人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

講演原稿

2018-09-30 19:39:27 | 日記
血圧127 70 51 寝坊・・・。左脚は痛みはないが、強いだるさ。
 午前中、講演原稿作業。PP原稿用に別ファイル作成。だから、先に進まず。いろいろと確認しながら。
 お昼はおでん。つみれ、こんにゃく、大根、はんぺん、そして昆布を多く。おいしくいただきました。


 講演、こんな感じでパワポ作成。



通所リハビリ

2018-09-29 14:13:43 | 日記
血圧128 72 脈動51 左足付け根外側の筋違いのような痛み。
 午前中、粋生倶楽部増尾通所リハビリ。上に書いたような痛みが強い旨を所長さんに伝えたところ、整体師さんのお耳にも届き、丹念に施療をしていただいた。あらあら不思議、痛みはどこかに飛んでった―。凄いですね。運動療法士?Hさんには、丹念に、歩行姿勢の矯正指導を受けた。自然な形の歩行姿勢を身につけるよう、自宅でも努力しよう。けっこう疲れるんだけど、ほかの運動よりは魅力があるんだな。
 若い通所仲間のTさんが、「昨日、柏に出ませんでした?」とお声がけをくださった。東武線の1両ぐらい離れたところで、「川口らしい後ろ姿を見た」とのこと。昨日の着衣などをお話したら、間違いない、と。それで、「後ろからの姿は、デイでの日常的な姿勢よりはるかにしゃんとしていた。」と言われる。うれしいですね。「そりゃあ、女の子とデートが待っていたからだろうな。」と笑いながら応じた。通所仲間で施設外で顔を会わせるのは病院しかなかったので、新しい「出会い」感覚が生じた次第。しゃんとしようぜ、じゃんと!
 今日のお昼は、北海道物産展ずくしスープ。昆布、根昆布、タマネギ、ジャガイモ、ソーセージ。

 午後は何もせず。居眠りしたり、ネットしたり。コケチャンから連絡、11月18日のミニミニ同窓会に、ウメちゃんといな坊は欠席とのこと。残念だな。添え書きに、ウメちゃんのお嬢さんで結婚なさる方が、子どもの頃、ぼくに抱っこされたことがある、とか。そんなこともあったかなあ。
 夕ご飯はメカジキの照り焼き。日本酒を欠いているので、白ワインで代替。しょうゆ、ワイン、そして黒砂糖。鷹の爪。少し漬け置いてフライパンで焼く。仕上げに漬け汁を全体にまぶして弱火少し。なかなかいい「照り」具合になりました。

 明日こそ、講演原稿やるぞ!
 

柏でミニミニ同窓会会場下見

2018-09-28 20:56:10 | 日記
朝の血圧、付け忘れ。初めてのこと。外出先で朝の行動を食事以外思い出せなかったのは事実がなかったからなのだ。う~ん、始まったのか、ボケ行動。強く意識した時を過ごさねば。
血圧109 73 脈動77 帰宅16時の記録。ずいぶん低いねえ。問題血圧ではないけれど。
10時30分~16時 柏へ 11月18日に予定されたミニミニ同窓会会場の下見を兼ねて、コケチャンとランチ。懐石料理。駅近くにこんなしゃれたお店があるとは知らなかったな。写真は最初に並べられた料理。このほか数点。おいしかったです。

 ということで、このお店を会場にすることで、手配をコケチャンにお願いしました。ぼくが参加できるのは今年が最後かもしれないので、いつものメンバー以外に数人声掛けをしてください、とお願いしました。ぼくの方からも一人、参加打診をします。
 話はどうしても、ぼくの研究課題と方法についてになる。書き物文章の読み方、分析の仕方が生活綴り方リアリズムで貫いてきている。対象素材が違うだけだから、ぼくにとっては生活綴り方研究そのもの。今は12月9日にある講演のための原稿を執筆しているが、「思春期」論。揺らぎながら新しい道を見つけようとするそれ。セガンにそれを見出した。今更なのではなく、セガンと出会った当初から。そしてこの時から先行研究者との「対立」がある。やっとそれを課題にして、公にしよう、という決意。そして、おそらく最後。そんなことなどを、ぐちぐちとコケチャンに語った。ありがたいことに、耳を傾けてくれていた。
 ミニミニ同窓会は11月18日(日)の予定。スリッパ君に参加をお誘いした。日程が開いているから参加する、との返事。小学校校長を定年で辞めた後は、保育園をやっているとのこと。がんばります、上田庄三郎研究門下生。北海道苫小牧の笠原きくえ先生、ご無事だとのこと。よかった。

