人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

左脚の調子はだいぶん回復 デイ話し

2019-05-31 13:04:31 | 日記
晴れ さわやかな外の空気、今日は一日何かよいことあれかし、と願う気持ちになる。
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 午前中、在宅訓練。庭でストレッチ、廊下を使って膝上げ歩行訓練など。歩行困難を感じさせていた左脚の不具合も、だいぶ、改善されている今日。まだ、外歩きの「勇気」を持てないので、器具を使ってリハビリ。
ペダル踏み器とミニ椅子。

ミニ椅子に 1.座る 2.座り続ける 3.立つ それぞれが訓練となる。作業椅子に座る、座り続ける、立つという行為は何の補助も無くできる身になっているが、このミニ椅子はちょい苦労する。補助具を使って行為を果たすのが現実能力。ちょい悔しい現実に見舞われる。座高は階段の段と同じなのだが、座ると沈む。階段では、補助無く座り、立つことができるのだから、もう少しなのだな。頑張れっ!

座っていて気づいたこと。左足裏の踵が少し浮いている。ちゃんと着地できないのだ。足首の強い麻痺はだいぶん和らいだと思っているが、まだまだなんだなあ。クソッ!
○今日のお昼は冷やし讃岐うどん 昆布のみのダシ汁使用。ごく小量の塩を加え、火をさっと通し、火から下ろしたらそのまま冷ましたのをうどん汁に使う。
昆布と豚皮の煮しめとゆで卵をトッピング

昆布を一晩漬けおいてだし汁と煮しめの材に。
豚皮とダシ取りに使った昆布を一緒に、醤油+日本酒を入れて、煮しめにした。いい出来具合。

昆布だし汁も豚皮・昆布煮しめも残量があるので、明日は別の料理にチャレンジしましょう。暇やし。


(デイに関わること) 迎えの車に途中で合流したご婦人がぼくの隣。ぼくは後部右端座席。よりによって聞こえが極めて悪い左側の席で、かつご婦人は「話題振り」が常の方。昨日もさっそくありました。
「san-nin zisatu sitawa-ne. 」(3人自殺したわねぼくは後部右端座席。・・?)あるいは、「han-nin zisatu sitawa-ne.」(犯人自殺したわね・・?)のように聞こえたが、脈絡がないコミュニケーションになれていない(つまり、「空気が読めない」者)にとって、苦痛な話題振りだった。
 答えようもなく、事実を言うしかない。「私はテレビもラジオも持たないし、(一般)新聞・雑誌もとっていないので、世間様の様子にとても疎く、おっしゃっていることが分かりません。ごめんなさい。」
ご婦人、「あ、そぅ!」痛くご立腹のようでしたが、わからんものはわからんがな。などなど。
 だんだん、デイが重荷になってきていると、こういうことすらが神経に触ってくる。デイそのものも、あるスタッフさんに、通所を変えたいよ、どこに行っても同じだろうけど、と愚痴った。スタッフさんは、「えーっ!変わっちゃったら、私がいなくなるんだよっ。」 さすがです。
 でも、通所する曜日を変えてほしいとは懇願しておいた。たぶん、水曜日に変わるだろう。

