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旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

スズキ・キャリイ 2002年 4WD シルバー

2025年06月05日 18時21分47秒 | 日誌


牛窓町千手に新しくアトリエのスペースも決まったので、古民家のリフォームやら田畑山林牧場の片付けを始めなければならない。家のリフォームは専門の大工さんに任せて、家の周りの草刈りや剪定をやらなくてはならない。



レイトンビルに殆どの道具類は売り払うか置いてきたので、必要なものを揃えなくてはならない。細かい道具はマキタの電動工具を必要に応じて少しづつ買い求めることにした。農機具も千手の近くのハードウェアのお店で買っている。



トラックもジャスティンに5000ドルで安く売ってきたので、此方では4輪駆動の軽トラをOK氏に調達してもらった。オークションでスズキ・キャリーを選んでくれた。何時ものように高木さんが、修理に整備と車検をやってくれた。



2002年と年式は古いが、9万キロと走行距離はアルトとほゞ同じくらいで、まだまだいけるとのこと。色はシルバーでフューエルタンクは40リットル、一リットルで15.8-17.2キロくらいの燃費だそうだ。



平成14年から24年間続いたモデルで、DA63Tが形式モデルで48-49Hpで、DOHCのオールアルミニウムのエンジンでタイミングチェインだそうである。 内装も奇麗で以前のオーナーは県北にある車屋さんだそうだ。



久しぶりのマニュアル・シフトであったが別に問題なく運転できた。 さすがに乗り心地はジャンピーで、岡山から千手まで運転して帰りのアルトが高級乗用車のように感じた。



いづれにせよ田舎の暮らしには軽トラは必需品で、特に狭い坂道の多いウシ窓の田舎では、軽トラ以上の大きさでは通れない道の方が多い。まだ買ってから千手に行って一度だけ岡町に戻ってきただけで、本格的に使うチャンスがないが、リフォームが始まる前までには家の周りを片付けたいので、もっと頻繁に使用することになりそうだ。



スズキ・キャリー 軽トラック 平成14年型(2002年)
DA63T 4輪駆動 シルバー 15.8Km/l


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令和7年6月2日、月曜日 午後4時 曇り 24℃

2025年06月03日 23時05分59秒 | 日誌


今日は朝から洗濯をした。千手での片付けや庭仕事で汗をかくことが多く洗濯ものがたまっていた。新しいあとり絵が決まって以来、しょっちゅう千手に行って片付けや庭の草抜きや剪定をやっている。 



なにしろ岡山に帰ってきて以来余り肉体労働をしていなかったので、体が相当なまっていて思ったように仕事がはかどらない。



なにわともあれ去年の11月末にレイトンビルから帰ってきて暫くは寒くて何もできなかった。35年以上カリフォルニアで暮らしていたのだから、岡山に帰ってきての生活にアジャストするには少々時間がかかった。 



それに加えてそのまま2024年の年の暮れに入ったのだから、カルチャーショックと共に唯毎日に対応するだけで精一杯のような感じであった。



全てのことに追われて、土地の売却を進めながら片付けと引っ越しを自転車操業のようにこなしていて当時はよくわからなかったけれど大きな変化のときであったのだ。



その後土地のバイヤーが決まるとアリソンとメリサとのメールで手続きに追われデスクワークで運動不足になってしまっていた。それに加えて今年の2月20日に大阪の領事館に行くまでは、シティーライフの便利さと日本食の美味しさを満喫することで忙しかった。



2024年5月13日に10エーカーをマーケットに出していらい色々あった。いろんな人が見に来てその間、土地の片付けや整理に追われた。なにしろ人生で最も大きな買い物、売り物にかかわることなので少々戸惑ったが、全て初めてで興味深い経験をさせてもらった。



今振り返ってみると我ながらよくやったと思う。いづれにせよ大きな転換期であったのは間違いない、後で振り返って見てやっとそう感じるのだが、やっている最中はただ単に現実に対処していくのがやっとであったように思われる。



ほぼ9か月に渡ったレイトンビルの20エーカーの売却の件も片付くと、何時までも車を借りているわけにはいかず、軽4の購入となりOK氏に一台調達してもらった。その間新しいアトリエ用の古民家を探すのにも結構忙しかった。レイトンビルに居た頃から日本の古民家の話はネットではポピュラーで、空き家は英語でも”Akiya”で通じるほど良く知られているように思えた。 



新しくアトリエをさがすことも人生何度もやることではないビッグイベントであったが、ただもくもくと作業を続けるだけで、毎日が過ぎていったような感じが今振り返って見るとする。



レイトンビルの土地も古いダットサン770のステーションワゴンで北カリフォルニアの町を探したが、今回は日本の軽四で岡山県南部の玉野、宇野の近辺や吉備高原辺りも調べてみたが、なんとなく牛窓辺りが岡町からも近かったし雰囲気が気に入った。



千手の良チャンが近で岡本家の新屋が売りに出ていると教えてくれたので見に行った。山の中腹にあって周りは山に囲まれていてホトトギスが鳴いていた。古民家はかなりのサイズの平屋で床が抜けたりしてそうとに酷い状態であったが、周りは緑の自然でいっぱいで気に入った。



不動産屋に連絡して見に行きたいと伝えると、もうすでに先約か二件あってそのあとならということだったので、もしその話が流れたら見に行くということになった。 この時点では残念ながら折角気に入った処が見つかったのに手に入る可能性は余りなかった。



