郷里の人で、我が亡母とも我が亡友とも交流をお持ちのT先生が、お仲間たちと行っている「資本論学習会」の指導的レポートの公開が、facebookでなされた。fbのほとんどの方にはスルーされているだろうと思うが、冗漫すぎるペーパーだ。分かりやすく例示を、「資本論」が生み出された時代についての説明の一部・・・
「その頃、日本で目立っていた人物は誰か。国定忠治(1810年~1851年、享年41)、清水次郎長(1820年2月14日~1893年=明治26年6月12日、享年73)。ヨーロッパでは、ベートーベン(1770年12月16日~1827年3月26日、享年56)、シューマン(1810年6月8日~1856年7月29日、享年46)、ショパン(1810年3月1日~1849年10月17日、享年39)、ドストエフスキー(1821年11月11日~1881年2月9日、享年59)、ロマンローラン(1866年1月29日~1944年12月30日、享年78)。ヨーロッパと日本では、まるで雰囲気が違う。日本は鎖国の時代であった。」
教養としても無茶苦茶だ。なぜ、幕末期の勤王の志士たちを入れない?なぜ、自由民権運動の担い手たちを入れない?まるで、世界は文化芸術の教養にあふれ、一方で日本はやくざの横行が歴史を構築したかのごとき記述。世界は重厚な百科全書で飾られ、我が国はなんなんだ?
「資本論」講座にふさわしいか?
マルクスの人物紹介はある。金がなかったからパトロンがいた、とか、若い頃は口うるさかったが晩年になると柔らかい人物だった、とか。大衆受けするに違いないが、資本論を学ぶための教養にはなんもならない。
ぼくは、マルクスが論争を苦手とした人物がいた、と話題を振ったら、何ら反応なさらない。知らないんだろうな。知らなくても別にいい。ただ、マルクスを相対化する目線はどうしても必要だ、人物像を綴るなら。ぼくは彼に、ピエール・ルルーを紹介した。哲学者。社会思想家。サン・シモン教徒。マルクスは彼を第一インターの代議員として推挙し、送り出している。国際労働運動曙期のことになる。
写真は第1インターの記録書。
マルクス主義者じゃないと一顧だにしない、という人によってなされる「資本論学習会」。日本のやくざは登場するが自由民権運動は登場しない。
もう、相手にしない方が、健全な精神が壊れた肉体に宿りはしない・・・。
【その後 4月28日記】また嫌われてしまったようだ。ご投書がわたしのところに届かなくなっているから、そう思う。完全ブロックでは無いので、私が読む気になれば拝読は出来る。そしてそうしている。
あるご意見に全面的には同意できません、を具体表記したのがお気に召さなかったのだろうか。「あるご意見に同意できない=言論全体や人格そのものに同意できない」などとは書いていないのだが。そんな考えはみじんも持たない。
言論と闘争で人生を歩んでこられた方だけに、ちょっと悲しいけれど、仕方が無いのかなあ。
今日のFBより。うんざり。
とりい まさる 私は100メートルも歩いたら疲れて、腰おろして休む、ようになりました❗
運動不足、です❗
食欲、睡眠、それは充分ですけど、まあ、88歳では元気です❗
お互い、健康に気をつけて、長生きしましょう‼️
耳が遠くなりました‼️
学習会では、それが気になります❗
補聴器は、していませんが‼️
川口 幸宏 とりい先生、私は、間違いなく先生より、体と精神のあらゆる部分が不健康です。難聴者ですし、身体不自由者ですし、目も片眼はほとんど機能していません。視覚障碍者として認定はされておりませんが。前にも申し上げたようにも思いますが、どうかこれからコメントやメッセージを下さる時には、「お互いに…云々」の部分は省略してください。「生きる」ということに「長い」とか「短い」とかの観念も持っていません。あるがままなすがまま、天の命じるまま、というのが私の本音です。
遊び画像
レンズに映った光の影を小鹿が追いかけています。小鹿の飾り物は学習院勤務時の教え子からいただいたもの。今、どうしておられるかなあ。