人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

要支援2最後の通所

2018-03-31 17:56:33 | 日記
血圧138 80 脈動59 起き上がり、立ち上がり、衣服脱着スムーズ。靴下は椅子に座って。
要支援2の最後となる通所。と言っても、いつもと特段に変わりがあるわけではない。Gさんという方と少し会話。「いつも川口さん、力入れて休む時なく、運動しているね。」と声をかけられた。「基本的には怠け者なのですけど、元の職業柄が出てしまうのでしょうね、いったん始めたら休むことなく突っ走ります。」
 今日の迎えの車中からの見事な光景。「桜通り」。通院の時に利用する道です。

 今日のお昼は、油を使わない、塩分を抑えることに配慮した品。玉ねぎ、ニガウリ、ベーコンのノンオイル炒め。昆布汁。ジャガイモ。ハナが初めてぼくの膝に乗って安らぎました。記念の写真。



★今日は、青年期の13年間、身を預けた大学の「廃学の日」を忌念して。遊び惚けたぼくに真剣な学びを保証し、真実とは何かを指示してくれた学び舎の制度命日だ。  
     ***
 「先生の出身大学はどこですか?」
 この君は何を期待してこのような問いを出すのか。出身大学によって目の前の者の学力・能力・人格を測ろうとするのかしら。そんなことしなくたって、オラ、学力・能力・人格ともございませんけどねぇ。
 「東京教育大学です。」
 「筑波大学ですね、すごーい(ひょっとして軽蔑の眼差しを込めて、すごーいだったのか?)」
 「いえ、筑波大学ではありません、東京教育大学です。1978年3月31日を以て廃学されてしました。だから、今は、ぼくの出身大学はありません。」
 「東京教育大学を移転して筑波大学を作ったのでしょ?」
 「法律には「移転」という言葉は盛り込まれていないですよ。東京教育大学を廃学し、筑波大学を創設する、です。創設の方は廃学より早いですけどね。この時間のずれは移行措置期間と言いますね。そうそう、今日、3月31日は、ぼくの出身大学東京教育大学の命日に当たります」
★今日は、日本社会では、いわゆる年度末。ぼくのところに届く声は「定年」という言葉が多くなってきた。そのお一人Nさんという方から、「教職へのきっかけを作ってくださった先生には、大変感謝しています」。埼玉大学勤務時代に、生活綴り方を研究している学生サークルからよく「お座敷」がかかった。時には継続的な「お座敷」に発展していく学生サークルもあった。Nさんは、そういった時代の、某大学の学生。ぼくとの触れ合いの中で何が何でも小学校の教師になると決意し、免許取得(けっこうこれは大変です。小学校免許取得が可能ではない大学生の場合)、そして念願の教師になって、今日が定年の日。ぼくにとっても、一つの記念碑的な存在の方ですね。

居宅サービス介護プラン作成

2018-03-30 13:35:39 | 日記
血圧139 83 脈動53 起き上がり、立ち上がりはできた。着衣にもたつき。
10時~11時
 要介護1の身になる4月から2年間の「居宅サービス計画」作成のため、ケアマネさん他の方をお迎えして、ああだこうだと、話し合い。ぼくはこんなニーズ(生活全般の解決すべき課題)があるのだと、書類上付きつけられた。なるほど。
「脳梗塞の既往があります。左半身不全麻痺、難聴、構音障害、高血圧症、黄斑変性症がります。筋力低下・麻痺によりバランス崩しやすく、躓きや転倒があり、今後も注意が必要です。」
 こういう文字の並びを見ると、もうええやん、長いこと生きてきたやん、という気持ちも起こってきます。薬で抑え込めるのは高血圧症だけ。みんな不治じゃござんせんか。
 何はともあれ、これまで通りの通所生活とちょっと強く意識した在宅運動生活がまだまだ続きます。ちょっと疲れてはいるけれど、明るく過ごしていきましょう。
 今日のお昼は、マグロ血合いステーキ。付け合わせは、タマネギ、ジャガイモ、ホウレンソウ。黒コショウを振りかけて。