最初の人は東京からの人でスグに流れたらしいので不動産屋から連絡が来たが次の大阪からの人が決まりそうで、もしその件がダメだったら連絡をしてくることになった。その間別の牛窓近辺の物件を見に行ったが千手の物件程気に行った場所はなかった。



やっぱり駄目なのかなと非常に残念に思ったけれど、何故か大阪の人も諦めたようでお鉢がまわってきた。 平屋の古民家は可成り広くてアトリエには文句のないスペースであったが、リフォームには相当の費用がかかりそうであった。 前の二組も多分その点が問題になって流れたのだろうと感じたが、しかしこれだけの自然の好環境はお金では買えないと思った。



なんだかんだで購入の手続きを進めることになったが、古民家のほかにもあっちこっちに土地があって、田んぼや畑に牧場や山林と全部合わせるとなんと合計8.5エーカー位一緒に宅地と共についてきた。



一瞬にして大地主になってしまった。レイトンビルの10エーカーと比べると少し狭いが、小さなバレーを超えて家の前の山の大部分が我が家の前に土地がついているので大きな前庭の感じで景色も良かった。



そんな訳で田畑山林とう片付けるには軽トラが必要になってきたので、OK氏にお願いして格安の軽トラを調達してもらった。 リョウちゃんに四駆にしろよと言われていたので4WDにした。 



結構古いけれど以前のアルトの時と同じで、なかなか素敵な車を選んでくれたので大変気に入っている。シルバーのスズキ・キャリーの軽トラックで7万キロ程の走行距離で状態は頗る良かった。


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岡山県運転免許センター 

2025年02月04日 22時47分27秒 | 日誌


昨日は岡山の運転免許センターに行ってカリフォルニアの免許証を日本の免許証に変換してもらう手続きをしてきた。 午後の1時までに来るようにということで丁度お昼に家を出た。



センターに着いたのは12時35分頃で1時まで少し待つことになった。いろんな人がいっぱいいて非常に興味深かった。 丁度1時になるとカウンターに係の人が一斉に出てきて午後の業務が始まった。



行くように伝えられたカウンター「C」では15人程の人々が列を作ったので、遅ればせながらその列に加わった。 4~5人の係官が手際よく用件をさばいていたので、さほど待つことなく順番が来た。 アポイントメントの確認をされると1時半頃に呼び出すので座って待っていてくれということなので近くの椅子でまった。



ほゞ1時半に名前を呼ばれたので、同じカウンターに行くと別の係官がいて、色々と持って行った書類の説明をして手渡した。 パスポート、住民票、古い免許証やその他の身分証明書、飛行機の切符、向こうの電力の支払いの記録など沢山の書類を出して説明をした。 1時間ほどすると呼び出すので座って待っていて欲しいとのことだった。



センターは新しく可成り広い建物で、新しく免許証を申請する人や更新する人、高齢者たちの認知確認、写真を撮る人などでごった返していた。 待ち時間を潰差なくてはならないので建物の中を見て回ることにした。



二階に行くとレストランがあったがもうしまっていた。どの階にも沢山の椅子が設置されていて待合のためのスペースがあり、大きなスクリーンのモニターがあって色々な番組やインフォーメーションが流されていた。 壁やパネルには岡山県警の歴史などが写真と共に陳列したあった。



3階は交通違反者などのためで殆ど人はいなかった。 4階は会議室や講演のできるスペースが会って待合のスペースは狭かったが椅子は立派で座りごごちの良さそうなものだった。 他の階に沢山設置されていたプラスチック製の物よりはよっぽど座りごごちが良さそうだった。



トイレに行ったりぶらぶらしていると放送で名前を呼ばれたのでCカウンターに行くと最初にいらないと言われた書類の一部が必要だと言われ手渡すともうしばらく待ってくれと言われた。 そのころにはもう4時近くになっていて回りにいた人々は、殆どいなくなりほんの少数の人だけになっていた。



4時を過ぎる頃になるとカゥンターや窓口には係官はいなく、写真と写すブースもドアを閉めロビーで待っている人は誰もいなくなった。 なんとなく不思議な感覚になったが、唯待つことしかできない状況で、ストレッチをしたり暇をもてあましながらひたすらまった。



やっと係の人が出てきて名前を呼ばれた。 カゥンターのある窓口Cに行くと手渡した書類を確認しながら返してくれ始めた。審査の結果はどうだったのかと聞くと、書類を返し終えて話すと言われた。 全てが上からの目線で半分犯罪者を扱っているようでもある。



結果はOKであったが、本日は時間がないので免許証の発行は月曜日に出直してくるように言われた。 試験はないのかと聞くと、無いと答えられた。
外国の運転免許証を日本の免許証に変えるのだから少なくとも筆記試験があると思って法令などの勉強をしていったのだが、何か変な気持ちだった。



警察の方の考え方は免許証はIDとして使われるので身分の証明に力を入れているように思えた。此方は安全運転をするには日本の交通法規を知るのが重要だと考えていたので、認識の違いに少々とまどった。



いずれにせよ次の週の月曜日に写真を撮って必要経費を支払えば日本の免許証を発行してくれることが解ったので一安心してセンターを去った。日本の免許証が取れないことになると面倒な事になると思っていたので助かった。



