人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

ぼちぼちと

2017-11-30 13:36:21 | 日記
久しぶりに熟睡感 昨日の疲れ無し 血圧135 73 脈動60
 宮田聡氏創作油彩画『こんぶくろ池』を、自室の鴨居に掛けて楽しむことが出来るようにした。両面接着のフックという便利なツールがあるのだな。絵の隣の写真は、オーベール・シュール・オワーズのゴッホが自殺を図った現場近くの原っぱの、綿毛飛び散る瞬間を写したもの。愛着のある写真だ。
 
 久しぶりに近在の床屋へ。ここは2年ぶりか?ムッシュも年老いたなあ。人のことは言えないけれど。さっぱりした頭で13日のクリスマス会を楽しめる。その後、昨日買わなかった薬を入手しようと、近くの緑薬局に出かけたが、休日。明日買わないといけないぞ、
 今日の昼食はカレー。タマネギたっぷり、トマト、ジャガイモ各1個。魚肉の塊を加えた。塩少々、赤唐辛子2本、蜂蜜少し。ワインとオリーブオイルを加えた。なかなかいいできでした。蜂蜜の隠し味がきいてるね。

 小方さんがネットでストールを上げていたので注文。近日の内にお会いして受け取ることにした。

診察。その後「江戸」へ

2017-11-29 19:29:30 | 日記
昨夜は湯たんぽ無しで寝てみた。咳き込み無し(これは偶然の一致か)。脚のぐらつき感無し(これは必然か?) 血圧137 79 脈動65
 ビニールゴミ出し。歩行スムーズ。向かいの町会のある奥様が「それ、私が持って行ってあげるわよ。」と声かけを下さった。白山神社のゴミステーションまで、ついでだから、と。リハビリを兼ねておりますので、と、丁重にお礼を申し上げながら、自力で行う旨をお伝えした。ありがたいお心だ。
 9時自宅を出て、18時帰宅。嬉しいことに、疲れをほとんど感じること無く帰宅できた。
 午前中診察。血液検査の結果は「問題なし」とのお告げ。次回の診察は1月24日。
 新柏駅まで徒歩。少し時間が掛かり40分。休みは取らなかった。
 新柏から船橋へ。船橋西武でトドちゃんと落ち合いベトナム・フォーのランチ。

 総武線快速で東京へ。席を譲っていただいた。ありがたいこと。おじさまでした。
 東京駅からブラブラ歩きで皇居方面へ。銀杏並木と街の様子がパリを偲ばせ、トドちゃんと二人で懐かしいね絵を繰り返して、カメラシャッター。東京駅を遠望。

 お堀では二羽の白鳥が仲むつまじげに、よりそっておよいでいた。

 プラザ・ホテルのケーキ屋で、夢さんの誕生祝いの品としてマカロン。トドちゃんは子カピさん注文のケーキを買っておられ
 帰路もまたブラブラ。2010年12月に散策した公園でしばし休憩。あの時は光と水の共演だったが、今日はまだ昼間。晩秋の色、夕景を楽しみました。


 東京駅構内のお弁当屋で、海鮮丼を夕食用に購入。この海鮮丼はとてもおいしい。
 そのまま帰路へ。楽しい半日を過ごすことが出来ました。

どうなったんだろうね、この体

2017-11-28 20:49:48 | 日記
昨日は快調・回復を感じさせたにもかかわらず、深夜けっこう激しく咳き込む。トホホ。血圧139 79 脈動64  
 資源ゴミ出し。左足に力が入らない感覚があるので、指定ゴミステーションに出すのは止めにし、我が家からほん20メートル先の上り坂の途中にあるお隣の町会、森さんのアパート専用のところに出させていただいた。我が家が属する町会の指定ゴミステーションは、この近在にある4つのゴミステーションの中で最も時遠く、坂を登り切ってさらに先に行かねばならない。この、トホホは、限りなく日時が続く事柄なのだ。不便を感じておられるであろうご近所さまは、自家用車でゴミを運んでおられる。
 9時30分から11時、脚の具合が少し良くなってきたこともあり、食料品の買い出し。新柏東武ストアへ。途中にある幾つかの段差や階段では、やはり、脚の調子が思わしくないグラグラ感に直面。転ばないように細心の注意を払って段差を通行。何だろうね、この後退感覚。
 昼食は、便利、簡単、おいしいの三点セット料理(あくまでもぼくの主観だけどね)。ムール貝がほしかったのだがおいていないので、アサリ(大)がメイン。アサリのワイン蒸し。ね、文字面簡単でしょ?
 たまねぎ、ニンニク、トマト、パセリ、そしてアサリ。オリーブオイル、そして白ワインたっぷり。
あとは火に掛け、貝が口を開いたら終わり。野菜類は細かく切り刻みます。そして貝の下敷きにするよう鍋底へ。
 美的センス無し。障害じいさんが一人で食するのだ、なんか文句あっか。


