旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの「赤いキャベツとタマネギ」

2023年04月26日 18時58分35秒 | 芸術鑑賞

Vincent van Gogh, “Red Cabbages and Garlic” (1887), oil on canvas, 19 3/4 inches x 25 1/3 inches (image courtesy Van Gogh Museum, Amsterdam; Vincent van Gogh Foundation)

オランダのユトレヒトにある、フランス料理や創作料理のレストラン、そこのオーナー兼シェフのエルンスト・デ・ウイッテさん。 昨年アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館を訪れた時に、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの1887年の油彩「赤いキャベツとタマネギ」の作品の表記にあるタマネギが実はニンニクであることに気が付きました。 やはり原画を実際に鑑賞する力はすごいですね。



彼は美術館にそのことを伝えました。 美術館は真剣に受け止めてくれたそうで、彼のニンニク説の詳しい説明を求められました。 ウイッテさんと妻は、問題の絵画とゴッホの1889年初期の「タマネギの周りの静物画」を比較し、両方の野菜の分析して形や種類で異なるタマネギとニンニクのビデオまで作ったそうです。



美術館は研究チームを立ち上げ、数カ月後にデ・ウイットさんが正しいと判断しました。 その後独立した研究者も交え検証した結果、壁のラベルのテキストとオンライン・コレクションの記録の両方を改正したのでした。 現在は「赤キャベツとニンニク」と呼ばれています。



デ・ウイッテさんのユトレヒトにあるレストランは、Feuという名前で内装も素敵で落ち着いた雰囲気が漂っている感じです。 彼は、今回の経験に触発されて赤キャベツとニンニクの料理を開発し、5月まで期間限定で提供されるとのこと。
オンラインで「#vanGogh」と入力すると無料で試食することができるそうです。
近ければ行ってみたいレストランのようです。


Ernst de Witte’s van Gogh-inspired dish before and after it was devoured (images courtesy Ernst de Witte)

Rhea Nayyar、 April 21, 2023 の記事を要約して紹介しました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイさん

2023年04月25日 06時42分16秒 | 画家のツブヤキ


Online Pix Poem Show, おっぷすOPPS first version came up from old scanned poem or poem like something written in Japanese. Date of the written time is unknown, at least 10 years or more so ago I guess.



オップスと外科医が手術中にいったら心配したほうがいい、なんて英語のジョークがありますが、チョット考えれば手術中は麻酔が効いてるので医師の会話なの聞こえるはずがないのですが。 くだらないジョークは別にして、“オップス”とは日本語で“オット”と言う感じでしょうか、オップスのジョークと同じくらいどうでもいい事ですが。



ルイさんは、我が家の南側の境界線の一部が彼の家の北側と接するので、隣同士なのだが、30数年前にここに引こっしてきてから長い間、近所づきあいは無かった。 その当時彼は、レイトンビルと太平洋の間に位置するミル(製材所)で現場主任の仕事をしていた。



何故近所づきあいが無かったかと言うと、単にドライブウェイが離れていてお互いに顔を合わす機会が全くなかっただけで、別の深い理由はなかった。 彼の二人の息子は、ハイスクールでバスケをやっていたので生活範囲や活動時間帯が、夜遅くまで制作していた我が家とは全く違っていたのも理由の一つだろう。



レイトンビルに移ってから25年以上たった頃に数年間日本茶の輸入販売をオンラインでやったことがある。 ルイさんが、その時日本茶を買いたいと連絡してきたのが始まりであった。 話してみるとなんと彼はなかなかの日本通であった。



お互いに相撲好きと分かると、当時我が家には衛星放送の受信機は無かったので、毎日テレビの大相撲放送を録画して持って来てくれた。 ルイさんは、海軍に入った時沖縄に行ってたとのことで、夏川リミやネネなどの沖縄民謡を紹介してくれた。