原稿をパワポにまとめようか 北海道物産展

2018-09-27 17:39:28 | 日記
血圧131 72 脈動56 季節に合わせて氷人間に戻るのか?左手が冷たくなってきた。
 燃えるゴミ出し。人は傘をさしていたけど僕には雨を覚えず傘無しで。帰路、久しぶりに、ミニチュア胴長短足犬と鉢合わせ。向こうから駆け寄ってくる。ご主人にも「おはようございます。」とご挨拶し、しゃがみ込んでグルーミング。「お散歩、行ってらっしゃいね。」と声をかけるとご主人のところに戻って散歩を始めた。
 「雨も少ないし、北海道物産展に行きましょう。」とLINE。北欧土産もいただけるというので、ルンルン気分で出かけた。足取りは軽快‥‥しかし、物産展会場内から「動かざること岩の如し」ほどではないけれど、わが足を呪った。物産展は初日。珍しく中年男性の姿を多く見た。あとの男性はお連れ合い様とご一緒。このお連れ合い様が曲者で、社会的常識に欠けるんじゃないかと思う人が少なくない。うち3人とはぼくがご注意するほど。どつかれる、割り込まれる、椅子は分捕られる‥‥。
 お昼は味噌ラーメン。これがまあ、みそ味の薄いこと薄いこと。ぼくのためだけならとてもいいことなのだけれど、健康な人にとっては、不満の商品ですね。

 家族に開拓あられ(ホタテ、えび)、イカメシ。ぼくには「ボナペティ」との商品名のマドレーヌ。パリ生活でよく食した。よってつけられたあだ名が「マドレーヌクルート」

 後はなんとかいう名前のジャガイモ(初めて知ったので、物は試し)、ソーセージ。これらの食材はポトフ―を作るため。楽しみだな。
 帰宅は3時半。ヘロヘロでした。、

青年期の自立考を 運動

2018-09-26 15:10:19 | 日記
血圧129 76 脈動51
ビニールゴミ出し 幸い雨が上がっていたので傘いらず。おぼつかないなあ、二足歩行。
 終日講演原稿執筆。時折休息を兼ねて軽い運動。
 今日のお昼は鶏膝軟骨カレー。また、みょうちくりんなものを材料にしたな。先日、船橋の生鮮食料品売り場で購入した一品。おためし料理。
 軟骨肉を一晩醤油とみりんにつけ置いて使用。カレーを煮る汁は昆布だし汁、根昆布なども使い濃厚です。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ。鷹の爪で辛さを。3時間ほど、コトコトと煮込みました。少し塩を加えて出来上がり。とてもおいしいカレーです。


今日のセガンさん
 セガンは、10代半にパリに出、王立特級コレージュ特別進学クラス(グランゼコール予科)在学中の1830年7月革命では果敢な闘士としての足跡を見ることができる。続いてパリ法学部に学籍を置いた。グランゼコールは、いわゆる大学(セガンの当時は「学部」(今日でいう単科大学))とは全く教育行政系図が異なり、フランス社会の各種特権的エリートを養成する機関である。それに対して「学部」は、基本的に、社会の中・上級実務者を養成する機関である。セガンは、なぜ、グランゼコールに進まなかったのか?その後は、サン=シモン教徒として社会・教化運動に参加し、また共和主義者として社会・政治運動にも参加している。とくに、芸術評論などを発表した(1836年)のはサン=シモン教哲学の把持者であった証である。サン=シモン教は、「政治」「科学」「産業」「芸術」の4分野をとくに重視していた。セガンはその「芸術」分野を担おうとしたわけである。
 これらの時期のセガンの実相はほとんど明らかにされていない。解明の努力を重ねてきているが、その努力の意図するところは、この期に後年のセガンの白痴教育哲学の礎が形成されたと、理解しているからである。キリスト教的世界観、人間理解の基本がこれらの期に形成された。日本のセガン研究の先輩たちが意識した「社会主義への接近・深化」「近現代的人権の目覚め」は、あまりにもイデオロギッシュな研究姿勢からもたらされた「結論」である、というべきか。


