人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

在宅であれこれ

2020-01-31 08:31:38 | 日記

晴れ

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 リハビリ訓練 廊下早歩き、つま先立ち歩き、屈伸、腰割、バランスボード。
 外には一歩も出ない不健康さ。明日こそ買い物に出かけなければ。

ペスタロッチと白痴教育

2020-01-30 06:45:45 | 日記

晴れ 集中して眠ることが出来た。

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 セガンは「あらゆる仕事をして資金を稼ぎ白痴の子どものための教育を自力で行った」というのが通説とされてきた。それに対して、これは実話では無く創作話だと、私は当事の公的文書などを紐解いて出した結論。今も確信がある。決して「歴史地理学的手法」(清水寛氏)による成果ではない。
 ところで、セガンより少し早い世代に、ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチという人がいる。世界中の教育関係者でこの人の名と業績を知らない人はいない。
 まさしく自力で、道行く放浪する子どもたちに教育と職業訓練を施したところから、ペスタロッチの教育者生活が始まるが、そうした子どもに多くの白痴が含まれていたことが、記録に残されている。
 白痴に生まれついた、あるいは発症した多くの幼子は、両親の手によって遺棄された時代は長かった。いや、今もそうなのだろう。ペスタロッチこそ、白痴教育の開拓者の地位に座らせるべきだろう。
 ペスタロッチは自力の人、セガンは雇用されて精神医療の一環として白痴教育を行った。この大きな違いに目を向ける必要はありはしないか。

今日のデイで、ある利用者さんように「バランスボード」が使われていた。デイで初めて見るグッズ。左足首から先の麻痺を緩和するための訓練に使えないかと思った。
 
 購入するのがいいが、資金難生活状態ゆえ、有り合わせの者もの―廃品利用ーで「らしきもの」をあつらえ、訓練しよう!

 A4型ノートパソ(廃品)の下に、野球ボールを置く。ぜいたくやなあ。

 で、やってみて、なかなかいいんでないの?
 身の保全のためには据え置き型の介護バー、そして倒れてもケガがしにくい多々、お部屋の自室。

「目線は真っ直ぐ前、背筋を伸ばして、あまり一度に時間をかけることなく、恒常的に行いましょう! デイの訓練スタッフの助言をしっかり頭に入れて、チャレンジ開始!

ーボードの代わりに廃品とはいえパソ使用に、チョッピリ罪悪感を覚えた。それで。書棚の横板を利用することにした。。




診察

2020-01-29 06:15:09 | 日記

耳の聞こえの悪いのが気になり、あまり眠れず。

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 今日は、血液検査、脳神経外科の診察。診察結果は「正常」。主治医は、ぼくの歩行姿を見て、「歩行姿勢がしっかりしているね。」
 やはりデイでの訓練は無駄では無いことが確認できた。嬉しいこと。明日のデイでこのことを報告しよう。喜んでもらえると思う。
 しかし、実際は、左足首が十分に機能せず、何度も爪先で床をひっかき、その度に転びそうになった。足首の働きが柔軟になるような訓練を意識して進めなければと思う。 

 病院で受診するにあたって、関係する医局の人たちに承知していただきたいと意を決し、「耳の聞こえがかなり悪い状態です。補聴器も不調です。検査、診察等に当たって、この旨ご理解たまわり、ご配慮いただきますよう、お願いいたします。」としたためた。
 総合受付でそのペーパーを看護師さんにおわたし、重ねて、口頭でもお願いした。
 そのペーパーはぼくのカルテのトップに置かれ、血液検査(呼び出しも含め)、脳神経外科受診(呼び出しも含め)その他において、とてもありがたい配慮をいただいた。
 主治医は、要点を大きく書いてぼくに示し問診、および指示をしてくださった。
 会計は番号表示されるシステムに変わったので、その表示の読み取り方がまだ十分に理解できていないけれど、さほど困惑はない。
 ぼくの中の「病院イメージ」がどんどん塗り替えられていく。とてもうれしいこと。


家の前の坂道は川底を走る水流の如し

2020-01-28 08:24:53 | 日記

雨 雪予報だったが。

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傘差しで資源ごみ出し。上から雨、足下に水の流れる坂道の両手ふさがり歩行はちょっと怖い。慎重に足運び。幸い車と出会わなかった。左脚のむくみは今日も強い。痛くはないのが幸せ。

お昼は家族揃って菜の花スパゲティ。夢さん作成。とてもおいしく頂きました。

Bさん、一人バス日帰りツアーだとかで、相模湖辺りの写メが送られてきた。雪景色。

 