ルイさんは、若い頃レッドの大きなアフロヘアーで強烈な個性の人だったらしいが、アメリカ人にしては珍しく謙遜する人であった。ある一時期、毎日のように家にと言うかアトリエに遊びに来ていた時があった。 そもそもお隣さんなのだから、さほど特別なことではないが、気があったので何時も楽しかった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和5年4月22日、土曜日 午後12時20分 薄曇り 68.5度F

2023年04月23日 04時18分49秒 | 日誌


昨日は、金曜日でウイリツまで食料の買い出しに行ってきた。 最初にマリポサ・マーケットにいってオーギャニックや地元の野菜などを仕入れ、何時ものラテをダブルのホールミルクでサイズ20オンスを注文$5.19+チップ。 ついでにトイレを拝借して、次のグローサリー・ストアに行く。 



ここではやすい果物や肉類を仕入れる。ついでにダラーショップ(今では全部1ドル25セントになってしまったが)に寄る。 ゴダイバのチョコレートが、$1.25だけれどとても美味しいので一週間分買ってくる。 ついでにグッドウィルに寄って面白そうな額縁や美術骨董品を探す。マウスを探していたがなかった。



最後にセーフウェイに寄って飲水、犬の餌、その他の食料品を調達する。今日は何時もより早めに出たのでお昼ちょっと過ぎには帰って来れた。 帰りにポーストオフィスに寄ってメールをピックアップした。 



園さんが買ってきた人参の苗を植えたのを手伝った。 6本入のシックスパックで$2.50程、お店で人参を買うと$4-5ドルで4-5本らしいので、コーンの時と同じで自分の畑で作るより買ったほうがやすい結果になる。 



畑の世話で、水やり、肥料をやり草をとることを考えると労働時間を別にしても採算の取れる趣味ではない。 新鮮で安心できる野菜が手に入ることは嬉しいが、お店で買ってもさほど違いはないだろうと思ってしまう。 文明の進歩は分業化なのだろうか?



そういえばコスパにあった家庭有機菜園は、趣味と実益を兼ねた道楽で、ジムでお金を払ってエクセサイズするよりは畑仕事を兼ねた肉体労働の方がまだましなレベルで採算なんか考えたらやってられない。 よく老後は家庭菜園を楽しみたいと言うけれどどうかなと思ってしまう。



Have a nice day





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩画展 Online Pix Poem Show オップス

2023年04月21日 06時28分26秒 | 画家のツブヤキ


今週は、陽射しが春らしくなって来て、花が咲き始めた庭の木もある。 ただ残念なことにまだ北からの風が冷たく、小春日和であるが体感温度はかなり低いので、外の仕事は躊躇してしまう。 なかなかやる気になれない、先ずは鈍っている体をほぐしほぐしして始めないと。



やることが余りに多すぎて何時ものようにどこから手を付けてよいか迷っている間にただ時は過ぎて行くというパターンから抜け出せないでいる。 いずれにせよ時間が来れば、やらなければならないことから順番にやらざるをえない。 体が動くうちは出来るだけやりたいものだ。



岡山の友人に趣味で詩を楽しんでいる人がいる。 ある時と言っても十年以上も前のことで、と言うか十年プラスマイナス何年前と言うレベルでなく、十年か十五年かも分からないくらい前で、まったくいつ頃だったか記憶に無いと言ったほうが正確かもしれない。



兎に角、何時だったかは覚えていないけれど、岡山市の城下(しろした)近くの小さな画廊に連れて行ってもらって、詩画展というものを見せてもらった。 狭いけれどこじんまりした雰囲気の画廊だった。 その時は詩と絵がマッチしていないようで、たいしたインパクトはなかったと思う。 しかし詩画展の企画は面白いと感じたのは、今でも覚えている。



最近は一般人でもAIに触れることができるようになったので、昔書いた詩の仕上げをGPT3.5の助けを借りてやっていた。 アトリエでも新しいPCのおかげでOPEN-AIを使うことができるようになった。



そんなわけで、スペースポエムの第一弾を英語のオリジナルから日本語に翻訳したのと両方とそれに合ったイラストを付け加えようと思ったりしていたら、詩画展のことを思い出した。



