎重すぎて…

2022-07-20 09:40:24 | 日記

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 腰痛対策で右側を下にして寝ているが、昨夜、少しの時間、左側をしたにしてみた。痛みは何も起こらない。とにかく、無理な、急な姿勢変更は避けた方がいいに決まっているが、なんとか、付き合っていけそうだ。しかし、トドちゃんとのランチ会は中止のお願いをした。残念だね。大衆には結構できますように。

 昼前に介護用品、食料品の買い出し。もちろんタクシー利用、

 

[パリふらつき歩きの思い出」パリでする「タダ乗り」、しかも展望バス
 人間博物館を楽しんだ後、さて、今度はどこに行こうか、と路上でたたずんでいたところ、目の前に二階建て市内観光バスが止まった。運転手が、バスチーユに行くから乗って行け、という。ウインクをしているから、これは無料だよ、ということか。
 憧れの二階建てバスの二階部に腰を下ろして、パリ観光としゃれこんだ。やはり高所からの目線の街並みの見え方が違いますね。

相も変わらず、寝姿次第の腰痛

2022-07-19 08:00:55 | 日記

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相も変わらず、腰をかばう生活・外出一切せず。よろしくないので、ぼちぼち生活改善に入る。

[パリふらつき歩きの思い出]猛暑にかき氷!
 ピガール通りというところ、かなり前のかつては、色街の一角でもあった。ここに、エドゥアール・セガンが、おそらく世界初の知的障碍者教育のための寄宿学校を創っていたという。そりゃ是非見ておかねば。いや、行っても今は痕跡も何もないよ。先輩のせせら笑うような忠告に耳を貸すことなく、連日40度という猛暑の夏のある日、番地を頼りに、テクテクテク歩いた。さすが色街らしく、そして売春合法のお国柄を反映して、「お兄さん~」と、まさにそれらしき風体のご婦人からお声掛けをいただいたのだった。・・・
 大汗かいて、足もくたくた。ふと目線を上げると、「氷」!!
もちろん、飛び込み、店主のももかさんに、この地の文化性、歴史性などについて、訊ねたのでありました。・・・かき氷のいちごはおいしかった!!

デイは自主的にお休み

2022-07-18 09:08:34 | 日記

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寝返りの際、あるいは寝姿如何で、疼痛が走る。だいぶん和らいできているとはいえ、まだ怖いが先立ち、体を自由に動かすことが出来ない。あと少しの日時、様子を見よう。

そういうこともあり、デイは行き気がせず、サボのお休み。連絡は入れました。

 

[旅の思い出 海外ドラマチック編]フォーなるものを路上で食す
 パリの大通りの中央分離帯で「朝市」が開かれる。あっちこっちの街区で開かれるが、この日のここはベトナムフェア。食いしん坊のぼくは興味津々、きょろきょろ。しかし、食し方が不明なので、そう手が出るものではない。
 ・・・「フォー、おいしいですよ!」
 職場のお嬢さんたちと同世代のご婦人が声をかけてくれた。どうしたものだろうと、考えあぐねている姿に、助け船をお出しくださったわけだ。テーブルをご一緒しましょう、注文は私がしますね。いろいろお世話を下さるので、自己紹介をせざるを得ない。「・・・え?大学の教授先生様ですか?!私、高校落ちこぼれですので、ちょっと怖いなあ。」おどけっぷりもなかなか素晴らしいお嬢さん。
 フォーとトッピングの緑色野菜類の「辛さ」に咽ながら、生まれて初めてのアジア食を、フランス・パリのど真ん中で、いかにも沖縄美人なお方といただくという、とっておきの経験。
 もう二度とあり得ないことだけど、妙に身近な思い出として、今もしばしばよみがえってくる。
 
 
 

つづく腰痛

2022-07-17 06:07:32 | 日記

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マサムネちゃんが爪をひっかけて網戸を開けようとする。認識力と知恵に驚く。が、それはダメです!

右体側を下にして海老状で寝ることで何とか眠ることは出来るが。

パソの不調は収まったか?一時的な現象。これで二度目だ。

腰痛の発症が怖くて、横になることが出来ず、椅子に座りっぱなしの一日。これが腰痛対策かどうかなど、さっぱり分からない。少しずつでいいから、症状が強くありませんように、

 

[旅の思い出 海外ドラマチック編]「嘘―!」なスッチーさん
 2000年あたりから、毎年、フランスに出かけていた。洋上はもちろん飛行機。長旅で退屈すると、トイレに立ち、ついでに「お茶」のサービスを求めて、キャビンアテンダントのたむろ場に行く。お茶ください、の一言から、彼女(男性には出会ったことがない)たちとの瞬時のコミュニケーションが始まる。
 確か2007年8月のこと。「お茶、いや、アン・カフェ、シルブプレ!」と声をかけた。ミルクもサトウもいりません。かしこまりました。カップをぼくに渡すときに、彼女「ウッソ」と小さく発声。いや、嘘じゃなく、本当にコーヒーを、ストレート(いわゆる「ブラック」)でね。彼女「川口先生ですよね?!乗客名簿でカワグチユキヒロというカタカナ名前を確認した時には気づきませんでした。」ぼく「ぼくをご存じだということ?」「お授業をいただきました。」「おや、それはお気の毒でしたね。」云々。
 他にスッチーさんがお一人おられたけれど、かまうことなく、今休憩時間ですから、と枕を入れて、卒業して2年、国際線に配属されて働いている、などを語り始めた。
 左手の平がぼくの腹を上下に動き始めた。ん・・ま、いいか。「先生のお腹、かわいいわねー。」 そうか、この子は、でっぱら好みなのか…。うむ。職場の若い職員さんも、飲むと、ぼくの腹を「ナデナデ」するのだが‥‥。
 会話中、腹の上を手の平が上下。めったにない光景なんだろう、隣で我ら二人を見ていたスッチーさんも、初め真ん丸お目目、やがて三日月ほどの細目に表情を変えて、「いいわねー、恩師にお会いできて」となでなでスッチーさんに語り掛けていた。
 パリで一晩泊まり、折り返し便(同機材、夜発ち)で日本に戻ります、ついては先生と明日昼の食事をご一緒したいのですが、と時差ボケ頭が吹っ飛ぶようなお誘い。「じゃ、ぼくのアパートに来ませんか。シェアリングしている若い人がおりますので、ご安心を。ぼく特製のラパン・スープをごちそうします。」
 翌日の昼に食事をご一緒し、おいしい!!というはしゃぎ声を後にして、ひとまず、イギリスの「彼」のところにお出かけになりました。
 懐かしい思い出の中でもとびっきりですね。しばらくメールのやり取りをしましたが、今や途絶えて数年。お元気でしょう。
 

在宅 腰痛きつい

2022-07-15 07:12:31 | 日記

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椅子に腰を下ろしているときだけ、腰は楽。

腰痛体操を思い出しながら、ぼちぼちと腰のケア。もちろんシップは欠かさせないが、以前使っていたのと違うタイプなので、未だ信頼感が持てない。

脳神経外科投薬の入手は弘美君に頼んだ。

 新しい血圧手帳の入手を頼まなかったのは大きな反省。紙記録をどうしようか。