旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

日記 021 ブラギング bragging

2011年12月27日 18時41分41秒 | 日誌


「外見だけでは人は分からない」と言うけれどそもいかない、チョットオシャレな人を見るとセンスがいいなと思ってしまうのが自然である。 「顔には性格が、体は生活が出る」に出くわしたおかげで、遊んでいてもドーミエの観相学への関心の意味が理解出来たのはよかった。



勝負は髷(まげ)一本の差、横綱白鵬を倒したが三場所合計33勝に届かず大関になった稀勢の里、来年初場所は優勝争いに加わらないと本人の気持ちが治まらないだろう。 小結復帰の雅山が三役で、どこまでがんばれるか期待したい。 栃の若や隠岐の海、若手がぐんと伸びてきている鶴竜、豊ノ島両関脇もうかうかしていられない。 とにかく大関が、がんばらないと場所が盛り上がらない。



この画像とは全く関係無いが、ロシア人の「理想的な人は?」というと「英国人のように料理が上手で、フランス人のように外国人を尊敬し、ドイツ人のようにユーモアに優れ、スペイン人のように仕事ができ、イタリア人のように自制力が優れ、米国人のように外国語が上手で、中国人のように月給をたくさんもらい、日本人のように個性が豊かで、韓国人のように人のせいにせず、ロシア人のように酒を慎む人」だって。



”集中力がついた、というか集中するという概念(感覚?)を覚えた。 どの問題を解くにも制限時間を設ける、その間ひたすら問題を解き時間をやり尽くしたあとの達成感充実感も覚えた。
めり・はりを体感でき身につけることで普段の生活でも前に比べてめり・はりのある(やるときはやる的な)行動ができるようになった気がする。 物事に集中できるようになって、効率が上がったのは確か。” なんだか素晴らしいことに気がついたようだが、これ「そろばん」を始めた人の感想。
並大抵の集中力では出来ない技。



いかにスピードのために抵抗を少なくしているか、指の先まで流線型。



水の透明な膜が見えるアングルといい、カラーといい現代写真ならではの魅力満載のイメージ。



このイメージは、何故か強く印象に残る。 朝早く手をつないでゴミ山へ仕事に行く子供達のシルエット、でもそんな暗いイメージは全くなく楽しそうに何処かおとぎの国へ遊びに行っているように見えるから不思議だ。



この少年は、いったいどうしてこんなに驚いたのだろう? 左端にその答えはあったのだが、クロップして取り除きました。 みる人のイマジネーションで考えた方が面白いかもしれません。



これを見てピンと来ない人と,これを考え出した人との想像力の差は、どのくらいあるのだろう。



夏に犬を洗ってやると必ずそばに来てパタパタとやる、あっちでやってくれと思うけれど、ずぶ濡れにされたお返しと思っているのだろう傍で水がかかるようにやる。



そうなるとこっちは逃げるのに必死だから、その時の犬の顔など見ていられない。 



誰か知らないがそれを記録してくれた。 犬のスキンはかなりゆるいと思っていたが、まさかここまでなるとは想定外でした。



こういうのが街にあふれると結構面白いかもしれない。



一度見てしまえば簡単であるが、ゼロからイマジネーションで作られた傑作。



「子供の頃、よく家族から何かとヘ理屈を言うとけなされた、ささいなことを言うと神経質だとたしなめられていた。 大人になって嫁さんが来た。 ヘ理屈でなくて哲学的なのよと教えてもらった、神経質でなくて繊細なのよとほめられた」、誰の事か知らないが人の評価って、その人次第なんだと分かった。 当然、ほめられた方が気持ちが良い。 イマジネーションとインスピレーションによって、実際の変化も先ずは頭の中から始まる。



顔と体をテーマに遊び半分に関連画像を集めてみた気晴らしブログ・シリーズも少々くどくなりました、今回でお仕舞いです。 来年からは改善されたブログをお楽しみに。


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日記 020 リブロギング reblogging

2011年12月22日 23時12分20秒 | 日誌


うぁ~カワユイと感じるのは何故だろう?  手のひらサイズの親子の顔とポーズかな、それともハリネズミの赤ちゃんの無防備な柔らかさかな、花をみてキレイと感じるのとは違うみたいだ。