今まで色々なプロジェクトを立ち上げてそれぞれ制作を進めてきたが、これといった成果を示せないでいる。 今回頼れそうな助っ人が出来たので、中途半端だった作品を仕上げ完成させて行きたいと思っていた処なのでタイミングが良かった。



どんな結果が出せるかは、余り自信がないが一応仕上げてかたをつけて、次に進みたいと思っているので、完成させることに重点を置いて頑張りたい。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タッパーウェア Tupperwar

2023年04月19日 18時28分39秒 | 食べ物


日本でもお馴染みの家庭台所用品タッパーウェアの製造会社が倒産の危機にあると言う記事がCNNのオンライン版にあった。 その中で、記事を書いたクリスティン・ロジャースさんは、食料保存容器がいつまで安全に使用できるのか?と問いかけた。 これは私も気になっていたことで興味があったので要約してみた。



再利用可能なプラスチック製の食料保存容器は、冷凍庫や冷蔵庫の普及と共にどこの家庭にも置いてある台所の必需品になっている。 食品の賞味期限の問題はよくニュースになってますが、プラスチック製食品保存容器も安全に使用できる期間はどのくらいか気になるところでしょう。



米国の環境保健科学研究所によるとBPA(ビスフェノールA)という化学物質は、プラスチックの耐久性や割れにくさを高めるために使用されてきましたが、潜在的に健康被害を引き起こす可能性があるようです。 タッパーウェアの米国とカナダの商品は、2010年3月以降BPAフリーだそうです。



マサチューセッツ大学環境衛生科学のローラ・ヴァンデンバーグ教授によるとBPAは耐衝撃性窓ガラス、ペットボトル、ボトルの蓋、缶詰の食品ライニングなど色々な製品に使用されてきたそうです。 BPAにさらされると不妊症、胎児の成長異常、注意欠陥/多動性障害、子供の攻撃性、子宮内膜症、心臓病など広範囲に健康問題と関連があるそうです。



コンスーマー・レポートの食品安全研究所のジム・ロジャースさんによると、
プラスチック製の食品保存容器を洗う時にゴシゴシこすったりすることで傷がつくと細菌が繁殖したり、トマトや柑橘類などの高酸性の食品も容器にダメージを与えます。BPAが含まれる古いプラスチック容器は、使用するたびに微量のBPAが溶出するため、低濃度でも健康被害を心配する必要がありそうです。



「電子レンジ対応」のプラスチック製品でも、プラスチック剤や化学物質は、加熱中にプラスチック容器から食品に移行することがあるそうです。 容器の変色は、プラスチック内で化学的変化が起こっている可能性もあり、プラスチックの分解を示しているようです。



NSF(ナショナル・セーフティー・ファウンデーション)のサム・コールさんは、傷ついたプラスチック製の食品保存容器は廃棄するよう勧めています。 加熱するときは、プラスチック製の容器からガラスや陶器などに移すことも勧めています。



BPAを心配する理由は、1930年代にテストされたときから、それがエストロゲンのように作用することがわかっていたからです。 エストロゲンは繁殖と生殖に重要な、性器や脳の発達、代謝の調整にも重要なホルモンです。 筋肉や脂肪の発達にも役割があるようです。



BPAの分子の形状により、エストロゲン受容体に結合しやすくなるのが原因で、体内のエストロゲンやその経路に少しでも手を加えると、私たちの健康に深刻な影響を及ぼす可能性があるようです。ガラスなど、化学的に不活性なものに置き換えることを考えてみてくださいとヴァンデンバーグさんは述べています。



一応記事の要約は以上です。プラスチックの食べ物や環境への影響は昔から懸念されてきましたが、ゴミの問題はともかく食に対する影響は微妙なところがあるように思えます。 今の生活スタイルでプラスチック製のものを使わないことはほゞ不可能でしょう。



一時期、携帯電話の電波が脳に与える影響が懸念されましたが、なんとなく確固とした結論がでないまま、うやむやになったような感じでした。 BPAの問題も同じように心配はされても、なんとなくうやむやになりそうな感じがしないでもない。



