旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

日誌 048 ブリッジ・トール Bridge Toll

2013年03月28日 19時53分01秒 | 日誌


3月も後半、若葉の春酣(たけなわ)のレイトンビル、しかしここ北カリフォルニアの今年は歴史的に雨の少ない年になりそうだ。 シェラネヴァダの雪も少なく、早くも水不足が懸念されている。



4月の初旬から一ヶ月間の日本滞在が始まる。 レイトンビルのアトリエからサンフランシスコの国際空港に行くには、金門橋を渡らなければならない。 そんな事が頭にあったのか、ニュースをネットで見ていて、サンフランシスコの金門橋(Golden Gate Bridge)で橋渡し料金の徴収が電子化される記事が目に止まった。 



マリン・インディペンデント・ジャーナル(Marin Independent Journal)のメーガン・ハンセン(Megan Hansen)さんの記事によると、ゴールデン・ゲート・ブリッジ、ハイウェイとトランスポーテーション・ディストリクト(The Golden Gate Bridge, Highway and Transportation District)が、$3.2百万ドルかけて新しく設置した全電動集金システム(All-electronic collection system)が、この3月27日水曜日から使われる事になりトール・ブース(toll booth)から人がいなくなる、そして止まる必要もなくなるそうだ。


Photo by Alan Dep

ブリッジ・ディストリクト社長のジム・エディー(Jim Eddie)さんとブライアン・サベル(Brian Sobel)さんは、1937年製(昭和12)のパッカード(Packard)に乗ってマリリン・アルヴァラド(Marilyn Alvarado)さんのトール・ブースを通って最後の料金を手渡しました。 エディーさんによれば、
1937年に橋がオープンした時に最初に通ったのが、1937年製のパッカードだったそうです。



トール・テーカー(toll-taker)の年間給与は$5万ドル前後が平均らしい、橋の運営機関もむこう5年間で7百万ドル近い赤字が予想されているので人件費の削減を余儀なくされたのだろう。 金門橋のトールは、北からサンフランシスコに入るときに$6ドル取られていたが、新しい通行料支払い方法は、FasTrak口座、ナンバープレート口座の開設 、都度払い、通行料請求書の4種類で電話かネットでクレジットカード払いになる。



今週は少し雨が降ったけれどたいした量ではなく曇りの日が多かった、週末は一応雨の予報が出ている、もう少し降って欲しい処だ。



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翻訳 040 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月24日 03時34分59秒 | 翻訳

Delmonico Building by Charles Sheeler

Biographical Note

Born in Japan in 1893, Came to this country in 1906. Studied in Los Angeles and New York.
Resides in New York City, where he serves as instructor at the Art Students' League and a t the New School for Social Research.

Publications: Monographs by William Pisher, 1922; Ernest Brace, 1932; Karl Zigrosser, 1940; feature article in "Modern American Painters," by Kootz; Art News, 1933 and 1942; Esquire, 1937; the New Yorker, March 28, 1942; etc. Autobiographical article in the Magazine of Art, March, 1940.

Awards; Honorable Mention at Carnegie International, 1931; 2nd Prize at Los Angels Museum, 1934; Temple Gold Medal at Pennsylvania Academy, 1934; Guggenheim Fellowship, 1939; 2nd Prize at Carnegie International, 1939; 1st Prize in American Section at the Golden Gate Exposition, 1939; Virginia Museum Purchase Prize, 1944; Pennsylvania Academy Prize, 1944; First Prize at Carnegie Institute, 1944; Harris Prize, Art Institute of Chicago, 1945.

Museum Representations; Museum of Modern Art; the Baltimore, Brooklyn, Columbus, Hyde, Newark, Portland, Santa Barbara, Virginia, and Whitney Museums; Addison, Albright, and the Phillips Memorial Galleries; Art Institute of Chicago: Carnegie Institute; Cranbrook Art Academy: Detroit Institute; Encyclopedia Britannica; Field Foundation: Universities of Arizona and Nebraska.



