人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

痛みぶり返し 外歩き

2018-08-31 19:52:45 | 日記
血圧124 69 脈動69 朝方から左脇腹筋肉痛ならびに痺れ。やむを得ずシップ貼り.

9時30分~11時 東武ストアーへ買い物「お散歩」 往復で約5000歩。 杖の代わりにゴロゴロ。このスタイル定着しそうだな。杖より疲れがきついけど、歩幅が確実に取れるので、歩行訓練になると信じたい。
 ちょっと腰に巻いたポシェットからスイカ・パスモや財布、携帯を取り出す生活に移行。ゴロゴロ引きと併せると、小旅行気分だな。これに背中に大きなリュックを背負えば、懐かしのパリ旅行だわ。心だけでもそうしましょう。
 今日のお昼は盛岡冷麺。暁さんにいただいた「手土産」。まだあります。弘美君が「ずいぶんたくさんもらったのね。」と笑いながら言いましたが、はい、そうなんです。具をどうするかにいつも頭を悩ませます。生わかめたっぷりとアヴォガドを載せましたが、アボガドは若すぎて失敗。やっぱり、キュウリ追った孫にすべきだったかな。添えたさらには、カジキマグロの切り身。牡蠣醤油でつけ焼き。これはうまかった。カジキマグロはクズ棚にどんと置かれていた。買って正解。一柵を切り分けて。明日もこうなる。

 夕刻6時ごろ、一天俄かに搔き曇り真っ暗、冷風が強く吹き始め、雨も落ち始めた。やがて、すさまじい雷鳴。昔人は、こういうのを、天の怒りとか、不安な同性の先触れとか、天変地異として畏れたのだろうな。気持ち、よっく分かります。隠れていたゴキブリがごそごそと姿を現したもの。お前ら、そんなところに隠れてたのか!

明日観る! THE WOMAN HE LOVED

第2次世界大戦を描いた映画

 (ロシア語がダブるので、ちょっと聞き取りにくいが)

からだ左側面の痺れ、引かず。痛みは和らいでいる。

2018-08-30 17:22:43 | 日記
血圧124 72 脈動55 明け方の冷えで目が覚めたほかはごっすり。痛みに襲われず。
 燃えるゴミ出し。最初の足の踏み出し敗因だけどなあ。
 左脚のむくみと痛さ、それと機動性の後退とも思える劣化について弘美君にぼやいたら、「脳外科じゃなく循環器科で診てもらったら?」と助言?を受けた。まさか主治医を変えて他の診療科に移れ、という意味を言ったのではないと思い、今度の診察の折に先生に相談してみる、と返答。運動不足からきているのではないか、とも思える。要は怠け病だ。とにかく脚、体をこまめに動かす生活を送りましょう。痛いだの動かないだと浮腫んでいるだののボヤキを聞かされる方は、たまりませんよね。反省です。
 と言いつつ、ほとんどをディスクワークの一日。1843年12月11日に、セガンは「短い論文」を科学アカデミーの審査委員会(3人構成)による予備審査を経て、科学アカデミー総会で絶賛の賛辞を得ている。この原文の、新セガン論への転写作業。スペルチェックなど細かな作業のため、なかなか進まない。根気がいりますなあ。セガン1846年著書に引用されているが、セガン自身の手によって改ざんされている。その意味でも、原文の正確な転写が求められるのだ。
 夕刻、庭に出て、歩行訓練。ぐるぐる回り歩き、後ろ歩き、ちょっと飛び、片足象さんの鼻ブラブラなど、いろいろ。左脚一本立ちは1分持たない。やはり訓練不足だな。30分もして汗がにじみ始めたが、体が少し軽くなった感じ。明日からもちゃんとやりましょう。目指せ1000歩、庭歩き!

