『春日大社/第六十次式年造替』。
『春日大社では、一年三百六十五日、二千二百回以上のお祭りが奉仕されています。
そうした中での至高最上の祭典が『式年造替』です。
式年とは「定まった一年の年限」、造替とは「社殿を造り替える」という意味。
神さまがお引っ越しされることを「遷宮」といいますが、春日大社では本殿の位置は変えずに
建て替え、あるいは修復を行うため「造替」といいます』(「春日大社・式年造替パンフレットより抜粋)
《春日大社》は、神護景雲2年(768)に、称徳天皇勅命により創建されました。
国家および国民の守護神であり、藤原氏の氏神として朝廷からの手厚い保護を受け続けた、全国3,000社以上ともいわれる春日神社の総本社です。
その神域は現在でも、御蓋山全域および飛火野と呼ばれる芝原や雪削の沢などを含め32万坪にも及ぶといわれます。
今回登拝した御蓋山は、「万葉集」や「古今和歌集」でも詠まれているなど、その霊験の高さで知られています。
春日大社創建以前より神奈備山として崇敬を集めていた山であり、創建後に狩猟伐採などが禁止となったこともあり、ほぼ手付かずの原始林となっています。
…僕は、2010年に、一度この御蓋山原始林の遊歩道に入っています。
(その当時の記事は
こちら)
この当時は、まだ神職としての勉強の真っ最中の頃でした。
そこから約5年の歳月を経たワケですが、この5年の間に神職資格を得て、2011年からは「神社おそうじ隊 見参!』という活動を始めました。
今回の春日大社の式年造替のこと、本宮神社登拝のことを知るにおよび、何かがグルっと一周したようにも思えました。
それならばと、即参加を決めての今回。
ニノ鳥居前で受付。
その後、「感謝と共生の館」にて、事前説明。
水谷神社→大宮参拝→若宮参拝→本宮神社遥拝所より入山→本宮神社→春日山遊歩道より下山→水谷神社に報告→直会
という流れ。
若宮神社 御祭神 天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)
870年以上、途絶えることなく続けられてきた「おん祭」は、この若宮神社の例祭です。
この例祭は、興福寺の庇護も受け、大和国万民の祭りという特別な意味合いをもっているそうです。
この前日のゲリラ豪雨が嘘のような快晴。
禁足地でもあるため、登山用の整備などされておらず、足場の悪さなどが心配されましたが、杞憂に終わりました。
先達となった春日大社の権禰宜の方の、「さ~んげ、さ~んげ、六根清浄」の掛け声と共に、本宮神社へと向かいます。
『春日大社 摂社・本宮神社』 御祭神
武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
経津主命(フツヌシノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
標高295メートルの御蓋山浮雲峰に御鎮座になり、延喜式内社「大和日向神社(やまとひむかいのかみのやしろ)に比定される神社。
創立不詳。古伝では、まずこの浮雲峰に武甕槌命は降臨。そこからまもなく西の麓の現在地に遷座された、とされている。
約10メートル四方の磐境の上に社殿はある。
下山後、
摂社・「水谷神社」に感謝の報告。
御祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)
大己貴命(オオナムチノミコト)
奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)
八坂神社からの御分霊。
北方ないし東北の方からの厄神を和め、鎮めるために鎮祭された。
直会では
「中旬の献」が供された。
古儀の一つであり、宮中と春日大社でのみ行われる重儀だということ。
「禁足地」とは、「足を踏み入れてはいけない場所」という意味ではなく、本来「そこから出てはならない」という意味。
今回、その禁を解いたということは…何か、大きな変化が霊的な意味でも行われている…という考え方もできますね。
1300年以上の時を経て、開かれた神域…。
その神秘性は、解禁となった今後どうなっていくのか…個人的には、注目です。
平安貴族は、鹿を見ると神の使いということでお辞儀をしていたそうです。
今回、この機会をいただいた春日大社、並びにご案内いただいた権禰宜さま始めすべての皆さまに、感謝いたします。
また、今回急にも関わらず、呼びかけに応えていただいた参加者の皆さま。
本当にありがとうございました。
参加者Aさんから、記念写真をいただきました。
ありがとうございます!