人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

知らない街を歩いた

2019-08-31 11:42:23 | 日記
晴れ 蒸し暑い
130 79 56 125 75 56

 起床後、少し長めの朝歩きをと出かけた。今日は土曜日と言うことだろう、車も行き交う人も少なく、快適な気分の朝歩き。しかし、足取りは重く、感覚として、退院後試みていた早朝散歩の如し。ここまで脚の状態が退化しているのかと思いながら、歩くことを怠けてきた付けだよなあ、と反省。行き先を決めないで首位をぐるり、と脚を進めていったが、そのうち「い今谷刑場史跡」に意識化するようになった。地域の変貌ぶりはすさまじく、「知らない街」をさまよい歩いている感覚。史跡もかろうじて残されてはいるが、その地は、立派な墓地に変貌していた。約1時間の朝散歩。我が家に隣接する雑木林の存在を、改めて、ありがたく思った。


左半身が不全の身になって、左手でものをしっかり掴むことに苦慮することが多い。茶碗などをちゃんと持っている気なのだが、手がから、まるで抜け落ちる、こぼれるように落ちる・・・しばしばある状況。相当左手に神経を集中し続けていないとならない。
 この身体状況を抱え込むようになって、セガンの実践の細心さ、力強さを実感するようになった。たとえば「梯子の上り下り実践」である。
 5メートル長の梯子を立てかけ、「白痴」の子どもたちに上り下りを指導する。多くの子どもは身体が硬直しており、手足に意思が届きにくい。梯子の横バーを握る、脚を掛ける、その繰り返し行為は、子どもたちにとって相当苦難の営みだ。
 その過程はここでは省略して・・・何とか達成する。セガンはこう書いている。
「子どもたちの両の手のひらには、苦闘の跡を示す宝物が乗っかっている。私は1人ひとりにリンゴを与えた。熱を冷まさないと次の課業に進めないからだ。」
 にもかかわらず、「よくやったね、偉かったね。これはご褒美だよ、と言ってセガンは子どもたちにリンゴをあげたのです。心優しいセガンではないですか。」と言うお方がいる。そんな言葉をセガンは一言も綴っていないが、たとえそうだとしても、実践記録の趣意は、セガン自身の心優しさを綴っているのではないことが明らか。前記評価の方は、手にできる豆のことは実感的にご存じない、青白い文学少年期を過ごされたのだろうなあ、どこかのおたなのお坊ちゃんだったそうだし。ただただ哀れさを覚えるのでした。
 セガンの梯子実践は1842年に発表された記録に綴られている。また、後年、セガンの実践に学ぶ教育にも積極的に取り入れられてきている。5メートルの梯子、私の少年期には、ほぼすべての家庭にあり、屋根の掃除、庭の木の手入れなどに、常用されていた。もちろん、私も使用していた。

頂いたメッセージ
「突然、失礼します。ご存知と思いますが、私が開設している「ネットギャラリー:PHOTO FORMU」の件です。
 先生のFBで以前から気になっていたのですが、FBに使われた写真を数年分遡って観せて頂きました。
 思ったとおり、素晴らしい写真があります。記録のためのものもありますが、それでもその風景や建物のイメージを表現するための構図、さらに朝、夕など風光などを生かして、活写されていますね。ざっと観ただけでも40枚近くピックアップできました。そこでぜひこれらを「ギャラリー」にまとめていかがとお誘いしたいのです。FB
 ご承諾頂けるなら、私の方で作業はすべてさせていただきます。
 お聞き入れ頂けるなら、連絡用のメアドが必要なので、?????@sada-st.comにお願い致します。」
 ありがたいお申し出。写真でプロに褒められたのはこれで二人目。お一人は、清水寛氏の仕事で知己となった方。
 ぼくの撮影写真が掲載されているフォトフォーラム こちらをクリック

映画 https://www.youtube.com/watch?v=fl8I5dycpTk&t=1737s HE WOMAN HE LOVED

早朝、ほんの少し、外歩き 読書

2019-08-30 11:02:27 | 日記
薄日注す朝 すでに蒸し暑い 7時頃には雨。
115 70 50 119 73 51
 久しぶりに、起き抜けの外歩き。旧児童公園を覗き見る。立派な宅地に変貌。じつにつまらない環境に変貌しつつある。老人ホームの前から東の空を見る。今は広い空が広がっているが、そのうちに狭い空になろう。左脚の不具合は続く。次回から、早朝散歩は、杖を持参し距離を伸ばそう。
 キーボード、またまた変更。黒から白へ。テンキー付き。今度はフィットするかな?
 安川著書の読み。無神論者の福澤が』馬鹿と片輪』には宗教が必要、という。この言葉に接したのはもう何度目か。愚民論そのもの。朝鮮半島民衆蔑視と言い、反吐が出る思い。。

