曇天 気分を晴れにするしかないこの気候 今日の作業はリビングパソから自室パソへ。
133 76 47 134 80 50
朝の内、自室に籠もって「仮面浪人」執筆継承。第2節「正規入学」がなかなか終わりを見せない。いわゆる「一般入試システム利用入学者」が他のシステム利用入学者、たとえば社会人入試システム利用者、「帰国子女入試システム利用者」を「正規入学者ではない」と、ののしっていた時代描写。対話記述だが、筆が進みにくい。
昼食前に、歩行訓練、棒体操、スクラッチなど。硬い硬いからだ。
【嫌な日の屋内自己流リハビリグッズ】
階段、携帯椅子、風呂の椅子
足腰、とりわけ腰の働きは、倒れにくいか倒れやすいかを左右する〔と勝手に思い込んでいる〕。
腰を下ろしたときに少しずつ高さが異なる3つのツール。
1.スーと腰を下ろして、続いてスックと立ち上がることが出来るのは階段。もちろん、手の補助無し。これは以下同じ。
2.スーと腰を下ろして、続いてスック・・・、とはなかなかいかないのが携帯椅子。クッションに沈むので見た目より尻が低い。ちょっと上半身を前後に揺すり、立ち上がる。
3.途中までスー、フィニッシュでドシンと尻落としの風呂椅子。上体を前後に何度も揺すって両脚を踏ん張って立ち上がる努力をするけれど、今日まで不能。
4.〔未来〕平面に尻落とし座りをして立ち上がる・・・。笑われますね。
この訓練、思いの外、この身体の腰の強さを作ってくれているようです。倒れることが殆どなくなりました。
懐かしい写真復活ー私の「セガン」像形成の1日。セガンの聖地、違った、それは私以前のセガン研究者の意志の表現だ、生地クラムシー訪問に充てられた(参加者有志のみ)。その時、地元新聞「ヨンヌ・パブリカン」紙が取材に来た。その取材結果記事に掲載された集合写真。 クラムシー市庁舎前。前列真ん中が当時の市長(クラムシー郡長でもあるバルタン氏)。その写真左が旅の団長・清水寛氏。
この時は、まさかセガン研究を進めるようになるとは、夢にも思っていなかった。ただ、清水氏から語られる「セガン像」に極めて強い違和感を覚え、一行とは少し物理的距離を置いて、クラムシーの街を眺め歩いた。
大学生の頃、そして新人大大学教師の頃、「らせん」という言葉をよく使って語り合った。同人誌「らせん」、ゼミ新聞「らせん」・・・。
弁証法的なその形容に惹かれていた。
が、終生付き合わなければならない病症を得て以降、「らせんのてっぺんはどう見えるのだろう」という思念にとらわれるようになった。
庭に咲く「ネジバナ」。愛おしいひとり生え。
133 76 47 134 80 50
朝の内、自室に籠もって「仮面浪人」執筆継承。第2節「正規入学」がなかなか終わりを見せない。いわゆる「一般入試システム利用入学者」が他のシステム利用入学者、たとえば社会人入試システム利用者、「帰国子女入試システム利用者」を「正規入学者ではない」と、ののしっていた時代描写。対話記述だが、筆が進みにくい。
昼食前に、歩行訓練、棒体操、スクラッチなど。硬い硬いからだ。
【嫌な日の屋内自己流リハビリグッズ】
階段、携帯椅子、風呂の椅子
足腰、とりわけ腰の働きは、倒れにくいか倒れやすいかを左右する〔と勝手に思い込んでいる〕。
腰を下ろしたときに少しずつ高さが異なる3つのツール。
1.スーと腰を下ろして、続いてスックと立ち上がることが出来るのは階段。もちろん、手の補助無し。これは以下同じ。
2.スーと腰を下ろして、続いてスック・・・、とはなかなかいかないのが携帯椅子。クッションに沈むので見た目より尻が低い。ちょっと上半身を前後に揺すり、立ち上がる。
3.途中までスー、フィニッシュでドシンと尻落としの風呂椅子。上体を前後に何度も揺すって両脚を踏ん張って立ち上がる努力をするけれど、今日まで不能。
4.〔未来〕平面に尻落とし座りをして立ち上がる・・・。笑われますね。
この訓練、思いの外、この身体の腰の強さを作ってくれているようです。倒れることが殆どなくなりました。
懐かしい写真復活ー私の「セガン」像形成の1日。セガンの聖地、違った、それは私以前のセガン研究者の意志の表現だ、生地クラムシー訪問に充てられた(参加者有志のみ)。その時、地元新聞「ヨンヌ・パブリカン」紙が取材に来た。その取材結果記事に掲載された集合写真。 クラムシー市庁舎前。前列真ん中が当時の市長(クラムシー郡長でもあるバルタン氏)。その写真左が旅の団長・清水寛氏。
この時は、まさかセガン研究を進めるようになるとは、夢にも思っていなかった。ただ、清水氏から語られる「セガン像」に極めて強い違和感を覚え、一行とは少し物理的距離を置いて、クラムシーの街を眺め歩いた。
大学生の頃、そして新人大大学教師の頃、「らせん」という言葉をよく使って語り合った。同人誌「らせん」、ゼミ新聞「らせん」・・・。
弁証法的なその形容に惹かれていた。
が、終生付き合わなければならない病症を得て以降、「らせんのてっぺんはどう見えるのだろう」という思念にとらわれるようになった。
庭に咲く「ネジバナ」。愛おしいひとり生え。