人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

雪隠から兵糧への社会不安現象

2020-02-29 22:27:45 | 日記
感染病渦⇒マスク切れ⇒生活用品の紙、切れ⇒米、食品切れ
 もう感染病に源を求めるのは無理だな。社会不安そのものがあおられてる。政治の無策が人心に投影されている証拠。暴動、一揆、革命が起こっても不思議ではないのが歴史教訓。
 が、穴蔵に潜り込んで我が身だけを助けようとする国民社会には、歴史の教訓は活きないだろうなあ。

怠け心に鞭を入れ

2020-02-29 07:29:01 | 日記
曇り  今朝も腰痛
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運動不足からくる肥満と腰痛
起き抜けに、庭で軽い運動 外階段の昇降 廊下壁を使って腰痛体操
その他、各種ボールを使ってボール遊び。久しぶり。ペダル漕ぎ10分ほか。

ずいぶん前のことになる。柏高島屋の特設画廊で、フラン人画家の作品展(展示即売会)が開かれていた。ヴェニスを描いた作品の前で足が止まった。妙に錦絵と重なって見えた。購入を決め、作品画家と握手を交わしながら、色彩がとても日本の味わいと重なります、と伝えた。通訳のご婦人が、「夫は日本訪問を意識してこの色遣いを決め、ヴェニスを描いています。夫の作品を代表するものと自負しています。」と、応じてくれた。この時から、このご夫婦とメール交換をすることになった。
画家夫妻とのメール交換は、パリに滞在生活を始めても続いた。画家夫婦はフランス中央部の田舎にお住まい。ぜひ足を延ばして遊びに来てください、というお誘いもいただくようになった。そう簡単にはいかない。せめて、ぼくのフランス滞在初心者ぶりを綴っったエッセイ(「バガボン旅日記」)をと小品が出来上がるたびにメール添付でお送りした。毎作品ごとに、丁寧でありがたい感想をいただいていた。とても良い友好関係だ。
 ところが「アパルトマン界隈事情」をお送りして、友情関係は破綻してしまった(http://eseguin.web.fc2.com/pdf/f11.pdf)
同エッセイは、フランス入りして見聞きした深刻な移民問題を、居住するアパート近在の教会を舞台にして起こった「事件」を題材にして、綴ったものであり、ぼくは移民排斥に批判的な立場をとっている。
 フランスに住む芸術家は一般人より納入税額が高い。いろいろと優遇措置がなされているらしいが、その代わりに高額納税という措置である。芸術家等自由業は、収入不安定でありながら、高額納税を義務付けられている。それゆえ、自由業者たちはかなりの不満を抱いている。このご夫婦とて例外ではない。
 その一方で、貧困層(移民はほとんどがこの層に属する)に対する社会保障は、わが日本とは比較にならないほどに、(相対的に)しっかりしている。移民に労働力を頼っていた国だが、労働力がフランス人若者に回りにくくなってきた1980年代後半から、移民排斥運動が活発になる。「故国に帰れば働くところがあるのだから」という理屈をつけた移民排斥デモに何度も出会った。それは同時に、民族純血主義のナチズムとも結びつき、過激な排斥運動が各地で起こされている。
 我が国の今日、同質ではないが、同様に、多人種多民族排斥運動がかなり過激になされている現実にさらされている。困った時は「皆兄弟」だとうそぶき、そうでないときは、お前らは無用だとかみつき、殴りにかかる。いやな人間の性根を見せつけられるこの世の中だ。


セガン 集団教育の誕生

2020-02-28 17:14:40 | 日記

【知的障害教育の開拓者セガンー懲りないですねぇ】

 終生治癒しない病や症状を持ち、扶養する身内を持たない人たちのために、フランス国(王政、帝政、共和政)は、公共の福祉・医療機関を創設している(前身はキリスト教修道院など)。
 そのうちの一つ、パリの男子不治者救済院で、エデゥアール・セガンは、1842年度「白痴の教師」という身分で働いた。
 セガンは、1842年のそこでの報告書で、知的障害を持つ子どもたちの発達にかかわる「到達」を種々述べているが、次の文言は、私をセガン実践の現代への提言として読み取らせた。 
 彼が綴った執務記録のあるページに、次の文言がある。

「生徒は彼らの進歩を互いに生み出し合っているのです。」

 つまり、セガンは個別教育による個別の成長という成果を誇っているのではなく、知的障害を持つ子どもたちがそれぞれに影響しあい、学びあっている、という実相を誕生させている(というより、セガンはそのことを明確に意識した教育をしていた、ということになる)。8歳から20歳までの10数人の子ども集団。「できる者がまだできていない者の支援・援助をするのです。」
 この時代、イギリスを中心に広がった初等教育における「相互教育法」(ベル・ランカスター法)から、セガンが大きく学んでいたことがわかる。普通教育から隔絶された「特殊な教育」の地位に、白痴教育を据えることを、セガンはしていなかった。
 参観者の手記には、生徒たちは讃美歌を合唱するにまで成長しているのです、と称賛している。その歌声はとても美しく、神々しくあったとも記されている。セガンは、白痴教育に合唱は極めて適切である、と綴っている。