わき腹痛、とりあえずシップしてみた 福島物産展行き

2018-08-29 16:23:49 | 日記
血圧120 70 脈動54 寝返りを思うに任せない夜 朝起きて、シップ。こわごわだけど。
 昨年の昨日・今日の日記によると、腰痛に苦しんでいる。今僕を痛がらせているのは腰痛ではなく、脇腹筋肉痛。他の部位と連動しているようで、どこをどうケアすればいいか、不明。とりあえず脇腹シップで痛みが抑えられるのなら、ありがたい。それにしても、腰回りが高痛みを繰り返すというのは、困ったものだなあ。
 船橋に出かける前に「セガン」。労作教育構想の出発を検討。男子不治者救済院での実践。セガン研究史のエア・ポケットだ。
 9時30分~14時30分。つくしが丘郵便局で教育出版宛再投函。その後、船橋東武の栃木・福島物産展へ。ゆべし、ラクガン、ウニカニイクラ弁当、パン購入。杖なしゴロゴロで歩き回るのは、かなりの疲れを呼びます。慣れていきたいな。デパ地下でインスタントコーヒー、黒糖購入。

左脇腹筋肉?痛 終日在宅

2018-08-28 21:10:31 | 日記
血圧126 70 脈動60 朝方から体を動かすと左わき腹に激痛が走る。トイレに行くのも難儀。
 脇腹の痛みを抱えて、資源ごみ出し。今朝に限って3往復。次第に痛みはおさまる方向へ。
 昨日投函したゲラ返しが郵便料金不足で戻ってきた。あちらさんが同封してあった切手では重量オーバーなのだと。明日、船橋行きのついでに、郵便局に立ち寄りましょう。

☆偉大な恩師・故倉澤栄吉先生に導かれて研究の道に入り込んだ思い出話をー

・・・倉澤御大の目は厳しくて暖かい光を放っていた。
「研究の広い裾野の中からこれはという素材に光を当て、それを対象として研究を進めなさい。オリジナリティを見出しなさい。研究は文献研究だけではない、聞き取りなどの調査を行いなさい。その手がかりを君に提供しよう、戦前生活綴方研究を従来のような北方性を絶対とするのではなく、子どもが主体となる学習を開拓したという視点から捉えなおしなさい。それは君がペスタロッチ研究で果たそうとした課題意識そのものなのだ。その問題提起をし、各地の実践家を開明した上田庄三郎をとことん研究しなさい。修士論文提出までに残りの時間は11か月と少ないけれど、君の潜在的活力があれば必ず出来る。頑張りなさい。」

 未知の世界に導かれ、未知の世界を真剣にうろつきまわり、約500枚の修士論文に仕上げた。評価は96点。誤字減点だ、と御大の厳しい言葉が発せられた。その課題も含め、私は研究者への入り口門に立った・・・。
 身も心も荒れ果て巷を彷徨し、口だけ達者だった「どうしようもない奴」を、まともに生きていく方向性と下地とを与えてくださった御大は、恩師というより、命の恩人であった。

スクリーンスター色々 ほとんど存じません

通所リハビリ 校正

2018-08-27 18:58:11 | 日記
血圧117 73 脈動51 朝近くになって寝やすくなった。
 午前中、粋生倶楽部増尾通所リハビリ。1週間ぶり。旅の疲れかそれとも回復後退か、きびきびとした動きが取れず。訓練種目はいずれも中途半端。別に怠けていたわけではないけれど、体が動きにくい。
 帰宅後昼食。お土産のカマボコをおかずに、おいしくないことこの上なし。生産業者は小田原のようだけれど、下田にはクズを運んでいるのか、と言いたいほど。
 食後、『国語教育指導用語辞典』執筆項目の校正作業。2時間ほどで作業終了。無杖でポストへ。ことのほか足取りが重い。こりゃあ、「重症」だなあ。
 その後はセガン。初冬にある講演を意識すると、ポスターが学校以上の重さを持った成人教育材となっていた、という話を組み込まなければ、と思う。瓦版とはちょっと違うんだおるなあ。調べる価値あり、ですね。
 ポスター(壁新聞)の前に集う民衆。