2-4-2025,Tuesday, February 4, 2025







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令和7年1月3日、金曜日 午前3時50分 晴れ 2度C

2025年01月03日 03時48分20秒 | 日誌
謹賀新年



Happy New Year Earth



金運祈願



Prosperity and Happiness for Everyone



岡山に戻ってきてもう一か月以上になる。
たった一か月でこんなに違う。



何時もだとカリフォルニアに帰っているけれど
2025年は違う年になりそうだ。



カントリーリビングからシティーライフに変わった。
時間は流れ変化は続く。



Peace on Earth



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令和6年11月21日、木曜日 午前6時23分 嵐 9度C

2024年11月21日 23時35分32秒 | 日誌


先回の投稿では画像が上手く乗らなかったので、文章だけのブログになった。 最近は引っ越しの最終段階に来ていて、ゆっくりブログの更新などやる時間がない。
昨日からウィンターストームが北カリフォルニアを襲っている、今週はずっと激しい雨と風が続きそうだ。 今雨季初の大型ストームで、洪水警報が出されている。



24日の出発を控えてまだ最後の片付けが残っているが、この雨ではどうしようもない。
兎に角やるだけのことはやって後はそのまま全てを残して土曜日にサンフランシスコに向けて出発である。



土曜日は久しぶりにチャーリーと会う、もう20年近く会ってない。 時どき電話で近況を伝える程度で実際顔を見ていないので、実際に会うとなるととても懐かしい。



今日は最後の洗濯のウイリツまで行く、ストームのなかを隣町まで行くのでついでにゴミをリサイクルセンターに持っていく予定だ。 いずれにせよ最後の引っ越し準備で毎日追われている。



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令和6年10月14日、月曜日 晴れ 午前10時21分 15℃

2024年10月15日 02時19分39秒 | 日誌


10-14-2024, Mondayコロンブス・デー Columbus Day
昨夜夜中過ぎに床下で猫がラクーンか分らないが、なんだか喧嘩をしていたようで、大きな声でフーフー言ったり何やら争っている激しい音がした。 外はかなりの濃霧であった。



今日はコロンブス・デーのホリデーなので休み、我が家には殆ど関係ないし株の取引もやっている。 銀行や学校などがお休みなのだろう。 以前はサンフランなどイタリヤ系の移民の多いところではパレードなどあったようだが、最近ではメキシコ系の人々から植民地を始めたとんでもない人との見方からメキシカンの多いサンノゼ辺りでは、コロンブスの銅像の撤去までやったところもある。



何れにしても時代は変わり人々の価値観や考え方も変わっていく、文化文明の進歩だろう。



10-12-2024, Saturday サタデーのモーニング・レイン Saturday Morning in Rain
土曜日の朝の雨、秋も深まってきた感じのしっとりとした秋の雨である。 残暑のヒートで渇き行った大地、埃を被ってダスティーな土地を雨の恵みが優しく潤う景色に変える。
何となく乾季の終わりが近づいてきている知らせのような雨のように感じる。



10月10日と言えば収穫の日であったが今年は引っ越しがあるので出来なかった。 雨季の始まりであるが、今年はどんな雨季になるのだろう?  このカリフォルニアの気候に慣れてしまうと引っ越しをする場所の選択が限られてしまう。 以前サンフランシスコの常春の気候に慣れると何処にも行けなくなると感じてレイトンビルに引っ越してきたが、今度は岡山の蒜山高原辺りにいいところを見つけなければならない。



いずれにせよ事態は急展開し、15日にはジーニーのエスクローがクローズする。 インスペクションのコンテンジェンシイが終わればあとは11月6日のエスクローがクローズするまでに全てをかたずけなければならない。 飛ぶ鳥後を濁さずの方針で,できるだけ片付けて手渡したいと思っている。



17日には朝一でジミー・ピンチの孫がセプティクタンクを掃除に来る。 その前にクリケットで蓋の穴を掘るので、ランディーにクリケットの使用方法を教えるので来るように伝えた。 その時にクレアリーにヤードセールの件で25,26日の木、金曜日で手伝ってもらえるようお願いした。後はまだ色々



同じく17日のお昼頃にはサンフランシスコからヤマトの人が見積もりに来るので、その準備もしなくてはならない。 アリソンが連絡してきて土地の最終視察をしたいとの電話があったが、先約があって時間がとれないので日にちを改めて行うことにした。 



とにかく全て順調にいけば11月6日がエスクローのクロージング・デーである。
何だかんだと言ってもその日に此処を出ていかなければならない。今まで土地のオーナーに成るということはその土地の管理開発を任されるという認識があった。 35年この土地を満喫し次の選ばれたオーナーに引き継いでもらう時が来たようだ。



選ばれた人が現れると多分バイブレーションが感じられるだろうと思っていたが、色々あってジーニーに決まりそうだが、別に波長が合わない訳ではなかったが特別な振動を感じたわけでもなかった。 このまま問題なく進めば彼女が新しい此処の住人になるだろう。
ほゞ同年代でありそうだし、犬好きのようだしあの最初のオファーの時のドタキャンさえなければ印象は変わっていたかも知れない。



令和6年10月11日、金曜日 午後6時21分 曇り 19℃
金曜日はウィリツまで買い物の日で、何時も通りマリポサで20オンスのラテとオーギャニック・フードを買って、次はグローサリーストアーでディスカウントでグッドディールのフルーツや野菜の入手、ついでに寄ったグッドウィルで良く描けた額付き油絵を3ドルで購入、そして最後はセーフウェーで日本食、ビールなど買ってレイトンビルに帰ってポーストオフィスにより家に戻っできた。



