人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

終日自室籠り 監獄ビセートルの歴史の1ページ

2021-06-30 09:22:09 | 日記

曇り

129 79 69

ビニールゴミ出し。不精していた分のつけ払い行為であった。こまめに職務を果たしましょう。

ふと、フランスパリ近郊の、世界的に名高いビセートル病院史に関わる資料の一節を思い起こした。次のような記述である。
「かつてを想起させる名残を探し求める人にとって非常に興味深いビセートル救済院が、部分的に残されている。それは非常に悲劇的にまで有名な独房である。「黒い」独房と「白い」独房。1770 年、ルイ16 世に提出された、救護院の名による一通の陳情書で、マルセルベが次のように述べている。
『ビセートル城館には地下監獄がございます。そこは、死刑を宣告された後は共犯者を密告することでしか恩寵を受けることができないような、名だたる重罪人を閉じこめておくには、まことによくできております。監獄は、そこに幽閉された囚人たちに死を悔やませるような生活しか送ることができないように、工夫されているかのごとく思われます。完全な闇がこの滞在地を統治するように願ったのでありましょう。とは申しましても、そこは生きるのに必要な空気が入るようにされております。地面の下に縦に斜めの穴のあいた柱が設えてあり、導管で地下道に抜けていくよう、通気を保障するという考案がなされているのであります。この方法によって、光をまったく入れることなく外気に直接触れることができるのでございます。』
 国立古文書館に保管されているビセートルに関する一通の記録文書には、カルトゥシュ(弾薬廠)中尉であり、監獄に捕らえられた名だたるディシャテルが、30 年間の幽閉の後、1750 年7 月3 日に死亡したことが記されている。彼に対する死刑は密告によって減刑された。減刑は苦痛という最悪のものであった。1760 年11 月の日付のある記録には、疑問を呈し、『教会窃盗団の長クラビエなる人物は、彼と一緒にそこに送られ、まだ生きている』と記されている。」(『フランスの古い施療院ビセートル』1939年刊、訳文は川口による)
 「生きるも地獄、幽閉も地獄、そして死ぬのも地獄」とはこのことを言うのだろう。ハンセン病患者が置かれ続けた境遇と同じである。

 


いよいよ雨・・・か

2021-06-29 09:16:13 | 日記

雨 激しくはない、いかにも梅雨。

130 74 50

じっくり眠ることができた昨夜。久しぶり。外出が良い睡眠を誘ったか?

終日fb。こんな記事などを発信。

フランス滞在生活の印影 パリの石畳
 作り物の街パリの中で、最も心ひかれたものは、古いパリ時代の石畳だった。石工の手職になるもの。石工職人集団から共和制国会議員が誕生してもいる。
 写真は、パリ歴史博物館前庭の古い石畳。これが雨に濡れそぼり始めると、時間を忘れて、色がさまざまに変化するのを楽しんで、しばしそこにたたずむ。ネットチャットのハンドルネームに、「石畳の夕鶴」としたほどだ。
 

 


通所リハビリ 郵便局へ

2021-06-28 05:58:20 | 日記

晴れ

144 77 57 ちゃんと薬を飲みましょう

燃えるゴミ出し 

午前中デイ。足の調子が極めて思わしくないので、デイではほとんど活動しなかった。

社長さんが原則的に現場から遠のくとのことで、「お別れ」のご挨拶をいただき、握手を交わした。この人がいるから、辛抱強く訓練に取り組む今の僕がいる。ありがたい存在者だった。研究のこと、フランス生活のことなどの聞き手にもなっていただいていた。お元気で、ご活躍を!

午後、郵便局へ。国民年金の支払い。ちょっと足がつらかった。

帰宅後は夕食まで、いつものように、パソ三昧。

☆エデュアール・セガンについてこれまであれこれ綴ってきた。「知的障害教育」「白痴」という冠をつけて、その生育史を中心に。

 ちょっと視点を転換しよう。
 彼の最晩年の著書に『教育に関する報告』(Reports on Education)というのがある。1875年が初版。未邦訳。セガンが全米教育使節団の団長として国際社会の教育状況を視察した教育委員会への報告書をもとにして綴られた一書。
 アメリカ時代には手を出さないと誓っていたので、まじめに読み込むことはなかったが、ちょっとおもしろそうだと感じた。
 目次冒頭部分をば…
第一部 児童教育
第1章 「ゆりかご」(幼年時代)と託児所
  I 導入
 II 「ゆりかご」
 III 託児所
第2章 保育所
 IV 先生のような母親
  V 保育室
 VI 目標
第3章 幼稚園
VII 目標と目的
VIII 歴史
IX 方法
X 授業
第4章 以下省略 