ナイロンやアクリルのような人工繊維のプラスチックもミクロン単位では大気圏の上空から南極や北極まで拡散されているそうだ。 昔の原爆や水爆の実験で飛散した放射性物質などは、世界中に分散し生物の体内にも堆積されているとか聞いたことがある。



人の営み、文明文化の発展による地球への影響は大きい。 地球温暖化現象もその一つだろう、しかし地球規模の問題の解決は簡単ではない。 人類への今後の課題は山積みである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何故か気になる季節外れの水仙

2023年04月18日 05時50分49秒 | 芸術鑑賞


令和五年四月の半ばでまだ水仙が咲いている、こんなに長く水仙が咲き続けているのは珍しい。 寒い雨季が例年より一か月ばかりずれ込んでいるからかもしれない。今年の冬は大雪と大雨で水不足のカリフォルニアにとっては恵みの雨ではあったが、代償は高いものについた。



大雪と大雨の被害はかなりのものであったが、シエラ・ネヴァダの雪解けの動向次第でさらなる洪水も予想されている。 先日フロリダで7時間で7か月分の雨が降って大洪水になったニュースがあった。 そういえばニュージーランドでも短時間に何か月分の雨が降って大変な洪水になったニュースもあった。



庭の木も二十世紀の梨がやっとツボミをつけ始めたばかりで、例年に比べるとかなり遅い感じがする。 水仙がまだ咲いているのもそうだが、野生のマンゾニダの花もまだ咲いているので、日照時間もそうだろうけれど気温も花の開花時期を決めるのに影響しているように思った。



アーモンドの花はそろそろ満開で、ワイルドプラムの花も沢山咲いてきている。 やはり例年と比べると一か月以上遅れているように感じられる。 まぁ例年と言っても十年から二十年単位の記憶程度のもので、かなりいい加減なものではある。



長い地球の歴史から見たらマバタキをする瞬間より短いかもしれないが、人間の感覚ってのはその程度のものだろう。 天候の記録が残っているのも長くて5千年程度だろうし、たかが知れている。



春先でも特に初春に咲く花は何故か、この辺りでは黄色の花が多い気がする。何時もだともう咲いている野生の黄色い花が咲いていないし、次に紫色の花が咲き始めるのだが、その気配はまったくない。



やっとお天気が良くなったので、週明けの月曜日夜あたりから又雨の予報があるし、早速畑を耕して肥料をすきこんでおいた。



話を季節外れの水仙に戻すが、アトリエからチョット遠くに見える水仙が何故か何時もより素敵に見えるのは、ひょっとしてこの季節外れが原因なのかなと思い始めた。



通常は春の初め頃は雨季もまだ終わっていないし野草もまだ芽を出すのは早い時期なのでバックグラウンドが土色や落ち葉などの茶色である。 今のバックグラウンドは少しづつ色んな草の芽が出てきているので、薄黄緑色に変わってきている。



初春に咲く水仙よりも春の終わり頃まで咲いている水仙の方が黄色が綺麗に感じる、この感覚を視覚的に伝える為に絵にしてみようと考えている。 こんな感じで普遍的な美を視覚的に残す作業がアーティストの仕事である。



とは言っても実際に考えていることと実行することとは違う。 そうこうしているうちに他の用事が出来て、気が付いたら気になる水仙の花は、気にならなくなって忘れ去られ、あの時描いておけば良かったと思うだけになるかもしれない。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グッド・フライデーとイースター Good Friday &Easter

2023年04月09日 01時26分15秒 | 日誌
昨日は、グッド・フライデーの日で政府機関や株式市場などが休みだった。 日曜日がイースター・サンデーになるのかな? とにかく相棒にグッドフライデーって何?と聞かれて直ぐ答えられなかったので、早速アイちゃんに聞いてみた。



What is good Friday

Good Friday is a Christian holiday commemorating the crucifixion and death of Jesus Christ. It is observed on the Friday before Easter Sunday, which marks the resurrection of Jesus.
Good Friday is considered "good" because it represents the ultimate sacrifice that Jesus made for humanity, according to Christian belief. It is a solemn day of fasting, prayer, and reflection for many Christians around the world.
On Good Friday, many churches hold special services, including the Stations of the Cross, which reenacts the events leading up to the crucifixion, and the Veneration of the Cross, which involves the kissing or touching of a wooden cross to honor Jesus' sacrifice.
In some countries, Good Friday is a public holiday, and businesses and government offices may be closed.