ランチを食べてから銀行からの国際送金の手順を調べることにした。 チェースで口座をオープンした時には50ドルの手数料で何時でも送金できると聞いていたので、実際できるかどうか試してみることにした。



銀行のラゥティング・ナンバーなどこちらとは少々違う点があった。一応送金者と受信者の住所や口座など必要な事項を記入すれば終わりだった。為替の他は手数料が0.5%のようであった。 3-5日後に入金を確認して上手くいってれば今後楽になる。 
今夜から雨の予報が出ているので、少々片付けをしておいた。



令和6年10月10日、木曜日 午後9時5分 曇り
今日は朝からモービルホームの屋根の修理で、ほぼ1日掛かって屋根全体の必要な部分にシリコンを注入して、ひょっとして降るかもしれない雨に備えた。 今年は屋根のペイントをしなかったので、まぁ必要最小限の応急処置程度の感覚でやっておいた。 シリコンのコーキング・チューブを合計5本使ったのだから、かなりの仕事だった。



夕方Eメールを開けるとアリソンからエスクローの日程が送られて来ていた。 今日がダゥンペイメントの期限だったので、どうなったか一日中気になっていた。 とにかくジーニーはドタキャンの前科があるので、デポジットがあるまでは分らないからだ。



メールの内容では、ジーニーの使っている銀行の手続きの関係で時間が掛かっているのだそうで、一応全て順調に進んでいるとのことで、やっと安心した感じ。
ヤマトからの引っ越しの見積もりに17日に来るとのことなので、今までどうり片付けの継続である。 ヤードセールも日程を決めてやらなければならない。 他に色々な手続きなどもあるし忙しくなるだろう。



令和6年10月7日、月曜日 午後3時半 晴れ 31℃
予報では今日まで暑いインディアンサマーが続き、これから段々と晩秋に向け寒くなっていく感じだ。 



話は先週末にアリソンから連絡があり、ジーンからの再オファーがあったの事。 ジーニィはその一週間ほど前にオファーを出してきたが、カゥンター・オファーを出した後、急にレイトンビルの水は汚染してると言い出して、オファーをキャンセルしたので、余りかかわりあいたくない人だなという印象が出来てしまった。



そのジーニィが、水は安全そうだし他を見たけれども、気に入った物件が見つからなく結局またオファーを出してきたのだそうだ。 しかし一度ドタキャンをやられるとどうしても構えてしまう。 アリソンはレイトンビルの水の水質検査などの資料を送っていたけれど、さっき電話で水質検査のキットを持ってくるそうだ。明日の午後3時にジャッキーが水道水を取りに来ると連絡があった。 ジーニィのオファーの中にコンテンジェンシイとして水質検査と物件のインスペクションがあるので、それをクリヤーしてエスクローがクローズすれば売買の完了である。



ジーニィのレイク・カウンティの20エーカーは、今月半ばにクローズするので、彼女はそれまでに引っ越しをしなければならない。 我々も同じでこのまま順調にいけば来月の半ばには、此処を出なければならない。

令和6年9月24日、火曜日 午後4時32分 晴れ 33℃
今日はレイトンビル・ライブラリーのブッククラブに日本語の本を寄付をしに行ったが誰もいなかった、何時もは火曜日と木曜日には開けているのだが、残念なことにしまっていた。 片付けは少しづつ進んでいるが、本がまだ処理出来ていない。 段ボール箱に入れてもかなりの量になる。 本は結構重いので余り大きな箱には入れられない、沢山入れると重くて持ち運びが不便になる。



紙の本は、古いプリンターやPC, TVの様にいくら作動していても価値はなくゴミとして出す以外片付けようがない。 本も家では殆どモニターで読んでいる、そんな時代であるから、よっぽどの本好きでない限り、本をあげると有難迷惑になるし敬遠されるだろう。  誰も古い本は欲しくないのだ、だからサッサとリサイクルセンターにもっていってダンプすれば片付くが、なかなか捨てられない。



令和6年9月30日、月曜日 午後1時23分 晴れ 31℃
今日も秋晴れの良いお天気だが、昨日と同様にヒート・ウォーニングの警告が出ているが、さほど暑くなるとは思えない。 一度110度以上を経験すると90度台は、もうそんなに暑く感じない初秋ではある。 



きょうは午後3時にアリソンと事務所でのアポがある、今後の対策を考えるためだ。 
今まで7組のバイヤーが土地を見に来たが、何となく違う層のバイヤーが来ているのでマーケティングのやり方を変えてみた方が良いのではないかと思うので、その線で話を進めてみたい。



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令和6年8月12日、月曜日 午後1時36分 晴れで煙アリ 28℃

2024年08月13日 06時52分53秒 | 日誌


今日は幾分涼しく、やはり予報通り昨日が暑さのピークであったように感じる。 とにかく毎日三桁の高温でそれが感じとしては一か月近く続いたのだから、やっとこの夏の暑さから解放されると思うだけで気が楽になる。 極端に寒いのも暑いのも対応に苦慮するが、体が順応してくるので、今日みたいに昨日と比べてほんのチョット涼しくなるだけで随分快適に感じる。



土曜日はお隣のハンボルト群レッドウェーにあるゴミのトランスファーステーションに行ってきた。 今回これで3回目だけれどトレーナーなしでトラックに詰めるだけ古い電化製品と50ギャロンのゴミ袋12袋積んで、行くことになった。 今回は園さんが、北へは何十年ぶりということもあり、久しぶりのドライブを兼ねて一緒に行くことにした。



レイトンビルにもリサイクルセンターはあるが、ゴミの値段は50ギャロン程度のトラッシュバッグで一個$8ドルで、今回のように12個あると96ドルチャージされる。 レッドウェーのゴミ処理場は、レイトンビルのように質量つまりカサでチャージしないでゴミの重さに値段がかかる。 トラックを入口近くにあるハカリで重さを計りゴミを降ろした後にもう一度重さを計りゴミの費用を請求される。



今回は、レイトンビルの96ドルに対してレッドウェーの20ドルであった。 しかしハンボルトまでかなりの距離があるので、往復のガソリン代が20ドル程かかる。 まぁ3時間ほど余分な時間がかかるけれど50ドル以上セーブしたことになる。 おかげでランチはガーバビルのレストランで食べた。 行き帰りは山の中やレッドウッドの林にイールリバーの側を走りドライブを楽しんだ。



古い電化製品は無料と以前調べた時にはウエブページに出ていたが、現場ではつい最近有料になって、一個に付き25ドルチャージされるらしい。 プリンターのようなコンピューター関係やテープデッキなどの音響機器や古いテレビなど20個前後あったので、なんと500ドルにもなる。 10ギャロン以上あった古いペンキなどは無料で引き取ってくれたけれど、電化製品はそのまま持ち帰ることにした。



一度家に帰って一服してからレイトンビルのゴミ収集所に行ってみた、ゴミで出せるかなと思っていたが、電化製品はリサイクルできるそうで、ほゞ全部無料で引き取ってくれた。
古い炊飯器と壊れた扇風機は何故か断られた。 後でゴミと一緒にして出してくれと言われた。 リサイクルセンターも場所によって色々ある。



引っ越しに備えて我が家の物を片付けているが、5月末のヤードセールも含めて3か月程片付けに毎日追われている。 正にガラクタの中で生活をしていたようで、半分以上のものを整理したけれど不便さは感じない。



もともと貧乏絵描きで、お金とは無縁だったのだから、たいして金目の物も資産もない。 しかし物凄い量の物がたまっていた。 もう少し早くから整理片付けをやれば良かったと思うけれどこれが現実、出来る範囲でやる以外ない。 出来ればシンプルなライフスタイルを始めたいものだ。







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 令和6年7月24日、水曜日 9:24pm Warm evening 22℃

2024年07月25日 15時12分42秒 | 日誌


 山火事のシーズンに毎日暑い日が続いている。欧州連合の気象情報機関コペルニクス気象変動サービス(C3S)は、22日の気温が観測史上最高となり、前日の記録を塗り替えと発表したそうだ。 もう2週間ほどこの暑さが続いているように思う、何しろ記録的な暑さなのだから大変である。 唯々堪え難きを堪え忍び難きを忍びで何とかこの暑さと戦っている。 



 毎日40°C近くの温度が続くと結構つらい。 そのうえビールのつまみに乾燥小魚とアーモンドを食べたのが良くなかった。 今までに経験したことのない強烈な下痢にヤラレタのだ、食中毒で暑さの中全くつらい思いをした。 賞味期限が切れていたのだ。



 昔は大正製薬の胃腸整腸薬とか正露丸とか色々日本から持ってきた常備薬があったけれど、殆ど使わなかったしあったとしても使用期限はとっくに過ぎているだろう。こちらにはドラッグストアーやスーパーでも買える下痢や便秘の薬は売っている。



 我が家の薬の引き出しには、まだ使っていない下痢止めの薬があったが、幸か不幸か期限切れであった。 その後AIやYouTubeなどで調べると、下痢止めの薬は飲まない方が良く2-3日消化の良い食事でのりきれというものだった。 下痢以外の症状はないしなるべく早く原因のばい菌かウイルスを流し出すのが最善のようであった。



月曜から今日で丁度三日でほゞ順調に回復してきている。 一昨日の一番症状がひどい時には珍しく熱帯夜であったし可成り不快な思いをしたが少なくとも痛みなどは伴わなかったので良かった。




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令和6年7月8日、月曜日 午後5時17分 晴れ 35度C

2024年07月09日 09時43分26秒 | 日誌


もう1週間以上華氏で三桁以上の温度の日が続いている。 レイトンビルへ35年前に移ってきて初めて経験する暑さとその連続である。 今まででも100度F以上の日は毎年あったけれど、こんなに長く続くことはなかった。



数日前には115度Fになった、摂氏で46度位でいくら直射日光の下であっても暑すぎる温度で、堪え難きを何とか堪えている。 冷たいシャワーと噴霧器のおかげで何とか熱射病にならないようにしている。 うだるような暑さだ。



とにかくこう暑いと頭の中が真っ白になって何も考えられない。 北カリフォルニアでこうだから南ではもっと凄いだろう。 日本でも各地で記録的な暑さの報道を見るが、洪水やハリケーンが大型化している中、気温も記録的な暑さで、まさに死者が出るほどであるから大変なものだ。



そういえば、ちょっと前にレイトンビルでは珍しく大きな地震があった。 今までに感じた揺れの中では最高にガクンと来た。 4.4か4.7のマグニチュードで、震源地もそれ程遠くなかった。



その後被害のニュースなど聞かないから大したことはなかったのだろう。 我が家では不安定な飾り物や装飾品が倒れていた程度で別にどうってことはなかった。



とにかくこの暑さにはホトホトまいってしまう。 この辺はいくら日中が暑くても朝夕は結構涼しくなるけれど、最近は日本の熱帯夜のような感じで、夜になっても涼しくならないので参ってしまう。



It's so hot.





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令和6年6月10日、月曜日 12:14PM 晴れ暑くなりそう 31度C

2024年06月11日 09時46分35秒 | 日誌


ヤードセールから1週間が経ったので、ランディーのフロントヤードを少し片づけに行った。 もう一回のヤードセールが必要なので、次に又使うものは残しておいて、少しでも見栄えよく整理しておかないとランディーに申し訳ないので、ヤードセールで売れ残った食器類と倉庫を片付けた時に出てきた衣類をウイリツにあるグッドウィルに寄付してきた。 次いでに何年かぶりでピザをテイクアウトした。



ウイリツにあるミッション・ピザで、ベジタリアンの野菜だけのピザを注文して、グッドウィルに行ってピックアップの荷物を降ろして、ピザ屋に戻ると丁度ピザが焼き上がっていた。 もうゆうに五ー六年は、ここのピザを食べてなかったので、余りのしょっぱさに驚いたし何故かピザの味がそれ程美味しいと感じなかった。 でもお腹がペコペコだったので、ガツガツと食べてしまった。



今日は朝から、この間倒れたマドロンの大木の小枝部分でまだ薪に使えそうな部分をチェインソーで切った。 フランクにメッセージを送って、薪を取りに来るように連絡して、シャワーを浴びた。 着替えているともう既にフランクがローンモアーに小型のトレーラを付けて表に来ていた。 



シェリーの大手術の後、彼女を温かく保つために沢山の薪が必要とのこと、丁度我が家に余った薪があって良かった。 そんなわけで最近は朝一で大汗をかく仕事をする日が増えた。 毎朝ジムにかやっている感じで、なんだか体調がよく体がよく動く。 体重もかなり減ってしまってきたように感じるので、調子が良い。



お昼に昨日の残りのピザと我が家の畑からのサラダを食べて、ハムルームでクレジットカードの支払いなどをトライ・カウンティス・バンクからのペイメントをチェースに変える手続きをした。 その間にアリソンが休暇旅行中の代理不動産屋のドゥーイから電話で、別の係のタラが土地の下見にクライアントを連れて来たいと連絡があった。



うちは何時でも良いですヨと伝えると、午後の4時でどうかと言うのでOKと言った。 今日も暑い日だけれど、善は急げでもないが、どうせ片付け以外は暇なのだから、サッサと片付けた方が良いだろう。 どんな人が来るのか興味がある。



結局4時半ごろ電話があって、今日はスケジュールが遅れて来れないとのこと。
正に土地ドラマなのである。



Omake



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土地ドラマ その一

2024年06月05日 10時04分40秒 | 日誌

今日は、令和6年5月21日、火曜日 午後5時21分 晴れ 24度C
朝の10時に地元の不動産屋のアリソンと一緒に、バーニー・ガイガーさんの家を買った、お隣のランドルフが下の池を見に来た。 想定外だったのはスズキのオートバイで来たことだった。 初対面であったので、お決まりの挨拶をしただけだったが、ベイアリアから来た人らしく都会の雰囲気のある人であった。


何しろ初めての経験であったので、随分と気疲れしてしまった。 朝一でフロントゲート辺りをウィードイーターで綺麗に刈って、あっちこっちを大急ぎで片づけて疲れてしまった。 何とか出来るだけ片づけて頑張ったが、なんとなく徒労に終わった感じがして、よけいに疲れてしまった。


令和6年5月22日、水曜日 午前10時16分 晴れ 20度C
先ほど園さんと一緒に下の池まで様子を見に行ってきた。 池まで行くと黄色い水草の花の蕾が見えた、今までは花を見たことがなかったので驚いた。 葉っぱは睡蓮の小さな形で、花も同じように水面から茎が上がってきて睡蓮の花の形に似ていたが、色が綺麗な黄色であった。 後でカメラを持って撮影に行く予定だ。


今日も予定はトレイラーの片付けで、サッサと片づけて次の小さいほうのトレイラーの片付けを始めたい。 それが終わってランディーのヘルプが来ればポンプハウスの片付けを始める。 これは少々大変であるが、この方付けが終われば、大きな片付けは次のヤードセールになる。 クレアリーの計画していたヤードセールに参加できて抜群のタイミングである。上手くこのヤードセールを活用して順調に片付けを終えたい。


早くスターリンクが届かないかと気になる。 先週の木曜日にフランクのスターリンクを借りて注文したのが16日の午後、途中何時もの通り配達住所と請求書住所の事や銀行のフロッド・プロテクションで手間取ったが、午後には注文番号と新しアカウント番号をもらった。 3~9日で届くそうなので、今日あたりにも届くかも?