Union Square by Yasuo Kuniyoshi

この本のラーストページには、クニヨシの略歴が書かれています。 その中で彼の生年月日が、間違って印刷されています。 ロイド・グッドリッチが書いたクニヨシの回顧展カタログも同じ様に間違っていました。 

この本が間違いの元かもしれません、多分最初の処でクニヨシが、13歳の時にアメリカかミリタリー・スクールのどちらかに行くことを決めたと書いた部分を、13歳の時に渡米したと早とちりしたのでしょう。

以上でクニヨシの自伝の翻訳は一段落しました。 出来ればこれを叩き台にして、もう少しマシな日本語で書き直せば完結になると思うけれど、多分やらないだろう。 葉悦さん、お疲れ様でした。



アトリエ葉神・デスクトップ額縁コレクション(Atelier Hagami Desk Top Picture Frame Collection)
スプリング・2013, #0072013s

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翻訳 039 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月23日 13時52分39秒 | 翻訳

Schoolgirls by Isabel Bishop

However, since this article was written we were forced into war and engaged in the greatest conflict of all times. We fought the Axis and our Allied might proved victorious. In spite of our great victory, our enemies' destructive ideology has not been conquered and as long as its evils persist we must be on guard. Today, those of us who paint and who have prospered through the encouragement and recognition accorded us by museums, schools, organizations, and individuals, have a two-fold responsibility. First, we must by prepared to defend our own freedom as artists. Second, and most important of all, in spite of the grave threats looming all over the world, we must hold firmly with all those who believe in and encourage freedom of expression and democratic principles, so that - for them and with them - we may continue to create a great American art.
Reprinted from Magazine of Art., March. 1940



Fun House Mirror by Yasuo Kuniyoshi


しかしながら、この記事が書かれてから我々は戦争を強要され、今までになかった最大の紛争にまき込まれました。 我々は枢軸国と戦って、連合国が勝利を得ることが判明するかもしれません。 連合国の勝利にもかかわらず、敵国の破壊的イデオロギーは克服されていません、そしてその邪悪が残在するかぎり警戒しなければなりません。 今日、美術館、学校、組織それに個人によって奨励と承認を得て成功したアーティストは、二重の責務があります。 最初に、私達はアーティストとして、前もって準備することで、自由を守らなくてはなりません。 次に最も重要なことは、世界中を覆う重々しい脅威に包まれる中、表現の自由と民主主義の原則を信じて奨励している人全てと一緒に断固それを支えることで、一緒に人々のために、我々は偉大なアメリカン・アートを創り続けられるでしょうから。

1940年(昭和15)三月、マガジン・オブ・アートから再録。



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スプリング・2013, #0062013s
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翻訳 038 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月20日 23時27分25秒 | 翻訳

Shriners' Quartet by Grant Wood


In reviewing the last few years there has been a tremendous awakening of American art. Witness the opening of new galleries and museums all over the country. Art books are now counted among the best sellers. Each year millions of people spend many hours at exhibitions of contemporary American art. Artists are receiving tremendous encouragement from all sources.



John's Daughters by Yasuo Kuniyoshi


ここ数年をふり返って見るとアメリカン・アートへの凄まじい目覚めがあったようです。 
新しいギャラリーや美術館が国のいたる所に開設されているのが証明しています。 美術の本は、今ではベストセラーの一部にみなされています。 毎年数百万の人が、現代アメリカ美術の展覧会で多くの時間を費やしています。 芸術家も色々な方面から盛大な応援を受けています。



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スプリング・2013, #0052013s
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翻訳 037 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月19日 11時39分48秒 | 翻訳

Fishermen Three by John E. Costigan

In 1935 I was married for the second time. The Guggenheim Fellowship awarded me in that year enabled us to go to Mexico where I painted and sketched for several months. I continue to spend my summers in Woodstock while in the winter I teach at the Art Students' League and the New School for Social Research in New York.


Sara and Inez by Yasuo Kuniyoshi


1935年(昭和10)に二度目の結婚をしました。 グッゲンハイム・フェローシップ(研究奨学金給付財団)が、その年に私に賞をくれ、メキシコで数ヶ月間、スケッチや絵を描くことが出来ました。 私は、続けてウッドストックで夏をすごし、冬の間はニューヨークにあるアート・ステューデント・リーグとニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチで教えました。



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スプリング・2013, #0042013s
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翻訳 036 ヤスオ・クニヨシ  Yasuo Kuniyoshi

2013年03月18日 11時01分59秒 | 翻訳

Sunday Morning by Thomas Benton


I sailed back in February 1932 firmly convinced that my adopted home was my home. I left deeply gratified that I had seen father for I knew how much it meant to him to see me grown and making a way for myself.

