人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

森宅の彼岸花、盛りを過ぎてました

2019-09-30 16:54:27 | 日記
晴れ 腰がだるい
129 81 53 118 74 54
 午前中、デイ。明日の船橋行きを意識して、あまり足の機能訓練に力を入れないようにと、滑車はかなり訓練した。いつものごとくコーヒー淹れ作業。言葉を添えて飲んでくださる方が多いのでうれしい。個別には、マットを使った足の矯正訓練。平行棒体操で膝上げがかなり高くできて、皆さんを驚かせた。両脚とも膝がバーより高く上がる。あと、握力が両手とも強くなっている。肉体は元気元気だな。左脚のツッパリ感が強いのは何とかならなものか。どうしても左足を引きずることになる。あと、杖無し歩行ではよろよろ感がある。歩行能力後退を痛感する。
 森さん宅の彼岸花が美しい色を見せているのに気付き、早速カメラを抱えて。しかし、盛りは過ぎている感じがある。すぐそばのお宅なのになあ、気づかなかったとは。写真を何葉か。
紅白



赤単独

隠れてこそっと

 帰り際森さんと鉢合わせ。何年ぶりだろうか。歩行がちょこちょこ。ご不自由な体だが、お顔の色はいい。言葉を交わしたがまったく聞き取れず。互いに年を取りましたなぁ。

外歩きはちょっとねぇ・・・

2019-09-29 17:47:59 | 日記
曇り 起きて外階段を10往復。今日も無理はしないで過ごす。
128 75 50 120 69 53
 今朝の左手指のリハビリ運動ツールは
硬式テニスボールと軟式野球ボール。
大きなものは持ちやすいけれど、指の運動には結構手間がかかります。
5分もやれば手首から先にどっと疲れが来ます。

 終わると、ボールを机下ころがし、左足裏を乗せ、コロコロ・・。
 なんだってこうも足が動かんのじゃっ! とほほ…な自分を少し味わいました。
 その後、マッサージチェアの背もたれをうんと倒して腹筋もどき。膨らんだおなかをこれ以上膨らませないために、ちゃんとやらねばと、今日も反省しました。汗がにじみ出た。さらに、竹棒を使っての棒体操、つるしたサッカーボール左足蹴り挑戦。今日の午前中は、外歩きにかえての室内運動でした。
 無理をせず、緩やかに、体の部品体操に使った時間は約1時間。
 夏物と冬物との少しの入れ替え。探し物(いただいた帽子)見つかりやれやれ。
 我が左脚の事実を物語る靴裏

 つま先を上げて歩く意識を強く持て!
 お昼近く、イアン君が手料理を携えてきてくれた。


体休めの一日

2019-09-28 13:00:48 | 日記
曇り 体の表層筋肉?が痛い夜。寝返りを打ってばかり
108 67 47 124 73 48
今朝のリハビリは指のトレーニングから
 左手の麻痺は、ようやく日常の活動にさほど不自由を覚えることがなくなってきている。しかし、指の動きは、たとえばタイピングでいえば、セットポジションタイピングにはしばしば誤打をする。とりわけ、小指と薬指に働きが不正確になる。それで今でも、添付写真のように、指を遊ばせて訓練をする。(写真は左右反転している)

使用ツールのボールは、修善寺旅行の際に、土産物売り場に並んでいたもの。カランコロンと中でオルゴール音。描かれたパンダなどの絵。中国産のようだ。
 なんたってリハビリは楽しくなけりゃね。

 オーストリア産の岩塩 お土産にいただいてもっいなくて今まで食に回さなかったけれど、・・・
おろし金の目の細かい方で、ガリガリ・・・。


氷見うどん細麺(乾麺)使用の今日のランチに、初使用。
ダシはカツオ粉と3日ほど漬けおいた特価品釧路昆布。これはとてもおいしくて、常用しております。
 上のダシ取り済みの昆布を短冊に切り軽くオリーブオイルで炒め七味唐辛子を絡ませました。それに、上の塩を軽くまぶした白子のオイル焼き、、ほうれん草。

