旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

日記 005 バナナ 芭奈々 Banana

2011年07月24日 21時20分57秒 | 日誌

バナナの皮の意外な四つの効果:バナナの皮には植物油が豊富に含まれており実は、これが人間の肌にも良いとされている。 おまけに鎮痛効果もあり化膿止めや痛み止めに効果があるのだ。

1. とげ抜き
とげの刺さった部位に、バナナの皮をテープで貼り、10分間放置する。すると、酵素の効果でとげが自然に除去される。
2. かゆみ止め
虫にさされた場所をバナナの皮でこすると、かゆみが和らぐ。
3. 頭痛止め、しわ取り
バナナの皮を額にこすりつけると、次の2つの効果が得られる。まず1つが頭痛を和らげる。そして、しわ取りの効果も得られる。
4. すり傷の痛み止め
すり傷をした場合に、患部にバナナの皮を当てておくと、鎮痛効果が得られる。

いかがだろうか、かなり意外な効能であるために驚いた人も多いのではないだろうか。是非、これらの症状があるときは、バナナの皮を活用して欲しい。このほかにも靴磨きにも効果があるようなので、試してみてはいかがだろうか。ただし、患部に当てる場合には、衛生面に十分に注意して頂きたい。


屋久島発 田舎暮らし通信「バナナの木」2006年11月07日撮影の写真を拝借しました。

上記の記事に出くわした、時々寄るブログでリブログしていたのだが、ソースのリンクがあったのでチェックしてみた。 「ロケットニュース24」と言うサイトでそこでの参照元は、"BIT REBELS"とあったのでリンクしてみたら、上記の日本語版の元の英文にたどり着いた。

"The Healing Power of Banana Peals"というのが、ビット・レベルスでのタイトルであった。
英文でのアーティクルは、アダムス・コンサルティング・グループ、CEOのダイアナ・アダムス(Diana Adams)女史でした。



1. Removes Splinters – Forget sticking yourself with a pin to get a splinter out! Just tape a piece of banana peel to your splinter and within ten minutes, the enzymes will remove the wood.

2. Relieves Mosquito Bites and Poison Ivy Itching – Just rub your banana peel on your bug bites and rashes to stop the itching. This will come in handy here in Atlanta since we have gigantic Tiger mosquitoes that love to munch on me.

3. Makes Wrinkles and Headaches Disappear – Rubbing a banana peel on your forehead over and over will do three things… Make your wrinkles go away, make your headache go away and make you look like you are completely insane.

4. Relieves Pain From Burns and Scrapes – Your little one fell off his bike and scraped his knee? Just grab a banana peel from the kitchen and let him rub it on his scrape. His pain will be gone before you know it.

Apparently banana peels are also good for shoe shining, polishing silver and making the garden grow better. Wow, who ever knew? Click on the source links below for more information about how you can get the most out of your banana peels.



こういうのって、やっぱりやってみないと何とも言えないので、早速やってみることにした。
昨日の夕方、短パンで庭に水やりをしたので数カ所、蚊に食われてまだ痒いところがあったし、
足の甲の部分は掻き壊して少しヒリヒリしていたので実験にはもってこいだった。 結果は思ったより良かった、但し最初バナナの皮の内側を擦り付けたのだが量が少ないと思ったのでバナナ自体を少し練り潰して塗ってみたら、結構すっきりした。 


ネットで検索してみるとバナナは確かに肌に良いみたいで、ナチュラル・ハンドクリームとして今は我が家でも使っている。 もちろん食べても美味しい健康食品ですが、これはバナナの今まで知らなかった一面でした。


バナナ大学(カラダ創る、アタマ育む。)へのリンク: http://www.banana.co.jp/index.html


・・・・・・・・・・・・・

今日は、2012年4月3日:

目から鱗(うろこ)のバナナのむき方を知った、お猿さん達と同じ方法だそうだ。

http://www.youtube.com/watch?v=nBJV56WUDng&feature=player_embedded

そう言えば、近所のアメリカ人にミカンを出したが、むき方を知らなかった。
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日記 004 大相撲 名古屋場所 2011

2011年07月21日 03時49分40秒 | 日誌

大相撲が始まると時間と体調の管理が大変だ。 毎晩と言うか毎朝、現地時間で午前2時迄眠気と戦いながらの観戦で結構疲れる。 制作で午前2~3時ってどうって事ないけれど、毎日15日間午前2時過ぎはかなりきつい。 昼間、何とか昼寝をしようとするのだが、そう言う時に限って電話がなったり来客が来たりするので睡眠不足は免れない。