原稿書き 運動

2018-09-25 18:48:36 | 日記
血圧127 74 脈動58 土踏まずあたろがピリピリと痛むのだ
資源ごみ出し 脚の運びが悪いなあ。
 終日、講演のための原稿構想、時々、自室内でストレッチ。こまめに体を動かす必要があるね。
 9時ごろ、支援者さんより無事成田到着との連絡。大荒れの海の上で24時間船旅、悪影響が旅程にもろ出た北欧の旅でした。お疲れさまでした。
 講演ではPP使用が望まれるようだ。時の最先端を行ってまっせ、という主催者の思惑でもあるだろう。が、ぼくの喋りの質に反する。かといって、しゃべくりだけで聴衆が心を向ける時代でもない。映像効果をどのようにすべきか、悩むところ。第一、画像そのものは建物ぐらいなものだし、書物はフランス語だし‥。
 どうしましょうね。

 今日のセガンさん。

「そう、白痴たちは、社会の中にあって、孤立させられているのだ。たとえ、彼らのために、彼らの劣った状態に応じて為しもたらしたものが、彼らの欲求を満たし、恵まれて長寿を確実にするとしても、だ。ベルギーで、プロイセンで、スイスで、私の方法が適用されている。かように、多くの人が、地方色に応じて、白痴症の分野において戦いを果敢に進めている。フランスでは、白痴への愛顧は何も試みられてこなかった。私に関してはと言えば、白痴症の人びとに対して、ずっとひとりで、献身し続けてきたのだ。」1846年著書。1843年暮れに白痴教育の場を強制的に奪われて3年後の上梓本の一節。

船橋でこんちゃんの還暦誕生日祝い

2018-09-24 19:14:27 | 日記
血圧121 69 脈動49 どうも体がしゃんとしません。
 第80回SH情報文化研究会の日と会場決定の連絡があった。12月9日(日)、松戸市民劇場にて。何時からなのかの連絡はまだない。3本の講演が終わった後、会食というのが恒例のようだから、9時ぐらいが開始時間なのだろうか。さあ、講演の準備を本格的に進めましょう。
 11時~18時 船橋へ 14時からこんちゃんのお祝いランチ
 ランチ会食の前に食材など購入。船橋生鮮食品館の魚売り場は安い!新柏の東武ストアーの半額とみてよい。そういう気付きがあったが今日は豚、鳥の冷凍パック。ガシラや軟骨など。味付きではないので、どのように調理しようか。明日から楽しみ。LE BLHANNで「パン・オー・ショコラ」を見つけ、懐かしさのあまり購入。パリ生活で歩きながら食したが、フランス語のRの発音の練習のための購入行動だった。そんなばかっぱなしをレジのおねーさんにした(ほかに客がいないので)。ちゃんとお相手してくださったよ。
 14時前に船橋駅改札口でこんちゃんと落ち合い、ランチ会場へ。豆腐懐石をお願いしておいた。話題はあれこれ、ぼくの研究や職場に対する恨みつらみなどもつい出てしまった。いつになったらこの悪癖が治るだろうか。ごめんなさい。会話そのものはとても楽しいものでした。
 いただいた懐石料理(出された順はまったく不正確)








 おめでとうございましあ。楽しいひと時をありがとうございました。

北欧の海は荒れている…

2018-09-23 22:21:49 | 日記
血圧123 70 脈動48 腰に張りが残ります
 支援者さんからLINEメールが、北欧の空から、届けられた。船で移動の旅程が大幅に狂ってしまって、いくつか、すっ飛ばしになっているとか。荒れに荒れた海を進んでいく…想像するだに怖ろしい、院生時代の下田の旅を思い出す。早く土地を踏みしめることができますように。午前9時、やっとホテルにチェックイン、との知らせ。およそ24時間、大荒れの海に揺られ続けたということか!
 午前中、原稿書き。相変わらず進みません。カレンダーの標語のごとく、「ゴールは遠い。ゆっくり歩こう。」だなぁ。
今日のお昼は氷見うどん。関西風。だし取りに使った昆布は最高級の羅臼昆布。だし取りの後はトッピングに。おいしいねぇ。はんぺん、白ネギとミョウガの刻みを添えて。美味しく出来上がりました。隠し味に入れた鷹の爪、なかなかいいですね。