川には花筏、陸には花絨毯、 いずれも最終準備中

2018-03-29 19:34:44 | 日記
血圧134 76 脈動61 立ち上がり失敗、ズボン着衣大きくもたつき。左脚力が弱い朝
 燃えるゴミ出し。歩き始めは調子がいいが、坂をその調子で登り切れない。

 朝行事の「お散歩」に出かけようとしていたところへ、支援者トドちゃんから「真間川でお弁当食べませんか?」とお誘い。千葉県市川市を流れる真間川沿いは桜の名所。行きますとも行きますとも。
 旧東武野田線終点の船橋に出、船橋から京成線で鬼越下車。そこで落ち合い、真間川へ。川の両岸はまさに春爛漫。川面を覗き込むと、花弁が水の流れに乗ってゆったりと進んでいる。ああ、もう少しで花筏になるな!

 橋のたもとに据えられたベンチでお弁当。外でいただくのって、気持ちいいものですねぇ。そこでしばらくおしゃべりしたり写真の撮りっこしたり、気分と行動はもうその辺できゃぴきゃぴやっている若い衆とおんなじ。

 「法華経寺にも行ってみましょうか。」と支援者さん。京成線で隣の中山下車。参道は花見人間の群れ。真間川沿いをかなりしのぐ勢い。それだけ桜が見事というところ。見上げて歩くのに疲れ切っていたので、下を向いて、「何か落ちてないかなあ」などととぼとぼ…。落ちていました!花絨毯の準備が。

 法華経寺境内も春爛漫。五重塔や大仏が花飾り中です。五重塔は花に埋もれ、大仏は花を従え微笑んでおりました。




 左足の痛みを訴えながらの行楽。秋にはこの痛みが消えていますように。

退院して4年が経ちました

2018-03-28 22:00:20 | 日記
血圧132 77 脈動65 朝起き、着替え、スムーズです。
 ビニールゴミ出し。左足のしびれ感、無力感。
★今日は4年前に(強制)退院した日。病室から車椅子で病院玄関口。両脇を支えられてタクシーに乗り換え自宅へ。自宅の門扉前でタクシーを降りたけれど玄関までは階段なので車椅子使えず。妻と娘に両脇を抱えられて1ヶ月半ぶりに自宅内へ。タクシーの窓越しに移りゆく桜並木。花吹雪が退院を祝ってくれていた。
 退院はしたけれど、どう生活するのか、皆目分からず、壁に手を添えて室内移動を繰り返したっけ。オレ、本当に退院していいような体なのか?どうしよう…。この時、介護保険証には「要介護1」と記されていた。(現在は要支援2、4月からは要介護1に戻る)
 退院の翌朝からは6時起き。布団を上げなきゃ、と行動開始をするが、両脚踏ん張り布団を持ち上げ移動することなど、できはしない、そんな障害に面食らう。観念的に、がんばろう、と自身を励ましはするが、どうすればがんばることになるのか、具体的には分からない。顔を洗うことさえがんばることに入るなんて、考えもしなかったものなあ。足にも手にも、そして体全体にも、力が入らない。何とか立ってはいる、というところ。脚を踏ん張ろうとすると、へなへなと体が崩れて倒れる。
 あの日からもう4年。今がんばる課題は何だろう、と問い続けてきて4年。その問いはいつまでも止むことがないオレ。自分でできることを見つけ、その幅と質を広げ深める努力をすることでしか、前に進んでいけないと、腹をくくった。誰かに何かしてもらうことを期待するのが第1なのではなく。でも、どうしよう…。
 さあ、今日から5年目が始まる。またも要介護1の体に戻ったけれど、以前の要介護1とは比べものにならないほど、オレは進化してるぜ!
☆朝の「お散歩」長丁場 9時15分~12時 光ヶ丘団地外周コースを選んだ。
 最初に難関道路、少しばかり長く続く上り坂。乗り越えると写真を撮る余裕が出る。今日はちょっと枯れた心でザクロの古木。見事なねじれ模様。花と実の季節が楽しみだ。