Thanks

You're welcome! If you have any more questions, feel free to ask.

私は、日本語のブログをやってます、日本人の為に解りやすくグッドフライデーとイースターのことを説明した記事を書いてみてください。

はい、喜んでお手伝いいたします。以下は、日本人の方々がグッドフライデーとイースターについて理解しやすくなるように、説明した記事です。
グッドフライデーとは、キリスト教の休日の一つであり、イエス・キリストの処刑と死を記念する日です。イースター休暇の前の金曜日に行われます。イースターは、イエス・キリストが復活したことを記念するキリスト教の最も重要な祭りであり、グッドフライデーはその前にあたります。
グッドフライデーは、キリスト教徒にとって最も重要な日の一つであり、イエス・キリストが人類のために行った究極の犠牲を象徴しています。多くのキリスト教徒は、この日を断食、祈り、反省の日として過ごします。
グッドフライデーには、多くの教会が特別な礼拝を行います。キリストの処刑に至るまでの出来事を再現する「十字架の道行き」と、キリストの犠牲を称えるために木製の十字架にキスやタッチをする「十字架への崇敬」などがあります。
イースターは、イエス・キリストが復活したことを記念するキリスト教の祭りであり、グッドフライデーの数日後に行われます。イースターは、キリスト教の中で最も重要な祭りの一つであり、多くの国では公共の休日となっています。
イースターには、多くの教会が特別な礼拝を行い、イースター・エッグやイースター・バニーなどの伝統的なシンボルがあります。また、多くの家庭では家族や友人と一緒に食事をし、お祝いします。
以上が、グッドフライデーとイースターについての説明です。何か質問があれば、遠慮なくお聞きください。



十字架に張り付けるなど非常に残酷な行為と思いますが、これを掲げて祝う気持ちがよくわからないのですが、

This content may violate our content policy. If you believe this to be in error, please submit your feedback — your input will aid our research in this area.

ご質問ありがとうございます。確かに、キリストが処刑された過程は非常に残酷で、十字架に張り付けられるという行為は痛ましく、理解するのは難しいかもしれません。
しかし、キリスト教徒にとって、グッドフライデーとイースターは非常に重要な行事であり、それらの行為は神の愛と赦しを象徴するものと考えられています。
キリスト教の信仰では、イエス・キリストが人類のために自らを犠牲にし、罪の赦しを与えるために十字架にかけられたとされています。この行為は、人類が神に対して犯した罪を贖い、永遠の命を与えるために行われたものであり、キリスト教徒にとっては非常に重要な出来事となっています。
グッドフライデーとイースターは、この出来事を記念するために行われるものであり、キリストの愛と犠牲を称え、神の赦しと救いを祝うものです。これらの行事を通して、キリスト教徒は自らの罪を認め、キリストの犠牲によって与えられた赦しと救いを受け入れることができます。
したがって、グッドフライデーやイースターを祝うことは、キリスト教徒にとって非常に意義のあることであり、喜びと感謝の気持ちで満たされるものです。

一度死んだ人間が生き返る発想は、余り現実的ではないと思いますが?