通所リハビリ パリ・コミューン

2019-05-30 15:58:19 | 日記
快晴 太陽の光がまぶしいほど。燃えるゴミ出し。左脚の痛みは無いが、つっぱり感が強く、必然的に動きが鈍い。
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 午前中、デイ。以前ほどに通所意欲がわかないのは何故か?新しい環境に馴染むのに時間がかかる人間であることも一因だとは思うが、それにしても、長い。「隠れ場所がトイレしか無い」と言うことは大きい。
 環境には2つある。空間的環境と人的環境。それらが、血圧測定値に異常を来しているとしか思えない。到着して間もなく測る血圧の値は、新施設になって以来、病的な初測定値を示す。高い方で160以上(今日は168)、低い方で100程度(今日は108)。これが平常なれば、間違いなく、高血圧症人間だ。ちゃんと血圧の薬は医者の処方により服用しているにもかかわらずだ。移動にかかる強度のストレスにも要因があると思うが。どこの施設に移っても、移動はこうなんだろうなあと思うと、現実は、玄関を出てから玄関に戻るまでが通所デイなのでは無いと強く断言するしかない。いくら「定員内」だと言っても、身動きがはばかれるような座席姿勢は、心理的抑圧感が強い。隣に座る人を選べない事情だな。
 空間的環境で言えば、比喩的に言えば、「広すぎて」、「隠れ場所がトイレしか無い」と言うことは大きい。これは、ここに通所する限りついて回る問題だから、自分から馴染んでいく方法を作っていかなければならない。
 人的環境。人見知りが激しい人間にとって、記帳・記録・接待テーブと休息・交流テーブルが同一であることもまた、ぼくには、関係性に混乱がもたらされる。かといって、これらが明確に区分しうる事柄では無い故、対案は持ち得ない。
 あ、こう書いてきて、オレって、ジコチュウだとみなされるな、と痛感した。だからこそ、片隅でこそっと体と心を休めることが出来る空間がほしいと熱望する。あるいは、Sさんと行っていたささやかな遊び空間があれば、と思う。
 今日のデイの個人活動。
 ハードル歩行。ハードルの高さが「能力に低い」段階にあわせてなかったので、引っかけるしかできない状態。帰り際、所長さんに「ここのデイは、できる人に合わせているのですか?」と訊ねたほど。「スタッフに調節するように申し出てほしい」と返答があったが、確かに模範回答だ。しかし、その前に、「能力の低い人ができたという達成感を積み重ねることが大切である」という実践的課題は必要が無いのか?高い能力に設定してあればどうしても低いレベルの人間にとっては「壁」になってしまう。機能回復か機能改善・向上か、その選択肢の問題?やっぱり、利用者の意識は、真っ先に、中高年用ジムなのかなぁ。
 バランスボール
 自転車
 ステップ 足踏み訓練は怖がらないでできた。ただ、足の横開き運動は、この間の足の「故障」の直接要因だったので、まだ怖い。もう少しだ。足の機能回復・改善するのを待って取り組んでいきたい。
 その他、ちょこちょこと。身体の調子が上向いてきていることが確認できて、嬉しいデイだった。
 *木曜日の訓練を他の曜日に変更できないかと、愚痴ってみた。どうしてもなじめないお方が複数人いらっしゃるので。

今日は、いわゆる「パリ・コミューン」の終焉のメモリアル・デー。
1871年5月末のパリでは「血の一週間」と呼ばれる凄惨な戦いと政府軍による大量虐殺(無裁判の即刻公開処刑)がなされた。
添付図版は、「「パリ・コミューン」最後の激戦の地ペール・ラッシェーズ墓地での戦闘の様子と即刻処刑の様子を描いたもの。当時の新聞・イラストより。及び関連拙著表紙写真。





今日の歌
 このもいいね

雨の半日、在宅であれこれ 釧路紀行3

2019-05-29 16:08:57 | 日記
雨 暑くは無いので助かる。起き抜けに、室内でストレッチ少々。
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 朝食後訓練。ハードル歩行(疑似)、ペダル踏み、各10分。ゆっくり目にやりましょう。身体に負荷を与えすぎないように。要は張り切らないこと。

 昨日購入した本格パリのパンがどうもおいしくない。トースターで焼いてなんとかぼくの口には合う。それに塗る材を加えればおいしさが倍加するだろうと、朝から作成した鯛の白子の甘辛煮付を添えた。ウム・・・お主なかなかやるのう。


釧路紀行3
厚岸・・・私の生活教育・生活指導研究の原景の一つ。
 両角憲二さんの『バラサン岬に吼えろ』が民衆社から刊行されたのは1982年。同著は日本生活教育連盟機関誌『生活教育』で連載された実践記録が単行本化されたもの。私は、当時、同誌の編集を担当していた。
 高校生のつっぱりたちの学校文化(合唱等)への取り組みの実践であり、点検・訓練・処罰方式の「生活指導」とは対極にある教育実践に、心を大きく振るわせた。拙著『子どもが生きる教育―頽廃の構図と創造の視点』(教育史料出版会、1982年、添付写真)を上梓するきっかけとなった実践記録である。