Perhaps with his last wish granted he felt there was nothing more to live for. Just a few days out, before reaching Hawaii, I received a radio message telling me of his death. A year later mother also died. The deepest ties with my native land had been broken.

Once again I touched the shores of my childhood dreams, this time greeted by friends and delighted to be back in a land that no longer seemed strange.



Negro Couples by Yasuo Kuniyoshi


1932年(昭和7)二月に、私の住み慣れた処が自分の家だと硬く確信して、船で帰途に就きました。 私が成長し自分でやっているのを見ることは、父にとっておおいに意味のあることであると知っていました、そう言った父親を見ることで私は深く喜んで去りました。

多分、最後の願いがかなってか、父親はもう生きていくものが無くなったと感じたのでしょう。 出航して数日後、ハワイに着く前に、私は父の死を知らせるメッセージを無線で受け取りました。 一年後に母も亡くなりました。 私の祖国との最も深い絆が、壊れてしまったのでした。

そしてもう一度、私の少年期の憧れの地の岸に着き、この時は友達に迎えられ、もう異質感のしない処に帰って来た事を喜びました。



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スプリング・2013, #0032013s
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翻訳 035 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月16日 17時39分52秒 | 翻訳

Pity the Blind by Peggy Bacon

I left my wife in Woodstock in October of the same year and arrived in Tokyo in November. My homecoming was a big event. The newspapers gave me a grand ovation making me feel like a prodigal son.

Many events were crowded into that short period. Father and I rejoiced at seeing one another and he was proud of my exhibition, which was very well received, although it was thought to be too European. As a matter of fact I had a hard time convincing my compatriots that there was such a thing as American art.

I enjoyed coming back to Japan but found it difficult to adjust myself after being away for so long. I felt strange and unnatural. I no longer belonged.



Andrée Ruellan and Elsie Speicher by Yasuo Kuniyoshi


同じ年の十月に私のワイフをウッドストックに残し、十一月に東京に着きました。 私の帰国は、大きなイベントでした。 新聞は壮大な歓迎をしてくれ、まるで放蕩息子のように感じました。

短い期間に多くのイベントが押し込められていました。 父と私はお互いに会えたことを喜び、欧州風過ぎると言われましたが、彼は大変好評だった私の展覧会を誇りに思ってくれました。 実を言うとアメリカン・アートが、あると言うことを祖国の人々に納得させるのに大変な思いをしました。

私は日本に帰ってきた事を楽しみました、しかし長い間遠くにいたおかげで、適合するのは難しかったのです。 私は、不自然で場違いに感じていました。 私には、もう居場所がなかったのです。



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スプリング・2013, #0022013s
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翻訳 034 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月15日 12時08分08秒 | 翻訳

Casting for Character by Don Freeman

All during my stay in this country father and I exchanged letters frequently, in all of which he pleaded for my return. My answer had always been that I was not quite ready. Inside of me was the hope that some day I might reach the point where father could be truly proud of me. When that time came I would want to go back to visit him.

In the summer of 1931 I received a hurried call from Japan. Father had grown old and was ailing and he wanted to see me. With the financial aid of friends I decided to make the trip before it was too late. Opportunely the Japanese newspaper Osaka MaiNichi enriched my trip by sponsoring a one-man exhibition of my work in Tokyo and Osaka.


East Kingston by Yasuo Kuniyoshi (1938)

私がこの国にいる間、父と私はしょっちゅう手紙をやりとりしていました、その全てに父親は私に帰って来るよう懇願していました。 私の答はいつもまだ準備が出来てないでした。 私の内側の何処かに、いつかは父が私のことを本当に誇らしく思ってくれる、その日が来ることを期待していました。 その時が来ると、父を訪ねに帰りたくなるでしょう。

1931年(昭和6)の夏、日本から急ぎの電話を受け取りました。 父親が年をとり病弱で、私に会いたがっていると。 友達の金銭的援助もあり、私は間に合わなくなる前に旅立とうと決めました。
折良く日本の新聞社、大阪毎日が、東京と大阪での個展を支援してくれ、私の旅をより充実したものにしてくれました。


アトリエ葉神・デスクトップ額縁コレクション(スプリング・2013)#0012013s
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日誌 047 フクロウ 梟 Owl

