人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

運動 学習

2018-01-31 20:18:14 | 日記
 ワープロではなく手書き文集作成 OBと。なぜOBの夢? 血圧132 80 脈動73 起き抜け体操ぐるぐるぴょんぴょんストレッチ。庭の氷結がなくなったため実施できた。
 朝食後、屋内で軽体操。廊下歩き50往復、カニさん歩き10往復、階段を使って踏み台、ストレッチ。計30分ほど。カニさん歩きは非常に足に負担がかかる感じ。疲れも早い。その後、少しセガン研究総括。
 今日のお昼はすき焼き丼。旨いです。

 午後のおやつにチョコレート(ベルギー)赤ワイン(イタリア)を添えて。ワイングラスはフランス産。おお、おっしゃれやノー。酔っ払いました。

 夕方、30分ほど、軽い運動。廊下往復、階段で足首伸ばし、ゴムひもを使って左脚ひざ下後ろ蹴り訓練。この蹴り訓練は5分と持たない。悔しいね。継続は力なり、をさぼっていたからその罰あたり。きちんと継続していきましょう。

体休め 学習 足指の麻痺に悪戦苦闘

2018-01-30 20:57:15 | 日記
甘美な夢と激痛の早朝現実 血圧141 80 脈動64 車庫屋根が薄い氷で覆われているため屋外軽体操は外階段の昇降のみ
 指5本それぞれを収める靴下があるのだから、はきましょう、と行動に移した。右足指はそれぞれすっぽり収める苦労はさほどしなかった。左脚指を収めるのにけっこう苦労したあげく収まった感覚があり、行動を開始した。しかし、左脚指に違和感が強くある。これは麻痺のせいだろうと考えてそのうちに慣れるだろうと、行動を再開したが、やはり強い違和感と締め付けの痛みさえ感じる。靴下の5本の指を押してみたところ、小指が入っていない、中指も入っていない。つまり、3本の指がひとつの指空間に収まっていた。これはいけませんと、指1本ずつをていねいに対応指袋に収める努力をしたが、指の硬直が強く、思うにならない。相当時間を掛けて(あきらめずに)なんとか収まった(ように思う)。足指にまで麻痺が襲っていたことを知った。健康なのは親指だけ。後は麻痺指。今後の課題を強く認識した。指1本1本ほぐすリハビリを毎日続けていこう。
 朝食後、屋内運動。45分。廊下歩き(50往復)、横歩き(10往復)、階段で踏み台、ストレッチ。今日も左脚の堅さが襲ってきます。運動してほぐします。左足首、ならびに膝の屈伸。
 アイルランドの子守歌 歌詞もわかる。優しい歌声。懐かしの映画「わが道を往く」にアイルランドの子守歌が挿入されている。Too Ra Loo Ra Loo Ral ・・・ゆりかごが揺れるさまの歌いだし。親(代親)がその子に対して行う知的、情的、道徳的な、意図的な原初的な教育活動。我がセガンは、実親から子守唄を聞かせられたことはなく、乳母がそのこれ役割を担った。
 午前中、セガンの生育史の検証。
 お昼は残りご飯でおじや。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ワカメ、卵。フグ卵巣塩漬けで味付け、若干煎り酒。根コンブでダシ取り。

通所リハビリ 博史くんの命日

2018-01-29 18:55:18 | 日記
脚の不調が強いです 血圧145 86 脈動70 血圧も高いです。
燃えるゴミ出し。道にはまだ雪が残っている。滑らないように足をかばいながらよれよれと。
今日のデイのお迎え車は、いつもより45分ほど早い8時15分。結構、忙しい。
◎もう43年になるのか。今日は長男の命日。
白血病に罹病して、治療の甲斐なく、神に召された。
病院の個室ベッドで、長男をあやし、寝かしつけ、遊びなどの生活が半年続いた。
研究職に就くための論文作成も、何本か、ベッドの上でつづったなあ。
つらい、悲しいというのは、死の後に襲ってくるものだ、ということだった。命ある限り、という言葉は本当だと思う。生への戦いのエネギーに満ち満ちていた。もちろん、多くの人からいただく温情なしではありえないことだった。
ふと、思い出した今朝。弱気になっていたところを、天の長男がガツンと一発よこしたのだろうな。うん、今日もめげずに、リハビリと学習をします。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
 約1時間の朝のドライブ。窓外の景色を楽しむ一時でした。健康観察の後、運動。精選訓練種目をこなしたけれど、なんとか、という体の感覚。ほかに、レッグマジック、JOBA、クレージー。
 所長さん作成の「粋生通信」第1号がテーブルに飾られていた。ぼくの脚がデビュー。Mさんにコピーして貰いました。所長さんの、ちょっぴり乙女心が覗けます。