 今日は夜も孤食。3食孤食だぁ。ニンニク茎入り牛焼き肉丼が簡便でよろしい。ちょっと一工夫で、カジキマグロのぶつも混ぜ込んでおります。

 結局、今日は、米飯を多く食べ過ぎております。気をつけよう、その一口が豚になる、ブヒッ!
 




通所の日

2017-11-27 13:36:50 | 日記
血圧高めが続く。風邪薬を服用して寝たからか、昨夜は咳き込みで悩まされることはほとんど無かった。朝は苦しくは無いが咳が断続する。血圧143 80 脈動61
 燃えるゴミ出し。2往復。左脚が硬直した感じでぎくしゃく歩き。
 粋生倶楽部増尾通所リハビリ。今日のコマも2週間ぶり。TさんやWさん、Iさんなど「古参」の女性陣が破顔で出迎えて下さったのは嬉しい。何人かとは固い握手を交わした。それは、互いの体調を確かめるためでもある。あとはいつも通りに訓練に入る。歩行訓練、スキップ、レッグマジック、クレージー。平行棒あたりでうろうろ。棒体操を皆さんと一緒にしました。マッサージ、あったか姫。
 所内にちょっとしたアクシデント。大事に至らなかったと思っている。そう強く願っている。
 帰宅後昼食づくり。ほとんど未経験のチャーハン。米油使用。タマネギ、牛豚合い挽き肉、卵。ほんの少し、挽き肉に白ワインを落とした。添え物はワカメ、柿。
 炒める際に、ご飯を切るような感じで混ぜ合わせた。べたつかないようにとの気遣いから。まあ、次も作っていいかな、という感じでできあがり、おいしくいただきました。

 

咳き込み。今日も休養の一日

2017-11-26 14:50:05 | 日記
寝入りしな、早朝に激しい咳き込み。再び体調異変。 8時起床。血圧141 77 脈動66
☆しばし、黙祷・・・
「自分には差別感情も、差別意識も、差別行為もない。だからあの人を受け入れることには抵抗がない。しかし、私の環境が差別意識が強いところだから、あの人に対する差別は為されるだろう。それによってあの人が苦しむことになるから、私は受け入れない。それがあの人を守ることだ。」
 1947年のアメリカ名作映画「紳士協定」のラストシーンの始まりの部分だ。主題は、潜在するユダヤ人差別〔人種としてのユダヤ人は存在しないので、本質は、キリスト教優位社会における宗教差別〕。
 〔ぼくの話〕長い人生を生きてきて、生育環境から始まって、ぼくの身や環境に差別が無関係であることは、全くなかった。「自分は差別者ではないが、自分の周りの、ごく当たり前の多くの差別者・・」という文言を聞かないということも有り得なかった。
 そういう、ぬぐいがたい差別によって、問題解決への道がまったく開かれないという絶望感に陥り、「差別の無い邦(クニ)」へと自ら旅立ってしまったチーちゃんの、今日が命日。チーちゃんとはぼくの教え子の一人。チーちゃんを失った無念な気持ちは20年後の今もぬぐえないでいる。
 チーちゃんを偲ぶ、形のあるものはぼくの手には何も残されていない。だから、ぼくの心の中のチーちゃんに語るだけである。今もなお強く残る差別実態と差別を生み出す論理・言葉に、無力なままのぼく。そんな≪哀れな≫ぼくを許すはずも無いだろう、チーちゃんは。・・・・・

2週間ぶりのデイ

2017-11-25 16:55:02 | 日記
咳き込み激しい夜を過ごした。ほぼ不眠。 血圧135 84 脈動67 体調が逆戻り?
 「風邪?」、そうでもあるが、もっと精神的な問題のように思われた朝。ひょっとして、今は軽いが、「鬱」の再来か?とにかく、自分の中にもやもやして解けない糸くずのようなものの存在を感じる。しかし、デイの迎えが来るまでは、なんとか、このもやもやを少しでも晴らしたい。それで、以下のような箇条書き〔時系列〕をfacebookにアップした。「生活綴り方」の「書くことによる自己分析」すなわち、柔らかい「自己カウンセリング」だ。

