神社おそうじ隊、見参!公式ブログ

カタチ以前にある「いのち」への感謝。 天の恵み 地の恵みへの感謝を、一緒にお届けしませんか?

神社おそうじ隊、見参!

人のカラダは宇宙そのもの。 そして人のカラダは神聖な魂が宿る神社そのもの。
新世紀の「神社」認識とは、その土地に存在する神社だけを指すのではなく、人そのものが神社、すなわち 「 動くパワースポット 」。 その大切な社(やしろ)である肉体、そして人の思考や行動が調和で満たされることにより、関わる全てが明らかなる変容を遂げます。 自らの心身を健やかに保ち自己実現することこそ、関わるすべての人・場所・物の保持する磁場が健やかに保たれることとなり、それすなわち地域が、日本が、そして地球が、太陽系が、そして宇宙にまで、その調和波動が遍く届いてゆくこととなります。
「共生・協調・調和」 をメインコンセプトに、 神職介添えのもと『 社(やしろ)』そのものである“ 人・場所・物 ”に神道的アプローチにより働きかけ、それに連なる地域→日本→世界→地球→宇宙の調和が図られる、というのが Planetary Work の種子。 一人一人小宇宙である実体を、神社などの縁ある土地に運ばせていただき、相互交流させていただくことにより、つつみ気枯れが祓われ、人も土地も物もすべてが本来の輝きを放つ、というのが神社おそうじ隊の種子。 すべての意と土地と人とを、神職が那珂執り持ちさせていただいています。
現在日本全国各所に鋭意見参中。 清祓ワーク、及び清祓ノ儀での御玉串料、およびワーク代は、プラネタリーワーク活動支援費として運用させていただいており、その一部は神社おそうじ隊が活動する中で、全国の地域・神社に納めさせていただいております。


 

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2014.4.23~24 『神社おそうじ隊 見参! 大阪春の陣』 その4

2014年05月01日 | 2014.4.23・24 大阪夏の陣

饒速日命(にぎはやひのみこと)

その呪力もってすれば、死人をも生き返らせることができる『十種神宝(とくさのかんだから)』を天照大御神と高木神(高御産巣日神)から授かり、三十二人の護衛と共に「天磐船(あめのいわふね)」に乗り、河内国河上、哮峯(いかるがのみね)に天降った(降臨した)と伝承される。
その後、大和国白庭山に遷御。
天磐船に乗り、大虚空を飛翔し国を見定め(『所謂(いわゆる)、天の磐船に乗りて大虚空(おおぞら)を翔行(めぐりゆ)きて、是の郷(くに)を睨(おせ)りて天降りたまひて、「虚空見つ日本(やまと)の国」と謂うは、是なり』)、とされる(『先代旧事本紀』)。

物部(もののべ)氏の祖神とされ、また、『日本書紀』に「火明命、こは尾張連等が祖なり」とあることで尾張氏の祖神との見方もある。
(尾張一宮・真清田神社では天火明命(あめのほあかりのみこと)が祀られている)

いわゆる「記・紀」は、大きくいえば天皇による統治の経緯や伝承を記している。
それは、その編纂された時代において、編纂する側の意志と意図のもとにおいて成される事業でもあるだろう。

現在皇祖神とされる天照大御神。
その、「御璽(みしるし)」を携え降臨された饒速日命(にぎはやひのみこと)は、神武天皇が大和に到達した頃にはすでに統治していた。
「記・紀」では、神武天皇に統治権を譲った、ということになっているのだが…さて。



太陽、月、星…
いわゆる惑星神、「星神」への信仰は、古代より世界各地で連綿と継承されている。
日本もまた例外ではなく、いわゆる「三貴子」のうち、アマテラスは「太陽」と、ツキ(ク)ヨミは「月」と対応しているし、そのほか天の河(七夕)、北極星・北斗七星(北辰・妙見)が代表的である。