しかし待ちに待ったテレビ放映の再会である。 波乱の名古屋場所とよく言われるが、残り後わずか賜杯の行方も面白くなって来ている。 今場所を特にエキサイティングにしているのは、新入幕の6力士、魁聖、栃乃若、宝富士、高安、大道、富士東である。 (魁聖と栃乃若は放映されなかった先場所に初入幕をはたした) 長く稀勢の里の付け人をしていて、今度十両上がってきたチェコからの隆の山も期待したい力士だ。


38歳の魁皇が遂に横綱千代の富士(現九重親方)の持っていた最多勝記録を塗り替えたが、一昨日同じ大関の琴欧洲に敗れて引退をし年寄「浅香山」を襲名した。 同じ福岡出身で大関を狙っている関脇琴奨菊の気持ちに何らかの影響を与えたのだろう、昨日横綱白鵬を破り来場所の大関昇進に大きな期待を持たせた。 


今場所はダントツ横綱白鵬の8連覇がなるかどうかの期待もあるが、日馬富士の調子が戻って来ていて元気よく、いつもの前半の取りこぼしもなく11連勝で優勝争いのトップ、後半にダレル把瑠都も2敗を堅持している、これから面白くなる、千秋楽まで目が離せない。

(画像は、2007年大阪場所を観戦した時のものです。)
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芸術鑑賞 015 エドワード・ウェストン 続き・2

2011年07月16日 22時57分18秒 | 芸術鑑賞

Edward Weston. "Bodega Coast", 1937.
「ボデガ・コースト」は、北カリフォルニアのボデガ・ベイの海岸の写真です。 海岸をテーマにするアーティストは多いですね、やはり海岸線の地形、海に波、水平線に空と雲、役者が揃っているからでしょう。 ウェストンのこの海岸の写真も光と影の美しさを波の白さと浜辺の暗さでドラマテックに写し出していると思います。

世界大恐慌は裕福であった妻フローラ・シャンドラーの資産にも大きく影響しウェストンも経済的に大変な時期をすごします。 1937年に待望のグッゲンハイム・フェローシップを写真家として初めて受賞したおかげでアメリカ国内を旅して写真を撮ることが出来たのです。 この時の多くの風景写真にもウェストンのスタイルがよく感じられます。

 
Edward Weston. "Hill and Telephone Poles", 1937.
"Nature must not be recorded with a viewpoint colored by psychological headaches or heartaches..."
ウェストンは、自然を偏見の目で写しては駄目だと言っています。 この何処にでもあるようなカリフォルニアのバック・ロードの風景も彼の目にかかっては、不思議な雰囲気を持つシュールなイメージに変わってしまうようです。


Edward Weston. "Mono Lake", 1937.
シェラ・ネヴァダのヨセミテ国立公園の東にあるモノ・レークは、はけ口のない湖で塩分の強い水で独特のエコ・システムを持つ事でよく知られています。 1941年からロス・エンジェルスへモノ・レークに流れるべき水を引いたので湖面が極端に下がり大きな環境問題になりました。


Edward Weston. "Cracked Earth, Borego Desert", 1938.
"I get a greater joy by finding things in Nature, already composed, than I do from my finest personal arrangements. After all, selection is another way of arranging...
自然の中にあるものから何かを見つける事のよろこびは、誰にでもあるでしょう。 ウェストンは、干上がって出来た土の亀裂の中に、そんなものを見つけたようです。


Edward Weston. "Zabriskie Point, Death Valley", 1938.
"I am no longer trying to 'express myself', to impose my own personality on nature, but without prejudice, without falsification, to become identified with nature, to see or know things as the are, their very essence, so that what I record is not an interpretation - my idea of what nature should be- but a revelation, a piercing of the smoke screen..."
ウェストンは、自然に対しもはや自己主張をしようとはしないと語っています。 自然をありのままに見てありのままを知る事で自然と同調し、写真に自己の解釈を入れないようにしたようです。
私は、自然とは不思議にバランスの取れた美しい状態にある、いかにそれを取り出すかはアーティストの技量であると思います。 要は、チャンとすれば自ずとよい作品が生まれると言う訳だ。