「・・・日本セガン学会が発足し、『セガン著作集』の刊行などに取り組むこと・・・、私は今から夢みている。」(清水寛「あとがき」、清水寛編著『セガン 知的障害教育・福祉の源流』全4巻、2004年、日本図書センター、引用は第4巻166頁) 
 夢だけ追うお人のお言葉ですなあ・・・・。ふと、書架から取りだしてみた。
 同書の出版記念会を、清水氏の強いご希望で、2005年7月某日、学習院大学文学部大会議室を会場にして開催した。やはり基調となる外部者のご講演が必要だろうと思い、講師料を抑えることが許される中野光先生に講師をお願いした。ご講演の中で、思いも掛けないフレーズが語られた。「今回の清水さんの編著書は、実際には、川口幸宏さんの手になる、といってもいいほどです。」

 
 清水寛氏が構想した『セガン著作集』は全5巻(だったか?) 私に口述構想が提起されたことがあったが、「セガン」なるものに関わり始めて1年も経っていなかったときなので、記録化するほどの能力は育っていなかった。その後は一度も伺っていない。
 今の時点でぼくはそれ(著作集構想)を代行しうるだろうかと考えて、目録的にしてみた。第1巻を除いて各巻単行本を収録。各巻のページ数は不揃いとなる。

第1巻 1836年芸術論、1848年政治論(声明)
題2巻 1839年白痴教育実践記録 1839年教育指針論
    1843年白痴の衛生と教育著書
第3巻 1846年白痴の精神療法著書(代表著書)
第4巻 1866年白痴およびその療育と生理学的方法
第5巻 1875年教育に関する報告(遺著)

第1巻収録論稿はほとんどセガン研究者にも目に触れられていない。未邦訳。
第2巻~第4巻は既邦訳だが、改訳が望まれてきた。ただし、1843年著書の新訳は私がなしている。
第5巻未邦訳

 どなたか、挑戦していただく方はおられないだろうかなあ。1~3はフランス語、4,5は英語。

脚休め 読書

2019-08-29 16:53:34 | 日記
晴れ またまたキーボードを変えてみた
125 72 48 120 69 47

午前中、安川著書の読書。

ぼくの頭の中の今 不統一的混在
1.福沢諭吉をコアとして 
大正自由教育 帝国主義下の自由、植民地主義 ヘイト(東アジア諸国・人民叩き)
2.セガンをコアとして
革命主義 ヨーロッパ近世ブルジョア 24時間拘束教育(寄宿学校) キリスト教的人生観 「動物的人間」

福澤教とも言える我が日本の精神構造。それは、「セガンは、白痴も人間だ、教育を受ける権利があると言って白痴教育を始めtのです」というデマゴーグに踊らされてきた我が日本の精神構造と一致しているように、思う。

お昼は豚皿 ちょっと甘みが強すぎたかな?おいしかったです。タマネギたっぷり。



映画 ノートルダムのセムシ男

午後、通所リハビリ

2019-08-28 17:46:02 | 日記
曇り ビニールゴミ出し。ゴミステーションまで約100歩。もう少し歩幅が広くなればいいなあ。
126 70 48 131 71 47
 朝の内、安川著著の読み。歴史認識を強烈に問われる。鈍ったなあ、おれ。
 午後デイ。来月からやや性格が変わるので、ぼくが好きだったデイの最後の日。いろいろ巻き起こして「お別れ」しました。そのうちからーー
1.スタッフの若い女性とすれ違ったとき、ふと、後追い的に振り向きました。どうしたの?という問いに、「見返り美人ならぬ見返りたくなる美人。」と応えたら、言われた当人、いつになく接触?コミュを多くしてくれました。
2,ぼく「デイに通った効果が、ほら、しっかり現れてますよ、O脚ではなくなっています、両脚の膝を内側同士でくっつけることが出来ますよ」。所長さん、何度も視認および接触で確かめておられました。施設内大受け。
3,「川口さんが、ちょっとした隙に見せてくれる笑顔、すごく安らぐのよね。」
 初めて頂いたお褒めの言葉。嬉しいものです。が、今日でお別れの方。ありがとうございました。
4.水曜のこのコマは、人間関係等で苦手だったのですが、今日ようやくそれを乗り越えるきっかけを得たように思います。が、来月からはコマを変更することになりました。また、新しい関係づくりが始まります。