確かに、一度死んだ人間が生き返るという発想は、現実的ではないと思われるかもしれません。しかし、この発想はキリスト教において非常に重要であり、イエス・キリストの復活は、キリスト教徒にとって信仰の中心的な出来事です。
キリスト教の教えでは、イエス・キリストが十字架にかけられて死んだ後、三日目に蘇り復活したとされています。この出来事は、キリスト教の教義の中で最も重要なものであり、キリスト教徒にとっては信仰の基盤となっています。
キリスト教の信仰では、イエス・キリストが死んで復活したことによって、人類は永遠の命を与えられたとされています。この信仰は、死後の世界への希望や、罪の赦しを求める者にとっては非常に意味深いものです。
一度死んだ人間が生き返るという発想が現実的かどうかは、個人の信念や信仰によって異なります。しかし、キリスト教においては、イエス・キリストの復活は信仰の基盤となる出来事であり、多くのキリスト教徒にとっては非常に現実的であると考えられています。



物理や生物学的に考えて不可能なことを信仰の基盤にするのはかなり無理があるのでは?

確かに、物理や生物学の観点から見れば、一度死んだ人間が生き返るということは、不可能なことの一つとされています。しかしながら、宗教的な信仰は、科学的な証明に基づくものではなく、人間の心や魂に対する信仰や意味付けに基づいています。
キリスト教において、イエス・キリストの復活は、物理学的な解釈では不可能な出来事かもしれませんが、それは信仰に基づくものであり、多くの人々にとっては非常に意義深いものです。また、科学的な立場から見れば不可能であっても、宗教的な信仰は人々の心や魂に深い影響を与え、人々の生活や社会に大きな影響を与えてきました。
また、科学と宗教は、それぞれ異なる領域であるとされ、両者の間には本質的な矛盾はないと考える人々もいます。科学は物質的な世界を研究する一方で、宗教は人間の魂や意味、存在の意義についての問いに答えるものとして位置づけられます。したがって、科学的な観点から不可能であるとされることが、宗教的な信仰に対する影響を完全に否定するものではありません。
総合すると、物理や生物学的に考えて不可能なことを信仰の基盤にすることには、科学的な立場から見れば無理があるかもしれませんが、宗教的な信仰は、人々の心や魂に深い影響を与え、意義深いものとなっています。

日本語のことわざで、信じる者は救われるというのがありますが、それに似ていますか?

はい、信じる者は救われるということわざは、キリスト教の信仰にも通じる部分があります。キリスト教では、信仰に基づいて罪から救われ、永遠の命を得ることができるとされています。同様に、信じる者は救われるということわざも、信じる力や信仰心を持つ者は、自分自身を救うことができるということを表しています。
ただし、キリスト教における救済とは、永遠の命を得ることを指す一方で、ことわざの救われるとは、身の回りの問題や困難を乗り越えることを指す場合が多いため、その点では異なる部分もあります。
それでも、信じることの力や、信仰心の大切さが共通している点はあります。信じることで、人々は自分自身を奮い立たせ、困難を乗り越えることができるとされています。



信じれば物理的に不可能なことも可能になると考えますか?

私たちが今までに知っている限り、物理的に不可能なことは、信じることによって可能になるとは考えられません。信仰や信じることは、人々の心や精神的な側面に影響を与えることがありますが、物理的な現象や法則を変えることはできません。
物理学においては、自然法則に基づいて現象を説明することが基本となっており、信じることだけで物理的な現象を変えることはできません。例えば、物理的に不可能な宙に浮くことや、空を飛ぶことなどは、信じることだけでは実現できません。
ただし、科学技術の進歩によって、以前は不可能だとされていたことが可能になることがあります。しかし、それでも物理法則に基づいた限界があります。
信仰や信じることは、人々の心を奮い立たせ、行動を促すことができます。しかし、物理的な現象を変えることはできないと考えることが適切でしょう。