2013年03月13日 12時12分13秒 | 日誌


荒れる春場所、早くも全勝は横綱白鵬のみ、初の東の横綱日馬富士はまさかの二連敗、これから中盤戦、益々面白くなりそうだ。



ここ数日暖かい春の日が続いている。 アトリエの前でノンビリしていると、空にはヴァウチャー(Turkey Vulcher)が数十匹集まりグルグルと一点を中心に円形で旋回し始めた。 時々見かける行動パターンだけれど、何をしているのか知らない。 ひょっとして飛行ナビゲーションの練習をしながら、井戸端会議でもしているのかもしれない。



さっきから納屋の方で、スクラブ・ジェイ(Scrub Jay)がギャーギャーとうるさく騒いでいる。 以前巣を作っていた辺りで、様子を見に近づくと一匹の鳥が音もなく動いたのが見えた、一瞬だったが翼の色からホーク(Hawk)かなと思った。 納屋の奥にとまったので、よく見るとフクロウであった。 



アトリエまでビデオカメラを取りに行ったが、その間も二匹のジェイが縄張りを守ろうとしているのか、巣にヒナがいるのか相変わらずうるさくしている。



調べてみると、ロングイヤード・オウル(Long-eared Owl)だった。 納屋にいるネズミを狙ったのかもしれないが、本にはノクターナル(nocturnal)と書いてあった。 ブルージェイのヒナを狙ったのではなく、単に睡眠中を起こされたのかもしれない。 それ程大きくなかったので、まだ子供か若いフクロウだろう。



昔の個展に使った古い看板, 特に置き場所もなかったので、長い間、納屋の桟に掛けたままだった。  暫くして様子を見に行くと、フクロウが丁度その看板の上あたりにとまっていた。 



暫くフクロウは、スクラブ・ジェイの挑発に耐えていたが、そのうち近くの木に飛んでいった。 今度はそっちの方で騒がしくなってきた。

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音の物 002 ホテル・カリフォルニア 加州旅館 Hotel California

2013年03月09日 12時01分24秒 | 音の物


クニヨシの自伝を翻訳していてオーティス・レディングのヒットソングを思い出して以来、ギターの練習を熱心にやり始めた。 そして今はまっている曲が、イーグルスのホテル・カリフォルニア。

昭和52年(1977)元々この曲は、ダン・フェルダー(Don Felder)が、デモ・テープの中で器楽用に作曲した曲だそうで、後になってダン・ヘンレイ(Don Henley)とグレン・フレイ(Glenn Frey)の二人で歌詞を付けたそうだ。 どう言う訳か、この曲が流行っていた頃にはそれ程興味がなかったのだが、サンフランシスコに住んでいた頃で、当時よく巷に流れていたのを覚えている。 

今まで聞き流していたので気がつかなかったのだが、改めてよく聞いてみると、この曲はまるでシュールレアリストの歌のようだ。 多彩な象徴的意味あいの言葉で、聞く人それぞれイマジネーションを放出させ、不思議な幻想的イメージを感じてしまう。 そこで、試しに翻訳してみた。

ホテル・カリフォルニア:

作曲: ダン・フェルダー
作詞: ダン・ヘンレイ、グレン・フレイ

薄暗い砂漠のハイウェーで、涼しい風が髪に
コリタスの生暖かい匂いが、あたりに漂って
前方遠くに、揺らめく明かりが見えた
頭が重くなり、目が霞んできた
一泊しなければとクルマを止めた

入り口に女が立っていて、ミッション・ベルが鳴った
自身で、自問しながら、
”ひょっとすると天国かも、それとも地獄かも”
女はキャンドルに火をつけ、案内してくれた
回廊の向こうで声が聞こえ、
こう言っているようだった

いらっしゃいませ、ホテル・カリフォルニアに、ようこそ
とても素敵な処ですよ
なんて愛らしい顔でしょう
ホテル・カリフォルニアでは、お部屋は充分あります
年中いつでも、
泊まることが出来ます

女の心はティファニーのくねりのようで、
彼女の体はメルセデスの曲線のよう
友達と呼んで、美少年達をはびらせ
中庭で踊る様子は、甘い夏の汗
思い出のために踊り、踊って忘れようとする

キャップテンを呼んだ、
”ワインをお願いします”
彼は答えた、”1969年以来ここに
そのスピリットはありません”
遠くであの声がまだしていた
夜中だというのに起こされて
その声を聞くだけ、