昨日はとても元気だった。
昨夜3時頃から咳き込みがひどくなり、微熱もある。まあ、寝てればなんとかなるわさ。
寝付けない、眠れないまま朝を迎えた。今日は2週間ぶりの通所訓練の日。さあ、起きましょう!
・・・咳、微熱、そして少々のめまい。
・・・ンと、これって、かつて襲った**拒否症と症状が同じだなあ。え?デイ拒否?
・・・深呼吸して、弘美君と夢さんとネコたちが揃っているリビングに顔を出して、朝の挨拶をとにかくしましょう。
・・・おお、そういや、今日は夢さんの誕生日。何も用意していないけれど、言葉だけでも祝いましょう。「おはようございます! 夢さん誕生日おめでとう。ここのところ寝込んでいたからお祝い揃えていないの、ごめんなさい。」
・・・あれこれ会話をしていたら、拒否症的な症状が治まってきた。やっぱり籠もって実際的コミュニケーションが欠乏すると、心までこもってしまうんだなあ。
 デイの迎えが来た。いってきます!

 2週間ぶりのデイでは、朝の「ぼくの指定席」〔と勝手に決めてきた〕は無くなっていた。そこへ所長さんから「久しぶりだからあまり無理しないで訓練して下さいね」とのお声がけをいただいた。「しばらく顔を見せなかったね?」という声かけをいただいたのはお一人だけ。その後、ブラブラブラブラちょこちょこ。そして、「こんなことが出来るようになったよ」とスタッフさんたちにお見せしたり、「自分の世界」の中で動き回り、さらにいつも以上に「外界」とのコミュニケーションを取って、時を過ごした〔臨床心理的に言えば「居場所の確認行為」〕。
 ・・・こうして、ぼくの強迫観念による拒否症を軽微の内に克服することが出来た今日の通所だった。まずは良かった良かった。
〔こぼれ話〕デイから帰って昼食準備前にfacebookを覗いた。何人かの方が、「主観的応援コメント」を寄せて下さっていた。「歳を取ったら余計に自分との戦いだ!」などという、首つりの足を引っ張る援助者を務めようとする某政党市会議員などは、「自分との戦いで成り上がった自分像」以外には人間像を描けないのだろう。日本社会はまだまだ心が未熟なんだなあ、とつくづく思う。不登校に「自分との戦いだ!」と言って背中を押すような行為が、正しい教育だと思い込んでいる多くの親や教師の存在!をこの議員の「正義感」が立証しているのだ。

 お昼はラム焼き肉ランチ。タマネギ半玉、ジャガイモ1個を添えて。


*12月13日〔水〕18時~ オステルリー・ラベイにて恒例のクリスマス会。

「昔」との出会いの日

2017-11-24 15:00:33 | 日記
 実質起床7時半。二度寝。血圧130 81、脈動63 朝起き時の体調は回復したようだ。就寝前の血圧が不安定だから、まだ体は本調子ではないのだろうな。
 午前中、昨日とほぼ同じ運動。(キョンシー飛び〕は今日は中止。様子見です。
 昨夜、支援者さんにピョンピョン前進の話をしたところ、ウサギ跳びからのイメージで、両手を耳に見立てただろう、との返事。なるほどね~。でも、いわゆるウサギ跳びは危険技だし、今のぼくには出来ません。(キョンシー飛び〕と名付けた話をした。受けました。
 午後の運動は、昼食を求めて外出。どこの食堂もclose。やむを得ず、新柏東武ストアへ。いなり寿司弁当ぐらいしか食指が働かず、それを買い求めて帰宅。往復に45分。トイレ休憩も取らなかった。やや足早を意識したが、意識内のみのことなのかな?久しぶりの外出は心地よい汗をかいた。
 運動の後は、ネットをつなぐ。Facebookで[昔]のぼくを[今]につなぐ事柄が2件あり、かなり時間をとってコミュニケーションをした。
 1件は、第二次世界大戦で[戦争遺児]となった者の[今]への関わりの持ち方について、愛知の山田さんは次に添付したチラシをアップしていた。彼とぼくはまったく同じような境遇で今日まで生きてきている。古くからの教育研究仲間。ぼくは彼のようにまっすぐものをいうことが出来ないので、彼に代弁してもらっているような感慨を覚える。戦争によって命を奪われた者の遺族の戦後の生き方の本質は何か、[二度と戦争は起こすべきでない]ということなのだが、それ以上の深い思いがある。それをどう表現するのか。