北辰(北極星)は、道教・陰陽道の信仰の中核でもあり、北辰=天皇大帝となる。
「天皇大帝」とは、文字から推察されるように日本における「天皇」の語源でもある。
道教では鎮宅霊符神、日本においては、仏教と習合し妙見大菩薩=神道でいうアメノミナカヌシ神となる。
このような星辰信仰は平安中期以降に盛んになったといわれ、北辰(北極星)に関する祭祀・供養は、天皇のみを対象に元来行われ秘法・秘儀とされてきた。
古代中国では、北辰(北極星)は天の中心であり、北斗七星はその天の帝王を乗せる車、とされていた。
また、北辰は、天皇専属の熾盛光仏頂(しじょうこうぶっちょう=梵名プラジュヴァローシュニーシャ)として天台では祭祀・供養されており、真言では北斗供が編み出され、こちらは庶民の信仰を集めたという。
「妙見」は事の真贋を見通す、といった意味になる。

また、伊勢においてよく見られる「太一」は北辰と同義。
皇大神宮において、古道教究極神がよく見られるというのも、謎を深める。



「神話」とは、英語ではmyth、フランス語のmythe、ドイツ語のmythosの訳語で、遡ればギリシア語のmuthosになるという。
「ミュートス」は、「ロゴス」と同じく言葉を意味するが、「ミュートス」は、「生じた事や生じる定めとなっていることについて」の言葉であり、「事実を報じ、あるいは述べることによって事実となるに違いない言葉であり、権威ある」言葉、ということらしい。

神話は、人類の思考、無意識の構造が基礎にあり、それを伝承する民族、血族の世界観、世界像を表現する。
大きくは世界や人類などの起源を語る創世神話、そして、英雄としての神々や人々の生涯を物語る英雄神話に分類される。

日本の、造化三神の下りにおける混沌から、イザナギ神・イザナミ神における「国生み」へと続く秩序化もまた、ひとつの神話の類型。
神道では、人はすべて死したのち神となると考え、この世には神からの「みこと(御言)」を受け生まれる「みこともち」であるとしています。
「命(みこと)」と、すべての神に尊称がつくのは、「神に還る」ということ。
しかし、こうした考え方も日本独特というわけではなく、その源流はどこかにある。
ただ、このような形態で、無意識の深奥に根深く、しかし忽然と顕在化している場所は…さて。


今回の「饒速日命(にぎはやひのみこと)」の伝承も、天から降ってくるというのは、いささか荒唐無稽に思えるかもしれない。
けれど、世界的にはさして珍しくはない。
これもまた、神話のひとつの類型である。
こういった伝承を荒唐無稽と一笑に付することなく、そのように伝承されるその真義を問うこと。
それがひいては、自らの根源をひも解く機会へと結びついていくことだろう。





今回御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
岩窟くぐりなど、ちょっと大変なところもありましたし、あっちこっちに飛び跳ねるように移動する、「おそうじ隊」のこれまでの中でもけっこう異質な「大阪春の陣」となりました。
しかし最終的には大阪のど真ん中、難波宮、そして教会…万事繋がっていくそのサマを、不思議がりながら納得している次第です。

また今回は、「おそうじ隊」のある意味でのターニングポイントになったような気もいたします。
「おそうじ隊」の本義は「プラネタリー・ワーク」、宇宙との呼応です。


次なる見参地は『隠岐島』
大小合わせ150もの神社が建立されているといいます。
島の規模からいえば、驚くほどの密集度合い。

6月8日・9日・10日。
御参加を希望される方はこちら
お問い合わせはこちらへ、お願いいたします。

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2014.4.23~24 『神社おそうじ隊 見参! 大阪春の陣』 その3

2014年04月30日 | 2014.4.23・24 大阪夏の陣

1、『石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)』通称:石切さん(大阪府東大阪市)









