大月東中学校 美登里の日々

われら励みて人たらむ
われら学びて知るを得む
知るは即ち愛深き
行いをもて証とす
東中学 いや栄えあれ

『学力向上の集い』に参加してきました。

2014年10月30日 18時28分59秒 | つれづれ

22日(水)夜,大月市民会館で,雨天にも関わらず南北都留地区の小中学校からたくさんの保護者と教師が集まり,『学力向上の集い』(山梨県教育委員会主催)が行われ,本校からも,PTA会長をはじめとする役員の皆さんと校長・教頭が学校を代表して参加しました。
会では,「子供の意欲的な学習習慣を育む家庭教育」と題して,講師としてお招きした山梨大学教職大学院客員教授の中澤勇三先生と,大月市教育相談員の奈良一功先生のお二人にそれぞれに講義していただいたあと,座談会形式で「学力向上」に向けての課題や解決の手立てについて参加者との意見交換が行われました。
講義や意見交換の中で,「なるほど」と気づかされたり,「やっぱりそうだよね」と確認できたりと,たくさんのことを学ぶことができました。それを全部紹介できればいいのですが,3つに絞ってお話ししたいと思います。

その1 「新しい学力観」
グローバル化,情報化が急速に進む現代社会では,それに対応していくために,常に新しい知識と技術が必要とされます。そのため,かつてのように教科内容の理解(知識のつめ込み)だけでなく,それを活用する力(思考力・判断力・表現力)をつけ,課題を解決したり,新しいものを創り出したりする能力が求められています。
また,解決しなければならない課題が大きくなると一人だけの力では足りなくなります。そこで,集団で取り組んでいくために必要なコミュニケーション能力も必要となってきます。
そして何よりも大事なのは「関心・意欲・態度」です。すべてのものが学びの対象となります。関心を持ったら,そこに「なぜ」「どうして」と疑問を持ち,人に聞いたり自分で調べたりして解決を図っていこうとする気持ちがなければ学びそのものが成立しません。
表題の「新しい学力」とは,これまでの「知識・理解」とともに,「活用する力」,「関心・意欲・態度」を軸に,そこから派生する「コミュニケーション能力」,「課題解決力」といった,客観的な数値で表すことが難しい力も含めたものをいいます。
「学力」の定義が変われば,当然教え方も変わってきます。これまでのように教師が黒板を背にして教卓の前で一方的に説明する一斉授業や,たくさんの問題をこなすドリル学習では,「活用する力」はつきませんし,「関心・意欲・態度」の育成も図れません。もちろん,学習内容によっては,一斉学習やドリル学習も行いますが,身近にあるものを教材化して学びへの意欲を喚起したり,考えたことを文や絵にまとめさせて表現力を高めたり,グループ学習など協働的な作業を取り入れてコミュニケーション能力とともに多面的・多角的なものの見方・考え方を育てるなど,「新しい学力」向上のための取り組みをしています。
次回,授業参観の際には,以上の観点でご覧いただき,忌憚のないご意見を承りたいと思います。