 できあがりうどんはいつもの如しなのですが、ダシ、トッピングに新味創作? おいしくいただき、汁を完全に飲み干しました。栄養士さんに怒られるな。でも、塩分とても控えめだから、許されるでしょう。


船橋、天沼公園にて

2019-09-27 18:01:18 | 日記
快晴 起きてすぐ気持ち良い秋晴に、車庫屋根で、屈伸、しこなど、体をほぐす運動。
130 75 53 120 73 51
 あまりに陽気がいいので、昨日のデイでの訓練の疲れがかなり残っているけれど、Dさんに、近場でカメラワークしましょう、と声掛け。お昼を船橋東武で開催されている北海道物産展の成澤水産でホタテ弁当を購入し、駅近くの天沼公園に出かけた。成澤水産の店員さんかrぼくに声かけ、顔覚えている、と。半年前の物産展でも顔を出したことは確かだが。
 公園は、残念ながら、噴水周りの工事中。
 カンナ、コスモス、菊などが花を誇っていたが、なかなか被写体として選び出すには難しい。人工的な花壇ゆえ、みんな顔が一緒なのだ。
 まず、コスモス。

 そして、カンナ。
 
 公園の周りには、お稲荷さん、児童公園がある。児童公園にはアスレチックジャングルジムがあった。当然、チャレンジ。結果は、くすん。でも、前よりは上に上ることが出来た。
 お稲荷さん
 
 チャレンジ対象


 青空を見上げると、アゲハ蝶が高く舞っていた。どこまで吹かれていくのだろう。


 公園を出ると、大通りの道端に、曼殊沙華が華麗な花を開いていあ。


 とことん疲れ切った半日。やはりデイの翌日の脚の疲労度は強いのだなあ。転ばず、つまずかすに済んだことを喜びます。Dさんのアシストを得てのこと、感謝です。

3日ぶりの外 通所リハビリ

2019-09-26 17:21:25 | 日記
晴れ ゴミ出し。久しぶりの坂。足のもたつき。痛さは無いが痺れ感。
121 69 52 126 67 54
 モバイルパソ、復活!
 左肩から氷の柱が生える季節到来。つらいが耐えていきましょう。こまめに自己マッサージ!
 午前中デイ。滑車と歩行矯正訓練に力を注いだ。Yさんと談笑。明るい表情で過ごしておられる方だ。
 午後は、デイでの疲れが出て、しばし眠りにふけった。
 新聞代集金の支払いで、おけら。明日は銀行に行かねば。雨が降ろうとも。

デパートなどで商品説名をいただくときは、必ず、店員は客の左側に立つ。ところが、私の左耳は、人様の声の意味内容を聞き分ける能力を有していない。まさに、「馬の耳に念仏」とはこのこと。
 店員から、例のごとく左耳に、商品説明なりおすすめなりだろうことがささやかれる。「左耳は聞こえないんですよ。」と反応するが、かまわずしゃべり続けるお店が多い。
 続いて多いのが、私に話しかけ内容を聞かせる努力をプイっとやめてしまい、接客をしなくなるお店。
 このツータイプは、「左耳は聞こえない」=「耳は聞こえない」と、ご理解なさるようだ。あるいは、わざわざ客の右に立ち位置を変えて商品説明をしてするほどの客ではないと、見切りをつけるのかもしれない。障害者対応マニュアル教育は為されていないのだろうか?とも勘ぐる。で、以降、その種の店には寄り付かない。
 ごくまれに立ち位置を右にかえて客対応をしてくれる店があるときはうれしくなり、こちらも商品についていろいろと尋ねることになる。さらに稀なのは、立ち位置をかえるだけでなく筆談の用意をする店に出会うことがある。これは細君へのプレゼントを買いに行った時のことだったので、感激ひとしお、つい予算額はるかにオーバーなプレゼントとなった次第。
 かくかくしかじか。デイでも初期は混乱していたが、今ではちゃんと右耳に声を届けてくれるので、トラブルは起こらない。ただ、利用者はそうはいかないので、左から声をかけられたら体を90度ねじってそちらに耳を傾けるか、聞こえているふりをしてうなずいて場をしのぐかしている。