 今日のお昼は氷見うどん。汁は、昨夜の鍋(鶏、白菜、シラタキ、豆腐)の汁(具入り)をベースに、ちょいちょいと「加工」しました。なかなかいけます。


 今夜は博史くんに、アイルランドの子守歌を捧げよう。Irish lullaby
1.Over in Killarney Many years ago,
Me Mither (My Mother) sang a song to me
In tones so sweet and low.

Just a simple little ditty,
In her good 'ould' (old) Irish way,
And I'd give the world if she could sing
That song to me this day.

"Too-ra-loo-ra-loo-ral, Too-ra-loo-ra-li,
Too-ra-loo-ra-loo-ral, hush now, don't you cry!

Too-ra-loo-ra-loo-ral, Too-ra-loo-ra-li,
Too-ra-loo-ra-loo-ral, that's an Irish lullaby."


言っても詮方ないが、寒い!血圧が…

2018-01-28 19:45:39 | 日記
まともな理解能力がない者と出会うことほど腹立たしいことはない。昨夜のこと。血圧146 82 脈動62  体のことをも考えての食事をとろう!とあらためて決意。糖分、塩分、控えめに。
 朝食を済ませて少し休憩ののち、屋内で軽体操。自室内でストレッチ、廊下と階段で歩行訓練。わずか15分で息が上がったので小休止。
 自室内でストレッチング・ボード。かたくてかたくて…。S氏の「川口はかたくてかたくて殺されるかと思った」という他者への愚痴を自分の体にかぶせましょう。S氏は自分の手前勝手な行動そのものを世界基準だと思っているお方だものなあ。
 障害物を置いて横歩き。左足がちゃんと上がります。もっと脚力を強化する課題。
 お昼は、暁夫婦、光ちゃん、弘美君と、安楽亭で焼肉。せっかくカロリー制限を決意したのに、さっそく破った。皆で楽しく、というのは、とてもいいことなのです。光ちゃんが描いた皿絵。具材はチョコレート(焼きバナナにつけるチョコ)。ちょいちょいと、うまいものでした。

 帰宅後は夕食まで、セガンの宗教性についての検討
 少し遅くなったけれど、弘美君の誕生日祝いに、暁さんと光ちゃんの共同制作によるバースデー・ケーキ。オラにはこんなのくれなかったけんど、うれしいことですね。


【ちょっと思い出エッセイ】
【パン・ド・カンパーニュ(田舎パン)の思い出】
 焼きたてのバゲット〈1メートルほどの堅いあれ〉ほどおいしいパンはない、と僕は思う。パン屋が店を開くか開かないかのうちにお目当てのパン屋にできている行列に加わり、バゲット数本を手に入れ、一本は宿・アパートに帰る途中で食べてしまう。帰り着いたら、スープ作りに着手。たいていがラパン・ガラで作る。トマトやジャガイモやニンジンやらを乱切りにして投げ込み、塩コショウで味付け。仕上げに白ワインを注ぐ。これに買ってきたバケットで、朝食となる。
 ある日、直径が30センチほどの大きな丸いパンの塊が目に付き、あれは何だろう、どうやって食べるのだろうか、気になった。手書き風の文字で書かれたパンの名前はpain de campagneとある。「田舎パン?変な名前。パリっ子が田舎という名に飛びつくのかなあ。」なんて、言ってみれば知った風な考えを持った。その時は買わなかった。わけわかんないものに手を出すと、大変困る事態になりかねないから、食料品には慎重だ。
 その週の日曜日、バスチーユにつながるリシャール・ルノアール大通りで開かれている朝市で、フランス人知人に訊ねた。彼はこのような説明をしてくれた。
「パリっ子の大勢はパリに生まれたのではなく、パリで働くために移住してきた人たちです。そういう人たちにとって、「田舎」はとっても懐かしく、かぐわしいところです。彼らのそういう「田舎を懐かしむ」思いから生まれたのが「田舎パン」。パリの近郊(田舎)で作られていることから、この名前が付けられましたが、郷愁を誘うのですね。そして、同郷の人たちが大勢集まって、同郷のスープを作り、「田舎パン」を分け合って食べるのです。大きな形で保存がきくことも、「田舎パン」の特徴です。」
 なるほどなるほど。それを聞いて、ぼくも「日本」という「田舎」を偲びたくなると、「田舎パン」を買い求め、「ラパンスープ」とともにいただいたのでした。「田舎パン」は素材が素朴というか、小麦も上質のものではないし、ライ麦などを混ぜているから、そのままかじっておいしいというものではない。けれども、懐かしい郷愁を覚えるのは、まさに名前の通りなのであった。 

粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2018-01-27 18:44:13 | 日記
弘美君のお供の旅。旅先で弘美君の級友を幾人も紹介される。みんな高齢者、弘美君だけ華やぐ青年期。夢の中で笑ってしまっているぼく。弘美君だけ年を取っていないんだな。後半はキタちゃんと遭遇。20数年年前の彼女しか知らないから、まさに華やぐ乙女。
 一番の寒い朝の目覚め。室内4℃。血圧131 78 脈動63 ただしデイでのあったか姫の後の測定値
 粋生倶楽部増尾通所リハビリ 精選訓練種目の外、レッグマジック、脚揉み器 
 今日は不調故、いろいろとぶーたれた。そこは所長さん、ぼくの左脚機能の改善振りを高く評価して下さり、気持ちはシャンとした。しかし、本当に、気分不調体不調だ。
 利用者のUさんとTさんと、身体具合について、会話。「もう元には戻らないのよね。」とUさんがしみじみおっしゃった。そうなんだよな。ぼくの返した言葉、「元には戻らないから、今あるところから出発するしかないよね。」 日々、逞しく努力し、その成果をきちんと出しておられるTさんに、学ばなければと思うことしきり。
 体も後退、気分も後退の朝でした。
 今日のお昼は、豚つらみ丼。タマネギ半玉、ニンニク、豚つらみ,できあがりに生卵を落として、味をまろやかに。生姜焼きにしょうかと思ったのだけれど、生姜がないので、代替タレ。タレは、白ワイン、煎り酒、豆板醤、そして焼き肉のタレ。適当に混ぜ合わせて作成。おいしく出来ました。

 写真で我が体状態の記録を確かめると、確かに我が体、わが左脚は立派に回復してきている。
 ビフォー(2014年11月15日)

 アフター(2018年1月27日)

 リハビリとは偉大なものなのだなー。

寒さに凍える一日

2018-01-26 20:43:21 | 日記
就学児童の通学路に関する調査、の夢。なんだって?我ながら深層心理がわからん。血圧142 87 脈動63 高めが続きます。栄養管理を心がけましょう。
 10時現在、室内気温5℃。朝起きから変化なし。外気は刺すような冷たさだし、コンクリート屋根はまだ氷結している状態なので、外での軽体操は無し。代わりに室内廊下と会談を使って。廊下を50往復。左足を引きずりがち。矯正歩行を意識して。脚外側面が強く突っ張る。階段で踏み台50回。廊下をカニさん歩き10往復。とりわけカニさん歩きは強く疲れます。どうしても引きずりがちになるのでひざ上げを意識して。爪先を引きずることはなかったのがうれしい。計30分ほどの軽体操。
 午前中、セガン1846年著書より宗教教育に関わる原文の点検。神への感謝の祈りを子どもたちに捧げさせる場面描写。「不治者救済院」でのそれと「ビセートル救済院」でのそれと記述に違いがある。この違いの意味は検討に値するやいなや。少し考えた。
 食事前に、足下に高さを持った障害物を置き、左足でそれを踏み越えることの繰り返し訓練。まだ、十分に足が上がりきらないことに気づいた。
 お昼は手軽に、カルビ焼き肉丼。ピーマンを添えました。