 光ヶ丘団地手前の公園ベンチで一休み。まさに頭上で桜花爛漫。

 団地の中に入り込み、「酒井根古戦場跡」の史跡「首塚」「胴塚」をしばし観察。このあたり16世紀に、大きな戦いがあった。近世への入り口の象徴。

 団地内に、小さなマーケットがある。その一角にあるLA Bienvenuという喫茶店に立ち寄った。名前のフランス語、入り口ドアの鮮やかなブルー。南フランスと関係するのかと興味を持ったからだ。マダムといろいろと会話。フランス・パリは観光で訪れたのみだという。なるほど、フランス語りには生活臭は一切なく、「あこがれのキラ星」話。嫌悪感を持ちはせずにこやかに語り合いができたから、ご婦人のお人柄なのだろう。コーヒーとティラミスをいただいた。ケーキはすべて手作りをなさっておられるとか。おいしかったです。

 そのあとは、ひたすら自宅を目指して歩いた。ちょうど弘美君が表に出ていたので、桃花の下に立ってもらってパチリ。

山羊肉スープでお昼

2018-03-27 17:40:44 | 日記
血圧131 86 脈動86 起き上がり、立ち上がり、衣服脱着、スムーズになってきています。
 自然ゴミ出し。新聞の束を両手に持ち2往復。ずっしりと体に重みがかかる。故障している左手へ過重。転ばないように落とさないように、後ろからくる車にも気を付けて道の端を歩く。登坂の時、「運びましょう」とお声をかけてくださるご婦人。いつもミニチュアダックスフンドの散歩なさる時にご挨拶する方。「ありがとうございます。これもリハビリの一環としております。慎重に足を運びますので、大丈夫です。」と返礼した。断るのはなかなか勇気がいることだなあと、つくづく思う。しかし、ここで「お願いします」とやれば、わが家族への心理負担となってしまうし、それはぼくの願うこととは反対のこと。リハビリになるからやる、と自らが申し出てやっているのだから。「勇気云々」なんて甘ちゃんだな。
 朝9時から、お昼用の山羊肉スープづくり。山羊肉はじっくり煮込まないと固くて食べるのが大変だしね。トマト2個、ジャガイモ1個、タマネギ2個、ニンジン半本。味を添えるために、根昆布、にんにく、ブラックペーパー、赤ワイン、オリーブオイル、塩と醤油を少々。贅を尽くしたスープです。皿の盛り付けがもっと上手になれば家族にも食べてもらえるかな?好き嫌いの多い人だから無理だろうな。とてもおいしくできました。

 2時から4時、新柏東武ストアーへ、シリアル、黒コショウ、マグロ、キュウリ、ニガウリ、バナナ、和菓子の買い物。左足の調子がすこぶる悪く、歩くのにずいぶんと時間がかかった。帰宅して体休め。

通所で荒れました

2018-03-26 17:21:01 | 日記
血圧136 77 脈動77 立ち上がりにちょっともたつく。衣服の脱着、かなりスムーズ。
 午前中、通所リハビリ。マシーンの上で、マシーンも自らの体も働かせもせず、隣のマシーンの人を巻き込んで、くちゃくちゃしゃべりっぱなしの輩(N某・・いつものことだ)と、その行為が他の利用者の当該マシーン利用活動の妨げになっているということに気が付かないスタッフ(「あらそうなの、気が付きませんでした」とのたまうが、某氏の行為は毎度毎度のこと。とりわけ「指定訓練」に言葉化されているマシーンの不使用占有は管理不行き届きだろう*)と、にもかかわらず、「決められていることですから参加しなくてはだめです」というところの、サービスの質の向上という言葉が聞いてあきれる実態に接している身としては、ついに切れてしまい、声を荒げ、帰る!と怒鳴ってしまった。とりあえず訓練を終えて帰宅して、弘美君に、他の施設も同じなんだろうなあと、ぼやいた。
*注記 この光景を見続けることに耐えがたくなり、Iさんに「運動することなくマシンを占有していますよね。他の訓練者にはとても不都合なことです。」と、当該者に何らかの注意・指示をしていただくよう訴えたところ、Iさんは様子を見、「本当ですね。」と理解され、他のスタッフに具体的な指示を与えた。他のスタッフはN某の<犠牲>になっていた人に、別の運動課題を促していた。このことは記しておきたい。N某氏は、おしゃべり相手がいなくなったので、マシーンから降りたことは言うまでもない。
 お昼ご飯は味噌ラーメン。豪華です。おいしかった。