 両角実践のタイトルに選ばれた「バラサン岬」とはどんなものなのか。風景から当時を偲ぶことができるのか?そんな思いを長年に抱き続けていた。今回の釧路紀行の1ページに、大森さんに付け加えていただいた。添付写真。

 なお、両角さんが実践した舞台の厚岸水産高校は、現在、存在しない。別名高校となっている。

船橋でランチ 釧路紀行2

2019-05-28 18:58:01 | 日記
曇り 朝の内薄日は差している。資源ゴミ出し。両手にぶら下げてのろのろは変わらず。庭で軽く体操。
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 郵便局へ書籍代振り込み。
 船橋でランチ。。生鮮市場で買い物。今日の狙いは豚皮。調理が楽しみだ。朝食用のパン。
 脚の痛みはまだまだ、無理をしてはいけないな。自宅ー新柏 往復とも徒歩。やはりつらいものがある。

釧路紀行2

釧路湿原にはヒメヵイウとの案内があった。水芭蕉とは違うの?そのあたり、皆目不明。いずれも、里芋と同種であることは分かったのだが。
 写真は「オンネトー(五色沼)」ほとりにて 


今日の歌
ビリー・ジョエル ストレンジャー

釧路行写真1 通所リハビリ

2019-05-27 14:42:13 | 日記
晴 早朝にして日差しがきつい
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【悲喜こもごものデイ】
 旅の間中、左脚の強い痛みと痺れに苦しんだ。どうなっちゃったのかなー。
 そんな思いを抱えて午前中デイ。自身で「軽い運動・訓練に取り組もう。」と決め、ハードル歩行から。
 ハードルは、おそらく所長さんの仕組みだろう、今日に限って「高い」。左脚はとうてい上がりきれず、引っかけてばかり。これじゃ訓練にならんと、中段に高さを下げた。いつもなら楽々ポン!なのだが、やはり引っかけてばかり。くそったれっ!
 他にやることはたくさんあるが、全くやる気が起こらないことを悟ったとき、マッサージのお声掛かり。・・・
 施療後、マッサージ師が、「今日は運動をしないように!命令です。」 そんなに脚の具合が悪いんだ・・・。後の時間は、足を使わないですむ訓練を受けていた。「悲しいデイの日」
 伊藤さんというもう一人のマッサージ師さんには、いつも、腰から下の状態を点検していただいている。ぼくからお願いしたぼくだけのメニュー。相撲の立ち会いの型を採り入れたもの。左足の麻痺が軽減されてきているのか、いないのか、それを実践的に知りたい。とりわけ脚首はどうのだ?
 そのことの判断は、足裏全体が「土を掴んでいるかどうか」ということから行われる。左脚の踵がどうしても上がってしまうが、その上がり度合いが少なくなっていくことが、麻痺が軽くなってきている、ということになる。
 で、今日。
 「後ほんの少しですね。それと、立ち上がるときの状態のふらつきが無くなっていますから、足腰が安定するほどに強くなってきています。その調子でいきましょう。」
 喜ばしいデイの日。


釧路行き写真1
 埼玉大学時代の邂逅ゼミの受講生大森修二さん幸子さんのお世話を100パーセントいただき、心ゆくまで、念願の「釧路」を心に留めることができました。

 それぞれの「生物物語」




充実の釧路行

2019-05-26 18:35:42 | 日記
釧路は快適な日を過ごした
 大森修二夫妻の心厚い「もてなし」をいただき、釧路行3日間は、充実そのものだった。阿寒湖、釧路湿原を始め、厚岸・バラサン岬、釧路港等、かねてから訪問したいと熱望していたところを車で回って下さった。途中の景色の、丹頂鶴の群れ、ホルスタイン種の群れの昼寝姿(牛馬は経って寝る者だとの固定観念がある)。それは見事なタンポポの花の群生の幾つか、そして釧路湿原の可憐な花の幾つか・・・。