 あと1件は、和歌山大学勤務時代のこと。Kという元和歌山県内高校教師との会話が弾んだ。ぼくは彼の名前は良く耳にしていた。彼はぼくのことはまったく知っていない。だから会話に齟齬があったのかというとそうではない。むしろ、リンクして面となっていった。おもしろいものだ。和歌山大学を去るときのぼくの[最終講義]を目にして、次のような感想を下さった。多少の初出会いヨイショがあると見るべきだが、ありがたい言葉をいただいた。
「川口先生 読ませていただきました。先生の素晴らしい実績と人柄を感じて今感動しています。素晴らしい教え子さんは先生の素晴らしい人からと学問としての研究の成果が絡み合ったものとして将来にも語り継がれていくものと思いました。素晴らしい敬愛できる先生と出会えて僕は幸せです。」
 ま、しかし、過去の詠嘆は、これだけに止めて、現実を生きていきましょう。

旅ネタも飽きた。通常に戻ろう。

2017-11-23 20:42:01 | 日記
 今朝は大寝坊8時起床。血圧132 76 脈動68 まだ本調子じゃあないなぁ。
 昨日所長さんから、振り替えの訓練を今日行いませんか、というご連絡をいただいたが、まだ様子を見たい、土曜日にはお世話になる、とお応えした。所長さんは、長の訓練休みが体の機能の後退に繋がっていないかとのご心配をいただいているようだ。
 昨日から、ちょこちょこと、調子がいい時を見計らって、歩行訓練やら屈伸やらを開始していたが、今日はもう少し時間をとって運動することに努めた。といっても、5分刻みでしかない。息は上がらないし、咳き込みもない。
 ブーメラン遊び。屈んで左手で拾うのと、しゃがんで左手で拾うのと。
 ゴムバンドによる牽引遊び。
 安定歩行を目指す廊下歩行訓練。その他。
☆両脚揃えその場飛び跳ね。ピョンピョン。左足麻痺のため、両脚を揃え飛び跳ね、両脚揃え着地とが、かなり長い間、困難であったが、やっと出来るようになっていた。もちろん、転倒を防ぐために、手はバー等にそえて。
 まずは、その復習から。2週間の空白は大丈夫。
 次は、手は何にも添えず跳ねてみよう。施設なら「注意!」の声が入るな。 ピョンピョン・・・。思いの外、体が軽い。
 じゃあ、上下ではなく前進〔後進は考えなかった〕飛び跳ね! これは初挑戦。左脚から崩れるだろうなあ・・・/
 ピョン 一歩前進 無事
 ピョンピョン 二歩前進 無事・・・・
 気がついたときには、両手首を折り下げ、両手を前に突き出して、狭い廊下をピョンピョンピョンと前進しているのでありました。
 我が家に 老躯キョンシー現る!
☆午後は、映画「凱旋門」鑑賞。1948年製作のアメリカ映画だが、第2次世界大戦開戦前のパリそして南仏〔アンティヴ〕を舞台としている。映画のタイトル凱旋門そのものは象徴的存在であるので舞台そのものではないが、パリが各国からパスポートを持たない〔持てない)「不法入国者」で溢れたところであり、各国の諜報合戦の舞台でもあった。とくに「ドイツ」に侵攻されたフランスを象徴するものでもある。ぼくが学び続けている「反ナチズム運動」との接点も大きく、その意味でもたいそう興味深い映画とも言える。映画の実質は不法入国者でナチに激しい拷問を受けた経験を持つオーストリア人外科医と歌姫との恋愛劇である。結末は、歌姫が死に、外科医が不法入国で拘束される。
 イングリッド・バーグマンは評判に違わない美しさだが、感情表現の激しさ、深さには驚かされる。同様な表現では「ジャンヌ・ダーク」でも観られる。フランス法的にはもぐりの外科医を演じるシャルル・ボアイエは、どこか仏頂面をした、冷たい男のように思われる。これは、彼が出演する「うたかたの恋」「ガス燈」に共通している。内面にため込む演技なのだろうか。彼はフランス人。病気で亡くなった妻の後追い自殺をしている、非常に情熱的な人なのだ。
 映画の舞台が舞台だけあって、実写の映像などは懐かしさがこみ上げてきた。
 