空は曇天鉛色

2020-01-27 07:23:33 | 日記

曇り いかにも冬の曇り空の朝

145 86 60 このところ血圧高いですね。

左脚にむくみ。冬の季節が早く過ぎることを願うのみ。

燃えるゴミ出し。

 午前中、デイ。今日はコーヒー淹れサービス業務。今日もまた、ミルを挽いている段階で目の前に座るご婦人。誰よりも早くコーヒーを手にしたい!ここはスーパーの特売品売り場かっ!「まだ、コーヒーは入っていませんよ。」とちょっときつい口調。プイっと姿を前から消した。どうやら、コーヒーは召し上がらなかったようだ。難しいねぇ、人の行動を理解するのは。訓練は真面目に取り組んだが、取りこぼし訓練課題は多いなあ。
 午後、セガンの時代のパリについて、とりわけセガンが住んでいたという記録が残るRue d'Enferの調査。リュクサンブール公園入口あたりからパリ聾唖学校前を通り、モンパルナス大通りへとぶつかる現在。セガンがこの通りに住んでいた記録はパリ法学部の学籍簿。白痴教育とは全く無縁時代ゆえ、何ゆえにここを居住地と定めたのか、推測すら不能。それにしても、通り名が日本語にすると「地獄通り」。地質的にぬかるんだ湿地帯で通り抜けるのが大変だったのだろうか?
 (関連記事)
 もう、ずいぶん古い話になりました――
 埼玉大学名誉教授・清水寛氏は私のセガン研究『知的障害(イディオ)教育の開拓者セガン~孤立から社会化への探究』(新日本出版社、2010年)の方法論の特徴として「歴史地理学的手法をも活用」と評価くださった(『しんぶん赤旗』2010年5月9日付書評欄)。
 評価をいただいた当の本人は、全く学問として学びもしていない分野の方法論的枠組みを示されて、ポカン?!
 それよりも、「歴史対象に対して、行って、見て、聞いて、調べて、確かめて。」という、生活綴方史でいえば「調べる綴り方」に当たるだろう。
 で、現在は、身体的物理的にフィールドワークを行えない状況下にいるわけだから、生活綴方史的方法も採用することさえできない。
 が、セガンのフランス時代にはまだまだ多くの探索課題が残っている。それをどう解決していくか、悩ましい。大胆に、文学的に形象化するか?


終日自室籠り

2020-01-26 08:04:08 | 日記

雨模様 やっぱり布団の中はあったかいねぇ

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またまたセガン・ネタ。「評価」の目の置き所

 我が国のセガン研究の先達ー研究開拓期の松矢勝宏氏(現、東京学芸大学名誉教授、他)に典型ーは,セガンを、サン=シモン主義からマルクス主義へと接近していった人、その立場から知的障害教育を開拓し、実践し、世界を啓蒙したと理解されている。松矢氏にはセガン著書の翻訳研究がある。
 私は、サン=シモン教徒(「新キリスト教」徒)として自己完結をした人だと理解している。

★前者だとキリスト教否定につながり、後者だとキリスト教徒として生涯を貫いたと理解される。セガンの葬儀の場で息子が「父は敬虔な平信徒だった」と述べている。いずこの教会にも所属しないキリスト教徒、という意味になる。
★1960年代から70年の、我が国の「民主主義革命」熱望の熱気の中で研究開拓された「セガン」の読み方と、20世紀末から21世紀に入って史資料が数多く発掘されて実証的研究が進められようとしている「セガン」の読み方は、当然、違ってくるわけです。

終日在宅

2020-01-25 08:29:03 | 日記

晴れ 寝坊。弘美君の出勤、知らず。夢さんには間に合った。

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デイネタないかなー
外出リハビリネタないかなー
上人小人ネタないかなー
なんか・・・・ネタないかなー
障碍後期高齢者、全然売れない作家並みの悩みで時を過ごす今日。

 2003年7月下旬、上人一行(小人も含まれた)がセガンの生地クラムシーを訪問した。その時に、市長秘書がクラムシーをご案内くださり、添付寫眞の建物の前で、「ここは、かつて小学校でした。セガンが学んだところです。」と説明。さあ、これで不明であったセガンの初学びの学校が判明した!と、上人、大喜び。その当時、大編著4巻本の『セガン』(略題)の編集著作作業最終コーナーに差し掛かっていたから。

 この旅から帰国して、史資料を点検して判明した史実は、市長秘書の説明に誤りが多々あった…。
 で、結論を言えば、この建物(現メディアセンターなど)が小学校として利用されるようになったのは19世紀末。それまでは、ナポレオンによって設置命令が出されたコレージュ、1811年創設。通学制だったから、今風の中学校。初等教育機関(小学校)が創設・整備されるより前にコレージュは設置されている。
 小人「セガンはクラムシーの学校には就学していません。幼時からクラムシーを離れ、そこで育ち、学んでいます。」
 上人「地元の市長秘書がセガンはあそこで学んだといっているのですよ!秘書は社会心理学博士という立派な学者です。その方のご案内が嘘だと、あなたは言うのですか!」
 小人「ハイ。資料調査の結果、そういうことになります。あの建物は、小学校が入る前は、軍隊が入っていました。」
 上人「その資料を持ってきなさい!」
 小人「フランス語ですが…」