 昼食後は、足の運動をし、体の筋肉をいたわるために風呂に入ったほかは、夕食を挟んで、セガン1846年著書より、ビセートル救済院での宗教行事「祈り」の実践場面の翻訳と検討。難しい宗教行事を、子どもにとって意味があるように工夫しているセガンの息づかいを感じることができる。セガンは次のように言う。
「ビセートルで私は、痴愚や白痴には理解できないような、押韻を踏んだ、リズムをつけた神への賛歌や祈りとを、次の二つの祈りの言葉に置き換えた。
1.学習の前:神様、私たちが治るために、また私たちが社会で生産するようになるためにしようとしている学習を祝福してください。2.食事の前:神様、私たちが摂ろうとしている食べ物と、不幸な境遇にあるすべての者が私たちのようにパンを食べることを祝福してください。この二つの決まり文句は施設付き司祭によって許可を得ていたことである。」

粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2018-01-25 17:03:17 | 日記
フランス生活でお世話になったKさんの夢 地下鉄で迷子になりました。 血圧140 78 脈動60
 デイの迎えが来る前の我が家前の光景。道路が氷結して車がにっちもさっちもいかなくなっている。どうするのかなあと軽体操をしながら眺めていたら、数人の道路保守係の人の手助けで、消防署機材置き場の駐車スペースに車を押し込んだ。しかし、それが最終の解決策ではない…。地元ナンバーの車ではなかった。
 粋生倶楽部増尾通所リハビリ。血圧はぎりぎりセーフ。体温は7℃を超える微熱。構わず訓練に入った。精選メニュー:歩行、自転車、滑車、ボール、踏み台、スカイウオーカー、ステップ。他にマッサージ、あったか姫。自主訓練メニュー:レッグマジック、JOBA、マットでj歩行矯正、ビニール製ハンドボール投げで手指の動作訓練、カニさん歩き、大股歩き。所長さんによる助言:骨盤がゆがんでいるのでその矯正訓練。左脚膝の外向きは矯正されたが、逆に右膝が外向き。まあ、なんて、ややこしい自分の体だことよ。
 帰宅後、カレーうどん作成。鶏胸肉、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン。だし取りに根昆布。とてもおいしくできました。


 食後は、セガン1846年著書から「宗教性」に関わる叙述を検索し、検討を開始した。

定期診察

2018-01-24 11:53:30 | 日記
血圧138 85 脈動69
 今日は診察日。約2ヵ月ぶり。診察予約では9時。そのためには8時30分には受付をする必要がある。
 昨日の大雪の影響はタクシーにも及ぶだろうことは、道路状況を見ればわかる。8時5分前に配車依頼をした。
 8時にタクシーが到着。雪の影響の少ない道をタクシーは選ぶ。この辺りは坂が多いし、森も点在しているので、積雪による悪路が予想されるからだ。
 8時15分総合受付、8時20分脳神経外科受付を済ませて、主治医による診察を待つ・・・・腰を下ろした途端、お呼びがかかった。なんと、待ち時間なし!
 診察はほんの数分で終わり、会計も待つというほどの時間がかからなかった。ここまで8時30分。おやまあ。薬局(薬屋)に行くと、まだ、施錠されている状態。9時にならないと店は開かない。
 薬をもらって、てくてくてくてく、自宅を目指して歩く。今日は道と足の調子が極めて悪いので、歩行スピードが出ない。1時間ほど歩いて、いつものスーパーへ。ささやかな買い物を済ませて、また歩く、30分。
 帰宅時間は10時45分でした。2時間45分、診察にかかわって要した時間。いつもこうだといいのにな。