 頼まれている講演会、11月24日か25日になりそうだ。いわれていたよりずいぶん早まった。大変だ。今日作ったレジメ・・・以下、素案の1ページ。

「第2の誕生」を考える
  ある歴史を切り開いた人の青年期の実相から
講演者(川口幸宏)について
1943年11月生まれ、柏市在住。2014年2月末以降、闘病生活。
三重県立津高等学校、東京教育大学(学部、修士、博士)で学ぶ。
埼玉大学(講師、助教授)、和歌山大学(助教授)、学習院大学(教授)を歴任。非常勤講師を含めると、約20校の専門学校、国立・私立大学で「教育学」系学問を語ってきた。2014年3月末を以てリタイア。学習院大学名誉教授。
大学院生時代に所属した研究分野は「国語教育学」。教えたのは、教員養成向けの教育学系科目:教育学、生活指導・生徒指導、道徳教育、特別活動、教育方法、他。
研究的業績:生活綴方研究(全国大学国語教育学会賞受賞)、現代日本教育史、生活指導、特別活動、モラル・エデュケーション、書くことによる教育の創造、知的障害教育の開拓者セガン、19世紀フランスにおける教育の自立のための戦い(学習院大学学術賞受賞)など、監修書、編著書、著書、翻訳書、多数。日本、アメリカ、フランスの初等教育とその歴史の研究を進めてきた。
本講演では、話題提供者が、先行研究で語られていることの、いわゆる「再試」(検証)作業によってえられた、新たな人物研究の課題、とりわけ「青年期」論をお話ししたい。
話題に取り上げる対象人物について
主題と副題に内意した人物は、オネジム=エデュアール・セガンというフランス人で、「知的障害」を持つ子どもたちの教育を開発し、子どもたちの社会参加が可能になるように育つことを可能にし、今日の知的障害者自立権の礎を築いた人である。それ故、「知的障害教育の開拓者」と冠が付けられて語られる。1812年フランス中部の地方都市に生まれ、思春期以降をパリで生活し業績を上げ、1850年アメリカに渡り、さらに大きな成果を残して、ヨーロッパ世界に強い影響を与えた。1880年ニューヨークで没した。

☆ふと・・・
かの通称「人権宣言」は「男性と男性市民のための権利宣言Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen」である。それに対して、オランプ・ド・グージュの「女性と女性市民のための権利宣言Déclaration des Droits de l'Femme et du Citoyenne」は通称「女権宣言」とされている。
おかしいなあ、と思うのはアホな僕だけ?
「女権宣言」という言葉を表に出してフェミニズムを含む歴史を論じるのならば、「人権宣言」ではなく「男権宣言」と改称すべきだ、と思うのだが。
ついでに、男性名詞citoyenにたいする女性名詞citoyennneはグージュによって生み出され、今日には定着している。深い意味があるわけだ。
 
★現職時代のある思い出 
「教授はPPを授業でお使いにならないけれど、PPは使えない、ということですよね。」
 言外に、この時代遅れ爺メが、という侮蔑感情がにじんでいた学生の言葉だ。
「もしよろしければ、ぼくの研究室に遊びに来ませんか?」
 その日の放課時、くだんの学生が友人数名を引き連れて、遊びに来た。
 PCモニターを彼らの方に向けて、ぼくはキーをガチャガチャ操作し、「講義でしゃべったセガンに関する電子情報開示だよ。」と、PPで作成したセガン半生史を彼らに提示しはじめたた。
「すげーよこれ。箇条書きの羅列じゃないし、矢印で示すような提示の仕方じゃないし、動きもあるから…」
「そう、電子紙芝居ね。少し楽しんでください。」
 しぇべりを入れないで20分ほどかかったが、学生たちの目線は真剣だった。
 終わってから、学生から、「何で授業でPP使わないんですか?絶対受けますよ。」
 「教育方法ってのは限りない広がりと様式を自由に持つべきだというのがぼくの持論。ほとんどの先生がPPや映像を使っておられるので、最も古典的で最も普遍性のあるしゃべくりで、君たちの知性と感性を揺さぶろうと思ってね。」
 「教授は板書もなさいませんね、ほとんど。」
 「近代学校以前の授業というか講義というか、そういう方法にもこだわっているわけ。近世の知はどのように培われたか、それは古くて使い物にならないのか、ダサいのか。ぼくはそう思わないから、江戸末期の私塾をイメージして、講義してます。」