いらっしゃいませ、ホテル・カリフォルニアに、ようこそ
とても素敵な処ですよ
なんて愛らしい顔でしょう
ホテル・カリフォルニアで過ごして下さい
なんという嬉しい驚きでしょう、
必要なのは貴方のアリバイです

天井には鏡が、
氷の入ったスパークリング・ワイン、
女は語る”ココではみんなダダの囚人、
自分たちでやった企みよ”
そして主人の部屋で宴会、
容赦なくナイフで刺し、
しかしどうしてもその獣を殺せない

最後に覚えているのは、ドアーに向かって走ったこと
帰り方を探さないと、元いた所に戻るために
”落ち着いて下さい!”と夜警の声がした
”私達は、受け入れるようにプログラムされています
チェック・アウトは、いつでもできます、
ただ、二度とココを去ることは出来ません”



Hotel California

Created by Don Felder, Don Henley, Glenn Frey

On a dark desert highway, cool wind in my hair
Warm smell of colitas, rising up through the air
Up ahead in the distance, I saw a shimmering light
My head grew heavy and my sight grew dim
I had to stop for the night

There she stood in the doorway;
I heard the mission bell
And I was thinking to myself,
"This could be Heaven or this could be Hell"
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor,
I thought I heard them say...

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (Such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (Any time of year)
You can find it here

Her mind is Tiffany-twisted, she got the Mercedes bends
She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends
How they dance in the courtyard, sweet summer sweat.
Some dance to remember, some dance to forget

So I called up the Captain,
"Please bring me my wine"
He said, "We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine"
And still those voices are calling from far away,
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say...

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (Such a lovely place)
Such a lovely face
They livin' it up at the Hotel California
What a nice surprise (what a nice surprise)
Bring your alibis

Mirrors on the ceiling,
The pink champagne on ice
And she said "We are all just prisoners here, of our own device"
And in the master's chambers,
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives,
But they just can't kill the beast

Last thing I remember, I was
Running for the door
I had to find the passage back
To the place I was before
"Relax, " said the night man,
"We are programmed to receive.
You can check-out any time you like,
But you can never leave! "



アクゥースティック・ギターで練習しているので、指が届かないけれど、ニューキッド・イン・タウンのジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)とのソロも二台のギターならではで、なんとも聞かせてくれます。 とにかくイーグルスの曲は、気持ちの良いメロディーと音色にうっとりとしてしまう。 

コードの進行は思ったより簡単で、初心者でも弾けそうだ:
Bm - F# - A - E
G - D - Em - F#

コーラス:
G - D - F# - Bm
G - D - Em - F#


イーグルス、ホテル・カリフォルニアのアクゥースティック・ヴァージョン:
http://www.youtube.com/watch?v=kYf4kqnAWos
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翻訳 033 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月06日 10時52分51秒 | 翻訳

Tightrope Performer by Yasuo Kuniyoshi

I like to start as many canvases as I can during the summer. I carry them to a certain point so that when I start working on them again, usually back in New York in the winter, it means about six months have elapsed since I originally started the canvas. Therefore I sometimes have about a dozen canvases going at the same time. I never paint over, even a small area, if there are changes to be made. Instead I always scrape down to the canvas and rebuild again.

There are numerous problems that beset the artist in his work. Consciously or unconsciously each artist tries to solve them. Lately I have come to the stage where I actually take a problem and try to solve it. For instance I was interested in painting a dark object within the dark. In order to carry this out successfully it may take me several years. Once accomplished to my satisfaction, however, it becomes in integral part of me, enabling me to go on to another problem.

* * *



私は、夏の間に出来るだけ多くのキャンヴァスに描き始めます。 次に制作を続けるときのためにある程度の処まで描き込んでおきます、普通は冬のニューヨークですが、初めにキャンヴァスに向かってから約六ヶ月が過ぎた事になります。 そんな訳で時には同時に12枚程の作品を制作することもあります。 私は、もし変更したいことがあると、どんな小さなエリアでも決して上塗りをしません。 その代わりいつもキャンヴァス生地まで(塗った絵の具を)そぎ取って又描き直します。

アーティストには、多くの問題が待ち受けています。 意識的にあるいは無意識的にそれぞれのアーティストは、その問題を解決しなければなりません。 最近になって私は、実際に問題を取り出して解決を試みる時期になっていました。 その一例として私は、暗闇の中の暗い物を描くことに興味がありました。 こういった課題を成功裏に導くためには、数年かかることもあります。 一度これを私の満足行くように成し遂げると、そうすることによって、私の重要な部分の一部になります、(それにより)次の問題に取りかかることが出来る様になります。