その2 子どもとの関わり
学習に限らず,何をするにしても環境を整えることは大事です。ここでいう環境とは,子どもに部屋を与えたり,学習塾へ通わせたりという,物理的・経済的なものではありません。ちょっと気をつければ誰にでもできる,しかしとても難しい環境づくりです。
それは,子どもの心の安定を図ってやることです。
まず第1に話を聞いてやること。
中学生は思春期の真っ只中。小学生の時と比べると格段に口数は少なくなるし,こちらから話しかけても「別に」とか,「うん」とかのそっけない返事。だからと言って,何も話したくないわけではなく,心の中では葛藤の嵐が吹き荒れていて,誰かに話を聞いてもらいたいと思っています。そんな時,不愛想な返事しかもらえないからといって話しかけることをやめたり,子どもから話しかけてきたときに,忙しさにかまけてつい「今は忙しいから後にして」とか,「そんなくだらないことを」と頭ごなしに否定していると,ますます子どもは話しかけてこなくなります。
子どもがいつでも話しかけてこられるよう,たとえ返事はなくても「おはよう」という挨拶を言い続けることや,子どものどんな話しかけに対しておうむ返しでもいいから相づちをうってやり聞く姿勢を見せてやることが必要です。
話したいときに話せるような環境を作ってやると,揺らいでいる心は安定します。
次に,褒めてやること。
これくらいのことはできて当たり前だ,と思っていると褒める機会を失ってしまいます。子どもたちはできなくて当たり前という考えが必要です。できないから学習するのです。できないからできるようになるために努力をしているのです。
また,兄弟や同級生と比べることは,もっともしてはいけないことです。一人ひとりの顔が違うように,性格や能力も一人ひとり違います。そして,何かができるようになるスピードも違ってきます。違いこそが,その子の個性だという考え方も必要です。
そして,どんな些細なことでもできるようになったら褒めてやる。たとえ親が望むような結果がでなくても,そこまでできるようになったこと,そのために努力したことを褒めてやりましょう。そして,その時に,そのことによってうれしい気持ちになったことを伝えることも大事だと思います。
褒められることにより,自分自身を肯定的に受け止めるようになり(自己肯定感),感謝されることにより,誰かの役に立っていることを実感すると(自己有用感),もっと認められたい,もっと誰かのために役立ちたいと気持ちになり,向上心を持ち粘り強く努力し続けられるようになります。
最後に一番大事なこと,それは,時々,子どもを「ぎゅっ」と抱きしめてやること。それだけで子どもの心は安定します。大人だって好きな人,好かれたい人に「ぎゅっ」と抱きしめられると,心が落ち着きますよね。まして子どもは,自分を生み,育ててくれたお父さんやお母さんから抱きしめられると,その肌の温もりから愛されていることを心から感じ,安心するはずです。
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その3 家庭学習
文部科学省が毎年4月に全国の中学校3年生と小学校6年生を対象にして行う全国学力学習状況調査。今年の正答率の全国平均は64.4%。最も正答率が高かったのは福井県で70.0%,以下,秋田県,富山県,石川県と日本海側の県が上位を占めています。
教職に携わっている私が言うと,言い訳がましく聞こえるかもしれませんが,学習成績の良し悪しは,教師の教え方だけによって決まるものではありません。それぞれの地域の経済的・社会的・文化的な違い,特に子どもを取り巻く様々な「環境」が複雑に絡み合って,結果(差)として現れてきます。
そのような違いが見えないふりをして,「秋田に学べ」とばかりに,教育技術ばかりが注目されることに大きな疑問を感じつつも,そこには確かに学力を向上させるために効果的だと思える手法がたくさんあるのも事実です。
その一つが,家庭学習の習慣化です。家庭学習というと,「宿題」を思い浮かべる人も多いと思いますが,授業内容の補充や定着をめざして強制的に出されることの多い「宿題」ではなく,内容も量も子どもまかせの「自主学習」を秋田ではすすめています。
しかし,「自主」だからと言って,何もかも子どもまかせにしていては,子どもは何をどのくらいしていいのかわかず,途方に暮れてしまいます。そんな子どもには,授業中にとったノートやメモを,別のノートに書き写すことをすすめています。単純な作業ですが,書くことによって授業中の記憶が蘇り,整理されていきます。「エビングハウスの記憶理論」によれば,その日のうちに復習したことは,数日たって復習するのに比べ,はるかに短時間で終わり,記憶の保持率も高くなるということです。そして,これを数回繰り返すと,定着し,記憶の引き出しにしまわれることとなります。
ただし,その効果はすぐに表れるものではありません。先にも書いたように,何回も繰り返してこそ知識は身につき,生活経験の中で生かされてこその真価を発揮します。
つまり,言い古されたことわざの通り,「継続こそ力なり」なのです。
子どもたちが3日坊主で終わるか,それとも続けられるかは,一重に私たち教師や保護者の皆さんの声掛け一つにかかっています。「褒める」ということを肝に銘じておきましょう。
「自主学習」については,校長先生も10月30日(木)に発行された学校だより『みどりが崎』第10号で,他の例をいくつか紹介しています。ぜひお読みください。
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以上,先週の『学力向上の集い』で講師の話や会場からの意見を聞いて,学んだこと,気づいたこと,考えたことをまとめてみました。

冒頭にも書いた通り,知識や技術は,衣類と同じように,たんすの引き出しにしまっておくだけは何の価値もありません。衣類は使ってこそ,それも目的や状況に応じて上手に着こなしてこそ真価を発揮します。
知識もまた然り。生活の様々な場面に役立ててこそ,意味があります。
このことについて,また別の機会に新たな項を立てて述べたいと思います。