 補聴器付けろっ!と聴き耳の方で怒鳴られることもあるが、補聴器とて役に立たないわが左耳なのである。

今日も完全足休め

2019-09-25 20:51:12 | 日記
晴れ モバイルパソ、ダウン。電気を完全に抜けきって様子見だが‥‥
134 75 47 131 78 46
 午前中は寝たり起きたり。午後はほとんどパソに向かいっぱなし。セガンの1866年著書の薬師川訳本読みにとかかるが、熱が入らず。ただ、「生理学」への気づき過程について再確認出来たことは収穫。
 懐かしの志麻さんから封書。ご家族はそれぞれお元気とのことで安堵。お子様がずいぶんと大人世代に近づいていることに、驚きを覚えたが、そりゃそうだ、20世紀の終わりに近づく頃に既知を得た間柄だものなあ。横浜市の教育委員会事務局に配属されているようだ。部長級の級の地位だろう。教員募集に苦慮されているらしい。現在日本の教育界の縮図そのものだ。 Dさんから、土曜日に近場で秋を楽しみましょうとご案内があった。たのしみです。

肉体的怠惰を決め込んだ一日 セガン・・・

2019-09-24 10:43:23 | 日記
晴れ
127 74 50 116 70 48
 朝からセガン関係をぼちぼち。
 相変わらず、「セガン」マニアック話

 聾唖教育で手話法を最初に体系化した人としてド・レペはよく知られている。パリ聾唖学校の創設者。本名Charles-Michel de L'Épéeよりも僧職の肩書きを付けて通称されるl'abbé de L'Épéeでなじみ深い人。直訳すれば、ド・レペ大修道院長。そういう僧職資格を有している、という理解でいいのだろう。
 が、我がセガン研究関連世界では、この人の呼称に混乱が見られる。その典型がabbé(僧職名)を固有名詞の一部だとみなし、「アベ・ド・レペの僧院長」とする(薬師川虹一訳、セガン1866年著書『障害児の治療と教育』ミネルヴァ書房、1963年初版)。などなど。
 今日もなお、この種の混乱が見られる状況なのは、さる学会で、個人的にしか過ぎないけれども、関係者に異議申し立てをしたけれども、権威も持たず無名の、研究実績のない者の言葉には耳が傾けられることはなかった。10年近く前の話ではある。

1866年著書原文より
The年Citizen Pinel established between several children of Bicetre, irrevocably struck with idiotism, and the child object of our present study, the most rigorous analogies, which would necessarily give for result a perfect identity between those young idiots and the Savage of the Aveyron. That identity was leading to the conclusion that, affected with a malady to this time looked upon as incurable, he was not susceptible of any sort of sociability or instruction. It was accordingly the conclusion drawn by the Citizen Pinel; which he, meantime, accompanied with the expression of that philosophical doubt spread in all his writings, and to be found in the previsions of any man who appreciates the results of the science of prognosis, only as a more or less certain calculus of probabilities.
この一文のどこを探しても『学校』の文字は登場しない。が、薬師川史は、次のように登場させている。
「ピネル氏は不治の精神薄弱におかされているビセートゥルの子供達と、今私達が問題にしている子供との間に、きわめて密接な類似性を確認され、その結果、同学校の精神薄弱児とアベイロンの野人との間に完全な一致を見出されたのである。この両者の一致から、アベイロンの少年は、今日では不治と見なされている病におかされているため、いかなる種類の社会性も教育も受けつけることができないのである、という結論が引き出されてくる。これは当然ピネル氏の引き出される結論であるが、彼は同時に、その結論にそえて彼の著作のすべてにわたってみられる学問的な疑いの念も表しておられるのである。そしてその疑念は予後医学の成果を正しく評価する人々の見通しの中には、多少とも確実な可能性としてではあるが見出されるモノなのである。」
 薬師川氏は、研究成果を訳文にしたのではないと、断言出来よう。ビセートル救済院の児童病棟に収用されている子どもたちについての記述部なのである。