どこにでもある家族写真、子供達のお行儀が悪いのは親の悩みの種、でもそこがカワユイところ。



大きさ、年齢に関係無くカワユイが、ハリネズミの赤ちゃんのカワユサと違う。



人って動物といると癒されるのに食べちゃう、クジラや犬には異常に反応するが、牛やブタはかまわないのかな。



ガラス一枚で別世界、見つめあって何を考えているのやら、何となく楽しそう。



人を感動させるには、必ずしも全てをさらけ出す必要はありません他にも方法はあります。 しかしこれだけのボディーだと、よくぞさらけ出して下さいましたとなる。



リラクゼーションは、どんなボディーのかたでもお気に入りのようです。



これは、かなりと言うか相当きつそう、モニターからつい顔を遠ざけてしまった。 いくら仕事とはいえ犬もつらい。



この間、ほのぼのとした絵ってどんな絵かなって考えていた、言葉で説明するのは難しい、絵を見る人がほのぼのと感じればよいのか、制作者がほのぼのとした気持ちであるのか、こんな感じの絵かな。



こちらは、アイデアは同じだけれどコミカル風、チョットやらせっぽい感じ。



誰かのアース・アートだったと思うけれど思い出せない巨大チューリップ。 



ちょいと調子に乗って又々遊びすぎたかもしれないが、どうせ好きでやってるブログ、誰に遠慮がいるものか・・・ですよね。 コーヒーはたまに飲む程度です、ご心配なく。
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日記 019 リブログド reblogged

2011年12月18日 14時31分37秒 | 日誌


ドーミエが観相学にこっていたと知ったとき、どうしてか理由がよく解らなかったが、あることでふと多分キャラクター作りに必要だったのだろうと気がついた。 顔、形でその人を判断しようとする考えだろうが、どこまで人は顔や体を見て相手の事を学べるのだろう。



何故か解らないが、顔で表す表情には、言葉以上の強い説得力を持っているように感じるときがある、 
非言語コミュニケーションというらしい。



顔はその人のシンボルである、そこから発信されるメッセージはなかなか隠せない、言わなくても「顔に書いてある」、ポーカー・フェースを毎日の生活で続けるのは無理だろう、思いや感情が表情に無意識のうちに出てしまう。
 


チョット顔を出して顔色を伺ってばかりいてもしょうがない、馬鹿な事をして顔が赤くなる事もある、顔が広ければ顔に泥を塗られることもあるだろう。



いろんな顔がある、十人十色だ。 大顔、小顔、丸顔、角顔、細顔、長顔、横顔?、でもどう言う訳か頭の形を顔で表現する。



怖い顔、優しい顔、醜い顔、セクシーな顔、いろいろな顔がある、そして顔の好みも千差万別だ。
どうしてか分からないが顔の好みは、色々な分野で結構強い影響力を持っているように感じる。



「目は口ほどにものをいい」なんて今は誰も言わないようだ、目配りしてもしょうがないからかも。
目線も顔の表情と同じで、無視できない重要な情報交換の手段ではないかと思う。



「上からの目線」って最近よく使われているようだが、ジロジロ見るとかチラッと見るとか、何となく下品な目が多いようだ。 何となく深く考えないで本能的についやっちゃうのだろう。 



特に感情面では強い力を発揮する、涙に潤む目で懇願されれば頼まれない訳にはいかないだろう。



それほど暇な時間が有るわけではないが、最近遊びの心が少ないのではと感じていたので肩の張らないブログにしたかった。 



イメージは見る人の心を反映するらしい。


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日記 018 リブログ reblog

2011年12月16日 22時16分24秒 | 日誌


顔には性格が出て、体には生活が出るらしいが、笑ってる顔には幸せが出ているのかもしれない。



笑顔には福が来るなんて昔からいうけれど、怒った顔や辛い顔を見るよりはよっぽどましである。



ペットが飼い主に似るのか、飼い主がペットに似るのか分からないが、どう言う訳か似てくるようだ。



犬好きに悪い人はいないと思いたい、太郎ちゃんも犬好きらしい、しかしどうもあの口を歪めて片方だけで喋る顔には、いま一つ疑問が残る。



いくらあの当時だといっても、これを堂々とネットに載せたわけだからただ者ではなかった。 しかし毎月千五百万円のお小遣いを貰っていて、もう少し何とかならなかったのかなぁと思う顔。