腰痛に見舞われる

2020-02-28 07:11:10 | 日記

晴れ 差し込むような痛みが腰を襲う 明らかに運動不足

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まずは軽く「腰痛体操」で腰をいたわり、痛みは消えた。

外気が刺すように冷たいので、外歩きは中止。室内であれこれ運動。念入りにやったつもりだがわずか30分。ちょっと考えなければならないなあ。
廊下歩き。正常歩行姿勢を意識して。しかし、気が付くと目は下を向き、腰をかがめ、脚膝が曲がったいつものオラウータン我が家系姿態。やっぱりみっともないし、意識して矯正しないといけないな。
階段を使って、踏み台応用。
廊下・壁を使ってストレッチ。相撲の腰割は得意芸のはずだが、今日は腰が十分に下りない。固いなあ。
左脚クルブシは今日も硬い。歩行姿勢に如実に表れる。で,クルブシ体操。
「空飛ぶ円盤」でしばしクルブシ柔軟化作戦。爪先深く円盤を踏み、踵で逆に踏み込む。長くはやりません。
ほんの少し、サッカーボール遊びをしました。やはり廊下ゆえ、欲求不満。あの広大な広場が懐かしい。今じゃ、新築住宅がひしめいています。

昼食後は、寒さに震えて、机に張り付くときの過ごし方。暖房は電気毛布の巻き付け。




自宅で身体休め

2020-02-27 07:44:18 | 日記
快晴 左脚の痛みが強い 運動はお休み
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足首の柔軟化だけは続けないとと、「空飛ぶ円盤」に乗って…。時間は3分ほど。
お茶を飲もうと自室でゆったりしていたところへ、在宅していた夢が「デイからお迎え!」ときつめの声掛け(に、いつも思ってしまう)。心臓が悪反応を起こし、お茶を自室内にかなりこぼしてしまった。それはともかく、木曜日のデイはやめると通告してあるし、確認もしてもらっているはずだから、この「出迎え」はかなりショック。少し怒り声でスタッフさんにその旨を伝えたのは申し訳なく思うけれど。3月から、ということになっていたのだろうか?日記を確かめてみると、2月24日記述で、「今日から月曜日のみ(の通所)となる」とあるから、ぼくの間違いではないはずだ。
 お昼は「引っ張りうどん」オリジナル。
納豆、生卵、昆布、糸昆布、にんにく、赤唐辛子で、つけ汁作成。アツアツのゆでうどんをつけ汁椀に、さっと、啜ります。つけ汁の味付けは糸昆布からにじみ出るので、塩一切入れません。
 伝染肺炎騒ぎで、多くの学校が「自粛」休校。ところが、TDLネズミーランドは大賑わい。とても不可思議な社会現象。こうした現象の背後には、「自分には伝染しない」という過信に近いものがあるのだろうなあ。人の密集しているところほど伝染病は好むのだけれど。




診察

2020-02-26 06:03:45 | 日記

曇り

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ノートパソが生き返った。
 午前8時前に自宅を出た。8時半前から検査開始。診察の前に心電図、レントゲン。9時脳神経外科受診。そのあと船橋に出て、早めのランチとお茶。帰宅は15時。歩行数は約4700歩。遠出の割に歩行数が少ないのは、ほとんどが乗り物の行程だから。
 今日の定期診察で、主治医から、心臓と肺に異常?が見られる、と心電図グラフとレントゲン撮影の写真を前にして、おっしゃられた。
 心臓は前々から変と言われているし、肺は10年余前に「両肺気腫」と告げられている。
 いずれも、治療が必要、とも言われず、治療にかかりますか、とも尋ねられず、投薬の告知もされないので、ぼくは何をどうすべきかの判断をしていない。そのうちにベッドに縛り付けられるのかな?
 それにしても、ガタガタの体なんだなあ、と痛感した。そりゃそうだ、血統身内で、ぼくのこの年(今年77歳)まで生き延びた(生き延びている)のは、我が母と父方いとこ(男)だけだものなあ。
 もう寿命が近づいてもおかしくはないんだよ、俺。
 明るく予後を過ごしたい。





散歩リハビリ

2020-02-25 07:10:30 | 日記

晴れ 気持ちよくはれ上がった朝

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9時30分~11時30分 3774歩
郵便局~新柏東武ストアー~帰宅 スーパーであれもこれもと衝動買いしそうだったのを最終的にはかなり買い物を抑えることができた。一歩前進。