積雪は10センチ程度

2018-01-23 14:32:31 | 日記
血圧141 77 脈動61
 これでは起き抜け体操、屋外ではできません。

 水瓶メガネの誕生

 お昼前近く、花桃の枝の雪はすっかり解けてしまった。あったかな陽だまりが懐かしく思うほど。明日の病院行き、タクシーは来てくれるだろうな。

 午前中の室内リハビリ。左脚の機能回復訓練をもっぱら。
★ 今日の外出は、ぼくにとって無謀なことなので、自宅で蟄居。すると,「小人閑居して不善をなす」(『大学』ーだったか?)ことになる、そうだ。もっとも、こういうお言葉を垂れなさるのは、精神的肉体抑圧をあらんかぎりくださる、ありがたいお方(上人)だ。「小人」の側から言わせれば、「上人閑居して不善をなす 」だ。
 で・・・やっぱりセガン話なんですな、オチは。
YK(小人):セガンは「サルペトリエール院」では実践していませんね。セガンが教えたのは男の子ばかりで、サルペトリエールは女子のための監獄や精神病院だったのですから。
KS(上人):何言ってるのですか。アメリカの教育学博士論文でもセガンのフランス時代の翻訳書でも、サルペトリエールだと言っているのですよ。今や、セガン研究のすべてがそうなのですよ。
YK(くどい小人):フランス近代史の常識から考えると、男女が同一施設の収容者であるということは考えられません。
KS(あくまでも上人):しかし、事実、白痴の子どもたちがサルペトリエールに収容されていて、セガンは精神医学の博士として、彼らに教育したのですよ!ちゃんと調べてから、ものを言うべきではありませんか?
YK(カチンときた小人):先生ご自身は調査されたのですか?先生も、サルペトリエール院が白痴教育の場で、大きな成功を収め、絶賛された、とお書きになっていますけれど。
KS(徹底的に上人):あなたは、ドクター論文が嘘をついている、というのですか!翻訳された先生は、あなたと違って、語学の達人・天才といわれている人です。そういう人に間違いがあるはずはないじゃないですか!
YK(憤然とした小人):ネットでアップされている情報も加えて私の判断を申し上げましたが、それでもなお、フランス19世紀の前半期の生史料の検索・発掘が必要だと、判断します。
 上人様は、ご自身が調査された結果に基づいて論文を書いた、とは一言もおっしゃらない。言えるはずはない、アメリカにもフランスにもお出かけになったことがない方なのだから。それで「権威」を引っ張り出す。上人様にとって「権威」が正しいのは「権威」だからなのだ。
 懐かしい、セガン研究出発時の、小人と上人様の争い?でした。2003年秋までのこと。その年の暮れには、上人様は、当該事に関する小人の発言内容に従うようになり、翌年春ご出版の大著に、小人説を採り入れられたのでした、小人の調査結果(史料・写真等)に基づいて。当然、小人への謝辞は記されず。

通所リハビリ 午後から雪。積もりました。

2018-01-22 19:19:30 | 日記
懐かしのbasic原語の授業 懐かしい顔の面々 夢だからこそありうる情景 血圧140 82 脈動56
 昨日から、立ち居で、左脚にかける力の加減で、体がへなへなと崩れることがある。これまでもなかったわけではないが、ちょっと集中しすぎる。今朝も、デイの迎えの車を待つ間の軽い体操中に、崩れ倒れた。コンクリートの上だから頭を打たないようにと身構えたので、尻と背中を少し強く打っただけで済んだ。痛くもないし、けがもしていない。どうしたんだろうね。いわゆる「揺り戻し」現象なのかな?一応、デイにはお伝えした。
 午前中、いつものように、精選された訓練種目をこなし、クレージー、レッグマジック、マット左脚訓練などを楽しんだ。少々休憩をとった際、元観光バスガイドをしておられたTさんと、北海道旅話題。今年初夏に訪れたいと思っているところから。車窓からの眺めをお勧めいただいた。ぼくもそれを考えていたので、うれしい会話のひと時でした。
 デイの終了時に雪。
 お昼は、肉うどん。辛みそ味。これもなかなかいけます。
 午後になって、雪がにぎやかに降り始めました。我が家の花桃を前景にして撮影。

 午後5時。どんどん降ります積もります。(雪国の方、こんな程度で騒いでごめんなさいね。でも、明日出かける靴がないんです、この雪で。)

 午後7時。我が家の花桃の枝と鈴木さんの林に積もる雪。


 玄関脇のアボガドも雪冠。寒さに負けるなよ。