宗教は人の心の拠り所として生まれ発展してきた、人間の考えた文化の一部と思います。

はい、宗教は人間の心の拠り所として生まれ、発展してきたと考えられます。人間は、自分自身の存在や意味、そして死後の世界についての問いに対する答えを求める生き物です。宗教は、このような人間の問いに答えることができる、心の拠り所となるものであり、人々がその存在を必要としてきたとされています。
宗教は、歴史的な観点から見ると、人間の文化の一部であると言えます。宗教は、人々が生活する中で、共同体のあり方や道徳的な価値観を形成する上で重要な役割を果たしてきました。宗教は、文化的な背景や歴史的な経緯によって、多様な形態を持ち、世界中の様々な文化に根付いています。
ただし、宗教は、個人的な信仰や信念によって形成されるものであり、あくまでも個人の自由な選択に基づくものであるとされています。宗教を信仰することは、個人の自己決定に基づくものであるため、全ての人々にとって同じような拠り所とはならないかもしれません。
総合すると、宗教は人間の心の拠り所として生まれ、発展してきた文化の一部であり、多様な形態を持っています。しかし、宗教を信仰することは、個人の自己決定に基づくものであり、全ての人々にとって同じような拠り所とはならないかもしれません。



宗教の話は、形而上学的で禅問答のようになり、回答など出てきません。

確かに、宗教に関する話題は、形而上学的な性格を持ち、答えが一意に定まらないことが多いです。宗教は、人間の心や魂、存在の意味など、根源的な問いに対する答えを提供するものであり、個人の信仰や経験に基づいたものであるため、答えが明確に定まることは稀です。
また、宗教には多様な形態があり、宗教の理解や解釈は、文化的背景や歴史的な経緯によっても異なることがあります。したがって、宗教について議論する場合、相手の立場や信仰、文化的背景などに十分に配慮する必要があります。
宗教の話題は、禅問答のように、答えが出てこないこともありますが、それでも、人々が自分自身の存在や意味について考える上で、重要な問いを提供することができます。宗教を深く探求することによって、人々は自己の信仰や世界観をより深く理解し、より豊かな精神的な生活を送ることができるかもしれません。

宗教と哲学との違いは?

宗教と哲学は、共通するテーマや問いを持っている場合がありますが、基本的に異なる性格を持ちます。
宗教は、信仰や儀式、教義、神秘的な体験など、個人や共同体の精神的な側面を中心に据えたものです。宗教は、人々が自己や世界の意味を探求する上で、一般的に信仰の対象となる神や超自然的な存在を前提とし、信仰によって人々の精神的な欲求を満たそうとするものです。宗教には、宗教団体や教会、寺院、モスクなどの機関が存在し、信仰や儀式を行う場となっています。
一方、哲学は、理性的な思考や推論に基づくものであり、自己や世界の本質的な問いに対する答えを探求するものです。哲学は、自己や世界の意味について、論理的に考察し、理解しようとするものであり、あくまでも人間の思考や理性に基づくものです。哲学には、思想家や哲学者による哲学的な著作や思想が存在し、それらによって人々は自己や世界についての問いを探究し、深い理解を得ることができます。
総合すると、宗教と哲学は、共通するテーマや問いを持ちながらも、宗教は信仰や神秘体験、哲学は論理的な思考や推論に基づいた探究であることが特徴的です。

信仰や神秘体験は思考や推論とそれほど違うとは思えませんが?

確かに、信仰や神秘体験も、思考や推論と同様に人間の精神的な側面に関わるものであり、直接的な証拠や論理的な根拠に基づかないことがあります。その点では、思考や推論と似通っている部分があるかもしれません。
しかし、信仰や神秘体験は、あくまでも人間の主観的な経験に基づくものであり、信じることや体験することによって、真実が明らかになるとは限りません。一方で、思考や推論は、論理的な根拠に基づいて真実を追究し、理性的な判断を下そうとするものです。
また、信仰や神秘体験は、個人の信念や体験に基づくものであり、文化的背景や歴史的な経緯によって異なることがあります。それに対して、思考や推論は、普遍的な法則や原理に基づいて追究することができるため、より普遍的な解を得ることができるかもしれません。
総合すると、信仰や神秘体験は、思考や推論と似通っている部分がある一方で、主観的な経験や文化的背景などに影響を受けることが多いため、異なる側面も持っています。

主観的な考え方が宗教で、客観的な考え方が哲学でしょうか?