船橋へ 長崎物産展

2020-01-24 07:30:51 | 日記

晴れ 暖房用のひざ掛けを敷布の下にして暖房を取って寝たが、やっぱり、起きてしばらくは体調がよろしくない。こういう暖房睡眠は体から余計に水分を奪うのだろう。またも反省。

118 68 63 ←起床後40分計測 148 80 76 116 76 80

天気に恵まれたので、船橋に出て長崎物産展へ。予想をはるかに超える人出。「若い人」を除く世代。
 各ブースをつなぐ通路を歩きながら品定め。これは誰でも。試食ブースの前では混乱模様。試食しない人とどうしても試食したい人とが狭い通路で行きかうわけだから当然のこと。
 こういう時に、自分の意志のみで行動する人は、「自分の行手をふさいでいると思う人」の背中を、小忙しく、押すあるいはこづく。
 今日もご支援いただいたBさんから先ほど届いたメール。「今日はリュック攻撃を受けて、世のおば様方は弱者苛め!」
 杖突びっこひきリュック背負いは、よほど邪魔な存在らしい。そんなにいら立って、何がどうなるの?と言いたくなるような鼻息行動でありました。特売やってるわけじゃないんだからね。
 考えを変えれば、へぇ。長崎って、そんなに惹かれるんだ。


 「長崎」と聞くと、故近藤益雄氏にかかわる様々な事柄が脳裏に浮かぶ。小学校教師、中等学校教師として「普通教育」を、また障害児学級教師、私設の障害児者施設の設立者・運営者・教育者であったこと、それらの業績を我が国は公的にも私的にも讃えてきた。
 それらに加えて、韻文学創作者として卓越していたとの高評価がある。故に、いろんな意味で「近藤益雄詣で」の人の呼吸は絶えない。彼は非常に多作の人だから、未刊行作品も含めて、研究対象としては好個の存在と言えるのだろう。(「近藤益雄全集」ほか、数多くの研究資料は出版されている)

 ところで、近藤の自由律俳句作品に、「ひょいとつられてどんこがはねる」がある。この作品は近藤自身、色紙に絵を添えている。だから、近藤を代表する作品と言えるだろう。
 が、私には、文字リズムの奏でるコミカルさはあるのだろうとは感じられるが、実態的「絵」として理解するのが困難である。近藤は色紙に絵を描いているのだからそれでいいのだろうけれど、やはりわからない。
 魚釣りをする人たちなら情景はリアルに思い浮かべられるのかもしれないが、さて、この釣り人の姿態の具体は?表情は?と追うてみると、やはりわからない。「どんこ」は果たして長崎・平戸あたりで容易にかかるのか?そういうところまで問いを進めていくと、近藤が「どんこ」をつ釣ったのは平戸ではないのかもしれない、などとも考える。
 ・・・など、ぶつぶつ・・・。
 「どんこって何ですか?」
 「釣るとあるし、絵も添えられているから、魚に決まってるでしょっ!」
 「海の魚ですか?川の魚ですか?近藤の釣り場はどこなんですか?」
 「そんなことより、この俳句のリズミカルなことに心を向けるべきではないですか?」

 作品が誕生した年代、場所の探索は、作者の「主題」を解く重要なモチーフだ、と芭蕉研究のゼミで教わった僕としては、こだわるのです。

土産のブルマンでランチ後のひと時

2020-01-23 07:31:04 | 日記

曇り 布団から抜け出ると左手が死人の冷たさ。いつものことだけど、それだけ気温が低ということ。季節限定のつらさ。左脚の不自由さも寒季限定。

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 午前中デイ。施設内が適切な温度が保たれているせいだろう、体調の不調をほとんど感じることなく活動ができる。今日は自転車こぎを除いて訓練した。ちょっとオーバーワークかなと思っての活動だったが、体につらさを覚えないので持続して取り組んだ。「顔付きが和やかだね。」とある利用者さんから言われるほどのようだった。 こういう日が毎回だといいなあ。

 昼食後、弘美君が在宅しているので、「ジャマイカ土産のブルマン、飲みますか?」と少しの談笑に誘いをかけた。特に話題にすることはなかったが、こういう時が今はほとんど失われているので。幸い、飲む、という返事。少量、ミルで挽き粉のきめの細かさを尋ね、ミルを微調整して、がりがり。

 やはり特に話題はこれとなかったが、釧路の大森氏からぼくの要望に応じて送られてきた写真家の手になるカレンダーを手渡しし、ぜひ味わってみてほしい旨、口を出した。一枚一枚丁寧にめくりじっくりと鑑賞していた。感想を大森氏にお伝えしたいので、どうぞ、と催促すると、予想通り一言、「すごいね。」 もう少し言葉がほしいなあ、いつも思うこと。口に出す(思いを言葉化する)のが僕の「商売」だったから、どうしても「言葉化」された「思い」を知りたいと願うのだが、弘美君にしてみれば、精いっぱい言葉にしているのだろうな。コーヒーは味わってくれていた。