石切劔箭神社の祭祀は、代々木積(こづみ)氏が務めてまいりました。
この木積の姓は、古代に天皇の側近として仕えた物部氏の最有力氏族のひとつ「穂積」から転じたものです。
そして物部氏は、御祭神饒速日尊の子孫にあたります。(「石切劔箭神社」ウェブサイトより)


御祭神

饒速日尊(にぎはやひのみこと)
可美真手命(うましまでのみこと)


本殿

五社明神社と神武社

水神社



穂積神霊社

一願成霊尊

ちょうど、朝の運動をする神馬に遭遇。

長い年月、沢山の人々の、無数の願のかけられてきた、地元で大変に崇敬されている神社。
病気快癒(できもの)一切の霊験で知られる。

…個人的には、伏見のお稲荷様と大変に似た感覚を覚えた。


近隣にて佇む、神名も不明な祠。


参道商店街。
この先に、

“石切不動明王”がおられました。


2、『矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)』(奈良県大和郡山市)


御祭神  櫛玉饒速日神(くしたまにぎはやぎのみこと)

田地方の総鎮守社。天磐船で降臨の際に3本の矢を放ち、2本の矢が落ちた所と伝わることから、航空の神とされ、旅行の安全祈願をする参拝者も多い。一間社春日造り檜皮葺き本殿(重要文化財)は南北朝時代、同じく末社の八幡神社社殿(重要文化財)は室町時代に創建されたもの。(「大和路アーカイブ」ウェブサイトより)


神門にはプロペラ。



圧倒的な威厳に満ちた本殿。

今回、最も印象に残った神社。


3、『龍田大社(たつたたいしゃ)』旧・龍田神社(奈良県生駒郡三郷町)

式内社であり、旧社格は官幣大社。

御祭神

天御柱命 (あめのみはしらのみこと)
国御柱命 (くにのみはしらのみこと)

風鎮めの祀りとして知られる「風鎮大祭」で有名。




拝殿より本殿を拝す。



白龍大神

恵美須神社




4、『廣瀬大社(ひろせたいしゃ)』(奈良県北葛城郡)

式内社。旧社格は官幣大社。
龍田の風神、廣瀬の水神として知られる。

御祭神   若宇加能売命 (わかうかのめのみこと) - 廣瀬大忌神 (ひろせおおいみのかみ)
(本来の御祭神は「長髄彦」との説あり)


拝殿より本殿を臨む。

水分(みまくり)神社
境外末社として「饒速日命社(にぎはやひのみこと)」を祀る。


5、難波宮(なにわのみや)(難波宮跡公園・大阪市中央区法円坂)


昭和36年(1961)、大阪市立大学教授の山根徳太郎博士の発掘調査により、飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難波宮跡が確認された。現在では、宮殿の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられている。史跡は2種類の方法で示されていて、地表面より一段高くして、石造りで基壇を示すものが神亀3年(726)から造営された後期難波宮、一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示し、サザンカの生け垣をめぐらせているものが「大化改新」による難波遷都の後、白雉(びゃくち)元年(650)から造営が始められた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)=前期難波宮となっている。また、公園の中央北寄りには、天皇が国家の公式行事をおこなう際に使用したとされる大極殿も復元されており、その上からは大阪城を眺望することができる。(「OSAKA-INFO」ウェブサイトより)



“前期難波宮跡はすべての建物が掘立柱(ほったてばしら)で、屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が亡されて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)がこれにあたると考えられている。天武天皇朱鳥(しゅちょう)元年(686年)に、火災で全焼するまでつづいたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都といわれる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。
後期難波宮は、奈良時代の神亀(じんき)3年(726年)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文(れんげもん)・唐草文(からくさもん)・重圏文軒瓦(じゅうけんもんのきがわら)などの瓦が葺かれていた。天平16年(744年)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城京へと遷された。
前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されている。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれる”



大阪のど真ん中。
広大な敷地。
ここまでして保存する、その目的は…と、思いを馳せる…。


6、『大阪カテドラル聖マリア大聖堂』(大阪市中央区玉造)

1894年、この玉造の地に聖アグネス聖堂が建てられ、マリー神父が初代主任司祭となって玉造教会が誕生しました。その聖堂は戦災によって焼失しましたが、その後、仮聖堂を経て、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、1963年3月に、現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わりました。
その大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア夫人を記念して辞世の句碑が建っています。
現在の聖マリア大聖堂は、鉄骨鉄筋コンクリート建て、建坪2450平方メートル、軒高20メートル、青銅板葺きの大伽藍です。
正面の大壁画と左右にある壁画は、芸術院会員・故堂本印象画伯の筆によるものです。
大小およそ100個の窓は、通風窓をのぞき、ベニス工房・羽淵紅州子の作によるステンドグラスで、イエス・キリストの生誕と洗礼、聖母マリアの生涯、そして小聖堂には日本人に福音を伝える聖フランシスコ・ザビエルが描き出されています。
大聖堂内陣右側にある大十字架及び聖母と聖ヨハネ像、大聖堂の壁面に掲げられている十字架の道行の14場面、小聖堂の聖アグネスと聖フランシスコ・ザビエルの像は、オーストリアの彫刻家・ルンガルチェ氏の木彫です。
大聖堂前広場の両端にある高山右近と細川ガラシア夫人の石像は、カトリック信徒の彫刻家・阿部政義氏の力作です。
大聖堂のパイプオルガンは、2400本ものパイプを有するものです。(大聖堂ウェブサイト「沿革と概要」より)



細川ガラシャ

高山右近



内部は撮影禁止。
厳かな、しかし凛とした静寂。
祈りを捧げる人もあり…。


この日は、ここまで。

次回、エピローグ…。

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2014.4.23~24 『神社おそうじ隊 見参! 大阪春の陣』 その2

2014年04月28日 | 2014.4.23・24 大阪夏の陣

1、『新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)』(大阪府茨木市)


『日降ヶ丘(ひぶりがおか)』
かつての古代祭祀の後ともいわれ、御祭神(天照御魂大神)降臨伝承が伝わる。


鳥居。
ここより少々石段あり。

拝殿

本殿


摂社・出雲社(須賀神社)

末社・六社(通称・六社さん)


御祭神 天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)
相殿  天照皇御魂大神(あまてらすすめみたまのおおかみ)
    天饒石国饒石天津彦火瓊々杵大神(あまにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのおおかみ)

新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。
第十四代仲衰天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました。(上河原社・西河原社)
貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。
また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊穣を祈願してきました。
この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)、細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰しました。
そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し、現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり後、その功によって、茨木城主になったと言われています。

その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。(「新屋坐天照御魂神社」ウェブサイトより)



この日初めに参拝させていただいた神社。
延喜式内社であり、名神大社でもある。
古社ならではの特有の風格は、まさに往時を偲ばせた。

御祭神「天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)」は、今回のテーマでもある饒速日大神(にぎはやひのおおかみ)の、いくつもある別称のひとつ。



2、『磐船神社』(大阪府交野市)


当社は大阪府の東北部、交野市私市(かたのし きさいち)にあり、奈良県生駒市に隣接する、生駒山系の北端、まさに河内と大和の境に位置します。境内を流れる天野川は、10キロほどくだって淀川に注ぎ込みます。この天野川にそって古代の道ができ、「上つ鳥見路」と名付けられ、後世には「磐船街道」とか「割石越え」と呼ばれるこの道(現在の国道168号線)は現在の枚方と奈良の斑鳩地方をむすび、さらには熊野にまで続く道でした。瀬戸内を通り大阪湾に到着した人々や大陸の先進文化は、大和朝廷以前にはそこから淀川、天野川を遡りこの道を通って大和に入るのが最も容易であったと思われます。

またその一方で、古代からの日本人の巨石信仰にも思いを馳せると、天の磐船は古代の人々にとってまさに天から神様の降臨される乗り物であり、その磐船のある場所は神様の降臨される聖域でありました。そしてこの地に出現された饒速日命はまさに天から降臨された神様であり、長髓彦などの豪族たちをはじめ、大和の人々から天神(あまつかみ)として崇敬を集めたのであり、命のお伝えになられた文化が大和河内地方を発展させたものと思われます。そして当社は、天神として初めて大和河内地方に降臨された饒速日命の天降りの地として信仰されてきました。(『磐船神社』ウェブサイトより)


饒速日命の伝承において、必ずといってよいほど語られる神社。


拝殿。
背後には縦横十二メートル、聳えるように立つその巨石が『天の磐船』とされる御神体。




多数の巨石の密集する岩窟は、拝観することができます。

一人がやっと通れる程度の隙間を抜けていくなど、アドベンチャースタイルにコース設定されていました。





さながら○○探検隊…。


出口。
そこには祠が…。

登美比古大神←長髄彦(ながすねひこ)。
神武東征に際し抵抗した豪族の首長、として神話では描かれる。






3、『小松神社(星田妙見宮)』(大阪府交野市)



御祭神 天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
    高皇産霊大神 (たかみむすびのおおかみ)
    神皇産霊大神 (かむむすびのおおかみ)

天之御中主大神。
仏教においては「北辰妙見大菩薩」。
道教・陰陽道においては、鎮宅霊符神。
これらはすべて、北極星を指します。
伝承によると、弘法大師がこの地を訪れた際に、七曜の星が降り、それが三カ所に分かれて地上に落ちた。
そのうちの一カ所がこの神社だという。





磐座(陽向石)・織女石



4、『枚岡神社(河内ノ国一宮)』(大阪府東大阪市)

延喜式内社であり、旧官幣大社。

枚岡神社は、永く神津嶽にお祀りされましたが、孝徳天皇の白雉元年(はくちがんねん)(650年)9月16日に、平岡連らにより山麓の現地へ奉遷されたと伝えられています。神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)に、天児屋根命・比売御神の二神が春日山本宮の峰に影向せられ、春日神社に祀られました。このことから当社が「元春日(もとかすが)」とよばれる由縁であります。
その後、宝亀(ほうき)9年(778年)春日神社より、武甕槌命・斎主命の二神を春日神社より迎え配祀し四殿となりました。
大同元年(806年)には60戸の封戸を充てられ、貞観元年(856年)天児屋根命の神階は正一位の極位を授かり、延喜式神名帳では名神大社に列せられました。

創祀

枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡り、初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。
神武御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため天児屋根命・比売御神の二神を、霊地神津嶽(かみつだけ)に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。

(「枚岡神社」ウェブサイトより)




御祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
     比売御神(ひめみかみ)
     経津主命(ふつぬしのみこと)
     武甕槌命(たけみかづちのみこと)


拝殿

御本殿

夕暮れ近く…社務所はすでに閉まっていたものの、神職の方々は皆親切で、いろいろとお話を聞かせていただきました。
ありがとうございました。

時間的に、枚岡神社創祀の地である神津嶽本宮には到達できず。。。




この日はここまで。
「枚岡神社」近くの、「ホテルセイリュウ」に宿泊。
背後の生駒山、正面に大阪全景を眺めつつ温泉に入れます。


おまけ:
「新屋坐天照御魂神社」から「磐船神社」への道中のお昼。

「カトマンドゥカレーPUJA」にて。
カレーもナンも美味しかったけれど…ここで思わぬ時間調整となったのでした。。。

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2014.4.23~24 『神社おそうじ隊 見参! 大阪春の陣』 その1

2014年04月25日 | 2014.4.23・24 大阪夏の陣



二日目の朝。
最初に参拝させた頂いた、大阪のとある病気直しの霊験で知られる神社の境内脇にある庭園の、神馬厩舎を見守るようにその社殿(祠)はあった。
同神社の神職の方ですら、祀られている御神の詳細はわからず。
ただ、敷地にあることもあり、荒廃しないようには気をつけているという。