つくしが丘5丁目にギャラリーKあり

2018-03-25 19:56:12 | 日記
本の編集の夢 原稿がないので困ったぞ。 血圧141 74 脈動57 朝の起き上がり立ち上がりはスムーズ。着替えも少しスムーズになった。この調子。
 隣接する雑木林から鶯の鳴き声。だいぶ上手になったぞ。
 9時20分~11時50分 少しきつめの「お買い物散歩」
 すごくいい天気だし、ちょっときつめの「お散歩」をと、増尾方面に向かった。鉄塔通りと通称されている広い、長く坂が続く路をのったりのったりと歩き、スーパーベルクスへ。デイに通所の時に通る道。

 ここは一度来たことがあるのだが、それがいつのことだったのか。近くの野馬土手跡のような、しかし平らなクヌギ林で遊んだことは覚えているのだが。3年前の秋のことだったろうか。スーパー前では包丁研ぎが出ていたっけな。今日は日曜朝市の上り旗。タマネギ、ジャガイモ、トマト、たくさん買った。ほかにティッシュ、カリントウ。リュックがずっしりと重い。
 帰路は、クヌギ林を抜けることにした。桜の花が陽光に照らされて輝いていたのでカメラを向けていたところ(写真は失敗)、この家の主さんと顔合わせ。細井健二さんとおっしゃる方。塀にギャラリー看板がある。

 土曜日曜はオープンしていると案内にあった。「よろしかったらご覧になりますか?」とお誘いをいただいた。もちろん、喜んで。ご自宅の一室をギャラリーにしておられた。作品と並んで細井さんをパチリ。

 特にお師匠さんがいるのでもなく学校に通って習ったのでもなく、海外で修業したのでもなく、文字通りの独習。新宿、銀座などいろんなところで個展をお出しになるほどの腕前。すごいね。ニッカウヰスキーの技術屋さん、研究所所長、偉い人。ぼくはお酒を飲まないので、その話は伺いませんでした。
 帰路。クヌギ林を潜り抜け、椿並木の小径を杖なし歩行。気持ちいですね。


 あとはひたすらわが家へ。ハナモモが咲きそろいに近い状態になっている。

 いい散策でした。またやろう。首塚胴塚のある光が丘団地一周と交互がいいかな。新柏のスーパーに向かう時は体が疲れているときだろうな。
★我が家の向かいのお宅のOさんが亡くなった。通所されていたのだが。あまりご自分でいろいろなさる方ではなかったが、反面、ゴルフバッグを抱えてよくお出かけになっていたのを思い出す。


粋生倶楽部増尾通所リハビリ

2018-03-24 13:32:10 | 日記
血圧132 77 脈動67 夜中の立ち上がりはけっこう難しかった。朝起きの立ち上がりは難なくできた。介護バー不使用生活3日目。
 午前中通所リハビリ。一斉に行う口腔体操(義務)、棒体操(準義務?)、皆さんと一緒に行えました。そのほかの個人票に記された訓練項目は一通りこなしました。こう書くと、やっぱり「やらされてる」感が強いね。施設は性格を変えつつあります。どこまで耐えられるかなあ。対処すると通所施設は、きっと、見つからないだろうし。
 居宅で今始めた「起き抜け立ち上がり着替えヘルプ無し」を、立ち上がりの部分だけ、整体師さんに診てもらった。難なく立ち上がる(ようになっている!)のをご覧になって、「いいです!感動しました!もたつきもさほどないし、すごいです。ありがとうございます。是非、続けていってください。」と励ましをいただいた。うれしいですね。
 今日のお昼は「イカメシ」+おでん。ちょっとイカが硬かったかな。

 我が家の前を通る人にめでられております。今だけだだぞ、輝けるのは!