通所リハビリ 午後、セガン研究など

2019-09-23 19:56:58 | 日記
雨のち晴れ 風強く温かい
132 75 48 131 77 50
 午前中デイ。笑いあり会話ありの楽しいリハビリでした。足の不具合は悲しいほど相変わらず。
 午後、休み休み、セガンの学習。目の不具合は眼鏡をかけても英文、日本文を読み取ることがかなり困難。拡大鏡で何とか読み取るが、どうしても局部読みの連続となってしまい、遅々として進まず。締め切りがないから焦る必要はないが、能力そのもののかなりの劣化を痛感するので、焦りが起こる。かといってどうしようもないこと。

l’Abée de l’Epée(俗名 Charles Michel de l'Epée)は手話法の創成者。史署、研究書に俗名は記載されることはほとんど無い。それもあってl’Abée de l’Epéeが本名のように扱う研究者もいる。それ側がセガン研究の世界であることを恥ずかしく思うのだが、そういう声を聞いたことはほとんど無い。今読み進めているセガン1866年著書の訳書(英米文学者)が「アベ・ド・レペ僧院長」などとやらかしている始末だ。横を縦に仕立て上げるだけが翻訳ではない。少なくとも英文学者の肩書きで語るのなら、このあたり誠実にやってもらいたいものだ。


「セガン研究」で、今もな解くことが出来ない課題二つ。

1.1850年、一家挙げてアメリカに移住したのは、なぜか?彼自身は「気まぐれな風に吹かれて」という文言を挿入しているのだが。かつてはナポレオン3世に抗して亡命したとの説が、誠しやかに語られていたが、そうであるともそうでないとも、検証されていない。私は、変わらず、亡命説否定の立場であるのだが。
2.彼によって綴られたビオグラフィーに、1846年漸次発展する大きな絵本(の出版)とあるが、フランス国立図書館など公共機関に蔵されておらず、各種セガン顕彰等の場で展示されたことがない。つまり、だれも実物を確かめたことがない、ということだ。ただ、この書物が実際に活用されていたことを示す実践事例が1例あることで、実際の刊行物であるということはできる。傍証にすぎないけれど。

絶好のお散歩日和

2019-09-22 14:45:42 | 日記
晴れ 起きるのが少し遅くなってしまっている。冷えてきたからなあ。
131 80 56 129 78 51
 起きてすぐ庭に出て、左脚ボールけり運動。心持ちなのか、後ろ蹴上げがだいぶん出来るようになっている。
 午前中、児童遊具を用いたリハビリに努めようと家を出たが、どっこいそうは問屋が下ろさない。足絶悪という表現がぴったりなほど不調。精神と肉体の不一致にまたもや見舞われた。最短コースの散歩に切り替え、足休めも兼ねて、カメラワークを楽しむことにした。狙いは、チョウやハチなどの動態の撮影。そして白山神社のゴミステーションのところで咲くヒガンバナ。
チョウ

ハチ

彼岸花

 白山神社境内で足を休めていたら、親子の姿。いいなあ、と思います。今日は日曜日だから保育園ないものね。

弘美君は今日からお出かけ

2019-09-21 11:10:39 | 日記
雨ぽつりの朝 散歩、買い出しの計画が崩れた
132 80 50 133 78 54
 玄関に旅行バッグ。この時期、弘美君恒例のアマチュア無線のコンテスト。どこへ行ったのかはよく分からない。聞いたことがあると思うんだけど、思い出せない。雨の季節、事故に気をつけて楽しんできて下さい。
 左脚のハリと痛みが思いのほか強く、また雨も予想されたので、外歩きは中止。その代わり、家の中で「散歩」。目的的には計時10分。200歩も歩かないのね。庭に出て、目の保養、および撮影。静の中の動は、いろいろな対象に「逃げられ」てしまい、最終的に蟻さんが協力体制。まだ開かぬ薄穂を行ったり来たり。

 そして開いた薄穂。

 奥まった東南角にあるレモンの麗しき緑の中の紅一点。何だろう。

 烏瓜の実のようだ。まだ花を開いている季節だろうになあ。過年の名残か?それにしては新鮮だ。

しつこく、レ・ミゼラブル