「日本セガン研究会を発足させましょう。いずれの日にか日本セガン学会を発足させましょう、そのための準備です。」
 こうのたまわれたその翌日に、「ぼくはセガン研究どころではない。」とおっしゃった。「あなたもそのつもりでいてください」という言葉が付け加えられたが、それは、ご自身の別なる研究に「あなた」(ぼくのこと)は身も心も金もつぎ込みなさい、という実質を伴うご下命なのだった。
 それ以降、ぼくのかかわる「セガン研究」なるものは、組織も何もない、ぼくひとりの、他人様から見れば、マスターベーションのような行為となったわけだ。
 過去に「もし」はないのだけれど、もし、例えば、かつて東京学芸大学の関係者(松矢勝宏氏など)によって組織されていた「セガン学習会」の具体(人的関係も含めて)を知り、何らかのアクセスをしていれば、ぼくの研究者人生も変わっていたろうなあ、とつくづく思う。
 2月下旬になると、セガン研究や近藤益雄研究に呪縛されていた日々の弊害となって表れた、パリのジャンゼリーゼ大通りで吐下血したあの苦しみのことを、思い起こす。

 だから、我が国における組織的なセガン研究は、私の知る限り、1960~70年代の、東京学芸大学に組織されていた「セガン勉強会(だったか?)」のみだ。どのような規模でどのような人が組織されていたのかは、知らない。「セガン」で修士論文をおまとめになり、大学紀要等に研究論文を発表され、セガンの生地や活躍したパリに足を運ばれて地道な、そしてまっとうな研究を進められていた松矢勝宏氏が中心的な存在だったのだろうと推測している。
 松矢氏にお目にかかったことは一度もない。「セガンどころではない」先生にすっかり取り込まれて、右往左往していただけだから。このことが悔やまれてならない今。



通所リハビリ

2020-02-24 06:23:01 | 日記

晴れ 燃えるゴミ出し 左脚具合悪し

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 午前中、デイ。今日から月曜日のみの通所となる。コーヒー淹れをと思ったが、苦手なご婦人が予期に反して通所されていたので、コーヒー淹れは取りやめ。来週からもこの状況が変わらないとするならば、ぼくの方からなじんでいかなきゃならないだろう。来週には淹れます。
 訓練は滑車を除いて、おおむね取り組んだ。あまり意気追い付かず、訓練の仕方を周到する目的。機器類の訓練特徴をつかんで、自宅で応用の心がけ。ただ、整体師の伊藤さんに、「自宅での訓練は長めの散歩を基本にしようと思っています。」と申し上げたら、それがいいでしょう、と。距離や歩数の問題ではなく、1時間ほどの外歩きでいいです、とのこと。安心した。世の中、歩数がどうのこうの、距離がどうのこうの、という情報発信ばかりなので。
 午後はのんびり、パソで過ごす。明日こそ確定申告の作業。








天気良し 外歩き

2020-02-23 07:27:41 | 日記
快晴 腰が痛い
137 73 62   71kお菓子の食べ過ぎ
困った。ノートパソが起動しない。電源スイッチが有効でない様子。いろいろと必要な時期になっている。DPパソが稼働し続けてくれますように。ネット回線につながりにくいのが曲者。
8時45分~9時45分 わずか2433歩 足が随分弱くなっていることを、散歩中痛感。怠けないで散歩しましょう。 
 散歩道は、間違いなく、春を呼んでいる。





現在の私は要介護1。制度指標の要介護1とは、
「日常生活はおおむね自立しているが、排泄や入浴などに一部介助が必要。立ち上がりや歩行がやや不安定で支えが必要な状態」
 
 先日の介護認定のための調査と重ね合わせて考えた。

 「排泄」「入浴」について事細かに尋ねられた。みんな一人でやっています、と事実で応えるしか無い。
 風呂に入るのは家人のいないとき(仕事を持つ多忙な家人に遠慮する必要が無いから)、と言ったら、血相を変えんばかりに、危険ですからそれはやめて下さい、と。確かに、風呂でおぼれる人の事故は相次いでおりますね、と応えておいた。
 「立ち上がり」に関しては、椅子に座った状態から立ち上がるのは何の支えもなしに、またテーブルに手をつかずにできるが、畳に座った状態から立ち上がるのは、捕まり立ちとなる、「歩行」に関しては、屋内ではまったく安定している。壁や介護バーを頼りにすることは無い、ただし階段を使うときには手すり使用となる、屋外歩行は、道路状況などによって不安定になるので、杖を利用、と応えた。

 さて、どのような認定になるか?要介護1は外れるだろうなあ。 



終日在宅でリハビリ

2020-02-22 07:49:22 | 日記
晴れ  
131 73 55  70.3k  歩数324 夜、腰痛が襲い来る。
爪切り作業 足の爪をうまく捉えられない。見えるけど見えないと言うこと。
朝食後入浴。頭がかゆくてたまらなかったゆえ。この所ザブンで上がり湯だったものナ。その後リハビリ運動。ペダル漕ぎ20分、バランスボード。
この所、左膝が外に開き気味。修正を意識した諸運動。何でだろうね、せっかく正常な姿を保っていたのに。
午後、山田隆幸氏から送付いただいた玉稿「研究ノート 私の関わり合った子たちから見る愛知における障害児教育のあゆみ」を拝読。自分史と教育史とのドッキングの論文。同年齢の山田氏の教育体験は、生育史を含めて、全く異なる世界。ぼくが常に劣等感を持ってみていた「向こう側」の世界。しかし、読後感はさわやか。