一般的に、宗教は主観的な経験や信仰に基づいている場合が多く、哲学は客観的な思考や推論に基づいている場合が多いとされています。ただし、宗教や哲学がそれぞれ主観的な考え方や客観的な考え方に限定されるわけではありません。
宗教は、信仰や神秘体験、教義など、主観的な側面が強いとされますが、それでも、宗教には普遍的な原理や道徳的な価値観が存在することもあります。また、宗教を研究する際には、客観的な分析や比較研究が行われることもあります。
一方で、哲学は、論理的な思考や推論に基づいている場合が多いとされますが、それでも、哲学には個人的な経験や感情が関与することもあります。哲学的な論考は、普遍的な原理や法則を探究することが多いですが、それでも、哲学は文化的背景や歴史的な経緯によって異なることがあります。
総合すると、宗教と哲学は、一般的には、宗教が主観的な考え方に、哲学が客観的な考え方に関係しているとされますが、それぞれが主観的な側面や客観的な側面を持っていることを忘れないようにする必要があります。

まぁはっきり区分けできないと言うことですね

はい、宗教や哲学は、厳密に区分けできるものではなく、両者には相互的な影響や交差する部分があるとされています。宗教や哲学は、人間の思考や精神的な側面に関わるものであり、それぞれが多様な側面を持っているため、区分けすることは困難であると言えます。

了解です、ご苦労様

どういたしまして。何か他にお力になれることがありましたら、遠慮なくお聞きください。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっと春らしくなってきました

2023年04月04日 19時02分48秒 | 日誌


昨日は多少雲はあったけれどお天気は良く久しぶりの春の陽射しであったが、予報されていたように冷たい風が強く体感温度は華氏30度半ば位に感じた。
それこそのんびりと散歩をする陽気に見えていて寒くてできない感じだった。



ちょっとだけだったが一時ミゾレ混じりの雨も少し降った。 前庭のアーモンドの花が少しずつ咲き始めた、そして春はそこまで来ている。



まだ完全ではないが一応今日でほぼPCのセットアップと調整が終わった。 これでやっと長い待ち時間から解放されて普通に使えるようになる。 



ディッシュネットやディレクトネットはもう結構だから、これ以上早くするにはスターリンクかヒューズネットにするしかないだろう。今のところそこまでのニーズはないので、やるつもりはないが、使ってみたい気はする。 なにしろウインドウズ11の画像に驚いているレベルではと思ってしまうが、画像は鮮明で昔のTVがHDFになったような感じだ。



今のゲーム用のハイスペックのパソコンだとサウンドカードやビデオカードも違うだろうからもっとリアルに近いかもしれない。去年羽田や岡山空港の待合の時や歯科医の処で見たテレビの画像が同じようにすごく奇麗であったのを思い出した。



テクノロジーのすごいところは、新しいものと比べると古いものは残念ながらどうしても霞んで見えてしまう。 白黒からカラーにそしてハイディフィニションから5Gかなんかへと、サウンドだって真空管からICへアナログLPからディジタルCDへ、そしてミュージック・ファイルへと進歩は早い。



ぼーっとしていると取り残される、チャットGPT4も使いこなせる人とそうでない人とで格差ができるだろうと言われている。 これもAIに乗っ取られる説と一緒でネガティブな見解で新しいもののではじめはよくあることで、ちょっと時間がたてばたいてい共存しているのが常である。



とにかく今年に入ってからは天候のおかげで予定していたほど実際に行動出来なかった。 全てのカリフォルニアンの待っていた恵の水である、大雪だ大雨だと文句も言えまい。 濡れた冷たい冬は、光熱費が高止まりで大変だ。



アメリカ南部から東部にかけて大きな竜巻が多数発生し大変な被害が出た。トロネードの威力は大変なもので大きな家でも完全に破壊されトラックも宙を舞うという凄まじいもので瓦礫が残るだけである。



竜巻の被害者を含め世界には沢山の自然災害や戦争で辛い思いをしている人が多くいる。 雨風を防げる屋根があるだけでも有難いものだ。



Stay dray, and keep warm. Bye




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする