『尾張大國霊神社 国府宮』御祭神は、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)であるという。
「尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されております。当社は奈良時代、国衛(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社でありました。このことから通称「国府宮」として広く知られております。」(尾張大國霊神社 国府宮ウェブサイトより抜粋)
この3年の間の『神社おそうじ隊 見参!』で大切にしてきたことのひとつは、
「その國・地域・地区で大切にされてきたカミサマへの感謝」ということ。
いわゆる「一宮」というのは、多くはその國で最も格式の高い神社、ということになってはいます。
ここ尾張では、この日の午前中に「一宮」とされる二社を参拝させていただきました。
そして、午後の最初は尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)。
「国府宮(こうのみや)」とされることからも、その重みが伝わります。
ちなみに、尾張(愛知)というと、一般的には「熱田神宮」を思い浮かべることでしょう。
「熱田神宮」は、実は「三宮」ということになっています…。
そして、今回最高のインパクトを参加者の皆様に与えた…
『田懸神社』「豊年祭」は「天下の奇祭」として知られ、日本はおろか世界各国からも参拝者が押し寄せるという。
…と、ここでカメラの充電がゼロに。
ここからが、この神社の真骨頂でしたが…かえすがえすも残念。
御祭神は、御歳神(ミトシノカミ)、玉姫命(タマヒメノミコト)。
御歳神(ミトシノカミ)は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子。
玉姫命(タマヒメノミコト)は、尾張地方開拓の祖神である大荒田命(オオアラタノミコト)の王女。
どういう合祀かは不明なれど、地域にとって大切な神社であることは一目瞭然。
そして、
『尾張二宮・大懸(おおあがた)神社』。
近江八幡・賀茂神社の岡田宮司は、こちらの「大懸神社」の宮司様と同期だということ。
そのご縁で、神職の柴垣さんに境内を丁寧にご案内していただきました。
現在の牧野宮司が先代の溝口宮司、飯田宮司と共に尽力されたことで、それ以前廃れていた「大懸神社」は再生を果たしたということです。
いかにご神威あろうと、やはり現実を突き動かすのは、人の行動なのです…。
尾張開拓の祖神大縣大神を祀る当社は、古来より朝廷を始め衆庶の崇敬篤く、尾張の二宮様として親しまれ、事業繁栄・開運厄除の守護神として仰がれております。
当神社の御鎮座は古く、社伝によれば御祭神 大縣大神は、始め濃尾平野を見下ろす本宮山の頂に鎮座されておりましたが、垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み御遷座されたと伝えられております。延喜式神明帳には名神大社として登載され、大正7年11月に國幣中社に列せられました。
現在の御社殿は、尾張藩主2代目徳川光友公が寛文元年(1661年)に再興された建物で、尾張造の構造様式を正確に伝へ、特に御本殿は「三棟造」・「大縣造」と称され他に類をみない特殊な様式を構え、国の重要文化財の指定を受けております。(「大懸神社ウェブサイトより抜粋)
「摂社 姫之宮」古来より女性の守護神として称えられる御祭神の神裔 「玉比売命(たまひめのみこと)」を祀る。
本殿裏手には、良縁成就の
「むすひ池」。
ここでは、ほぼご当地隊・Kさんが活躍でした。。。
(ちなみに、上記3枚はipadにて撮影…。)
さて、今年も残りわずか。
今年最後の『神社おそうじ隊 見参!』は…
12月10・11・12(火・水・木)香川見参!となっています。
また、年末恒例となりました
12月17日(火)清祓ワークを執り行います。
2013年への感謝の意宣りをご一緒に。
参加受付中です。
更には、
2014年1月7日(火)皇居見参!→受付中 12月10日までに参加表明&住所年齢をお知らせください。
「参加したい」、お問い合わせなどは
こちらまでお願いいたします。
来年も、現時点ですでに盛り沢山…。
近日、予定アップいたします。