Edward Weston. "Gulf Oil, Port Arthur, Texas", 1941.
テキサス州ポート・アーサーにあるガルフ・オイルの精錬所の写真です。 工場のタンク、パイプや煙突はこの時代のパワーのシンボルとして多くのアーティストがテーマにしています。 人工的な機能美や形体の面白さは見逃せないモティーフだったのでしょう。


Edward Weston. "Santa Fe Engine", 1941.
ロコモービル・エンジンも又おおくのアーティトが創作テーマのサブジェクトに選んでいます。
チャールス・シーラーのダイナミックで力強いエンジンの写真「パワー・ウィールス」(1937年)と比べると、ウェストンの「サンタ・フェ・エンジン」は以外に精密機械的にとらえているように感じました。


Edward Weston. "New York", 1941.
当時のニューヨークの高層ビルは、やはり多くのアーティストがテーマに選んでいます。 そして多くがアメリカ産業パワーの象徴のように雄大に力強く表現していますが、ウェストンの「ニューヨーク」は高層ビルの壁や窓の作るテクスチャーの形やパターンの面白さをうまく表現していると思います。


Edward Weston. "Comics, Elliot Point", 1944.
"Art must have a living quality which relates it to present needs, or to future hopes, opens new roads for those ready to travel, those who were ripe but needed an awakening shock..."
ワシントン州のエリオット・ポイントの壊れたベンチにサンデー・ペーパーのコミック・ページが無造作に置かれています。

ウェストンは、1940年台にパーキンソン氏病(Parkinson's Disease)になっています。
その後は、息子達の手を借りて写真プレートの整理に時間を費やしたようです。


Edward Weston (1886 - 1958)
エドワード・ウェストンは、ニューヨークでなくカリフォルニアに移って芸術活動を続けたアーティスト達のパイオニアでもあるのかも知れません。 ボヘミアンからヒッピー、ヤッピーと続くカリフォルニア文化の流れの一部のような気がします。 余談ですが彼は、 ベジタリアン(菜食主義者)でもあったようです。

エドワード・ウェストンは、本質的にアメリカン・フォトグラファーそれも特にカリフォルニアン・フォトグラファーと言えるでしょう。 彼は、1958年1月1日にカーメルでなくなっています。 72歳でした。
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芸術鑑賞 014 エドワード・ウェストン 続き・1

2011年07月15日 23時41分28秒 | 芸術鑑賞

Edward Weston. "Self-portrait", 1915. Gelatin silver print. (16 x 11.4cm).
エドワード・ヘンリー・ウェストン(Edward Henry Weston)は、1886年(明治19年)3月24日にシカゴ郊外ハイランド・パークで医者の父と女優の母の二人目の子供として生まれています。 

5歳の時に母を亡くしたので、ウェストンは9歳年上の姉に面倒を見てもらったようです。
父親は再婚しますが新しい母にも子供がいたので、彼は姉とよりクロースになりました。


Edward Weston. "Lake Michigan, Chicago", 1904.
エドワード・ウェストンが18歳の時に撮った写真、「レーク・ミシガン、シカゴ」。
1902年、彼が16歳の時に父親から初めてのカメラ、Bull's-Eye #2を買ってもらいます。


Edward Weston. "Self-Portrait with Camera", 1915. Gelatin silver print. (11.6 x 7.6cm).
引きこもりがちだったウェストンにカメラは、ちょうど良いギフトだったようです。 すぐに中古の5x7インチ、ビューカメラを買ってシカゴ近辺やミッド・ウエストの農場などへ活発に撮影に出かけるようになりました。 彼の写真は当時の写真専門誌にも掲載されました。

1906年、20歳の時、結婚してカリフォルニアに引っ越していた姉の近くのトロピコに移ります。
1908年の夏に小学校の先生をしていたフローラ・シャンドラー(Flora May Chandler)を紹介されます。 彼女はウェストンの姉のベスト・フレンドで7歳年上でしたが、翌年に二人は結婚し4人の息子が出来ます。


Edward Weston. "Japanese Fighting Mask", 1921.
ウェストンは、1911年にロス・エンジェルスの郊外トロピコ(Tropico)、現在のグレンデール(Glendale)、に彼自身のThe Little Studioと名付けたポートレイト・スタジオを開きました。 多分日系移民が近所に住んでいたのでしょう。 当時としては着物や剣道の防具などは、まだとても珍しかったと思います。