旅の宿から♪って情緒ある話じゃないです

2017-11-22 18:40:56 | 日記
 今回の宮島の旅は宿が希望条件に添っていなかった。一番の問題は風呂。
 もともと、大浴場に入浴するのが大の苦手なので、客室内風呂設置を確認して宿を予約する。バリアフリーが施されている室内風呂のある部屋は高額になる。1、2泊なので、高額を承知して宿泊する。ほかに贅沢しなければ捻出できなくはない。しかし、バリアフリー設置部屋は、昨今、常に「予約済み」現象だ。
 今回の旅では、部屋はたいそう美しく使い勝手もよかった。しかし、客室内風呂はシステムバスのやや大きいもの。介護棒、手すり一切がつけられていない。浴槽の高さも自宅のそれよりも少し高く、そして深い。
 我々のような者の事故が一番多いと言われる風呂場に目が届いていないような施設旅館は、ハナから、「介護者が常に〔トイレも風呂も〕密着していないようなご老人、障害者のご利用をお断りいたします。」と書いておいてほしいものだと、痛感した。
 バー1本であってもずいぶん助かる。宿側も文句言われず、利用者も安心して旅ができるのに、とつくづく思った旅だった。
 入浴ですか?いったん張ったお湯を抜いて、浴槽に四苦八苦して入りました。苦労の結果得たことは、「おお!おぬしもなかなかやるな」。いや違う、「おぬし、なかなかやれるようになったじゃないか、ウイヤツじゃ」でした。
〔注〕支援者さんに大浴場の方の様子をうかがったが、一切、高齢者、障害者配慮は無し、とのこと。流し場〔洗い場〕は畳が敷きつめられていた、そうだ。

*熱も無し、血圧もやや平常、脈動も平常に近づきつつある。風邪は治まったと判断できるが、時々、ぜんそく風の咳き込みに襲われる。タンはほとんど出ない。
 ということで、今日も自室で静養三昧。
 粋生倶楽部増尾から、明日〔木曜日〕振り替え通所の可能性の問い合わせがあったが、もう数日様子を見たいと思う。その旨は所長さんにメールを差し上げた。
*伊勢の義兄に電話。弘美の父の死去により年末年始の挨拶は欠礼する、と。お声を聞くのは4年ぶり以上だろうか。少しもお変わりのない元気なお声でとても嬉しく思った。

旅のこぼれ話から

2017-11-21 10:40:16 | 日記
 昨夜、咳き込みが激しくなったので、風邪がぶり返したか、と心配だったが、今朝起きてみると、咳き込みもなく、起きてデスクワークをするのも、さほど苦痛ではない。用心するに越した方いいことは当然のこと、今日も、自室内でゆったりと過ごした。
***旅のこぼれ話**
「到着したその日の夜は、クルージングでライトアップされた大鳥居をくぐります。」 至れり尽くせりの支援者さんの旅計画。
 ・・10数人をのせた屋形船が湾内を進んでいく内に、ライトアップされた大鳥居が近くなってきた。
 船の案内を得て乗客のほとんどが舳先部に結集。船内にはぼくとぼくよりはお歳を召したご婦人とが残った。頑として席を立とうとしない風な二人に船の男性ガイドは盛んに離席を薦めるが、言うことを聞かない。
 ここで、ぼくの状況分析を・・・ガイドの立場分析ね。
 ご婦人は耳が遠いので案内がよく分からなさそうだ、大きな声で誘おう。・・・大声でも反応無し。
 ご婦人の内言「寒いから、外に出るのいやなのよ。孫のつきあいで乗っただけよ。」
 じいさんは日本語が通じないのだろうか。ゆっくり、はっきり、キーワードで攻めよう!せ・か・い・い・さ・ん、分かりますか?
 ぼくの内言「そう来たか。世界遺産が冠に付くところには、関心が向けられ、行動される、という理解なんだな。う~ん。そいつはちと、このじじいには通じませんよ。暗い中、足場の悪いところをウロチョロする歩行能力を持たないから、窓越しでの見学で充分なのです。」
 ぼくが為した外言「言葉も意味も承知しております。ご案内ありがとうございますが、足が不自由なので、このままで失礼します。」
 世界遺産という言葉の理解さえおぼつかない人間とみなされたことは、さほどショックではなかったですね、はい。
 屋形船写真