スターリンクが届いたら我が家のリンクの名前はアースリンクにしようと思っている。 フランクはアバウトタイムと名付けている、何となく理由がわかる気がする。


明日は新しい不動産屋がバイヤーを午後1時連れてくるらしい。 以前フォーセールの看板を出してスグ、何かの間違いでブランドニューのピッカピッカのGMCピックアップでメキシカンが土地を見に来たことがある。 顔形が布袋様に似ていたのでホテイサマとあだ名を付けたが、もし同じメキシカンだったら偶然でも出来過ぎである。


そして今週の月曜日に、土地をマーケットに載せて以来最初のアポのあったニューヨークからのコントラクターも遂に金曜日には、レイトンビルにくるらしい。 彼はNYからEVで来る途中にタイヤ・プロブレムで遅れ結局彼の車テスラはトウトラックでミシガンまで引っ張れれて行くことになったそうで、ネバダあたりから普通のガスエンジンの車を借りてこっちに向かっているとのこと。 全く電気自動車で家の土地を見に来るとは我々の時代から随分変わったねと話していたのに、


午後9時27分
午後にランディーが、ヤードセールで売る品物の移動用にトレーラーをもってきてくれた。 トヨタの4ラナーで引っ張ってきた、家のフォードにヒッチ用のボールを付け替えて、後は何時ものように長時間駄弁っていった。 彼は話付きで、仕事にまつわる話など話題に豊富であるので、ツイツイ長話をして行く。


その後ランディーが帰った後アトリエでノンビリシテいると園さんが携帯を持って来て、”今さっき誰かから電話があったそうな”と言うので、携帯を見るとレッドウッド・バレーからの電話と留守番電話にメッセージがあった。


ボイスメールに電話するとフェデックスからの電話で今日の午後の配達で住所が分からなかったので配達が出来なかった、とのメッセージがあったので、早速FDX に電話して事情を聞いた。 新しい配達員でGPSにフィッチロードがノースロードの先に表示されなかったらしい。 多分古いGPSナノであろう、今までフェデックスでのトラブルは、殆どなかったがUPSの配達はショウっちゅう問題があった。


とにかくこの地域は田舎過ぎて、郵便局の配達はないし、多くのジップコードの検索や地図では、プライベート・ロードなので掲載されていないので、メールオーダーの配達など時々問題がある。何れにせよ明日にはスターリンクが届きそうだ。



明日は、バイヤーが不動産屋と一緒にくるとアリソンから連絡があった。 ランディーも朝からポンプハウスの片付けを手伝いに来てくれる。 明日の朝は、その前に園さんと池の黄色い花の写真を撮りに行って、池までの道の修理をトラックターでやって、前のゲートの横をウィードイーターで少し綺麗にして、トラベル・トレーラーの片付けをやっておきたい。
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令和6年5月6日、月曜日 午前1時35分 曇り 1度C

2024年05月06日 17時34分17秒 | 日誌


最近毎日朝早く前庭に来ていた小さなウサギがここ2~3日見かけないので心配していたけれど、今朝は前庭に来て新芽を食べていたのでホッとした。 裏庭でいつも食事をしていた大きいウサギもここ何日か見かけない。



やはり野生の動物は何時何が起きるか分からない。 山にはマウンテン・ライオンや熊がいるし、ご近所の犬が放されていると狙われるだろうし、か弱いウサギや鹿などは生き残るだけでも大変だろう。



今は結構新芽が多いから食べ物には困らないだろうが、夏の後半の乾季には食べるグリーンが少なくなって、わずかに残るチコリの葉っぱや茎などを食べるしか無いだろう。 今は我が家には犬がいないのでチョット楽かもしれない。



今日は朝から予報通りのウインターストームのおかげで、かなり強い雨が降り続き珍しい5月の嵐になった。 気温もさほど上がらず朝からストーブを使っている。



それでも、もともとは昨夜の8時頃の予報だったのだが、実際は午前1時頃に降り始めた。 実際の天候と天気予報とでは、普通2~3時間のずれがこの辺では普通だが、今回は5時間近くずれていた。



現在下の池までのパスと池の周りのパスのオープニングのプロジェクトを進めているけれど、この雨のおかげで中止で、今日は久しぶりのQKBにした。



5月10日に不動産屋からの依頼で写真家がドローンで我が家の池などの撮影に来ることになっている。 池までの散歩道と池の回りのパスが、完全なオーバーグローで散歩も出来ないので、道をクリヤーにする作業を続けている。



もう何年もほったらかしにして居て、以前はトラックで通れたところも歩くのがやっとになってしまった。 長年の無視で大きな木が倒れていたり、道の回りの木々が大きくなりすぎて通行に大変不便になってしまっていた。



兎に角裏庭から池に行く散歩道のゲートからほゞ全部切り開かなければならなくなっていて、大変な作業になってしまっている。





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令和6年4月4日、木曜日 午後4時44分 雪のち雨 2度C

2024年04月05日 09時40分49秒 | 日誌


今日は4月には珍しく雪が降った。 天気予報では雪の予報だったので別に驚きはしなかったけれど、朝のまだ暗いうちは雨で気温も華氏で30度半ばであったので、まさか7時半前には急に雪に変わった。 ボタン雪ぽかった降り始めから暫く経つと本格に降り始めって見る見るうちに積もっていった。



あっという間に銀世界に変わってしまった。 ウインター・ウェザー警報も出ていた。 なにしろ今年の雨季はよく降る、4月に入って雨季ももうお仕舞の時期になっているけれど、5月までもつれ込む可能性だってある。