 現在、引き受けた講演へどのような姿勢で臨もうか、臨むべきか、あれこれ想定中。悩ましい。

通所リハビリ

2018-09-22 18:54:11 | 日記
血圧134 74 脈動44 背中が張るなあ
 午前中、粋生倶楽部増尾通所リハビリ。久しぶりに、脚の運動に力を入れました。
 ハードル歩行訓練15往復、ステップ150回、レッグマジック、ゆっくりを意識して50回、スカイウオーク200回、自転車10分3キロ、ハンドグリップ20キロ、バランスボールあれこれ、滑車5分。口腔体操。棒体操、平行棒体操はできなかった。
 マサージで「スリムになったね」と言われた。実感はないが,脂の代わりに筋肉がついてきたのだろうと思う、と返事した。そうかもね、ということ。
 今日のお昼は、カジキマグロステーキ総ざらい。白ネギとミョウガみじん切り梅肉まぶし。ちょっと味がきつすぎたが、おいしい。

 午後はのんびり体休め。明日雨でなければ少し運動予定。明後日船橋に出るので無理はしないこと。
 夕ご飯は、弘美君が作り置きしてくれたカレーを使ってカレーうどん。今回はだし取りせず。そこに先日の物産展で購入したカマボコ数切れ沈めています。

休養日

2018-09-21 17:38:37 | 日記
血圧134 73 脈動44 体の痛みはほぼ消えている。この調子で!
 午前中、自宅内で、脚上げ足踏み体操、竹棒体操。ゆっくりゆっくり、関係筋肉と骨とを総動員する意識で。30分もすれば息が切れ始めた。
 今日のお昼は、弘美君が作り置きしてくれてあるカレーは夜に回し、カジキマグロステーキ。キャベツ、梅干添え。カジキマグロは昨日から手製たれにつけ置いた。バター焼き。今までのカジキマグロ料理の中で一番の味わい。キャベツの千切りが大分元の能力に回復している。うれしいな。

 午後はひたすらボケっとし、心身を休めた。きっとこれは、怠けという。今日、拓いた封筒に今年のカレンダーが入っていた。今頃開くのだから、あきれたものだが、とにかく今月を開いた。「ゴールは遠い、ゆっくり歩こう」という標語。カメが岡を目指している例の絵が添えられている。ゴールが見えればそうなるのかなぁ。とにかく笑った。
 夕食はカレーうどん。かつおでだし取り。カレーは弘美君の作り置き。鶏もものぶつ切りとニンジン、ジャガイモ。刻み白ネギで薬味とした。ごっつううもうおす。


 2000年以来の研究の旅の総括。まだ終わっていないけど、FBにアップしたもののタイトル一覧。いずれも関係写真を添付しているが、ここでは省略。
1.こんな元気な「旅」もありました。2012年10月 セガン生誕200周年記念国際シンポジウム参加・発表 ニエヴル県クラムシー
2.お利口ぶる「旅」もありました。2012年10月 パリ、学士院横の小さな公園ベンチで、セガン母方「祖母の家」(フランス中部地方)についての書籍調査
3.地下に潜った「旅」もありました。2000年11月 任意団体「歴史的パリの価値の保護保存会」地下発掘現場
4.フランスの小学生に「友達」認定してもらった「旅」もありました。2001年3月。南フランス、セレスト・コミューンの公立小学校訪問 
5.貴婦犬とツーショットな「旅」もありました。2003年3月 パリ在住の知人宅
6.儚い歴史瞬間を求める「旅」もありました 2003年7月 1871年3月⁻5月の「パリ・コミューン」の虐殺による犠牲者モニュメントに立って(パリ、ペール・ラシェーズ墓地外壁)
7.取りあえず、来ましたよ、見ましたよ、の証拠写真にしかならない「旅」もありました。2003年7月。ジュネーヴのルソー像前にて。某先生の名前が冠に付いた集団の一員として。
8.遠い遠い遥かな道を♬を口ずさんだ「旅」もありました 2003年3月 パリ、古代ローマ帝国の遺跡「円形競技場」縁に立って
9.「子捨て」の習俗を探す「旅」もありました。2002年3月 南フランス、サン=ポール
10.「手仕事」に心震わせる「旅」もありました。 2001年3月。南フランス、職人の村・ツーレットの機織りマダムの技に惹かれて、何度も通ったものです。