 セガン生家写真2葉 2003年当時と2009年当時の様子





 2003年訪問時には一部がバー、カフェとして使用されていたが、2009年訪問の時はバー、カフェ使用が停止され、元の面影を偲ぶことが出来た。
 地元以外の研究者等によって、地域の、歴史ある医師名門と伝承されているわりには貧弱な家屋。実際には、父親世代一代限りの家屋。父親も母親も他地からの入植者。
 セガンの父親は医学博士。彼のこの地での医療活動で記録に残っているのは監獄医、ロマン・ロランの曾祖父のお抱え医者。だとすれば、この家屋で医療活動はしていなかった、ということなのだろう。
 セガン本人はこの家で誕生したが、間もなく他地に里子に出され、その後は、生活をする家としてこの家屋を使っていないと考えられる。
(余談)2912年10月末、クラムシー市も主催の一翼を担ったセガン生誕200周年記念国際シンポジウムがニエヴル県クラムシーを会場にして開催された。100人余の参加で盛会であったが、シンポジウム内で、主催者代表の市長からセガン生家の紹介は一言もなく、通常行われる関係フィールドワークもまったくなされなかった。
 セガン生家の現在の所有者は地元不動産業を営むクラムシー市長。現市長にとっては、セガンは、「おいしい観光資源」(地元紙記者の表現)にはなり得ない、という判断のようだ。
 それでも、ぼちぼちと、地元刊行物に、セガンの名と活躍の事が綴られるようになった。2003年夏の埼玉大学名誉教授清水寛氏一行の訪問と1500頁に及ぶ「大セガン研究書」(書名にあらず)のクラムシー市への寄贈が、この傾向をもたらす契機となった。これ故、清水寛氏は「実質、クラムシーの名誉市民」(前市長より川口への書簡)という名誉ある地位におられる。

映画 Kings In Grass Castles (1998 part 1)

気分がすっきりしない

2019-08-27 18:09:32 | 日記
晴れ 資源ゴミ出し 昨日のデイの疲れが残る朝の坂道
125 77 51 130 76 51
 午前中、および夕刻、安川著書読み。「戦争責任」論。今という時代だからこそ、真正面から向かい合いたい。

「セガンは世界初の知的障害教育学校を創設した」とされてきた。その割には、創設時期、学校規模、生徒の具体、教育内容と方法が明確に語られてきていない。セガンが著した1846年著書に、「パリ・ピガール通りに、ささやかな学校を創設した」と綴っているのが、唯一の当事者記録だ。その記録の書きぶりから、創設時期は1839年頃と推察された。公文書の発掘作業によって、公的には1839年1月の創設であることが判明した。記録を綜合すると、生徒数3名。寄宿制学校だった。
 しかし、1841年10月頃には、セガンは、当時パリ北郊外の「男子不治者救済院」に「白痴の子どもの教師」として公式に雇用されたから、学校の方は閉鎖したと考えるのが自然だ。生徒はどうしたのか?親元に帰したのか?
 せっかく、「世界初の」という冠をつけてその進取的業績を称えようとも、その史実の具体が不明では、教育史に一言たりとも綴られないわけである。

 黒猫君のロッククライミング。いただいた岩塩、いろいろと楽しめます。

通所リハビリ  デイのキャラが⒐月から変わる

2019-08-26 18:24:00 | 日記
晴れ 燃えるゴミ出し。昨日の脚の不具合は今朝に持ち越さず。ちょっとホッとした。ギッタンバッタンは変わらないけど。
132 74 58 128 74 55 
 午前中、通所リハビリ。迎えの車がパンクで、通所に遅れ。隣席のIさんが、「迎えに来るのが遅れるは、パンクでまたまた遅れるはで、訓練時間が短くなってしまう。」ときつい口調でぼくに語りかけてきた。ぼく自身、今日は補聴器を装着して車に乗り込んだのだが、パンクのために別の車に乗り換える、という案内はいっさいぼくには届かず、ほかの方が行動されているのを見て、わけ分からず、くっついて行動した、という有様。不安なものです、何がどうなってこうしているのかを、自身に納得させないことは。運転のIさんには、その旨、申し上げて詫びの言葉をいただいたのでこの件は、ここに書き記すだけ。それにしても、皆さん、耳が本当にいいんだなあ。
 訓練はいつも通り。賑やかに明るくやりました。
 デイの終わりに「サービス拡大のお知らせ」なる文書をいただいた。
⒐月より、利用者定員が15名を21名にする、利用料金に変動がある(多分、値上げ).旨。
 今の空間で利用者数が結構増えることになる。落ち着かないだろうなあ。
 デイも、だんだん、通う楽しみが減っていく・・・。

