人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

セガン1842年論文にかかわること

2019-11-30 13:52:45 | 日記

1841年第2四半期最後の記録より

  Sentiments affectueux.  Malgré la sévérité dé croissante, il est vrai, dont il m'a fallu user pour frapper les imaginations et des sens gourdis, ces pauvres enfants commencent à me témoignes des sentiments veritablement affectueurx,

中野訳

 情愛

 だんだんと厳しい態度は押さえていきました。もちろん、眠りこんだ彼らの想像力や感覚を覚醒させるため、それはどうしても必要なものでした。それでもこの憐れな子どもたちは、ようやく私に本当に愛情深い感情を表し始めました。、


 情愛のこもった感情 厳しい態度で子どもたちに接することは減少させていったけれど、実際のところは、活動が鈍くなっている想像力と感覚を捉えさせるるためには、それは必要であった。にもかかわらず、この子たちは、私に、心の底からの上兄満ちた感情を示してくれるようになった。

在宅であれこれ

2019-11-30 07:39:51 | 日記

快晴 朝の内は予想より気温が低い 冬だもののなあ

142 83 59 128 83 60 132 81 62

電池切れでストップしたままのフクロウ掛け時計の電池買い求めに外出する予定だったが、明日、埼玉大学ゼミ時代の仲間と会食を持つ予定なので、今日の外周tを取りやめることにして電池は明日求めようと考えた。買い置きがあることを思いだし、探し当てて、電池交換。フクロウと計算、元気よく働き始めました。


今日のお昼はオムライス。
タマネギとご飯とをオリーブオイルで炒めた。ちょっぴりバターを落として香り付け。

昼食後、15分ほど、ながらギコギコ。ながらのお相手は、イングリッド・バードマン・

セガンが女子不治者救済院で教育に携わらなかったこと

2019-11-29 12:58:26 | 日記

 セガンは、1840年10月1日からパリの男女それぞれの不治者救済院に収容されていた子どもたちの教育に携わるべく、「白痴の教師」という肩書で、パリ市救済院総評議会によって雇用されている。しかし、実際の着任は1841年10月1日(記録開始)、しかも男子施設での教育のみに従事した。

 命令を得て1年間の空白、しかも男子のみに就業という結果が記録に残っているが、この間の事情はどういうことなのだろう。つまびらかにはわからないが、次のような事情があったことが推測される。

1年間の空白について アドレアン・H 、フェリシテ・X、その他の個人教授の継続(アドリアン・Hはピガール通りの学校の生徒であったとみなされる記録がある)、オランド・ロドリーグの息子の家庭での教育についての相談、ピガール通りの学校についての裁判(訴訟)などが、継続していたと推測される。これは翌年にも未解決のまま(つまり継承された)。
男子施設のみで実践されたことについて このことのヒントは、セガンの次の文言にある。
j'ai douté, non de ma méthode, mais de mes force, (1842年第1著書。p.48)
中野義達は、これを、「私は、私の方法にではなく、私の能力に疑問を持っていたのです。」と訳している(中野訳本63ページ)。やり方は確信しているが、やる力が無い、という理解になるが、「やる力」って何だ?内在する諸能力のことだとすれば、建前的理解はしているが、それは本質的な理解でない、という評価もあり得る。この一文は、セガンを雇用した機関に対してセガンが為したことの報告書であるから、「私は無能者です」と、あけすけに言うはずはあるまい。雇用継続の可能性を後半で訴えているのだから。「わたしゃ無能者ですけんど、そこを曲げてなんとか、続けさせてください。」という馬鹿はおるまい(あ、日本社会はこういう馬鹿ばかりだったな。謙虚とか言うらしいけど)。
 だから、他に訳文を求めようではないか。
 「やり方には確信があります。ただ、有り体に言いますと、残務処理もあり、全力を傾けて取り組むことが出来ませんでした。とりわけ、女子の方に、そのしわ寄せが行ってしまったのです。」
 こういうところか。