Edward Weston. "The Ascent of Attic angles", 1921
屋根裏部屋は壁が斜めになっているので造形的にはとても面白く多くのアーテイストがモチーフとして選んでいます。 若い頃や貧しい頃に使われた部屋のイメージも強くノスタルジックな感じがあります。 しかし屋根裏部屋の窓からの景色は、どの家でも一番よいのです。 このブログの中では、ナイルス・スペンサーの作品(The Dormer Window)があります。(読書 その三十六 フロク・3-中 学友)


Edward Weston. "Margrethe Mather with Phlox", 1921.
"the first important person in my life, and perhaps even now, though personal contact has gone, the most important."
1913年の秋にウェストンの評判を聞いてスタジオに尋ねてきたマーガレッタ・マーサー(Margrethe Mather)は、ロス・エンジェルスの写真家で、ウェストンは彼女から今までに知らなかった自由な発想のアートやライフ・スタイルなど大きな影響を受けたようです。 その後、彼女はスタジオのパートナーとして制作をしました。 ウェストンのシェルや野菜果物シリーズやフィギュアに関心を持ち始めたり、それに下の"Washbowl"のような作品など、彼女の影響がおおいにあったようです。


Edward Weston. "Tina Modotti", 1921. Palladium print. (24.1 x 19.1cm).
イタリア人で写真家、あるいは女優だった?ティーナ・モドッティとは、上記のマーサーと同じようにロマンチックな関係にあったようです。 ウェストンがヌード写真の勉強をしているときモデルになっています。 3年間ほど家族から離れメキシコで制作や展覧会をした時には、彼女と一緒でした。
ここでは紹介していませんが、メキシコのピラミッドや壁画、フォーク・アートなど多くの写真を残しています。


Edward Weston. "Telephone Lines, Middletown, Ohio", 1922.
ウェストンの姉夫婦が、オハイオ州のミドルタウンに移った後に尋ねて行った時に写したものです。
義兄に旅費を工面してもらい、当時写真活動の中心だったニューヨークに行った彼は、そこでシュティグリッツやチャールス・シーラー、そしてポール・ストランド会うことが出来きたうえ、彼らから高い評価を得たのでした。 
読書その六十五フロク・5-C 画家・写真家、チャールス・シーラー(写真家、画家)


Edward Weston. "Armco Steel, Ohio", 1922.
このミドルタウンで写したアームコ・スティールの写真が、ウェストンのスタイルが当時ポピュラーだったソフト・フォーカスのピクトリアリズム(Soft-focus Pictorialism)から、シュティグリッツ達の推していた自然光のストレイト・フォトグラフィー(Straight Photography)へと移行していった節目になったようです。 


Edward Weston. "Washbowl", 1925.
アッシュ・キャン・スクールの影響が伺えるような作品ではないかと思います。 ウィンストンは、普通では写真に撮らない場所にも造形美を見つけています。 このような素直な目が、後に有名になった、シェルや野菜・果物シリーズを創り上げた感受性と創造力の元になっているのでないでしょうか。


Edward Weston. "Bedpan", 1930. Gelatin silver print. (24 x 18.1cm).
この作品も上の「ウオッシュボゥル」と同じように人工的造形美をモチーフにした写真ですが、何故かマルセル・デュシャンの「レディーメード」を思い浮かべさせる写真です。
 

Edward Weston. "Nude", 1925.
"I want the stark beauty that a lens can so exactly render, presented without interference of artistic effect".
エドワード・ウェストンは、ヒューマン・フィギュアーの中にも上の「ベッドパン」と同じような造形美や官能的カーブを見いだしています。 後の「ペッパー」(ピーマン)などの野菜・果物シリーズの中でも同じようなとらえ方をしています。 これがウェストンのクリエートした写真のとらえ方、表現方法のスタイルではないでしょうか。


Edward Weston. "Nude", 1925. Tina Modotti, with Seneca View Camera.
ウェストンのヌード作品には、女性の形体美に対するアプローチがユニークなところがあります。
この頃はまだフィギュアの中でも造形的なものが優先されているように思います。


Edward Weston. "Shells", 1927.
1927年にウェストンは、ロス・エンジェルスのアーティスト、ヘンリエッタ・ショアー(Henrietta Shore)に出会います、彼女が長年描いていた貝(Nautilus)のペインティングの影響があったとウェストン自身のノート(daybook)に残されています。