 いただいたオーストリア土産 岩塩とウイーンコーヒー

歩く 脚の不具合は強い

2019-08-25 16:08:46 | 日記
晴れ
134 75 45 122 73 43
 脚の機能が弱くなっているだけではなく、能力が確実に落ちている。急速に進んでいるなあと実感した今朝の散歩兼買いだし。とにかく、脚が動きにくい。参ったなーという感じ。
 9時出発。予定コースは近隣公園を通って新柏のスーパーへ、そして帰宅、1時間もあれば充分だと見込んで歩き始めた。ところが・・・・
 白山神社前でどうも脚が動かないぞと強く感じ始め、昨日の疲れもあるだおるけれど、そのうちに動くさ、と歩を進めたが、背がすごく屈んでいる感じ、目線が前を向かない。典型的な悪歩行姿勢。意識して目線を挙げれば今度は足を引き渦音。これは、散歩コースの予定を変えて、短縮を図ろうと、豊住保育園コースを選んだ。補遺燻煙は娘たちがお世話になったところ。

そのちょっと手前の向かいに、日本語にすれば「富豪の館」という名の滑稽な小さなマンションがある。貸し駐車場スペースに囲まれた館であります。その後は、よれよれと、車通りを避けて歩き、東武ストアーへ。各種集金に備えて高額紙幣を崩すのが目的の買い物・・・のはずが、結局いろいろ買い物。リュック姿ではないので、右手杖、左手買い物袋という出で立ち。脚の不具合な強いときては、帰路は大変な思いをしたのでした。まあ、頭と同じで、ケがねでよがったな。
 帰宅11時。2時間の行程でした。。
 帰宅と同時に、イアン、暁、光が来訪。鎌ケ谷の梨畑に梨狩りに、弘美君を誘って出かけた。イアン君は、あいかわらず、パン。鶏腿スープなど手製食糧を差し入れてくれた。ありがとう。
 キーボード変更。()、「」のキー割り当ては変わらないことが分かったので、どちらに馴染んでいくか、しばらく、試行が続く。

船橋へ 物産展ほか

2019-08-24 08:42:48 | 日記
曇り
126 74 45 123 70 47

出かける前の一吼え
某人講演(ならびに論文)より
「問いを持つことは解決を図らなければならない。」(「疑問を持ったらちゃんとその疑問を解消しましょうね。」かのセガンはそう言っているのです、どうです?みなさんー聴衆拍手万雷)
ある参会者挙手して質問(ぼくでは無い若手院生。勇気ある若手研究者だなあ)
「セガンの原文では、先生が引用下さったところは過去形になっております。そうだとすると、原文の意味合いがかなりというか異なるように思われますが、いかがでしょうか。」
某人答えて曰く
「それはあなたの拡大解釈にしか過ぎないですね。文献を正しく読みましょう。たとえ過去形であっても、セガンが言いたいことはただ一つです。あれっと思ったら、即、問題解決を図れ!」
若手、さらに食らいつく
「お言葉ですが、セガンが言っていることは、あれっと思ったこと、つまりささやかな気づきが、セガンをして、白痴教育の実践課題へと繋がっていった、ということじゃないですか。つまり、一般教訓を述べたのではなく、あくまでも自己経験を述懐している、と。だからこそ、過去形表現なのだと考えます。」
司会、議論の停止を宣言。会場の大きな拍手は若手に送られていたように感じたのは、判官贔屓かな。
セガンの原文1866年著書より
Can idiots be educated, treated, improved, cured? To put the question was to solve it.