久しぶりのいい天気 寒いよなあ

2019-11-29 07:45:07 | 日記

晴れ

110 64 63 112 64 57

 朝から、セガン。1841年の記録読み。邦訳書と原典との突き合わせ作業もかねて。申し訳ないという言葉をあえて付けるけれど、セガン研究の先輩は、方法論的にも内容論的にも、ご自身の「今」を基準に歴を評価をなさっている。これは歴史の冒涜だし(大河小説は今を語る「お話」(おとぎ話)だから、ほおっておきますが)、毒のばらまき以外の何物でも無い。ということで、今日もセガン研究でいらついております。
 今日のお昼は焼きうどんと味噌汁。高級オリーブオイルが我が部屋の暗部から顔を出したので、それを使って。味噌汁は、京人参とタマネギたっぷり。おいしくいただきました。
ながらぐるぐるは、時間的にちょうど新柏駅まで.歩数としては2000歩弱。このぐらいがちょうどといい訓練か。 


「生活綴り方とは何か」

2019-11-28 17:16:40 | 日記
「さて、ご質問ですが、「生活綴り方とは何か」に及ぶところかと思いますが、子どもが今を生きている環境的心理的実在(生活)―「貧困」に限定しない―を、子ども自身の「言葉」で綴ることによって、子ども自身が自身のために「自身を捉え直す」、つまり、自身の生活を自身の言葉で綴る(表現する)という作業が「綴文としての生活綴り方」(つまり「表現」)であり、それを学習共同体(例えば「教室」)で学習材として学びあう、という作業が「学習活動としての生活綴り方」であると、私は歴史研究の立場からとらえています。このことを端的に指摘したのが、アメリカ人教師メアリー・キタガワ先生で、夫君との共著となっている『making connections with writing(邦訳題:書くことによる教育の創造』だと思います。それは、彼女が実践をしており、英語圏で見られるホール・ランゲージと共通しているという主張ですが、私もまったく同感です。
 生活綴り方(表現の質)をどう捉えるかは多様であるべきだと私は思っています。「北方性教育こそが生活綴り方だ」というお立場の方が主流かと思いますが、私はそういう風潮に反旗を翻して、生活綴り方教育の歴史を研究してきております。」
 要は「匿名」を脱し「実名」で自身を捉え表現し、社会と交わることを進める教育が「生活綴り方」だと捉えている。歴史概念でいえば「概念崩し」と「観念づくり」。
 
○名曲歌詞 「古戦場の秋」
1番 「夕月一つ 空に掛かる 戦場(いくさば)の蹟に 風ぞ騒ぐ 千草戦(おのの)きて 泣くに似たり 虫もこそ啼けや 虫ぞ」
2番 「誰(た)が子ぞ一人 空を仰ぎ 戦場の蹟の 風に吹かれ 涙涸れ果てて、心泣くは 雨もこそ降れや 雨ぞ 」

「生活綴り方とは何か」

2019-11-28 17:16:40 | 日記
「さて、ご質問ですが、「生活綴り方とは何か」に及ぶところかと思いますが、子どもが今を生きている環境的心理的実在(生活)―「貧困」に限定しない―を、子ども自身の「言葉」で綴ることによって、子ども自身が自身のために「自身を捉え直す」、つまり、自身の生活を自身の言葉で綴る(表現する)という作業が「綴文としての生活綴り方」(つまり「表現」)であり、それを学習共同体(例えば「教室」)で学習材として学びあう、という作業が「学習活動としての生活綴り方」であると、私は歴史研究の立場からとらえています。このことを端的に指摘したのが、アメリカ人教師メアリー・キタガワ先生で、夫君との共著となっている『making connections with writing(邦訳題:書くことによる教育の創造』だと思います。それは、彼女が実践をしており、英語圏で見られるホール・ランゲージと共通しているという主張ですが、私もまったく同感です。
 生活綴り方(表現の質)をどう捉えるかは多様であるべきだと私は思っています。「北方性教育こそが生活綴り方だ」というお立場の方が主流かと思いますが、私はそういう風潮に反旗を翻して、生活綴り方教育の歴史を研究してきております。」
 要は「匿名」を脱し「実名」で自身を捉え表現し、社会と交わることを進める教育が「生活綴り方」だと捉えている。歴史概念でいえば「概念崩し」と「観念づくり」。