グレンデールのスタジオで撮影されたこのシェル・シリーズの作品は、8x10のコンタクト・プリントで、組み合わせられた造形美と共に貝のテクスチャー(質感)や光沢などを素晴らしい写真技術でとらえています。 モティーフを自分で創り上げるやり方は、クニヤスも彼の静物画でよくやってまいしたが、一種の彫刻的シンボルのようなものでしょう。 


Edward Weston. "Two Shells", 1933 gelatin silver print from a May 1927 negative.
メキシコからカリフォルニアに帰ってきたウェストンは、最初はグレンデールに戻りますが、その後1928年に息子のブレット(Brett)と一緒にサン・フランシスコにスタジオを開きます。 その翌年、展覧会で知り合った仲間の影響でカーメルに移ります。 ここで野菜・果物のシリーズやポイント・ロボスの風景で多くの印象に強く残る作品を制作しています。

この写真は余りにもポピュラーで昔から何気なく見ていたので、この貝が二つの貝を組み合わせたものだとタイトルを調べて始めて気がつきました。 長い間「随分ユニークなオブジェクトで面白い形をした一個の貝」だと勝手に思い込んでいました。


Edward Weston. "Cypress Root, Seventeen Mile Drive", 1929.
1928年にはサン・フランシスコでアンセル・アダムス達と写真クラブF/64を創立しています。

カリフォルニアのモントレーにあるセブンティーン・マイル・ドライブは、有名なプエブロ・ビーチ・ゴルフコースも近くにある風光明媚な道として知られています。 太平洋からの強い風で海岸や道の両脇に植えられたサイプレスの木が変形しているのをよくみかけます。 


Edward Weston. "Cypress, Point Lobos", 1929.
1929年にウェストンは、ソニヤ・ノスコイアック(Sonya Noskowiak)と出会い、又々5年間ほど助手、モデル、愛人の関係になります。

現在のポイント・ロボス近辺のカリフォルニア・コーストには、外来種のユーカリ(オーストリア原産)が海岸を走っているハイウェー・ワン(Hwy-1)の道沿いに多く、サイプレスの木は少なくなって来ているように感じます。 サイプレスの木も南ヨーロッパが原産地だから昔スパニッシュが防風林として植えたのかも知れません。


Edward Weston. "Pepper No. 30", 1930.
この上下の写真は、ウェストンのポピュラーな「ペッパー」シリーズからのものです。 前回のキャベツ、そして有名なアーティチョーク・ハートの断面など彼ならではの目で植物の中にある造形美を引き出しています。


Edward Weston. "Pepper No. 35", 1930.
当時ウェストンのヌード・モデルでパートナーそしてラバーのSonya Noskowiak が持ってきたピーマンを使ったように、彼の制作過程には多くの女性の影響があったようです。 こういった一連の静物写真のクロース・アップでウェストンは、芸術家の目を通しての美をカメラの技術でとらえ表現したと言えるでしょう。 


Edward Weston. "Point Lobos", 1929.
ウェストンは、モントレー・カーメルの近くにあるポイント・ロボス近辺でもよく撮影しています。
海に浮かぶケルプ(海草)の写真もよく知られていますが、上下の写真は風化による自然の造形美に目を当てています。 時間によって削られた曲線美と表面のパターンを自然光の中でうまくとらえています、多分長い時間をかけてこの一枚を写したのでしょう。 


Edward Weston. "Eroded Rock No. 50", 1930.
こちらも何処でもありそうな、うまく波で洗われ自然の彫刻作品となった岩にたまった海水と海岸の黒っぽいペブルのバックグラウンドでひきたてたウェストンのスタイルが感じられます。


Edward Weston. "Nude, Charis Wilson", 1936. Gelatin silver print. (24.1 x 19.2cm).
He wrote: "A new love came into my life, a most beautiful one, one which will, I believe, stand the test of time."
1934年初頭、ウェストンは、カーメルのシャリス・ウィルソン(Charis Wilson)に出会います。 数多い女性関係の中で若くて知的な彼女は特別でした。 二人は12年間程一緒でした、その間1939年から1945年までは結婚しています。 シャリスは単にモデルのみならず写真集の文章を担当しウェストンの制作のアシストをしました。

ウェストンのヌード・シリーズの作品の中でも傑作のこの写真は、構図のすばらしさに加え影を大変上手に利用しています。 彼自身も書いているようにまさに時間のテストに耐えられる芸術写真だと思います。 我が家にも一枚プリント・アウトして額に入れて飾ってありますが、見飽きません。
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