船橋東武デパートで福島物産展。
福島の桃!キャンペーン・ガールに直撃インタビュー。

「大学生なのでしょうね。」
「はい、そうです。」
「福島大学?」
「そうです。」
「学部はどこかしら。」
「教育学部です。」
「教育学とか、わけわかんない授業、あるんでしょ?」
「そうです。難しいですね。」
(支援者さん、割って入って)
「この人、教育学で生きてきたのよ。」
「(顔が少し曇ったようだったな)そうなんですか。」
「教育実習は、まだでしょ?」
「ええ。すごく楽しみにしています。」
「いいですね、そのお声。・・あ、お邪魔しました。」
「どういたしまして。ありがとうございました。」
いい娘さんだなあ。

 物産展会場で、Dさんのオーストリア他の旅のお話をお聞きし、岩塩、コーヒーのお土産をいただく。岩塩は仕事机の上に飾りたいのです。
 いろいろと、購入しました。

船橋への予定中止 安川著書読書続き

2019-08-23 20:14:33 | 日記
曇り・雨
125 73 49 126 73 53
 朝7時過ぎの段階で雨のため、今日の船橋行きは中止。明日の天気予報は晴れ。ちょっと暑くなるらしいが、明日、物産展、ならびに旅土産話を聞くランチ会、実行。
 午後、安川著書の続き読み。Iの章 3 日本人は戦争責任と向き合えるのか―ある教区学者の認罪 ぼくも少しは知己を得たことのある故五十嵐顕先生の「戦争責任とご自身による厳しいまでの総括」の具体を通して、日本人、日本社会の戦争責任の捉え返しの大きな問題提起。これは初めての論考。読み応え十分。

またまたセガン話
 セガンの人生の後半はアメリカが舞台。著書・論文もみんな英語になる。彼が綴る多くは自己経験事と理解されるようなことが中心。そのような自身のこと、家族のことを綴るにあたって、セガンは、we、fathers, mathersと表記している。翻訳はで、私たち、父親たち、母親たち、となる。セガンの生育に関わる地域総体の実像として理解されるわけだ。
 じつは、これが、私の頭を痛く苦しめ続けてきた問題。
「私はそう思う」という表現の強調ないしは謙譲「私たちはそう思う」という表現と同質なのではないか。新聞の論説の書き手は一人にしか過ぎないのに、私たち、と書いているのと同じように。
 他の日本人セガン研究者は、こういうことに頭を悩ませてはおられない。セガンが、近代的な知的障害教育の道を切り開いた偉人であることを、明確にすればいいだけのことなのだろう。でもそれは、私の力に及ぶ問題ではない。

セガン話,ちょっと趣向を変えてみました  
 添付ファイル写真、左はセガンの原著{1866年著書の1870年復刻版}、右は同書翻訳本{ただし完訳ではない}

 我が国へのセガンの白痴教育理論と実践についての理解と研究は、この書によって進められてきた。今だから言えることなのだろうか、翻訳書が原著に近い内容であったなら、とどれだけ思うことか。そしてこの翻訳書に忠実に論文に引用記述講演がなされることがなかったならば、どれだけセガンが誤解されずにすんだことだろうか、と。
 フランス語原著のみならず英語原著の、再読という作業が研究的に行われることを、切に希望する次第。

郵便局へ 敬老のつどいの誘いがきた

2019-08-22 17:01:11 | 日記
曇り 過ごしやすい気温
131 74 41 127 72 47
 朝の内、郵便局へ。弘美君にいろいろ立て替えてもらっていたのを精算する必要があるため。帰路、杖を突かずに歩いた。久しぶりのこと。左脚のつっぱりがとても強く、歩きにくくはあるが、つますきもしなかった。



ブタのアキレス腱カレー いけます。
 ブタのアキレス腱、ニンジン1本、タマネギ大1個、国光リンゴ小半玉。ニンニク1欠、鰹だし、塩少々、リキュール少々。ごま油少々。
カレースパイスは20種類使用


ついにやってきた!寿の文字の入った「敬老のつどい」の案内。民生委員が届けて下さった。

式典の他、太鼓・フラダンス・吹奏楽
こういうのを昨今の75歳以上のじいさん・ばあさんは好む、ということなんだな。
式典には、例の「オラが村のデージン」様および関係者ご一統様が、上座でふんぞり返って、お座りになられるのだろう。主客逆転の日本的光景。

参加する場合は、必ず、補聴器を外しましょう。頭が割れるほどに痛く、涙が溢れます。

参加是非、という直接のお誘いに対して、
参加いたしません、と直接にお答え申し上げた。

歳は素直に受け止めております、皆さんに祝ってもらいたいということでなく、自分の人生の足跡の形として。こういうのをみんな揃ってありがたく拝聴・拝見することは、まったく好みません故。