セガンが教えた子どもたちの実情をリアルにみる

2019-11-27 20:09:33 | 日記

科学アカデミー1843年12月11日

○ひょっとしたら大きな間違いを犯してきたかもしれない。1843年論文の評価かと思ってきたが、まともに向かい合って読み出すと、1842年論文に基づくセガン評価に思える。最後まできちんと読み切ろう。
○ただ、眼は相当苦しいぞ。ガンバレ。何とか工夫しなきゃ。読めないわけじゃないんだから。
○科学アカデミーのセガン評価、今までのところ次の如し。
報告(王立科学アカデミー1843年12月11日会議)
生理学 ― セガン氏の、白痴と痴愚の青少年に適切な教育・訓練の方法に関する論文についての報告 (セル、フローラン、パリゼの委員会 報告者パリゼ)
 去る5月8日の会議において、セル氏、フローラン氏、そして私とで構成される委員会に、白痴と痴愚の青少年に適切な教育訓練の方法に関するセガン氏の短い論文の審査が付託された。本日ここに、皆さん方に、審査結果をお目に掛ける次第である。
 この方法を適切に評価するためには、何よりも、白痴の状況についての明確な観念が形成される必要がある。また、できれば、白痴たちの知性と通常の者の知性、すなわち大多数の人に共通する知性とを区別する間を測る必要がある。それは、我々自身の本性の不完全性(発達可能性?)を解明することができる、否むしろ、優れた資質を発達させ確かなものにさせるにせよ、悪と立ち向かい欠点を直させるにせよ、我々の器官の甚だしい多様性を解明することができる研究分野である。
 目をひくほどに心に生き生きと訴えかけるのは泰然とした詩人の言である。あなた方が白痴について正しいイメージを抱くためには、白痴たちが暮らしている精神病院に行き、彼らに会い、彼らを教育しているセガン氏にも会うことだ。なんという光景!ある者は激しく動き回り、わめき、叫ぶ。ある者はじっとしゃがんだままで、押し黙り動かない。まるで人形だ。あなた方が初めに声かけをした者はケタケタ笑って逃げ去る。二人目はお辞儀と手へのキスを何度も何度も繰り返す。三人目は十字を切ってばかりだ。四人目は地面に寝っ転がる。五人目は意味なく笑いながら拳を口に突っ込む。あなた方が彼らに出す質問には分かる回答は何一つ無い。言葉は不明瞭だし、声は内にこもっているし、はっきりしないし、発音も不明だ。さらに加えて、二人に一人、半身不随の、盲目の、癲癇の、中風の白痴たちは、唾と糞便でまみれている。彼らをいくらか普通に動かせるのは、彼らの必要と欲求とを満たすためでしかない。
○ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』の記述を彷彿させる。そして、セガンが書いているのより、こちらの方がよりリアリティがある。これを読んでも「セガンの実践は私が行ってきた知的障害児教育より軽いと感じた」などというだろうか。


今日も家籠もり

2019-11-27 07:53:19 | 日記

雨がちな曇り空

132 85 53 138 85 53

 今日のながらぎこぎこは、ながらは無し。一応、カサブランカを用意したが、結局スイッチオンにはしなかった。
 昼間はあれこれPCで遊び。実り無し。


 
パリ20区にメルニモンタンという地名のところがある。ここメルニモンタンは、セガンが活躍したころ(19世紀中ごろ)にはパリ市の外のコミューン(基礎単位としての自治体)であったが、同時に、セガンが所属したサン=シモン教(サン=シモン主義)の聖地のひとつでもあった。
 そして、フランスにおける第二期の婦人解放運動の拠点ともなっている。当時は純朴な農村であり、パリに編入されて以降(1860年代後半)も「貧困都市」を代表する地帯でもある。
 添付写真は、1871年5月中旬に町中に構築されたバリケードを写したもの。いわゆる同年に勃発した内乱(パリ・コミューン1871)で、攻撃を仕掛ける政府軍に対抗して、市民の防衛隊によって構築されたバリケード。バリケードは道路に敷かれた舗石を中心にして構築されていた。
 パリ生活の中で知己を得たタクシードライバー組合の書記長氏から譲り受けた、貴重な当事史料。


「お出かけ」すべて取りやめ

2019-11-26 07:47:06 | 日記

雨模様の寒い一日

132 78 50 126 75 51

 今朝の運動。スクワットもどき、ながらぐるぐる。ながらのお供は「聖メリーの鐘」。ぐるぐるにもう少し負荷を与えてみようか。現在は1000回転。およそ10分。
 終日、自室にこもる生活。室内暖房は今は不要に思う。ひざ掛けと湯たんぽで十分。でも、指先がここ得る冷たさをぼちぼち感じ始めている。パソ作業用の手袋を用意しましょう。どこにしまったかな?