船橋へ

2018-03-23 07:57:35 | 日記
診察台に上った夢 血圧134 79 脈動67 朝の行動開始まで介護バー使用せず
起き抜けに庭に出て軽いストレッチ
 10時~16時、船橋へ。東武の北海道物産展で、いくつかの買い足し。列に並ばず求める商品の方にぐいぐい押し込んでくるご婦人に、強い怒りを覚え、強い口調で、列を作って順を待っている、押される圧力で不自由な体を支えるのが相当つらかった、と。聞く耳持たず。あら、そう、だけ。トドちゃんがいなければぼくは間違いなく暴力沙汰を起こしていただろう。
 帰宅後は疲れをとるのみで、他に何もできていない。
 オフいるは豪華な海のもの弁当、そしてデザートは品よくところてん。

終日在宅

2018-03-22 13:48:23 | 日記
体を動かすことができないほどの狭い部屋に3人、旅の夢。血圧134 76 脈動68 布団から起きて立ち上がるのに手すり等、補助具を使わないでできた!ズボンをはくのにも補助具につかまらないでできた!ただし右足を通すのに四苦八苦、10分かかる。左足はまだまだ弱いねぇ、自分の体を支えるのに難儀してばかりだ。でも、俺って、案外辛抱強いやんか。新たに発見。懲りずに、めげずに、試行錯誤しながら、続ける努力をしましょう。
 燃えるゴミ出し。歩き始めは調子いいんだけどね。
 昨日、善君に提供したランチ(ライスは別に大森)。お世辞かどうかわからないけど、「めっちゃうまいっす!」なんてぱぃついていました。スマホで写真を撮ってたぞ。「君んちはアメリカ文化ナイズされているから、じじはフランス文化ナイズね。本格フランス田舎料理だよ。」

 小鮒智氏へ以下メール。
 目の調子が思わしくなく、いただいた書物を、集中して、なかなか読み進めていくことができません。今もなお「語り綴ぐ人間性と人格の教育」を拝読しております。
 「第2章 教育を語る」は、もともとの私の学習フィールドが「国語教育」であり、研究実践フィールドが「教育実践(史)」でありますので、きわめて興味深く、かつ共感をしながら読んでいます。
 先生が教室でお使いになっていた「教科書」「副読本」がひょっとして私の関係しているものではないのだろうか、と感覚の共通性を感じたり(日本標準の「考える道徳」の編集を担当ました。書き下しの小品もあります。著作権じゃは出版社になっていますすけれど。)、あるいは、ヴィクトル・ユゴーへの目線では大きく共通し共感をしながらも、19世紀の人間としてのユゴー論はお伝えしたいなあ、と思ったり。
 私がユゴーを正面から見つめようとしたきっかけは彼の生誕200周年記念で沸くパリ滞在でのある気づきでした。それは「子どもの権利」の初の唱道者であるということです。1850年1月15日のフランス下院議会での演説にそれが述べられています。この演説は、公教育を世俗の手に渡すべきだ、という主張が本旨であり、わが国の旧教育基本法に通じ、かつ現在のフランス公教育にも通ずる大原則の提案になっています。この「出会い」についてのエッセイのリンクアドレスを張っておきますので、よろしければ、ご笑覧ください。ユゴーの演説翻訳文のリンクアドレスをそのエッセイの末尾に張ってありますので、こちらもお読みくださればと存じます。フランス語の独習を初めて3年とたっていないころのことゆえ、こなれた文章ではありません。
http://eseguin.web.fc2.com/pdf/2002hugo.pdf
 そして、ユゴーの出会いは、パリ・コミューン研究の発展にもなりましたし、のちに進めることになったセガン研究の大きなテーマにもなりました。このことについては、また別メールで、綴らせていただきます。