通所リハビリ 午後は身体休め

2019-05-23 16:58:08 | 日記
快晴 太陽が熱く伝わる。脚の具合の悪さからか、よく眠れず。
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 午前中デイ。活発なご婦人たちにまじっての訓練の日。でも、今日は、明日からの旅のことを考え、脚の訓練は控えた。所長さんには血流をよくしましょうと「赤外線」器具の使用を薦められ、社長さんには、家での長時間にわたる椅子に座ってする作業の「見直し」の助言をいただいた。スタッフさんたちも、皆さん、よくして下さる。
 帰宅後は旅支度。
 明日は6時半過ぎに家を出ることになる。8時半前、西船橋中央改札口待ち合わせ。8時40分発の羽田空港行きリムジンバス。

旅の準備など

2019-05-22 16:35:07 | 日記
晴れ 日差しがきつい 雑木林からウグイスの声が届いた。ビニールゴミ出し、左脚関節不快
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 郵便局で旅の軍資金調達。残金おぼつかなくなっている。年金が出るのを心待ち。
 午前中、衣類の旅支度。こちらと釧路地方との気温は差が大きいようだ。10度ほどか。飛行機を降りてからは長袖となる。
 どうも体調がしゃきっとしない。昼食後はごろりと横になりうつらうつら。左脚も調子はよろしくない。膝が外に開く状態が続く。脚の筋力低下は歴然としてきた。ぐちぐち・・・。
 久しぶりに庭草木写真。
 睡蓮が花を開いた。

 ハナモモの実がこれほどにまで育った。実の数は昨年に比して激減。

 雑草の綿毛が旅愁を誘う。

 弘美君が育てている花。今年も可憐に花を向けている。

埼玉大学生活綴方ゼミの合宿写真現る

2019-05-21 08:56:15 | 日記
雨 昨日のデイの疲れが強く残っている今日。
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 土曜日の「イナ坊激励会」参加の宮広さんが、1980年の夏に行われた埼玉大学生活綴り方ゼミ(川口ゼミ)関係他の諸々の写真を携えてきてくれた。それらの中から・・・
 この年の合宿は天童市でもたれた。合宿所は、現地でお世話になった田中新治先生が紹介して下さった。田中先生とぼくとの繋がりは、教育運動史研究会。田中先生は、戦後の山形の教育運動のリーダーのお一人。この合宿には、村山ひで先生にご講演をお願いした。戦前生活綴り方を語る(学ぶ)にあたっては無くてはならない偉大な語り部。若者が一人映り込んでいるが宮広さん。集合写真から切り取った。

 夜行列車で往復。網棚をベッドに早変わりさせた強者もいたなぁ。列車を待つ間のホームにての集合写真。(天童駅ホーム)

 ぼくは37歳。もう40年前なのだな。男性の顔は名前とともに思い出すけれど、女子学生の大半は思い出せない。


★【今朝もしつこくセガンさん】 
 セガンの「基本的な思想」を巡る(仮想現実的)論議

X氏「セガンはルソー『エミール』の影響を強く受けた白痴教育を論じ、実践している。その証拠として、私は、『エミール』に見られる子どもの発達過程の構造とセガンの発達論とが重さなっていることを、指摘する。」

Y氏「セガンの認識論は、間違いなく、ルソー『エミール』を踏襲している。ルソー『エミール』とセガン『白痴の衛生と教育』(1843年著書=邦訳書あり)に見られる認識論において共通している。」

Z氏「なるほど。ですが、セガン自身は『エミール』を援用することなく、強い口調で、「幸いなことに、18世紀の哲学ではなく19世紀の哲学的潮流の中で育った」と論じているのを、先生方はどのようにご理解なさいますか?つまり、セガンは、サン・シモン主義哲学の洗礼を受けた、と自身が綴っているわけです。そういう意味でのルソーにはいっさい言及していませんが。」

X氏「私が嘘つきだというのですかっ!」

Y氏「私は、サン・シモン主義については全く学習していません。」

Z氏「認識論の近似値を以て『影響を受けた証拠』というのはいかがなものでしょうか?」