「心ふんふん、体ガタガタ」な旅だった

2018-08-26 11:59:24 | 日記
血圧120 65 脈動65 熟睡

☆今回の旅の最大の出来事は、いや、不始末は、携帯紛失事件を起こしたこと。
 宿についてやれやれ、いくつかのところに無事到着の連絡を入れよう、と携帯をズボンポケットから取り出そうとしたが、無いっ!あっちこっちの収納個所をくまなく(そんなところにどう考えても携帯をしまうわけはないのに)探したが、無い。
 タクシーの中で無くしたか?電車を降りるときに座席にこぼしたか?
 思いつく「可能性」で、探してもらえる所に、宿の係の人にも協力をお願いして、問い合わせ。
 下田駅で「それらしいものを保管しております。」との返答!!ありがたや…。
 すっかり甘えの人になり切った障害ジジイ。無事手元に戻ってきた携帯は、旅の空では使わない決意をし、ゴロゴロカバンの内ポケットに、しっかりとしまい込んだのであった。

☆歩行はほぼ不能と判明した段階で(下田駅改札を出た時)、観光タクシーを利用することにした。
 「宿のチェックインタイムまでの1時間余、街をぐるりとご案内いただけますか?」
 そら、下田と来たら、「ペリー開港」。オラ、それ、耳タコ状態。なんか、もっと土地の人々の息遣いを歴史的に知ることはできないかしらねぇ。
 運転手「こちらのなまこ壁。廻船問屋です。雑という漢字を書く名字でサイと読みます。雑賀さんです。」
 口だけ達者なジジイ(ぼくのことです)「和歌山の、あの、雑賀衆と関係があるのかなあ。あっちから流れてこっちへ来た、とか…」
 運転手「そのあたりはよくわかりません。立派ななまこ壁でございましょ!」
 口だけ達者なジジイは、元の勤務地の和歌山を懐かしく懐かしく忍ぶのであった。


 運転手さん、ジジイのぶつぶつ語りに耳を傾けながら、しかしここは、下田=開港史跡のグルグル周りで通すぞの、ご決意新たに、次なる看板のところに車を止めた。
「欠乏所跡」 あっちさん、遠路はるばるやってこられたけれど、船の燃料や人間の食料に事欠く事態。当たり前だ。そういう「欠乏品」を賄うことで、こっちの生計を立てることになった。貿易商の発祥ですな。
 ふむ。なるほど。・・・・タクシーから下車して「お触り」やら「しばし眺めいる」行動に移そうとはしないジジイ相手に、運転手さんは、懇切丁寧に、語りのサービスをくださったのでした。

 いわゆる「観光見どころめぐり」で心を震わせたのは、「雑賀」という言葉と「欠乏」という言葉なのでありました。

☆下田への旅2日目午前。下田水族館で。ぼくの水族館好きは、アメリカ滞在研修で、家族に、モントレー水族館に強制的に連れられて行った40歳代始めに始まる。
 で、下田水族館はぼくの先入観を完全にくつがえした。「水族館」という一つの「箱」型建物ではないのだった。それと、魚類展示が少ない、海獣による参画型アトラクションが売り、ということだろうか。
 歩き回るのが苦痛状態だったので、とにかく海に差し出された回廊に据えられたベンチに腰を掛け、海をぼーっと眺め、宿から差し入れのおにぎりやらフルーツやらを味わっていた。
 と、幼子中心主義家族の群れがドドドっとぼくの座っているベンチに集まってきた。そこはベンチではなく「観覧席」だった。何人かの幼児がぼくの脇腹を、もちろん無意識で、蹴とばす・・・。やがて目の前で、イルカショーが始まる。皆さん総立ち。ぼくだけ座り込んで…、さすがに口にものを入れるのをやめたけど…。ぼくの前だけぽかっと穴が開いたように、誰も入ってこない、ただ、鉄柵がぼくの視界を限定する。
 あくまでも座りとおし、人群れと鉄柵によって創られた「窓」を通して、イルカショーを楽しんだ。「イルカに乗った少年」が既報のごとく空を飛んだ!