しかし、おそらくは、近隣の人々の間で、誰とも無く掃除をしたり、お世話をしているのではないだろうか。
ガイドブックにも載らず、偶然のように見かけ、当然のように今回の参加者の方々と拝させていただいた。
その時、身の、肩の辺りにあった何かがスッと抜け、軽くなった(これは私だけではない)。
霊体での感応は日常ながら、ここでこういうご神威を頂けるとは思っておらず、今更ながらいつも見守られていることを実感する…。


大阪春の陣。
『神社おそうじ隊 見参!』では、これまで京都・大和(奈良)・近江(滋賀)・淡路島・神戸…と関西圏を巡拝させていただいてきて、今回「大阪(河内)」にようやく初上陸。
かつての畿内全域を、これでようやく(とりあえず)カバーすることになった。

また、当日大幅に予定を変更し、最終参拝地は大阪の中央(難波)に。
都市の中央というのは、東京もそうだけれど、少し考えればそこらじゅうにミステリアスな事象が存在するもの。
…というよりは、それは本来ミステリアスでも何でもなく、そこに目に見えるカタチで顕現しているのだから、やはりその真意に心と思考を向けてみることだろう。
思いっきり何らかの意図が何重にも塗り重ねられたニュースを、与えられるがままに見ているだけでは…。

世界は、かくも同一の原理で動いていて、それは過去も現代も変わらない。
それは特殊なことでも、奇異なことでも、奇妙なことでも、おかしなことでもない。
この身と心でそれを体感・体験し、見届け、確認することは、そこに宿す魂の深奥において、大いに意味を成すだろう。

そもそも、「おそうじ隊」『プラネタリー・ワーク』の一環。
そろそろこの身と心を地球全域に運びゆく、その時機なのかも、しれない。
4月23日は、「カーディナル・グランドクロス」の日だった。
私自身はそれを知らぬままこの週のこの日と決めたのだが…。


…一人一人は、等しく宇宙を体現している。
いつの、いかなる時ですらも。

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参加概要

初年度は神奈川県を中心に隔月ペースで各所に見参、4年目を迎えた今年も磐座・巨石参拝をメインに見参中。周る神社やルートなどの行程詳細はお問い合わせください。見参地は決まり次第、ブログやホームページで随時発信してゆきますので、どうぞご確認下さい。

※ 基本事前振込
■ 参加費 日帰り参加:5,000円 2日間:15,000円 3日間:25,000円
■ 中途参加・離脱の場合 : 2日間:10,000円 3日間:20,000円
※ 車出しをお願いした場合など金額に変動があります。詳細はお問合せ下さい。
▼ 前日キャンセルの場合参加費の10%を頂きます。
▼ 就学児以上の年齢による参加費の変動はありません
▼ 現地までの交通費+宿泊費+食事代諸費用は個人負担となります
▼ レンタカーを借りた場合は中途参加・離脱に関わらず人数割(ガソリン代含む)

■ 宿泊手配など詳細はお申込み後ご連絡させて頂きます
◎ 歩きやすい靴、服装、荷物軽量でご参加ください
◎ 御朱印帳をお持ちの方はご持参ください

Planetary Work

神聖なものとは、神社など特定の場所だけに宿っているわけではなく、すべてのものにそれは純然と在りて在るもの。人もまた然り。人が集う場所、物も然り。 それらが生かされるうちに自然に重なる“つみ=包み” “けがれ=気枯れ”を清祓いさせていただくことにより、すべて=宇宙からの慈愛のエネルギーが降り注がれ循環∞し、必要な人・場所・物との縁を結び、縁あるすべてが活性化することの援けをさせて頂きます。

お申込&お問合せ


どなたでも参加できます♪詳細はコチラ お問合せ・お申込みはコチラ