甘やかされっ子であるジョージ自身も、さすがに泣く子には勝てないようだ。



どっちが子供か分からないチャーリーのこの顔、将来王様になるのですからママも心配でしょうに。



毛沢東のお孫さんらしい、そう言われれば何となくふくよかな感じが似ている気もする。



残念ながら墓穴を掘ってしまった元横綱朝青龍、暴行事件で引退をしたとは思えない笑顔。



セクレタリー・オブ・ステーツの仕事は相当な激務なのだと思う、最近は疲労のせいか魔女のように年取って見えるが、この時は気丈夫なヒラリーらしくなくホッとして気持ちよく見える。 まぁ誰でも皇后様にハグして貰えれば悪い気がするはずがないだろうが。



例の電子制御の問題でトヨタ最大のピンチの時、ワシントンの議会で証言を終えた後、励ましに行ったトヨタ・ディーラーの集会で逆に励まされて、もらい泣きする豊田社長。 当たり前だが車好きだそうだ、素直な性格の人ではないかと感じ好感が持てた。



上下の写真には別に説明は必要ないだろう、大統領でなくダディーの顔。



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日記 017 ブログ blog

2011年12月16日 12時25分45秒 | 日誌


ブログに書き込むときは華氏(Fahrenheit)から摂氏(Celsius)に変えているが、日常では華氏をつかっている。 昨日までは摂氏零下5度前後の朝が続いていたが、今朝は、―1°C程で少し暖かく感じた。 秋の終わり頃に0°Cの朝を迎えると物凄く寒く感じるけれど一度零下5度を経験すると零度ってそれ程寒く感じなくなるから不思議だ。



そう言えば、オハイオ州デイトンで学生のころマイグレイン・ヘデェーク(Migraine Headache)に悩ませられた。 当時は原因も解らなく厄介な頭痛の種を抱え込んだと思っていたが、カリフォルニアに移ってきて全くなくなった。 オハイオの寒さが暖かい岡山出身者には向いてなかったようだ。



日が射し始め暖かくなってから散歩に出かけた、丁度雁の群れが飛んで来た、今までになく低く真上を30匹ほどがシェヴロン形の飛行編隊で飛んでいった、カメラ、カメラと思ったが、あっと言う間の出来事、どうしようもなかった。 夏に見つけたイエロー・ジャケットの巣が落っこちていた。 だいぶ前からブルージェイにつつかれたりしてボロボロになっていたが、先日の雨が最後の駄目押しだったのだろう。



ブログの軌道修正を図っているのだが、なかなか新しい形態が見えてこない。 logだから日誌である、昔から日誌や日記など何度か始めたがチャンと続けたためしがない。 多分得意分野でないのであろう。



よく延々としゃべり続けられる人がいるが、大変な才能だと思う。 毎日、何か書くに足る事が起きている毎日でもないし、毎日ブログを続けていく事の出来る人は、やはりそれなりの努力をしているのだろうと思ったりして・・・・・取り留めも無い事になる。



迷惑に感じられていたら申し訳ないが、あっちこっちでコメントを書いて気晴らしをしている。
いろいろなブログを見ても人それぞれあるように余り参考にならないし、暫くは模索が続くのだろう。


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日記 016 バーン・デー Burn Day

2011年12月13日 23時21分42秒 | 日誌


ここのところ毎日レイトンビルでは、氷点下の寒い朝を迎えている。 先週から都合のよいバーン・デーを待っていたのだが、昨日やっと夏からたまっていたゴミを燃やすことが出来た。



一口に家庭のゴミを燃やすと言ってもそんなに簡単な事ではない、「地球温暖化」関連で燃やす物、燃やせる時間などかなりの制限・規制がある。 メンドーシノ・カゥンティでは自分の土地から出た植物系のゴミ以外は燃やせないことになっている、簡単に言えば自分の庭から出たゴミ以外は燃やしてはいけない。 



規制が始まった頃に話題になったのは、日本でもお馴染みになった角材2x4(ツーバイフォー)、これは主に杉の木などで作られるのだが、この切りくずも加工品になるので燃やせない事になる。



丁度たき火を初めて煙が上り始めた頃に雁らしき鳥の群れが鳴きながらこちらに向かって飛んで来た。 どうするか見ていると、やはりコースを少し変えてチャンと煙を避けて飛んでいった、やはり鳥だって煙いのは嫌だろう。 



鳥の詳細は遠すぎて写せない、ここでもう一度もっとましなカメラがあったらと思った。



バーン・デーのこの日は、この間のスモークド・チキンの「改良版」を行う予定だったので、ゴミ燃やしと両方で家の回りが煙だらけになった。 



先回の反省から、マリネを3日に変更、前に使った赤ワインをシェリー酒に変えた。 今回は、同じ8時間のチャーコルを使うのならスモーカーに入るだけのチキンをスモークする方が経済的なのでぎっちぎっちに入れた。