訳語感:
クニヨシが一例としてあげた「暗い中の黒い物質」の問題が、いかに彼の納得いくように解決されたかを示す格好の作品が、今日のトップの画像(タイトロープ・パーフォーマー)ではないかと思います。 限られた明るさと光のテントの中で、アングルと構図もさることながら、黒いタイツに黒髪とポールや顔、腕の影の表現は、正に満足のいく出来栄えだと思います。

何とかココまでこぎ着けて中盤の終了、残りは後半の10パラグラフです。
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翻訳 032 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月04日 10時07分29秒 | 翻訳

The Catboat by Edward Hopper

I spend a long time drawing from the object although I never made a composition in smaller scale no matter how large a canvas I am working on. I start drawing right on the canvas, working very carefully at the beginning for the painting, and developing the drawing until it fully suggests the subject. This enables me to carry on with the painting without the object in front of me.

As time goes on colors take on a new significance. I don't use as many colors as I used to, but try more precisely to paint, in relation to color, so as to produce more color without using many colors. For luminosity I build a darker color on top of a lighter color. I believe in glazing to achieve depth and transparency of color.



私は、どんな大きなキャンヴァスに制作をしていても、縮小した構図を一度も作らないで、オブジェクトから(キャンヴァス)への素描に長い時間をかけました。 私はキャンヴァスの上に直に描き始めます、制作で始めの段階は大変慎重に仕事をします、そしてそれが十分にサブジェクトを伺わせられるようになるまで、素描を描き込んでいきます。 こうする事で、オブジェクトが目の前になくても制作を続けることが出来ます。

(制作を初めて)時間が経過していくにつれて色彩の新しい重要性が出てきます。 私は以前の様に多くの色を使いません、色彩との関係で、多数の色を使わないで色調をあげるように、もっと正確に絵を描くようにしています。 発色に関して私は、明るい色の上に暗い色を造り上げます。 色彩の深みと透明性を得るには、私は艶出しにあると信じています。



訳語感:
色に関してクニヨシは、精密正確に描くことによって「使う色の数を増やさないで、見える色(感じる)色の数を増やす」と言う禅問答のような面白い説明をしています。 

油彩(Oil)、カセイン(Casein)、ガウチェ(Gouache)を使うクニヨシの言う「グレージング」の意味はよく分かりませんが、色は相対的な感覚や感情的な感覚があるので、色の深みや透明性は、全ての視覚芸術家の気になる処です。 私は、CDの反射で見られる虹に代表される構造色(Structural Color)にも興味があります。
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翻訳 031 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi

2013年03月01日 12時05分54秒 | 翻訳

The Side Street by Albert Heckman

A word I often use is "felt," the meaning of which I try to get across in my painting. To me it means the realization of facts. For instance when painting a floor I want that floor to be a floor. Whatever object I am painting I try to realize its relation point by point; the relation of myself to the object, and in the same way, point by point, the relation of the object to the background so as to make this object exist in space.

Comments upon the object or the facts of the object are not sufficient elements for a full expression. Each artist has to face the forces of nature and mould them together with his experience in order to create drama. Drama takes on different expressions according to the time and place.



私がよく使う言葉は「フェルト」(feelの過去・過去分詞形)で、私が、絵で伝えようとしている事の意味あいです。 私にとって事実の(キャンバス上での)現実化を意味します。 例えば床を描いているとき私はその床が、床として存在させたいのです。 どんなオブジェクトを描いていても逐一、私とそのオブジェクトとの関係、同じ様に、オブジェクトと背景の関係、このオブジェクトが目の前の空間に存在感を現実にするよう取り組みます。

オブジェクトへのコメントとかオブジェクトの事実などは、完全な表現の為の要素として充分ではありません。 それぞれの芸術家は、自然の力と向き合わなければなりません、そしてドラマを創作するためにアーティストの経験によってそれらを集めて鋳造するのです。 ドラマはそのときの時間と空間によって種々の形の表現をとります。 



訳語感:
キャンバスと言う二次元の世界に三次元の物体を描いているので、そこに存在感を持たせるための努力をしないと、つまり全ての表現で存在を感じさせないとドラマにならないと言うことでしょうか。
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