旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

日記 007 障子戸とヴァケーション

2011年09月20日 10時41分18秒 | 日誌


旨い処探索同好会員の皆様、お変わりありませんか?  プロジェクト山積みなのにノンビリと構えていたら、時間が無くなっていたので暫く「ヴァーチュアル・ソサエティ」から席を外していました。
話題一杯の秋場所も始まりいつもの様に毎朝2時まで眠い目をこすりながら観戦してしまうので余計予定が遅れてしまいます。



時間に追われるとろくな事が無いので締め切りのある仕事はなるべくしないようにしているが、期限と言うものは大抵のものにある。 雨季が始まる前にやっておきたいこと、期限が終わる前にかたづけたいこと、分かっていても毎日に追われて気がつくと早くしないと時間切れになってしまう。



障子の戸がその一つだ。 玄関を建て増した時に母屋への入り口は障子戸にしたいと思っていた。
寒くなる前に取り付けたいと思っていたので、外で木工の機械が使える雨季の始まる前にやっておきたかったが、ほぼ完成した。 建具師のまねをしてみた、材料に限度があるが制作過程は楽しかった。



8月に「名前は覚えていなかったけれど貝の写真はおぼえてた」そうで、モントレーの美術館でエドワード・ウェストンの展覧会をやっていると教えてくれた。 10月2日までやってるので、時間は充分あると思っていたら、もう9月も後半である。 レイトンビルからモントレー・カーメルまでは車で約10時間チョットなので、秋場所が終わったらヴァケーションを兼ね一泊して観に行く予定だ。



そんなこんなで、芸術鑑賞のエドワード・スタイケンの続きが遅れている。 
日本では台風の被害が激しい、今年は、まだ終わった訳ではないが、大きな自然災害の多い年になってしまった。 毎年世界中で自然災害が大型化している、改善する保証はない。

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芸術鑑賞 019 エドワード・スタイケン 続き-3

2011年09月07日 16時35分51秒 | 芸術鑑賞

Edward Steichen, "Mrs. Conde Nast", 1907. Paris. Pigment print.

スタイケンは、ミルウォーキーでも高収入で働いていたリソ・ショップを自ら辞めてパリに行きましたが、ニューヨークでも順調であったポートレイト写真の仕事に満足がいかなくなり、1906年に家族を連れてパリに移ります。 普通は安定した仕事や高収入を求めて努力をし、それを手に入れると保守的になりやすいものですが、スタイケンは違いました、彼は自分の気持ちに忠実だったのでしょう、そして安定よりも進歩を求めたようです、誰でもが簡単に出来る事ではないと思います。


Edward Steichen, "Rodin", 1910. Paris. Platinum print.

パリに着くとロダンを訪ね、新しく出来たフォト・セセッション画廊の説明をして、ロダンのドローイングの展示の許可を得ます。 スタイケンは、この当時の若いアメリカの画家やヨーロッパ新鋭の画家達をニューヨークに紹介することに努力しました。


Edward Steichen, "Steeplechase Day, Paris: Grandstand", 1905. Pigment print.

1907年の夏の日、友人から借りたドイツ製のハンド・カメラ(Goerzanschutz Klapp Camera)を持ってパリのロングチャンプ・レースの観戦に行き、スタイケンとしては初めてのドキュメンタリー・レポート写真を撮ります。 そこには馬のレースよりは派手な最新流行ファッションを競い合うハイ・ソサエティーを見るのでした。


Edward Steichen, "George Bernard Shaw" 1907. London. Lumiere Autochrome reproduced from
the four-color half-tone published in Camera Work, April, 1908

同じ1907年にはカラー写真オートクローム・プレート(Autochrome Plate)が、Lumiete Companyによって初めて開発されました。 このプレートを持ってロンドンに渡ったスタイケンは、ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)のポートレイトを撮影しています、彼のバラ色っぽい肌の色とブロンド・レッドの光る髪と髭はカラー写真にはもってこいだったようです。 丁度家族を連れてヨーロッパ旅行中、パリに寄ったスティグリッツにもこの新しいカラー写真を紹介しています。 残念なことに技術的問題から複製が出来ない事が分かりオートクロームは短命に終わりました。


Edward Steichen, "Balzac: The Open Sky", 1908. Meudon. Pigment print.

1908年の夏が終わる頃にロダンから連絡があって、バルザックを屋外に出したので撮影に来てくれと言うことでした。 以前は他の作品と一緒にしまっていて撮影出来る状態ではなかったのですが、今回の移動でやっと撮影が可能になったのでした。 太陽光では素材のプラスターの白が強すぎるので一晩かけ月あかりで撮影したものです。


Edward Steichen, "Balzac: Towards the Light, Midnight", 1908. Meudon. Pigment print.

後にバルザックの写真を見たスティグリッツは、今までのスタイケンの作品の中で最も感銘を受けた様で、すぐに購入してくれました。 スティグリッツは、後にこうしたスタイケンの作品をメトロポリタン美術館に全て寄付します。 スタイケンのパリの自宅が戦争の被害に遭ったので、スティグリッツのコレクションが唯一残されたものとなった訳です。


Edward Steichen, "Henri Matisse (and La Serpentine)", 1909. Issy-les-Moulineaux. Platinum print.

ガーチュルード・スタインは、パリのフルリース通り27番(27 Rue de Fleurus)で、プライベート・モダン・アート・ギャラリーを持っていました。 291の展覧会の為にアーティストを探していたスタイケンはスタインと知り合い、彼女の助けを借りてセザンヌやピカソのドローイングや水彩をニューヨークで紹介出来たのでした。

特にピカソの時は、メキシコの漫画家Marius de Zayasと彫刻家でピカソの友人のManoloが作品の選択を行い、ガーチュルード・スタインがピカソを説得して291で展示が出来たそうです。 しかし展覧会は、前のセザンヌの時よりもひどく、散々の酷評でした。


Edward Steichen, "Agnes E. Meyer (Mr. Eugene Meyer)". 1910. New York. Pigment print.

1910年のAgnes Ernst とEugene Meyerの結婚式の時の写真です。
アグネス・アーンストは、ニューヨーク・サン(New York Sun)のレポーターとして291・ギャラリーの取材に初めて訪れたアグネスは、今までの来客の中で一番可愛くて聡明だったと言われる程で、みんなに「太陽からの女」(The Girl from Sun)と呼ばれたそうです。


Edward Steichen, "President Theodore Roosevelt, The White House", 1908. Pigment print.

Everybody's Magazineの為に撮影された26代セオドア・ルーズベルト大統領のポートレイト。 
教科書などで見た大統領の写真からの覚えているイメージと随分違う感じがすると思ったら32代大統領のフランクリン・ルーズベルトと勘違いしていました。 二人はイトコ同士だそうです。


Edward Steichen, "Heavy Roses", Voulangis, France. 1914. Palladium print.

1914年(大正3年)の秋、フランスで戦争が始まり、24時間以内に全ての人の人生が変わってしまいました。


Pablo Picasso, "Portrait of Gertrude Stein", 1906. Metropolitan Museum of Art. New York.

余談:ガーチュルード・スタイン(Gertrude Stein),(1874-1946)は、アメリカの作家、詩人、コレクターとして知られています。 成人になってほとんどをヨーロッパで過ごしています。
ピカソが描いた彼女のポートレイトを見た誰かが、スタインに似ていないとピカソに言うと、ピカソが、「似てくる」(She will.)と答えたので有名です。 何処まで本当か分かりません。
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