在宅であれこれ

2021-06-27 06:30:57 | 日記

曇り

128 74 45 ←起床後、軽い体操の後で計測 

 19世紀のフランス教育を少しかじっている。そのためにはバックグランドを知らなきゃと研究方法の「常道」に入り込んではみたが、入り込むためのガイドが必要だと今更思い立ち、手っ取り早いのは文学なのだろうけれど、フランス文学は修辞が多すぎてぼくの手には負えない。それで、丸善の古書店から購入した、19世紀半ばに書かれたフランス風俗論をぱらぱらとめくっている。辞書をこまめに引かないととても理解できないが、挿画が面白い。それと、見出し項目で何となく想像できる。
 しかし、先日来、目は止まるが、頭がクリアにならない項目に戸惑っている。L'Homme sans nom. 直訳すれば「名無し人間(男)」。戸籍を持たない人という意味か?確かに、ナポレオンI世によって戸籍制度が生み出され(ナポレオン民法)、我が国の戸籍制度に強い影響を与えているが、それは19世紀初めのこと。だから時代論的にはあっている。
 でも、そうなのかなあ? 今、ぼくの頭の中には、戸籍のない人間という意味と、よくぼくの母(およびその友人、同胞など)が言っていた差別感覚「どこの馬の骨とも分からん人間」か。そんなことが渦巻いている。身分制が壊れた近代に、「新しい人間」を生み出さなければ自身の自己存立(尊厳)が保てない、そのようなアイデンティティ創造に関わるのか、かなり長い原文を根気よく読んでみたい今。
facebookの移行方法がつかめない。1日かかりで目が疲れた。
 

☆2000年以降、研究生活の場フランス等に持った印影を写真でつづることにしよう。その第1回は、かのゴッホ終焉の地オーベール。麦畑が広がる。


パソ新規導入続行作業

2021-06-26 05:37:03 | 日記

晴れ

133 70 44

パソ設定作業続行。いい加減なところでおしまいにしないとね。

開設記念音楽

 黒いオルフェ

 

 

【セガン】

エドゥアール・セガンの葬送儀式で、息子による挨拶の中で、「…父は、大人になってからの人生を、深くかつ常に自由な考え方を持って送りました。」とある(清水寛編著略記『セガン』第4巻)
 素直に読めば、セガンは、成人するまでは何かしら圧迫感が強い生活を余儀なくされていた、ということになろう。某セガン教教祖様はそういうぼくの読み方をひねくれている、もっと素直に読め、と言われたが読みを変更したことはない。
 20歳を迎えたのが法学部在籍中。徴兵は、父親が代わりの人物を金であてがい、セガン自身は兵舎に入ることなかった。ここまでは父親の金銭的手当て等に大いにあずかっている。
 が、セガンは、学籍だけは法学部に置き続け、ちっとも大学教育を受けていない。別世界で生き生きとしていたようだ。
 ぼくと同じに遊興に明け暮れていた?ノン!ノン!ノン!
 彼は、サン・シモン教の世界で、新しい自分を創生させていた。後年の白痴教育実践と理論の開拓の礎である。
 
【関連】
彼エス氏は「普通のおばちゃん」というタームをよく使われる。
彼の学会賞受賞を祝う会の開催条件に「普通のおばちゃんも参加できるように」と、主催者私にご下命があった。参加費を取らずに、茶菓を用意し、100人規模の集会ができる会場を確保し、しかもセガンと何らかのかかわりがある会場を用意しましょう、とご提案召された。それは私に対する命令でもある。無理を通せば道理は引っ込む・・・・ですな、事実は。結論を言えば、参加費は資料代として各500円いただきましたけれど‥‥。そこから記念講演をいただく講師謝礼を‥‥。その他、事例はたくさんある。要は、私が組織的な人間ではないせいでもあるが、すべて私の財布から出て言った次第。
 さて、「普通のおじちゃん」という言葉を口にされたのを耳にしたことがない。女性を尊重しておられるのかな、と思って接していたけれど、決してそうではないことが判明する事例に直面した。家事一切なされない、ということは公言されておりましたな。
 氏を名目上の団長とする海外ツアーでのこと。そのツアー参加者の大半がご婦人であった。教師やら保育士やら、「主婦」やら…。
 パリの4つ星ホテルの赤絨毯を向こうか歩いてこられた彼の手には、男性下着が入った透明ビニール袋がぶら下がっている。
私「どうなさったのですか?コインランドリーをお探しなら、ご案内しますよ。」
氏「これをね、洗ってくれる女性を探しているの。」
私「・・・・」
 奇特なお相手は無事!!見つかったようでした。デンデン・・
 私は、この旅で、フェミニズムのオランプ・ド・グージュの存在を彼に教わった。旅が明けてすぐ、彼女の存在証明を求めて、著書と居住等跡を探し求めた。これは大きな宝物との出会いであった。フェニズム、女性の人間解放の歴史学習に進んだ。セガン研究などを進めるのに有力な「武器」ともなった。と同時に、自身が、「男性の人間解放」にどれほど遅れていることかを痛感もした。
 彼エう氏から、知識という宝の原石をたくさんいただいた。その反面、知と実践の見事なまでの乖離現象を見せつけられ続けた。もちろん私自身の内なる「乖離」である。

よく眠れず パソ新規導入

2021-06-25 04:39:18 | 日記

曇り

121 68 45 ↞ 計測間違いではないが、これは日常的ではg宅衆院でないだろう。

深夜から起きだしたのが間違いの元。眠いのに眠れない一日の始まり。

FB、ひょっとして、悪さされているのか?

 

hp機のパソ新規導入。キーボードになかなmかなじめず。

ネット接続は夢さんがやってくれた。感謝。その他の設定はままならず。明日も続く悪戦苦闘。お思いつつ、

ほとんど開くことのないzaqメールを、たまった「ゴミ」を大掃除しようと開いてチェックしていたら、懐かしや、学習院で開講していた大学院ゼミの受講生だったマナさんから、メールが届いていた。今年の3月末の日付。メアドは有効でないかもしれないと思いつつ、返信をしておいた。うれしいお便りをいただきました。僕のレゾンデートルでもあるんだよな。

 

いや、新しいパソ、なじむのに大変だな。フル、しかもまっ平キーボードだから。


通所リハビリ

2021-06-24 06:34:10 | 日記

曇り 朝方は寒さを覚えた

133 74 56

パソの朝の調子は悪くない。このままで十分なのだなあ

午前中、デイ。今月いっぱいで、原則的に、社長さんは現場に来なくなるということだ。社長業に専念されるのだろう。ちょっと悲しいなあ。

訓練は、昨日の翌日ということで、自ら抑制した活動。来週から活発にできればいいと願います。

足をあまり開かないでしゃがむ訓練。後ろ倒れになることはない。だいぶん、足腰が強くなってきているのだな。この調子でいきましょう。

午後からは、新しいパソに導入するソフトを「書斎」から引っ張り出す作業。ATOKとか、パワーポイントとか、ワード、エクセルとか。どうか、機能しますように。

 

【知的障害教育の開拓者セガン話】
 日本のセガン研究者の中にはセガン崇拝者がおり、崇拝の念からセガンの書き物を読み込むことが多い。私はこれを「セガン神話」と揶揄している。
 で、今回は、神話でなく、感動を呼ぶであろう話を紹介しよう。もちろん、セガン自身が(淡々と)綴っていることである。
 1843年末に公的な白痴教育の場から追放されたセガンは、1846年(セガン34歳)に、彼のフランス時代の白痴論・白痴教育論を集大成した大著を上梓している。これは、後世の生活教育論、幼児教育論、障害児教育論を誕生させる画期的な書物となる。
 セガンは、1875年刊行の最晩年の著書『教育に関する報告』で、振り返って綴る。
 「若々しく自信にあふれたこの著作は、わが息子のゆりかごの傍らで綴られた。同じ灯の下で、妻は縫物をしながら息子をあやす。妻の運針はまるで私の考えという糸を強め、導いてくれるがごとしである。」
 セガンが綴る唯一の家族実像である。しかし、妻の名前も出自も、明らかではない‥‥。
☆今日では、妻の出自はともかく名前は分かっている。
 

 

 

 


通所リハビリ

2021-06-23 05:53:32 | 日記

曇り

135 80 49

新しいパソ導入にあたって、幾つかのソフトを探し出す作業。ウイルスパスタ-、ATOKは必要。さてと・・・・。ATOKは見つからない。広辞苑などは見つかったけど。

午前中デイ。昨日の舟橋行きで左脚の痛みが強く、無理な訓練は避けた。明日もあることだし。


パソ買い換えのため船橋へ

2021-06-22 06:36:39 | 日記

晴れ

141 77 57 今朝も高いですね

資源ゴミ出し。杖突かず歩行を試みてみた。今なお杖突かずとも歩けることを確認しただけでも自信になった。しかし不安定感が強い来る。デイで指導いただいた“内股を意識して”。なかなか難しいものだ。

船橋へ。ランチその後パソ購入。ついでに新柏駅裏の格安理髪店で調髪。すっきりしました。2000円。今日の理髪師さんはあまりお上手ではなかったな。脱サラさんのようだけど。

ランチは、ロボットが客席まで注文の寿司を運ぶ店。今日初めてロボット君の仕事ぶりを見ることが出来た。なかなかなものです。お寿司も相変わらず美味しい。

その後、量販店でパソコンの品選びと購入。ノートパソコン。最低限の仕事をしてくれればよいと考えた。金曜日には届くとのこと。今使っているパソも、働くときは満足以上なのだが、時々フリーズしてしまいまったく働かない。そのストレスに耐えかねての買い換え。

 

左脚は不調のままでありました。


通所リハビリ

2021-06-21 06:27:01 | 日記

曇り

142 83 59

燃えるゴミ出し 左脚歩行不調。脚首から先、内反。リハビリで治すしかない。

午前中デイ。ゆったりと訓練。明日の舟橋行きを意識して。所長さんから“少し内股で歩くことを意識して”との歩行の仕方についてご指導いただいた。なかなか難しい。左膝が外に開いてしまいことの矯正のため。

午後は午睡など体休め。パソのゴースト状態はますますひどい。明日買い換えれば、この苦痛から解放だれる。

 まさむね嬢の今日のお昼寝ポーズ。

 

【セガン】

【再論】
「共産主義」。コミュニズム。communismと綴る。少年期からずっと、それをマルクス主義そのもの、それ以外にはない、と思いこまされてきた。恐怖感を添えて・・・
 しかし、困った問題が起こった。セガン研究において問題にぶつかったのだ。セガンは1875年著書の中でcommunism批判を激しくしている。そうか、アンチ共産主義者だったのか!と簡単に分かってしまう気にさせられるほど、批判の筆は厳しい。分かった顔をなさる某受勲セガン研究者は「セガンはパリ・コミューンに反対だったんですよ!」と嘆きの表情をぼくに見せた。パリ・コミューン(1871年)を「共産主義勢力による革命運動」だと認識されたうえで、である。大きなデマゴギーに荷担しておられるのだが。
 が、セガンが批判するcommunismにのっとった社会団体は、上記の某セガン研究者がイメージする共産主義団体とは対極の、19世紀フランス中期に、ブルードンによって「黒服の軍隊」と揶揄されていたキリスト教イエズス会修道士会のことなのである。セガンはそう明記している。
 しかし、セガンが帰依するサン=シモン教もまた、communismにのっとった社会建設運動を実践していた。ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』に、ヴァルジャンが市長を務めた自治体(コミューン)がまさしく産業共同体としてのcommunismを導入していましたね。
 「共産主義」は天下の誤訳だ、という強い指摘がある。マルクス主義専用語にしてしまったことが間違いのもとだ、と私は思っている。communismの語幹commun(共同)に忠実に倣うならば、「共同体主義」とすべきであったのだろう。
 かといって定まった名前を変更することは無謀なこと。ここは、「共産主義」と「共同体主義」とを使い分けていくしかないのだろうな。
(付記) ここで何度も言ってきたように、セガンはサン=シモン教徒であった(青年期から終生)。サン=シモン教はマルクス主義以前に勃興し、思想(文化、芸術等)、社会(制度等)、産業(工業、商業、農業等)の変革に強い影響を与えた。我が国におけるセガン研究の世界では「未熟」で、「超克されるべき」歴史過程だ、と通説されてきている。「しかし、セガンはその限界を乗り越えようとした」と。この説は、私に言わせれば、「セガン神話」そのものである。