 また来ようかな?フグが面白いし。


☆ 観光タクシーは、ペリー開港に関する史跡巡りをメインとし、時折「天皇陛下が…」という語りを入れて、ご案内くださった。
 米国領事館が置かれていたという玉泉寺門前に建てられてる史碑「露艦ヂアナ号水兵墓所」とあるのに、心奪われた。運転手さんにこれはどういう史実があるのか?と尋ねた。甲板清掃の水夫が崩れ落ちた大砲の下敷きになって亡くなったが、それを弔っているところだ、という旨の説明を受けた。
 亡骸を祖国に帰すことができず、この寺に葬った。職務上の事故死。しかも、おそらく下っ端水兵の「雑役」中の事故死。それを当地で弔ったというところに、開国圧力に抗しきれない力関係を垣間見たような気がする。
 ささやかな、歴史年表には取り上げられるほどのことの無い、しかも事故。それを遺す史碑の存在。・・・いや、実際の歴史評価はこうではないのかもしれない、ただ僕が歴史知らずなだけだ、とも思う次第。

下田の旅歩き予行

2018-08-23 20:29:33 | 日記
血圧131 70 脈動55 起床前から腰と左脚の痛みが強い 
燃えるゴミ出し 今日は坂道がつらかったなー爪先をこすって転びそうになった。
 年金の追加請求が来て仰天。額もかなりあるし。おろおろ。払うしかないけど、今後のやりくりをどうするか?節約をするとしたら物産店での買い出ししかないな。

(横になってしまいました。)
 写真は弘美君に撮ってもらいました。極めて珍しいこと。
「このスタイルでね、杖、突かないで、明日明後日と下田に行くの。」
 ちょっとそれは危ないではないですか!と思っている表情をしましたが、言い出したら聞かないグータラ亭主であることは百も承知の弘美君に、少し安心してもらおうと、
「この格好で、歩行練習を兼ねて、郵便局に行ってきます。歩行が危ないようだったら、杖突リュック姿に変えますね。」
と、言葉を添えました。旅に行くのだっ!という宣告は変更の意思まったくなし、ですよ。
 上り下りのガタガタ道、信号のない、車通行も少なくない交差点・・・。
 大丈夫です。行けます!

 今日のお昼もまたまた讃岐うどん。ただし、ピリ辛チゲ風に仕上げました。考えていたよりおいしい!鷹の爪効果だな。卵は溶き玉にしました。


 セガンが11人の子どもの教育に携わった機関「フォーブル・サン=マルタン男子不治者救済院」の平面図を見出した。パリ道路増設地図(1850年版)の部分拡大によって得た資料。喜びひとしお。新セガン研究の叙述に厚みと深みが出る。

左足痺れ感、強い

2018-08-22 15:10:00 | 日記
悦圧115 67 脈動55 朝まで汗かき熟睡 起床直前右脚が攣った。痛いです。
 ビニールゴミ出し×2。今朝は坂歩きがつらかった。発泡スチロール箱残骸を捨てた。指定の袋にやっとのところで収まったが、袋の口結びに四苦八苦。細かな作業になるととたんに指が思うに任せない。でも、半分は結べた。
 午前中、久しぶりの強い暑さで汗がしたたり落ちるほど。汗をふきふき、「セガン」。セガンが1830年革命に参加し、果敢に戦っている痕跡がみられると、褒章者名簿の発見を某氏にお伝えするために、遠路、お伺いした。こんな会話が結末。
私「セガンは、なぜ、1830年革命に参加したのでしょうか?」
H「それは、セガンが社会矛盾に目覚めたからですっ!」
 そんな簡単なことなら、セガン伝なんか綴る必要もないんだけどなあ、と胸に収めて帰路についたのは2009年秋だった。
 で、今日は今日とてこだわってあれこれ史料をめくった生活。混迷には陥らないけれど、すっきりとした分が浮かんでこない。
 今日のお昼は久しぶりに讃岐うどん。昆布だし。玉ねぎ、にんじん、ジャガイモを入れた汁を作成。ゆで卵をカワユクトッピング。

 ハナモモ第2弾。皮もツルリと剥けました。



汚れなき悪戯 ようやく見つけた。