暖房用の灯油が無くなったので、ユカイヤまで45分ほどのドライブなので、ついでに何か所かによって用事を片付けることにした。 先ずカウンティ・アドミニストレーションの建物にある事務所でTaxを払って、トラックターの販売店に寄る。 



その後ウォルマートに行ってパワーリングを探す、丁度気に入ったのがあったので購入する。 この手のリングは2つとも日本に置いてきているので3っつ目になるが、気に入ったのが手に入って喜んでいる。



最後に灯油を20ギャロン買って帰途に着いた。帰りも絶好のドライブ日和で久しぶりにゆっくりと景色を楽しんだ。 昼過ぎには無事に家に帰ってきた。



指輪の話だが今こちらにあるのは、昔オハイオのデイトンで手に入れた得体のしれないリングで、どういった経過で手に入れたのかまったく記憶に無くただビーバークリークのボウリング場で夜清掃のアルバイトをしている時に見つけたような気が薄っすらとする。



一見ルビーっぽいけれどガラスかプラスティックで玩具の指輪、多分ステンレスか何かの金属をプレスしたもの。独特の赤色が気に入っている。



もう一つは昔ツァーガイドのアルバイトでメキシコのティワナで買ったメキシカン・オパールで、その石をヒッピーの友人だったサニーが銀で作ってくれたもので、渓谷に架かる虹の様に柔らかくて暖かい色のある石で、これも気に入っている。



そもそも指輪が好きになったのは、本物のダイヤの指輪をある事情で頂いたのがキッカケで、それはかなりのサイズで非常に上質のダイアだったので、とても奇麗でした。残念ながらその指輪はもう手元に無いのですが、今はその代わりに素晴らしいパワーリングが3つもあります。



Omake




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フォードのカギが無くなった。

2024年03月23日 08時17分47秒 | 日誌


以前トラックのカギを失くしたことがある経験から、何かの状況でどこに置いたかを忘れたのが原因で、探すのに苦労したのを思い出した。 今回の場合も、やはり何かの理由で何時もの決まった場所に置けなかったので、後で見つけやすいように分かりやすい場所に置かなければと思ったので、目に付きやすい場所に置いた記憶はあった。



しかしその場所がどこであるのかサッパリ思い出せなかった。 その後カギは必ず何時もと同じ処に置くように気を付けていたので、カギを失くす様なことはなかった。 ところが2週間程前に何時もの金曜日の買い物に出かけようと用意をしていると、トラックのカギが見当たらないのに気が付いた。



前の日に車のオイルチェックやタイヤの空気圧のチェックをしておいた。 ウイリツまでの道のりは、ハイウェイ101で約30分少々の高速運転で山の中を走って峠を超えるので、月に一回は車のメインテナンスと安全チェックを行っている。



その時はカギを探す時間がなかったので、園さんの持っている合鍵を使って買い物に行かなければならなかった。 その日は問題なく買い物をして帰ってきたが、カギが無いのはやはり気になったが仕方なかった。



その後、雨の日が続きカギを探す気にはならなかったし、出かける必要がなかったので、暫くカギのことは忘れていた、、、が、金曜日の買い物の日までにはカギを見つけておきたかったので、お天気になった日に二人で本格的にカギを探すことにした。



倉庫の中はさんざん探したので多分もう出てこないだろうと思ったので、もう一度トラックの中を調べたほうが良さそうだった。 間違いなく目に付きやすい場所にカギを置いたのは覚えているので、引き出しの中や、何かの下に置くはずがないとの確信はあった。



トラックの運転席のドアーを開けて気が付いた、何か座席の間に挟まっている。 よく見るとなくなったカギの一部であった。 フォードのカギが見つかったのである。



なんと、よく目に付くようにと運転席の座席の上に置いていたのだが、何かの拍子に気が付かないで運転席に座ってしまい、その時に座席と背もたれの間に落ち込んだのであろう。
そのまま2週間ほど気が付かなかったのであった。 まぁ物が無くなるってそんなものかなと思ったりもした。



いづれにしても、今日もまたまた雨で、暫く雨の日が続きそうである。 なんとなく雨が降らないとさみしく感じるようになった。 雨の音の音色とリズムに風が加わりなんとなくいい感じだ。



Stay dry and keep warm



Have a wonderful day



Omake








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令和6年3月3日、日曜日 午前6時21分 大雪 -2度C

2024年03月04日 00時25分05秒 | 日誌


今朝もまだ暗いうちから起きてゴソゴソやっている。 昨日ほど早くなかったが、外はまだ月明りであった。



予報どうり雪と雷が激しかった昨日は、ブログを投稿したときは、まだ外は暗くて見えなかったけれど、明るくなると雪が降っているのに気が付いた。



その後、雪は降ったり止んだり大きな雷の音が何度か聞こえて、可成りの量が降ったようにおもう。



朝6時半過ぎになって薄っすらと明るくなると、又雪が降っていた。 兎に角こういったことを予想して金曜日に雨の中を出かけて用事を片付けておいて良かった。



投稿用の原稿を書いているうちに外は明るくなってきたが、雪も可成り降り始めた。この調子で降り続くと相当積もるかもしれない。



何れにせよ、こんな日は家で暖かくしてノンビリするのが一番だろう。




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