今回のチキンのできばえは、最高でした。 ディナーはスモーカーで一緒に焼いたベークド・ポテトに芽キャベツをスティームしたもの。 そして家で採れたレッドペパーとイエロー・ズッキーニにオニオンをソテーした後ガーリック、ミソ、醤油のソースで似た物、そしてワインは先回のシラーからメンドーシノ産のジンファンデルに。 



折角のスモークド・チキン・ディナーの写真はありません、食べるのにむちゅうでした。



ブログに載せたかったのでゴミ燃やしの写真を初めて撮したのだが、ダイナミックに動く炎と煙は非常に興味深く面白いと思った。 後でビデオも撮っておけばと思ったが、やってるときは燃やす作業に夢中で、それどころではなかった。



マルセル・デュシャンがレディメードのバイセクル・ウィールの説明に暖炉の踊る炎のヴィジュアル・エフェクトを引用したと覚えているが、こういった炎の動きからキネティック・アートのコンセプトに入っていったのかなと思ったりした。



バーン・デーの時間は、午前9時から午後3時までに決まっている。 3時になったら水をかけて止めろと言う訳でもないだろうが、規制を作る以上時間も決めなければならないのだろう。 



規制を作るサイド、規制をエンフォースするサイド、規制されるサイドとそれぞれどちらにしても楽ではない。 サイドは違っても同じ人が関わる事である。



こういったタイプの規制はどこの国でも同じだろう、集団生活をする上で必要なことなのだが、何処かで線を引かなければ区別が出来ないやり方は非常に原始的で規制に縛られてしまう。 



規則やルールといったものは、人の生活をしやすくするためにあるのであって、決してそれによって苦しめられてはならないと思う。



くすぶっていたゴミの煙も夕暮れと共に薄れていった。 



まだ明るい西の空に珍しくほんの少し雲があって木々のシルエットの間からマグリット風にシュールに見えた。



沈む夕日で最後に照らされた杉や松の背の高い木の先端がまだ明るくひかっている、そろそろたき火も終わりだ。


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日記 015 ノー・バーン・デイ No Burn Day

2011年12月05日 20時00分45秒 | 日誌


レイトンビルの今朝はなんと零下3度、寒い冬の朝って感じでした。 今日は裏庭で夏の間にたまったゴミを燃やす予定でした。 メンドーシノ・カゥンティでは家庭でゴミを燃やす場合、まずエアー・クオリティ・マネージメント(Mendocino County Air Quality Management District)に電話して今日がゴミを燃やせる日かどうかチェックしなければならない。 風がない日や空気が汚れているときなど焼却が禁止されている。 今日は残念なことにパーミッシヴ・バーン・デイ(Permissive burn day)でなかった、予定変更、おかげでブログを更新することが出来る。



12月に約一年をふり返ってサブタイトルを「アトリエ葉神の公式ブログサイト」としテンプレートを変えた。 でも外見が違うだけで中身は同じだ、軌道修正がスグに出来るわけがない。 
10エーカー(100mx400m)の立体キャンバスがホームグラウンドの「アトリエ葉神」からのメッセージ、ここ北カリフォルニア麗鳶留(Laytonville)でのカントリー・リビングとアーティスト葉神悦王(aka J.E.Hagami)の作品と芸術論に花を咲かせるブログにしていきたいと思っている。  ここで少なくともある程度の方向性が見えてきたのは改善かもしれない。



この間の最初のウィンター・ストームの後に、この辺りで自生している松茸をパクパクさんが見つけて来ました。 クマ騒動の後なので池の手前の林だけにしたそうです。 この松茸の色は全体に白っぽい感じですが、香りとか食感はほぼ同じだと思います。 他にもセップ、モリエール、ブラック・トランペットなど食用のキノコがありますが、何と言っても一番旨いのは松茸です。



ここ数年以上使っていなかった古いスモーカー、昔ここに引っ越してきて乗らなくなったオートバイを処分した時に記念に買ったもので、ずっと軒下にほったらかしにしていた。 


一応ちゃんと綺麗に掃除して、前に剪定していた林檎の枝をスモークのチップとして使うことにした。



本当に久しぶりにやったスモークド・チキン、5日間のマリネと8時間のスモーキングの結果です。


コメント (2)
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